なぜか元気な会社のヒミツseason2No.25
自由は、自己肯定から生まれる
2022/12/12
「オリジナリティ」を持つ“元気な会社”のヒミツを、電通「カンパニーデザイン」チームが探りにゆく本連載。第25回は、障がい者に特化したモデル事務所を運営する会社accessibeauty(アクセシビューティー)。ネイリストから転身、2020年に創業。障がいと美容という、難しい方程式を読み解く臼井理絵社長に、「なぜか元気な会社」のヒミツについて迫ります。
創業からわずか2年余り。アクセシビューティーという会社には、さまざまな大手企業からの問い合わせが絶えない。筆者も以前、臼井社長と仕事をさせていただいた。その際に感じたことは、「人はなんのために働くのだろう?」「人はなんのために生きているのだろう」という、とてつもなく哲学的な自分自身への問いだった。臼井社長は、とにかく明るい。所属するタレントの皆さんも、だ。本連載の「なぜか元気な」というテーマにぴったりだ、と確信した。
ビジネスの目的は?と問われると、売り上げであったり、利益率であったり、持続的成長であったり、社会貢献であったり、といったワードが飛び交うのが常識だ。でも、アクセシビューティーの「元気のヒミツ」は、その先というか、それ以前の何かがあるような気がする。そのあたりにぜひ、踏み込んでみたい。
文責:中川真仁(電通BXCC)
「障がい者×美容」の可能性
臼井社長は、元々はネイリストの出身だという。ネイリストから、モデル事務所の社長へ。それだけでもう、異色だ。「自身が輝ける。誰かを輝かせられる。その喜びへの気づきが、なんとなく今の仕事にも通じているような気がします」そう、臼井社長は言う。
ネイリストとして活動しているとき、たまたま車いすに乗った女性と知り合う。この出会いが転機となった。「美容って、暮らしの中で心の支えになるものですよね。でも、障がいのある方はハード面でも、ソフトの面でも、美容へのハードルが高いのだな、ということに気づかされたんです。そのときの感情は、ただただ『悔しい!』ということだけで。それで、車いすネイリストを育てられないか、と思い立ちました。ネイリストは国家資格ではありませんから、技術を身につけさえすれば障がい者もできる。その技術で、誰かを笑顔にする仕事ができたら、こんなに幸せなことはないじゃないですか」
「バリアフリー」から「アクセシブル」ヘ
社名の由来を、臼井社長に尋ねた。「当初、考えていたのは株式会社バリアフリーというものだったんです。バリアフリーな社会をめざす、ということで。でも、なんだかダサいじゃないですか(笑)。そもそもそこにバリアがあることが前提、みたいなところもイヤでした。外国人の友人に相談したところ、『バリアフリーなんて言い方は海外ではしないよ、アクセシブルとは言うけど』と言われて、ああ、それいいな、と思って美容と掛け合わせた造語を社名にしました」
裏を返せば「アクセシブル」な社会には、いまだ至っていない、ということだ。ベルリンの壁に象徴されるように、「壁をとっぱらいましょう!」というのは、革命のフレーズに使われがちだ。エネルギーも集まりやすい。でも、いざ、壁をとっぱらってみたら、はて、僕らは壁をとっぱらって何をしたかったんだろう?というようなことがよくある。その先にある「アクセシブル」(=交流可能)な社会、世界、ということに思いが至っていないからだ。壁を壊すことだけに、夢中になりすぎて。臼井社長は、壁を壊した後のはるか先を見ていた。だからこそ、持続可能な就労問題解決の出発点として、あなたモデルをやってみない?という発想も生まれたのではないだろうか。
慈善事業は、つづかない
いわゆるボランティア精神みたいなことだけでは、その活動は長続きしない、と臼井社長は言う。「経済面、精神面、あらゆることで、社会に組み込まれ成り立つことが必要だと思います。それは、私のような経営者もそうですし、弊社に所属するモデルにもいえることです。『私は障がい者なのだから、当然、手を差し伸べてくれるでしょう?』といったタレントは、うちにはいません。『私には、こんなことができる。そんな私を、見て見てー。経済的な価値や需要だって、きっとあるはずだから』という自発的でポジティブな姿勢でなければ、新しい時代の創造者にはなれませんから」
