まほうびん記念館に見るプロの矜持とおもてなしの心
2022/09/21
企業ミュージアムは、「ミュージアム」というアカデミックな領域と「企業」というビジネス領域の両方にまたがるバッファーゾーンにある。そして運営を担う企業の広報、ブランディング、宣伝、人事などと多様に連携する組織である。本連載では、企業が手掛けるさまざまなミュージアムをPRのプロフェッショナルが紹介し、その役割や機能、可能性について紹介していく。
夏の暑い日でも冷たい水は冷えたまま、冬の寒い日でも温かいお茶は温かい。運動会や遠足など、子どもの頃からお世話になってきた魔法瓶。外出先や自宅で、涼や暖をとるその一杯に誰しも一息ついたことがあるだろう。これまで、魔法瓶の仕組みなど気に留めることもなかったが、あらためて考えれば、「魔法の瓶」とはよく言ったものだ。だが、ものづくりには魔法はない。本稿では魔法瓶の歴史とその仕組みをひもときながら、「まほうびん記念館」の魅力を紹介していきたい。
取材と文:中川郁代(電通PRコンサルティング)
魔法瓶の技術と魅力を伝える発信基地
残暑が続く8月下旬の大阪、筆者は北区天満にある「まほうびん記念館」を訪れた。同記念館は象印マホービンの本社の1階にあり、同社が運営している。あまりの暑さに入館前、持参したマイボトルで一口、喉を潤す。マイボトルはもちろん象印だ。それにしてもこの炎天下にありながら、ずっと冷たくおいしく飲めることに今更ながら感嘆する。
同記念館は、象印マホービンが創業90年を記念して2008年にオープン。広く一般の方を対象に日本の魔法瓶の草創期から魔法瓶業界の発展と進化の歴史を紹介するとともに、魔法瓶を中心に国内外から集めた約350点の展示をしている。そして、創業100周年を迎えた2018年にリニューアルし、新たに110本もの異なる色柄や形状、素材などの魔法瓶を並べた展示コーナー、その名も「まほうびんの森」を新設した。
この森には有田焼からキャラクター柄まで多種多様な魔法瓶が展示されているが、ガラス製魔法瓶の内瓶を使用した照明の演出で、統一感のある落ち着いた空間になっている。100年の歴史を誇る魔法瓶など、ここでしか見ることのできない貴重なものもあり、知らなかった魔法瓶の世界を堪能できる。
また館内には、宇宙開発へのサポートや、スポーツを含むさまざまな産業などに貢献する新技術なども紹介されており、日本の魔法瓶の技術力の高さを改めて認識できる。まほうびん記念館はまさに業界を代表して大阪から全国にそして世界に、魔法瓶の技術と魅力を伝える発信基地となっている。
あえて「まほうびん」にしている理由
「魔法瓶記念館」でなく、あえてひらがなにしているのには理由がある。小さな子どもから大人まで幅広い世代の方々に来館いただき、時代とともに進化していくさまざまな商品をそれぞれの目線で見て楽しんでもらいたいという思いからだ。エントランスでは、魔法瓶が生まれるまでを紹介したビデオ絵本が優しい語り口で迎えてくれる。太古の時代から魔法瓶誕生に至る、人類の保温・保冷の工夫の歩みを、子どもも分かるようにニュアンス豊かなアニメーション映像で紹介されているが、大人が見てもとても新鮮だ。
また館内には魔法瓶の仕組みが分かる“真空”のふしぎを体感できる実験装置などもあり、子どもから大人まで目と耳、体全体で楽しめる施設となっている。かつては運動会や遠足での必需品だった魔法瓶だが、今や年齢やシーンに関係なく、熱中症対策やサステナビリティを背景に、筆者同様、マイボトルを持ち歩く人は多い。保冷・保温の効く魔法瓶は、既にわれわれの日常には欠かせない存在となっていることにあらためて気付かされる。
1人でも社員のガイド付き案内
そしてもう一つ、この記念館を本社の1階に開設したのにも理由がある。交通の便が良いだけでなく、社員啓発、取引先とのコミュニケーションツールとしての利点もあるが、特筆すべきは、見学のスタイルが開館当初からすべて完全予約制で広報部の社員自らがガイドとなって案内している点だ。そのため会社が休日である土日祝日は閉館し、平日のみ1日3回、それぞれ約1時間のガイドを実施している。たとえ1人だけの予約でも1組とし、同じ対応をしているという。
ここまで徹底した対応は、他の施設にもあるのだろうか?企業ミュージアムを専門に研究している大正大学の高柳直弥氏に確認したところ、「完全予約制で、1名での予約であっても必ず社員によるガイド付き案内をしているというのは、非常に珍しいケース。企業の取引先が相手の場合はよく行われるが、一般の来館者の場合も必ず行うという方針は、数ある企業ミュージアムの中でもあまり例がない」という。案内に効率性を求めない、究極のおもてなしだ。
