PRプロフェッショナルが見て感じた、アドミュージアム東京の魅力
2022/06/23
企業ミュージアムは、「ミュージアム」というアカデミックな領域と「企業」というビジネス領域の両方にまたがるバッファーゾーンにある。そして運営を担う企業の広報、ブランディング、宣伝、人事などと多様に連携する組織である。本連載では、企業が手掛けるさまざまなミュージアムをPRのプロフェッショナルが紹介し、その役割や機能、可能性について紹介していく。
人々の生活やビジネスにイノベーションをもたらしてきた広告。その広告の歴史がつまったアドミュージアム東京には一歩足を踏み入れたときから、時代を読み解く数多くの発見がある。どれほど価値がある貴重な資料でもそれをただ展示しているだけでは伝わらない。その背景にある思いや感情が共鳴し、来館者の想像力をかきたてる工夫がこのミュージアムでは随所に見られる。バーチャルの時代にあって、リアルな場でしか得られない体験がここではできるのである。歴史を伝えるだけではなく、社会課題に向き合う展示などを通し、未来につながるような取り組みも行っているアドミュージアム東京をPR(パブリックリレーションズ)視点を交えてご紹介したい。
取材と文:中川郁代(電通PRコンサルティング)
東京・汐留にある電通本社から歩いてすぐのショッピングモール、カレッタ汐留の地下2階に、アドミュージアム東京はある。その名の通り、広告を専門に扱った日本唯一のミュージアムだ。運営は広告業界の発展に尽力した電通の第4代社長・吉田秀雄氏の遺志を受け継ぎ設立された(公財)吉田秀雄記念事業財団が行っている。広く一般の方に広告の資料を公開し、広告コミュニケーションの社会的文化的価値の理解を深めてもらうことを目的に、彼の生誕百年を記念して2002年に開館し、15周年の2017年にリニューアルした。
年間8万人だった来館者は、リニューアル後に10万人になり、今では広告に携わる関係者より、学生を含む一般の方が来館者の6~7割を占めるという。特に広告やマーケティングを専攻する大学のゼミ単位での見学も多くあるようだ。また、昨今ではおしゃれスポットやオススメのデートスポットとして紹介する記事も増え、若いカップルがよく訪れているとのこと。ショッピングモールという立地、そしてリニューアル後のガラス張りの明るくオープンなつくりが、買い物帰りでも気軽に立ち寄りやすい雰囲気なのだ。現在は既に累計200万人を超える来館者となっている。
マーケティングの始まりは江戸時代?商売のイノベーションを知らしめたチラシのチカラ
収蔵資料は江戸時代から現代まで33万点以上あるというが、特筆すべきは江戸の広告展示だ。「マーケティングの原点は日本の江戸にあり」とピーター・ドラッカーに言わしめたほど、非常に興味深い内容になっている。その著書「マネジメント」では「マーケティングは越後屋の創業者・三井高利によって始まる」と記されており、少しだけ内容に触れておきたい。
当時の呉服店は武家屋敷や裕福な町人宅に訪問して注文を取り、客は盆暮れに支払っていた。三井高利は代金を回収する手間や人手もかかるこの方法を廃止し、「現銀掛け値なし」という、店頭での現金取引を行うことで価格を下げ、新商法を編み出した。さらに呉服は反物単位で販売するという当時の常識を覆し、必要な分だけ切り売りも可能とし、庶民の人気を集めたという。
まさに商売のイノベーションである。越後屋はこの新たな販売方法の周知のために「引札(ひきふだ、現代でいうチラシ)」を作成、庶民へ配布。おそらくチラシの内容は人から人へ口コミでも広がり、広告とオーガニックなPRの相乗効果で、見事に販売促進につなげたのだ。越後屋に客が集中するため、他店もこの新商法に追随せざるを得なかったのである。またこの流れは人々の意識も変えたはずだ。代金さえ払えば、武士も町人も関係なく、誰でも対等に扱われる。イノベーションを起こした新商法のアイデア自体も素晴らしいが、それを世に知らしめたチラシのチカラは絶大だった。1枚のチラシが広告文化の発展だけではなく、人々の生活、社会の変化にもつながっている。
歌舞伎役者は江戸時代のインフルエンサー
