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なぜか元気な会社のヒミツseason2No.24

再生させることは、進化させること

2022/10/28

「オリジナリティ」を持つ“元気な会社”のヒミツを、電通「カンパニーデザイン」チームが探りにゆく本連載。第24回は、島根県にある世界遺産石見銀山のふもとで、義肢装具の製造販売を手掛ける中村ブレイスを紹介します。本業とはまったく関係のない「古民家」の改修改築も行っている同社。そのユニークな事業のヒミツに迫ります。


中村ブレイスが拠点を構えるのは、島根県の大田市大森町。かつては世界有数の銀山を抱き、大いに繁栄した。いわずと知れた石見(いわみ)銀山だ。最盛期には10万とも20万ともいわれていた人口も、いまや400人ほどを数える町となってしまった。中村宣郎(のぶろう)氏は、父であり、現会長である俊郎氏が創業した会社を引き継ぐ、二代目社長だ。社業は大きく二つある。一つは「義肢装具」の製造販売、もう一つは古民家の改修改築への試みだ。

石見銀山を背負いつつ営む、この事業。一見すると、なんの関係もないように思えるが、インタビューを前に資料を読み込むうちに、「再生」という一つのキーワードが頭に浮かんだ。失った体の一部の再生、人が住まなくなった家の再生、そして大森町の再生。これらはきっと、なにかがリンクしているはずだ。もちろん、世の中からの注目を集める中村ブレイスという会社は、慈善事業をしているわけでも、懐古主義のビジネスをしているわけでもない。「戻しながら、進化していく」そのあたりのヒミツを中村社長に伺ってみようと思う。

文責:諸橋秀明(電通BXCC)

シリコーンゴム製インソールに人工乳房、人工補正具。約40年前世界で初めてシリコーンゴムを義肢装具の分野に持ち込んだ。当時日本をはじめ世界9カ国のパテントを取得。中村ブレイスの代名詞といっても過言ではない。
シリコーンゴム製インソールに人工乳房、人工補正具。約40年前世界で初めてシリコーンゴムを義肢装具の分野に持ち込んだ。当時日本をはじめ世界9カ国のパテントを取得。中村ブレイスの代名詞といっても過言ではない。

まずは、事業に関する基本的なことを教えてもらった。「義肢装具の義肢とは、義手や義足のことをいい、装具とは腰のコルセットや膝や足首のサポータなどが代表的なもので、義肢のほとんどはオーダーメイドで一品一品製作され、装具の一部分はレディーメイドでも対応され病院で患者さんに納品します。弊社ではこのレディーメイドの装具を古くから研究開発しており、全国に500~600カ所ある同業者を通して全国の患者さんに使用していただいています。オーダーメイドとレディーメイドの製品両方を製作している会社は全国でもまれで、弊社の特徴の一つといえると思います」

義肢装具といわれると、正直、もうからなさそうなビジネスだなあ、と思ってしまう。はやりの商品をバンバンつくって売りさばく、というビジネスと比べるといかにも地味だ。そのあたりを率直に尋ねると、中村社長からは、こんな答えが返ってきた。

「おっしゃる通りです。現在、わが社の社員は80名ほどですが、そのうち25名が義肢装具士という国家資格を持っています。製造に携わる者は、40名ほど。つまり、社員のほとんどがものづくりの技術者なんです。熟練した技能を生かした精巧な製品で、お客様に喜んでいただく。これが社員皆の矜持(きょうじ)だと私は思っています。売り上げなどは、はじめから意識したことはなく、いい仕事をしていれば、そうしたものは必ず後からついてくると思っています」

