トヨタ産業技術記念館──未来へ伝える「研究と創造の精神」
2022/10/06
企業ミュージアムは、「ミュージアム」というアカデミックな領域と「企業」というビジネス領域の両方にまたがるバッファーゾーンにある。そして運営を担う企業の広報、ブランディング、宣伝、人事などと多様に連携する組織である。本連載では、企業が手掛けるさまざまなミュージアムをPRのプロフェッショナルが紹介し、その役割や機能、可能性について紹介していく。
バーチャルなミュージアムが増えているが、リアルな体験に勝るものはない、それを実感させられるのがトヨタ産業技術記念館である。「人が説明して、実際に動かす」動態展示にこだわる繊維機械館では、その迫力に見学者は圧倒される。自動車館での金属加工など製造工程の実演も見どころの一つだ。本稿では、海外からも多くの訪問者を引きつけるトヨタ産業技術記念館とその果たす役割について考察したい。
取材と文:国田智子(電通PRコンサルティング)
はじめに
トヨタグループでは、現在国内で五つの文化・展示施設を運営している。その中でトヨタグループ17社が共同で運営し、最も規模が大きい施設がトヨタ産業技術記念館である。トヨタグループの始祖豊田佐吉(1867-1930年)の長男で、自動車事業を興した豊田喜一郎(1894-1952年)の生誕100年を記念して、1994年6月に設立された(当時はグループ13社での共同設立)。1911年に佐吉が自動織機の研究開発拠点として創設し、その後豊田紡織の本社工場があった土地と建物を活用している。
JR名古屋駅から名鉄名古屋本線で1駅(栄生駅)、徒歩約3分、タクシーなら5分ほどの便利な場所に立地している。開館から昨年末までの累計来館者数は650万人以上に上る、日本を代表する企業ミュージアムだ。今回は大洞和彦館長に館内を案内いただくとともに、同館の役割や見どころ、今後の展望についてお話を伺った。
トヨタ産業技術記念館の概要
同館は、「『研究と創造の精神』と『モノづくり』の大切さを次世代へ」というコンセプトを掲げている。トヨタグループは繊維機械事業と自動車事業によって成長したが、いずれも近現代日本の発展を支えた基幹産業であり、同館の展示収蔵品は日本の産業史にとっても非常に貴重な資料だ。
約4万2000平方メートルの敷地には、歴史的建造物である赤れんが造りの工場を丁寧にリノベーションした記念館が建っている。建物および展示物の一部は2007年に経済産業省より「近代化産業遺産」として認定を受けたものだ。全体は繊維機械館と自動車館に分かれており、展示施設のほかにレストランやカフェ、ミュージアムショップ、図書室やホールが併設されている。また、繊維機械や自動車に使われている仕組みを取り入れたオリジナル遊具がある子ども向けのテクノランドもあり、幅広い年代の来館者が楽しみながら学べる施設となっている。
豊田佐吉の画期的な発明が並ぶ「繊維機械館」
繊維機械館には、糸を紡ぐ・布を織るための初期の道具から現代の繊維機械まで、約100台の紡織機械が一堂に展示されている。数多くの機械が立ち並ぶ中にあって、最も人気があるのは佐吉の最初の発明「豊田式木製人力織機(人力織機)」(複製)と、当時世界最高峰といわれた「無停止杼換(ひがえ)式豊田自動織機(G型自動織機)」だという。人力織機は両手で織っていた装置を片手で操作できるように改良したもので、織りムラがなく品質が向上し、能率も従来から4~5割向上した。1890年に開発され、佐吉は最初の特許を取得している。
1924年に完成したG型自動織機は、高速運転中にスピードを落とすことなく杼(シャットルとも呼ばれるたて糸によこ糸を通す道具)を交換してよこ糸を自動的に補給する自動杼換装置をはじめ、さまざまな工夫がなされた画期的な機械である。佐吉がその前に開発した日本初の動力織機の20倍を超える生産性を実現したという。当時世界の繊維機械業界をリードしていた英国のプラット社から熱望され、有償で特許権の譲渡を行った。そのことは多くの日本人技術者に誇りをもたらしたとともに、トヨタが国産自動車の開発・生産に乗り出す資金ともなった。