来館者数よりも、個々の来館者を大切にするスタンスが徹底されているのである。ただコロナ禍の現在では、来館者の近くで40~50分解説をすることによる感染リスクも考慮し、希望者には同じ説明内容を入れたタブレットでの無料音声ガイドも利用できるようにしているようだ。英語・中国語なども選べるようになっており、海外からの来館者にも対応している。ガイドは基本1回の説明につき1組を対象にしているので、これまでは遠方から来られる方でも予約が重なるとお断りしなければならなかったが、タブレットの活用はこういった問題も解決でき、実際に利用者も増えているとのこと。
魔法瓶の歴史は象印100年の歴史
「真空の力」による保温・保冷技術が誕生して100年余り。館内には魔法瓶の原型となったフラスコのレプリカがある。1892年に英国の化学者デュワーが考案し、その名前が付けられた「デュワー瓶」は、この記念館のシンボル展示である。真空では熱が伝わらない性質を利用して、内瓶と外瓶の二重壁の内部を真空にしたガラス製の断熱容器だ。
ヨーロッパで生まれた魔法瓶は明治末期に日本に輸入され、当時ガラス工業が盛んだった大阪を中心に日本の魔法瓶工業は発展していった。今でも大阪に本社を置く魔法瓶メーカーが多いのはそのためだ。そしてその一つが現在の象印マホービン株式会社である。創業者は市川銀三郎とその弟金三郎(以下敬称略)の兄弟で、電球加工の職人だった金三郎が魔法瓶に興味を持ち、兄の銀三郎と共に1918年、魔法瓶の中瓶製造を行う「市川兄弟(けいてい)商会」を立ち上げた。
もともと白熱電球は真空工業の元祖のようなもので、ガラスで真空の中瓶を製造するのと技術的に通じるものがあったようだ。やがて中瓶製造から自社魔法瓶製造への道を歩み始め、今の象印マホービンにつながっている。以来、同社は真空断熱のテクノロジーを基本に進化し続け、今日に至るまで、どの時代においても人々の暮らしの中から製品づくりを発想し、「便利さ」や「快適さ」を届けてきた。魔法瓶の歴史はそのまま象印の歴史である。それは同時に日本人の暮らしのスタイルまでも変えてきた100年だ。
館内メインホールの右面には魔法瓶の歴史や技術を紹介、左面には同社の歩みが刻まれている。時代を彩った数々の魔法瓶の中には、子どもの頃、家で使っていた見覚えのあるものも置かれている。歴代の商品を見て昔を懐かしむことができるのも、記念館ならではの楽しみ方だ。
気が付けば暮らしの中に象印
象印ブランドについても少し触れておきたい。創業から5年後、1923年についに初めての魔法瓶が完成。商標は「子どもたちにも人気があり、寿命が長く家族愛も強い」ということで象のマークに決まり、第1号の「象印」が刻印された魔法瓶が発売された。ちなみに当初は生水が飲めない(=お湯を沸かして飲む)海外に需要があったため、象は主な輸出先である東南アジアでも親しまれ神聖視されていたことから、輸出用には「ELEPHANT&CROWN」の商標と王冠を載せた象のイラストを用いていたという。当時に比べると現在はシンプルなロゴになっているが、おなじみの象のマークは今も健在だ。
ものづくりにゴールはなく、ガラス製から割れないステンレス製へ。またマイボトルが主流になると小型、軽量化へ。常にお客さまファーストの姿勢は、魔法瓶の会社であっても魔法瓶だけにこだわらず、その時代に人々が必要としているものを作りたいという思いから、熱源を持つ電子ジャーの製作にも踏み切った。
1970年に世界初の電子ジャーを発売、象印電子ジャーは大ヒットとなった。ご記憶の方も多いだろう。冷めたご飯ではなく、いつでも温かいご飯が保てる電子ジャーは、日本の高度成長期真っただ中で、親の帰りを待つ子どもたち、帰宅が遅くなったお父さんなど、食べる人の心も温かくしてくれたに違いない。
その他、離れた家族の安否確認システムを搭載した見守りポットなど、誰かの「困った」が全てのものづくりの原点になっている。企業理念「暮らしを創る」は創業時から不変だ。世の中に登場した象印ブランドは数え切れないほど多種多様。筆者宅もあらためて確認するとマグボトルと加湿器2種は象印だった。気が付けば暮らしの中に象印が溶け込んでいる。
未来に向け挑戦し続ける姿勢
前述したが、宇宙開発のサポートやスポーツなど、さまざまな分野にも象印マホービンの新しい技術が生かされている。2004年には宇宙への進出も果たした。JAXA(宇宙航空研究開発機構)から依頼を受けた同社が、国際宇宙ステーションでの実験に使うステンレス製の真空断熱容器を作製。打ち上げ時などにかかる40Gという強い衝撃にも耐えられる強度を実現し、その技術力の高さを世界に示した。ちなみに航空母艦にジェット戦闘機が着陸する時に生じる衝撃が7Gとのことなので、40Gという衝撃は想像を絶する。