中村宣郎氏:中村ブレイス株式会社代表取締役。地元の高校卒業後、一度は広い世界を見たいと東京の大学に進学。4年生時、就職を考えるうえでいずれ家業を継ぐかもしれないということで義肢装具士の資格を取得するため専門学校に入学しダブルスクールを試みるも挫折。専門学校を1年留年し何とか資格を取得。卒業する年に会社が地雷で足を失ったアフガニスタンの少女が登場する映画「アイ・ラヴ・ピース」に協力することを聞き、一般の義肢装具製作所では体験できないことが経験できると考えUターンを決意する。就職後実際に義肢製作の部署で臨床経験を積み2010年に専務取締役、2018年に父親である初代社長中村俊郎の後を継ぎ代表取締役に就任。現在に至る。
中村宣郎氏:中村ブレイス株式会社代表取締役。地元の高校卒業後、一度は広い世界を見たいと東京の大学に進学。4年生時、就職を考えるうえでいずれ家業を継ぐかもしれないということで義肢装具士の資格を取得するため専門学校に入学しダブルスクールを試みるも挫折。専門学校を1年留年し何とか資格を取得。卒業する年に会社が地雷で足を失ったアフガニスタンの少女が登場する映画「アイ・ラヴ・ピース」に協力することを聞き、一般の義肢装具製作所では体験できないことが経験できると考えUターンを決意する。就職後実際に義肢製作の部署で臨床経験を積み2010年に専務取締役、2018年に父親である初代社長中村俊郎の後を継ぎ代表取締役に就任。現在に至る。

心の再生こそが、大事

患者さんの「心の再生」ということについても聞いてみた。「それは本当に大事なことで、たとえば人工乳房や手や指など、ある程度のかたちや見た目といった機能が備わっていればそれで十分、それ以上を求めるのはある種、ぜいたくだといった考え方もあると思います。たとえば人工乳房でいうと、服の上からそれらしい膨らみが再現されていればそれでいいでしょ、というような。でも、たとえば温泉に行ったときの周りの目に心が折れる場面もあると思います。そうしたナイーブなところにメーカーとしていかに応えて差し上げられるか、が大切なんです」

中村社長によれば、当初、製造に携わっていたのはほとんどが男性社員。それがいまでは女性社員が半数を占めているという。ジェンダーフリー、男女平等というようなことを言っておけばなんとなく今風だ、ということではない。乳房を失った女性の気持ちが、男性に100%分かるわけがないからだ。「納品したら、ハイ、おしまい。ではないんです。その意味では、患者さんからいただくお手紙などは、とても参考になりますし、この仕事をつづけるモチベーションになっています。われわれの製品がお客様の心に届いている、という証しですから」

しわや血管に至るまで一つ一つ丁寧に手作業で製作されていく。
しわや血管に至るまで一つ一つ丁寧に手作業で製作されていく。

古民家再生、というもう一つの挑戦

古民家再生という、もう一つの取り組みについて尋ねてみた。「こちらも創業者である父(現会長の俊郎氏)が始めたものなんですが、当初の周りの反応は、中村は今度は何を始めようとしているんだ?というような感じだったといいます。でも、父の思いは揺るぎなく、それは生まれ育った町を再生させたい、ということでした」

やはり、再生が、重要なテーマであるようだ。「取材の際によく、古民家のリノベーションは事業なの?それともCSRなの?という質問を受けるのですが、私の思いは父と同じで、そのどちらでもなく、地元に対して当然やるべきもの、果たすべき責任だと思っています」

かつての石見銀山は世界一の銀山ともいわれ、それはそれは活気があった。高校卒業時には敷かれたレールに乗るのは嫌だと、いったんは東京の大学へ進学した中村社長であるが、次第に家業や故郷に対する思いがつのっていったのだという。

オペラハウス大森座:明治時代に島根県で5番目に開局されたかつての郵便局を改築した建物。かつて石見銀山の町中に芝居小屋があり、町内外の人で大変にぎわっていた。その文化施設を現代によみがえらせた、 客席数100人ほど席 の世界一小さなオペラハウス。
オペラハウス大森座:明治時代に島根県で5番目に開局されたかつての郵便局を改築した建物。かつて石見銀山の町中に芝居小屋があり、町内外の人で大変にぎわっていた。その文化施設を現代によみがえらせた、客席数100人ほど席の世界一小さなオペラハウス。