他にも江戸時代には今日につながっている広告のルーツが多くある。人が集まる吉原の花見イベントは格好の広告の場だった。庶民に親しまれた「絵双六(えすごろく)」は遊びの中でお店や商品を上手に宣伝した現代のゲームアプリ。歌舞伎の演目の中にも随所に広告が登場し、まるで企業タイアップである。また歌舞伎役者はインフルエンサーであり、彼らによる口コミはソーシャルメディアのごとく拡散。人気タレントの影響力は今も昔も同じなのだ。またそれらを仕掛ける江戸のクリエイターたちが、現代風なインタビュー形式のアニメーションで紹介されている(下図参照)。平賀源内は日本で最初のコピーライター、蔦屋重三郎は写楽や喜多川歌麿など数多くの才能を見いだした敏腕プロデューサーなど、それぞれの実績紹介だけでなく、ヒットした商品の理由や才能を見抜くコツなどまで語られていて、思わず最後まで聞き入ってしまう。
今だからこそ見たい戦時下の広告~広告史から学ぶべきもの
興味深いのは江戸の広告ばかりではない。アドミュージアム東京には他にもその時代を読み解くテーマとともに日本の広告史が網羅されているが、今だからこそ、世の中の人々にぜひ見てもらいたい広告がある。冬の時代と呼ばれた戦時下での広告だ。それまでの華やかな商品広告から国威発揚へと広告の役割を大きく変えた時代である。「欲しがりません、勝つまでは」「進め一億火の玉だ」など、戦意高揚のスローガンを打ち出した広告が展示されている。
昨今、ウクライナの戦禍をニュースで見ない日はないが、この平和な日本にいると、どこか遠い国で起こっている出来事と考えてしまいがちだ。だが、これらを見るとほんの二世代前の日本でも、実際に本当に戦争が起こっていたのだとあらためて考えさせられる。
また広告だけでなく、PRもプロパガンダ的な側面をさらに加速させていたに違いない。権力者たちの都合のよい情報だけしか話題にしないよう、日本でも厳しく情報をコントロールしていた時代が確かにあったのだ。「広告は社会と人間を映す鏡」と言われるように、広告表現の変化は時代の移り変わりを象徴している。われわれは今日においてもそこから学ぶべきものはまだまだ多く残されている。
魅せる見せ方の追求
そして、各時代の興味深いコンテンツをさらに引き立てているのが「魅せる見せ方」だ。どれほど価値がある貴重な資料でもそれをただ展示しているだけでは伝わらない。PR視点で言えば、ファクトである情報をありがちなパネル展示でただ伝えるのではなく、その背景・思いや感情が伝わるように魅せる、そしてそれを分かりやすく伝えることが重要なのだ。
施設としての規模は決して大きくはないが、展示コーナーには深掘りできるスイッチボタンがあり、それを押すと平面的な展示からいきなり音と映像が飛び出す。先に挙げた歴史上の人物、平賀源内らの自己紹介シーンがそれである。その時代を生きた人が目の前に現れたような仕掛けは、見る人の想像力をさらにかき立てるだろう。
広告を手掛けるプロが作り手なのだから当然といえば当然だが、見る人を一瞬で引きつける展示タイトルがすべてを語っている。例えば「世界初!?の天才マーケター」は先に紹介した商売のイノベーションを起こした越後屋三井高利を指す。解説文もすべて200字以内に抑えられ、見る人を飽きさせない。他にもモニターに流れてくるサムネイルの中から、気になったものを自由にタッチして閲覧できるデジタル仕様の展示があり、1950年代から現在までのテレビCM、ポスターなどが好きなだけ閲覧できる。筆者は懐かしさのあまり、館内滞在時間のほとんどをここで費やしてしまった(笑)。
デジタル展示で目が疲れたら、隣接されているアナログ展示へ。有名なCMの当時の絵コンテなどは、おそらくここでしか見ることができないだろう。今はすべてがデジタルで処理されるのだろうが、紙とペンで描かれた絵コンテは作り手の思いが伝わる最強コンテンツだ。余白に走り書きで書かれたメモが興味深い。
プロが教えるスキルの共有や、「人」を貸し出す図書館など、多様な展開も
また、アドミュージアム東京には時代ごとの常設展示だけではなく、ロンドン・カンヌ・ニューヨークなど世界を代表するクリエイティブ・アワードから最新のデザインや広告を紹介する企画展なども毎年行われている。筆者が訪れた際にはちょうどカンヌライオンズ2020/21の企画展が開催されていて、作品の解説も丁寧に記されており、来館者による人気投票も行われていた。