同館では「人が説明して、実際に動かす」動態展示にこだわっている。主要機械ごとに説明員を配置し、見学者が来ると、仕組みやそれまでとの違いを説明しながら実際に動かしてくれる。その臨場感や迫力は同館最大の魅力で、そのための投資は惜しまないとのことだ。G型自動織機で杼が目にも留まらぬ速さで動き、糸がなくなると瞬時に交換されるところや、不良品が出ないようにたて糸が切れると自動的に機械が止まる様子を見せてもらうと、完成から100年近くたった今でも「おーっ」と声を上げたくなる。
自動車製造の苦難と進化が分かる「自動車館」
自動車館では、1933年に喜一郎が中心となって自動車事業を立ち上げ、生産を始めるまでの歴史や、生産技術の変遷、クラウンやカローラなど歴代の代表的な車種が紹介されている。特に創業期の開発史は、復元された当時の「材料試験室」などの展示を通して詳しく説明されている。
自動車の製造には、多種多様な材料、部品、そして技術開発が必要だ。繊維機械で培った技術を生かし、輸入自動車を参考にしながらも、エンジンやボディ(車体)の開発は苦難の道のりだったことが伝わってくる。政府の要請を受けて1935年にわずか9カ月で完成させたものの、相次ぐ故障で販売後に大変な苦労を生んだ「トヨダG1型トラック」(展示は複製)は、その後のアフターサービスの充実につながったという。また、1936年に誕生したトヨタ初の乗用車「トヨダAA型乗用車」(展示は複製)は、復元された当時の組み立てラインとともに展示され、試作ボディが手叩(てたた)き板金によって作られた様子を見ることができる。流線型ラインが美しいAA型は、「今売られていたら買いたい」という声も多数あるという。
自動車館では、金属加工など製造工程の実演が見どころの一つで、1930年代に行われていた人力による鍛造工程の再現や、1960年に導入された米国製の600トンプレス機による迫力満点の鋼板成形の様子を見ることができる。
創業期のモノづくりへの思いを伝えたい
同館はモノづくりをテーマとする施設としてスタートしたが、開館当時は創業者に関しては詳しく触れていなかった。開館20周年(2014年)を経て、創業期の出来事をもっと伝えようと佐吉、喜一郎親子それぞれの生涯を紹介するコーナーを段階的に追加した。彼らが偉大な人物だったと言いたいのではなく、先人の苦労や思いがあって今に至ることを、社内外の人々に広く知ってもらいたかったからだ。
発明王だった佐吉だが、生涯では何度も挫折を味わった。喜一郎は、1955年発売の初代クラウンがもたらした、トヨタ車最初の大成功を見届けることなく亡くなっている。その後、喜一郎の思いを引き継いだ人々が、たくさんの汗を流して今日のトヨタグループの隆盛をつくった。そして、佐吉も喜一郎も「自分たちのためではなく、世のため人のため」といつも考えていたことも、次の世代に伝えたいことだという。技術を進化させ、産業を発展させることで社会を豊かにする、彼らの思いは、すべての企業の存在意義につながっている。
インターナルコミュニケーションでの活用
同館の入場料は大人でも500円と、内容を考えるととても安い。そのため運営費のほとんどはグループ17社の資金負担によるものだ。同館は、喜一郎の長男である豊田章一郎トヨタ自動車名誉会長が理事長を、各社の社長が理事を務める。17社の役員や部長が運営委員を務め、年に数回運営委員会を開催して活動計画や予算について議論を重ねる。企業ミュージアムとして継続していくためには、各社に運営費を負担している意味があると思われることが必要であり、そのためには丁寧なコミュニケーションが欠かせない。
また、トヨタグループの新入社員研修、階層別研修にも活用されている。新入社員や若い世代では、入社するまでトヨタが繊維機械産業から始まったことを知らない人も多いという。従業員には先人のモノづくりへの思い、苦労を理解した上で今のビジネスに取り組んでもらうことが大切で、同館はその意味でも重要な役割を担っている。また、トヨタ自動車本社から近いこともあって、世界各国から社員や取引先がやってくる。「こんなに広いとは。時間が足りない」と言われてしまうとのことだ。関係者以外の外国人にも人気があり、コロナ禍前の来館者に占める外国人の割合は2割程度と高かった。館内音声ガイドは6カ国語で行っている。
若い世代の学びを大切にしたい
同館はトヨタのブランディングを直接の目的としていない。モノづくりの歴史から未来を展望する学びの場であることを目指している。例えば、糸の紡ぎ方、布の織り方を見て繊維やアパレルに関心を持つことも、企業ミュージアムの大きな役割だ。だから高校生以下の若い世代を大切にしている。コロナ前のピーク時には年間40万人の来館者があり、そのうち4分の1に当たる10万人が高校生以下だった。彼ら彼女らがここで学ぶことで、モノづくりの魅力に気付き、将来を考える上での手助けになればと考えている。