理想とマネタイズの関係は、どんな人、どんな企業にとっても、ある意味のジレンマだ。臼井社長や、所属するタレント一人一人にも、そのあたりの葛藤があるにちがいない。慈善事業の庇護(ひご)のもとで、なんだかそれっぽい仕事をやらせてもらってる、では、僕が以前、仕事をご一緒させていただいたタレントさんの、あの素敵な笑顔は生まれないと思う。
社会に「フック」をかけたい
インタビューの中で、臼井社長からは「フック」「マッチング」というワードがたびたび出てきた。僕なりの解釈ではあるが、臼井社長の言う「フック」とは、気づきのきっかけであり、そこに何かをぶらさげられるとっかかり、あるいは足場のようなものではないだろうか。思春期に誰もが感じる「自分には、何かができるはずだ。それが何かは分からないけれど」というモヤモヤとした思い。「悔しいなあ、といった忸怩(じくじ)たる思いというか、憤り。それは、障がいのありなしではなく、誰もが抱えているものだと思うんです。実際、私自身が『常に誰かに憧れ、自分に自信が持てない』といったような女の子でしたから」
臼井社長は高校生の頃、心を患い、ふさぎがちになり、暗い気持ちで暮らしていたという。「何よりつらかったのは、やりたいことが見つけられないこと。やりたいことに挑戦できない自分へのもどかしさ、でした。そうした経験は、障がいのある方々と共に歩む今の仕事に、確実に生かされていると思います」。青春時代は、もどかしさの連続だ。勉強でも、スポーツでも、恋愛でも。あいつにはできて、なんで自分にはできないんだろう、というような。自分なんかしょせんそんなもの、とあきらめてしまえば気は楽になる。でも、心は決して満たされはしない。年齢を重ねるほど、人はあきらめることに長(た)けてくる。それではダメなのだな、と臼井社長の話を聞きながら反省した。臼井社長がフックをかける相手は社会だ。そんな巨大で不安定なものに立ち向かってやろう、という気概がすがすがしい。
配慮はするけど、遠慮はしない
情報社会では、とかく人はカテゴリーに分類したがるのだと、臼井社長は指摘する。「弊社でいうと、#モデル #障がい者 みたいなことです。ハッシュタグをつける、つけられるということは、その時点で固定概念に自らを閉じ込めている、閉じ込められているということだと思うんです」
そんな臼井社長にアクセシビューティーのブランディングとは何か?という質問をしてみた。なるほどー!という答えが返ってきた。「圧倒的ともいえる、スタイリッシュでポジティブなエネルギーを出していることだと思いますね」。障がいを逃げ道にしないどころか、むしろそれを起点として前を向く、ということだ。臼井社長いわく「所属タレントに配慮はするが、遠慮はしない」という。もちろん、障がいにまつわることでの配慮は必要だ。だが、垣根はつくらない。甘えも許さない。だからこそ、心を通わせあえるし、相手の本気も引き出せる、未来創造に取り組む仲間でいられる。
インタビューの最後を、臼井社長はこう締めくくった。「そうした『場所』を提供しつづけることが、私の仕事だと思っています」
アクセシビューティーのHPは、こちら。
「オリジナリティ」を持つ“元気な会社”のヒミツを、電通「カンパニーデザイン」チームが探りにゆく連載のシーズン2。第25回は、障がい者に特化したモデル事務所を運営するaccessibeauty(アクセシビューティー)を紹介しました。
season1の連載は、こちら。
「カンパニーデザイン」プロジェクトサイトは、こちら。
【編集後記】
インタビューの最後に、「自由とはなんですか?」というとてつもなく難しい質問を、あえて臼井社長に投げかけてみた。一般的に自由とは「なんでもできること」「なにものにも束縛されないこと」のように思われている。そうした概念からすると、心身になんらかの障がいのある人は、自由にはなれない、ということになってしまう。
臼井社長の答えはこうだ。「自分で選択して、自分の納得できる行動をして、その結果をしっかり受け止め、また進んでいく、そんな自己肯定の上に成り立つ生き方ではないでしょうか。人間はともすれば不自由に逃げ込んでしまう。あれもこれも、自分には無理だ。だって、自分には才能がないから、おカネがないから、地位がないから、小さな会社だから、といったように不自由なことに理由づけをしちゃうんです」
耳が痛い、とはこのことだ。「不自由なことに、逃げない」。アクセシビューティーという会社の「元気のヒミツ」は、そこにあるのだと思った。夢とか希望といった空元気(からげんき)なことは、誰でも言える。不自由さという退路を自ら断つ。そこから、真の「元気」が生まれるのだ。