そのほか、プロのスキルが学べる広告作りのワークショップや人を貸し出す図書館「ヒューマンライブラリー」と題し、LGBTQなど社会の中で偏見を受けやすい人々が「本」になり、一般「読者」との対話をするユニークなイベントなども開催。コロナ禍の感染状況が落ち着けばまた再開するようだ。
広告の歴史や資料を収蔵するだけでなく、さまざまな活動を通じて、人との関わり、未来につながるような取り組みなど、これまでの概念で語られてきたような企業ミュージアムとは一線を画しているともいえよう。
ブランドステートメントとともに
アドミュージアム東京にはブランドステートメントがある。「いつも、あなたに、新しい発見を。」で続く、そのメッセージには、人々の心を惹きつけるものは時代を超えても変わらない広告の普遍性と、一方でこれまでのたくさんの広告から、まだまだ新しい気づきや発見があり、やっぱり広告って面白い、というしっかりとした思いが語られている。その思い、姿勢は館内の至るところに感じられた。
広告のルーツとなった江戸時代を起点に、新聞・雑誌が誕生した明治時代からデジタルを駆使する現代まで、その変遷の一つ一つを深く知れば知るほどそこに新しい発見があり、時代と広告、人と広告の関わりの歴史から学ぶべき点は多い。
今後についてアドミュージアム東京の敦賀タッカーさんにお話を伺った。「メディアと広告の歴史を網羅的に扱っているミュージアムは世界的にも例がないといわれています。『錦絵』一つとっても、特に海外ではアートとしての価値が高いですが、ここでは『錦絵』を当時の世相を反映するメディアとしてクローズアップしています。こういった見方があることももっと広く伝えたい、世界に誇れるユニークなミュージアムを目指していきたいと思います。そのためにはやはりリアルに見て感じていただきたいので、東京だけではなく、国内外問わず、どこかにアドミュージアム○○ができればと……。まずは巡回展からぜひ実現していきたいですね」
なるほど、アドミュージアム大阪、アドミュージアムNY……構想は尽きない。昨今では、場所に関係なくバーチャルで展開しているミュージアムも増えてきているが、この企業ミュージアムの連載の初回で大正大学の高柳直弥氏が語られていた、リアルな「場」だからこその魅力を思い起こした。それは、「誰と行くのか?」ということにもつながってくる。恋人と行くのか、友達なのか、親子なのか。そこで盛り上がれば、何時間でも過ごしていられる。バーチャルでは得られない体験だ。
最後に
筆者は昨年創立60周年を迎えたPR会社の社員だが、本ミュージアムのブランドステートメントに記されている「笑いや涙、驚きや共感。心を引きつけるものは、時代をこえて、根っこの部分でつながっている」のはPRも同じだ。江戸時代にそれまでの商売の常識を覆したイノベーションは人々の生活をより良くするため。あの手この手の手法もPRそのものであり、江戸のマーケティングはPRと重なって見えた。1カ所でいい。アドミュージアム東京の隣にいつの日かPRミュージアムをぜひ創設したいものである。そもそも、アメリカで生まれたPRにいち早く目を付け、それを日本に“ビジネス”として導入した人こそ、吉田秀雄社長であったことも書き留めておきたい。
アドミュージアム東京のHPは、こちら。
公益財団法人 吉田秀雄記念事業財団については、こちら。
【編集後記】
「最近の若者には、困ったものだ」という記述が、古代遺跡の壁にくさび形文字で書かれていた、というあまりにも有名なジョークが、アドミュージアム東京の展示物を眺めていて、ふと思い出された。時代によって、メディアは変わる。壁は紙になり、紙は新聞になり雑誌になりポスターになり、そこにデジタルサイネージが加わっていく。ラジオから広まった電波メディアは、今やテレビ、インターネット、SNS、と百花繚乱(ひゃっかりょうらん)だ。
メディアに変化が起こると、途端に人は慌て出す。時代の波に乗っかっておかないと、世の中から取り残されてしまうのではないか、と。でも、慌てる必要はない。人の根っこのところにある気持ちは、古代文明の頃からなにも変わっていない。なぜなら、いつの時代も「若者」は困った存在だし、「年寄り」は小言ばかりを口にするものだし、そして、その気持ちを誰かに広く伝えたい、共感してもらいたい、と人は願うものだからだ。そんなことを思いながら、汐留の地下にあるミュージアムを巡ってみるのも、一興だと思う。