地域と、ともに

大森町に、外から人を呼ぶことが大事だ、と中村社長は言う。「銀山でにぎわっていた頃は、鉱夫だけでなく、商人や武士、それこそ世界中からいろいろな人がこの街を訪れた可能性があります。人が入ってくるのが当たり前の街だったんですね。街には人を引き付ける魅力があり、そうした方々を受け入れるオープンマインドな気風というものが、大森町にはあった。そんな街を再生したい、というのがわが社の根っこにはあると思います。義肢装具づくりに興味を持った人が全国から集まってくる。古民家に憧れる人が移住を考える。小さな企業の、小さな取り組みですが、古民家に関しては現在65軒目をリノベーション中です。人口400人の町で65軒といえば、かなりの割合の古民家を改修したことにはなりますよね」

はやりのワードでいうなら「ゼロイチ(0→1)」だ。これまでになかったもの、すたれてしまったもの、だれも関心を持たなかったものに、意味と形を与える。「自己満足といわれても、スタンドプレーだと批判されてもいいから、信念を持ってやりつづけることが大事だと思います」。イノベーションというものの一つの本質を見せられたように思った。

2022年に世界遺産登録から15周年を迎えた 。落ち着いた街並みと歴史的な遺産が融合して いるところが魅力の一つとなっている。
2022年に世界遺産登録から15周年を迎えた。落ち着いた街並みと歴史的な遺産が融合しているところが魅力の一つとなっている。

20年、30年単位の事業をしたい

中村社長は、こう話をつづける。「地元の人を先導するようなことは、私たちはしない。行政機関でもなんでもない、小さな一企業の取り組みですから。『足の裏の美学』という表現があっているのではないでしょうか(笑)」。いわゆる「黒子」のようなことだ。「義肢装具に話を戻しますと、私たちがつくっているものは、デジタルテクノロジーみたいなものとは違って、2年や3年で劇的な進化を遂げる、ということはありません。古民家の再生もそうですが、20年や30年先を見据えて、地道に努力していくしかないんです」

中村社長によれば、たとえば義手でいうと、パーツそのものの機能や外観などは今後も進化していくはずだが、一番大切なところはそのパーツと人体をつなぐ『接合部分』にあるという。「義肢はロボットではないですからね。私たちの仕事は、患者さんの残っている部分を最大限に生かしてあげること。もちろん、100%元に戻すというわけにはいきません。その意味でパーツと体をつなぐ接合部分というのはとても大切で、こればっかりは熟達した職人の技術と、一人一人の患者さんと向き合う一生懸命さが必要なんです」

「再生」には「支えたい」という深い愛情と強い思いがあるのだ、と感じた。

社名ロゴ

中村ブレイスのHPは、こちら


なぜか元気な会社のヒミツロゴ

「オリジナリティ」を持つ“元気な会社”のヒミツを、電通「カンパニーデザイン」チームが探りにゆく連載のシーズン2。第24回は、島根県にある世界遺産石見銀山で、義肢装具の製造販売を手掛ける中村ブレイスを紹介しました。

season1の連載は、こちら
「カンパニーデザイン」プロジェクトサイトは、こちら


【編集後記】

インタビューの最後に、中村社長にこんな質問をしてみた。「義肢の『義』という文字にはどんな意味があるとお考えですか?ニセモノということ?あるいはリアルということ?どちらなんでしょう。義理のお父さん、とかいいますよね?最初は赤の他人。でも、次第に心と体とが通じ合っていく」

難しいことをおっしゃいますね?考えたこともなかったな。という反応の後、中村社長は次のようなコメントをされた。「義理人情の『義』ではないでしょうか?私たちが作っているものは決して本物の手足ではない。でも、手をかけ、気持ちを込めて、一つ一つの製品を、お一人お一人の患者さんにお届けしている。その根底にあるのは、なんだか照れくさいのですが『義理人情』だと思うんです」

あらゆるテクノロジーが、人間に近づこうとしている。とある分野では、人間の能力をはるかにしのぐものが、数々発明されている。でも、義肢や古民家に、そんなえっと驚くような進化はありえない。そんな中村ブレイスの事業には「人や故郷を思いやる気持ち」が流れている。

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