またアテネ五輪で金メダルに輝いた、女子マラソンの野口みずき選手が実際に使った象印の給水ボトルも紹介されている。体の冷却用と給水機能を併せ持つアスリート仕様のスグレモノで、野口選手に「このボトルが私を救ってくれた」と言わしめたほどと聞く。時代とともに進化していくさまざまな商品が示すように、未来に向け挑戦し続ける姿勢は、100年たった今でも変わらない。
魅力的な企画展でより深く
同記念館には現在までに約1万7000人が訪れている。平日のみの限定的な見学にもかかわらず、だ。館長の杉山一美さんにその理由を伺うと、常設展示の他に期間限定で開催している企画展も人気らしい。「今開催している『海とマイボトル展』は、昨年11月から今年4月までの予定でしたが、好評につき12月27日まで延長しています」と言う。
そして「皆さまが身近で使っている魔法瓶は、エネルギーを一切使用せず保温・保冷する商品です。また、使い捨てのペットボトルとは異なり、繰り返し使うことでプラスチックごみを減らし、CO2削減にも貢献できる地球に優しい商品であるということを、改めて知っていただき、いま、私たちに何ができるかを考える機会にもなればと思っています。これからも、皆さまの生活に身近な魔法瓶をもっと知っていただけるよう、さまざまな企画展で発信していきたいと考えています」とお話しいただいた。
なるほど、企画展が一つのメディアになっているのだ。伝えたいメッセージは、こうした企画展を通して来館者に環境問題などを考えるきっかけをつくり、より深く伝わっていき、次のリピート来館につながっているのではないだろうか。(現在はコロナウイルス感染対策のため、企画展の説明は希望者のみに実施)
社名に「マホービン」を付け続ける意味
最後に「マホービン」を社名に付け続けている理由を伺った。既に同社は多種多様な製品を世に送り出しており、100周年を機に社名を変更する企業も少なくない中、その理由は何なのか。「正確には創業時の『市川兄弟商会』から2度名前を変えていますが、魔法瓶の中瓶の製造から始まった会社ですので、それが会社のルーツであり、過去も現在も弊社の主力商品である『マホービン』を社名に付け続けています」とのこと。
それを聞いて同社が何を大事にしているのかがより鮮明になった。魔法瓶の会社であれば魔法瓶に始まり、温かいものは温かく、冷たいものは冷たく、「お客さまのために、熱を管理すること」への熱意。そしてそこから暮らしをより豊かにするための追求を続ける姿勢。全てはお客さまのため。個々の来館者を大切にするスタンスは、きっと館外のお客さまに対しても同様なのだろう。それは社員が100年をかけて築き上げてきた象印ブランドに誇りを持っていなければできないことであり、その上でお客さまに満足いただけるよう、それぞれの立場で最高のパフォーマンスをする、プロの矜持も併せ持っていなければできないことだ。説明するガイドの方の熱量からも伝わってくる。
来館者数は追求せずとも、自分ごと化した来館者の一人がブランドアンバサダーになり、複数の人に象印のストーリーを伝えていけばどんどんとファンが広がっていくいうシステムなのかもしれない。象印の強みを感じた。
まほうびん記念館の詳細は、こちら。
象印マホービン株式会社のHPは、こちら。
【編集後記】(ウェブ電通報編集部より)
子どもの頃、だれもが憧れたのが「魔法」だ。特撮ヒーローが繰り出すかっこいい技も、アニメの少女が用いるメルヘンチックな技も、すべては「魔法」。物心がつくと、人は人間の能力の限界を知る。変身もできないし、空も飛べない。だからこそ、「魔法」に憧れるのだと思う。
象印マホービンの魔法の正体は「真空」ということだ。人間が生きていく上で欠かせない空気を抜き取り、そこに人間が生きていく上で欠かせない水分を入れて、温度を保持する。その技術は、日常の暮らしを超えて、アスリートの世界、果ては宇宙にまでつながっている。まさに「魔法」だ。
オンライン、あるいはバーチャルの世界では、かなりの「魔法」が体験できるようになった。VRを使えば、戦国時代にだって、宇宙にだって、ワープできる。でも、リアルな世界では、子どもの頃に夢想していたもののほとんどが、まだ実現されていない。タイムマシンもないし、空飛ぶじゅうたんだってできていない。現実の世界で100年前に「魔法」を実現したことが、象印マホービンという企業、そして商品のすごさなのだと改めて思った。