企画展や展示のリニューアルなど、ミュージアムとしては常に新しい魅力付けをしていくことが重要で、一度来た人にもまた来てもらえる場所にしたい。そのために館長自らが大学の通信教育課程を履修し、学芸員の資格を取得した。他にも数名が同様に資格取得を目指している。業務と並行しての資格取得は大変だが、トヨタ産業技術記念館を熟知しているメンバーが学芸員となり、展示の企画や手法をレベルアップさせることを目指すという。
一般にミュージアムは企画展で呼び込むものが多いが、同館は常設展示を中心としているため、それだけでは伝え切れないものをイベントで補っている。毎週末には、親子で参加できるモノづくりワークショップを開催し、大人気だという。また、毎年6月11日の開館記念日周辺の週末には、展示している昔のトラックや乗用車を走らせる開館記念特別イベントを開催して、こちらは大人にも人気となっている。
スタートアップの姿を見せることが夢
同館で今後取り組みたいこととして、具体的なスタートアップの姿を見せるという試みがある。佐吉、喜一郎親子はいずれも発明家であるとともに起業家であり、産業の基盤づくりの先達であった。
重要なのは、モノづくりの歴史を見せることだけではなく、何もないところから何かをつくった、その道筋を残し、次の世代に橋渡しすることだと考えている。このテーマに取り組むためには、トヨタグループだけではなく、他のスタートアップに関わる企業や団体とのネットワーク構築を進める必要もあり、短期間では難しい。将来同館の運営に関わる人々に受け継いで、いつか実現できれば、と館長は語る。
最後に
2021年から同館のウェブサイト上でバーチャルガイドツアーも立ち上げ、コロナ禍で来館が難しい人々でも同館の展示内容を見ることができるようにした。網羅性が高く、充実したコンテンツだが、やはり機械が目の前で動く臨場感はリアルに体験してこそのものだ。大洞館長も可能な方にはぜひ来館してもらい、モノづくりの世界をじかに感じてほしい、という。
ミュージアムショップでの人気商品について教えてもらったところ、やはり車好きの来館者が多くミニカーが人気だという。クッキーやレトルトカレーなどの食品も定番だが、最近は、柄の先端にスパナがついたオリジナルデザインのフォークとスプーンが人気とのことだ。
トヨタ産業技術記念館のホームページは、こちら。
トヨタグループの文化展示施設一覧は、こちら。
【編集後記】(ウェブ電通報編集部より)
トヨタ自動車と言われると、真っ先に思い浮かぶのが「名古屋」だ。不思議な場所だ。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康……いずれも、そのあたりで生まれ育っている。そして、この国の姿を変えた。筆者が注目するのは「くわがたのアタマ」のような形をした湾だ。鹿児島、富山、青森、東京、いずれもそうだ。大海に面していながら、ちょっと奥まっている。そのあたりが、絶妙なのだと思う。
メカのことは、なにも分からないのだが、トヨタ自動車という会社が、いかにして世界を席巻する企業になったのか。その秘密のひとつは、名古屋という土地にあるような気がする。
世界を見据えながら、ちょっと奥まったところでいろいろなことを考える。なんのために製品をつくるのか?世の中のため。なんのためにその製品を売るのか?社員を幸せにするため。その「奥ゆかしい」精神が揺らぐことは絶対にない。だからこそ、メカのことはなにも分からない人でも、トヨタ自動車という会社が作る製品に、絶大な信頼を寄せる。信頼というワードでは収まりきらない。国民の誇り、ともいうべき存在だ。
いささか褒めすぎかもしれないが、年商がどれだけで、GDPにどれだけ貢献しているか、などということは結果論に過ぎない。「世のため、人のために、企業としてなにができるのだろう?なにをすべきなのだろう?」ということを考え抜いた結果、今のトヨタブランドが出来上がった。現社長の豊田章男氏に言わせれば、まだまだ出来上がってなどいない、ということなのだと思う。奥ゆかしい精神で、時代の先の先を「走りつづける」企業。それが、トヨタ自動車なのだ。