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PR資産としての企業ミュージアムのこれからNo.13

「どうしても親切が第一」~ ミュージアムに見るTOTOの理念

2022/11/04

シリーズタイトル

企業ミュージアムは、「ミュージアム」というアカデミックな領域と「企業」というビジネス領域の両方にまたがるバッファーゾーンにある。そして運営を担う企業の広報、ブランディング、宣伝、人事などと多様に連携する組織である。本連載では、企業が手掛けるさまざまなミュージアムをPRのプロフェッショナルが紹介し、その役割や機能、可能性について紹介していく。


企業ミュージアムは究極のオウンドメディアである。TOTOミュージアムほどそれを強く感じさせる場所はない。TOTOミュージアムは、リアル、バーチャル、オンライン、あらゆる空間にブランドストーリーがあふれている。創立者の想い、開発者の情熱や苦労が展示物やガイドの説明を通してわれわれに力強く語りかけてくるのである。最後には心を揺さぶられ、来訪者はTOTOのファンになっている自分に気付くであろう。本稿では、TOTOミュージアムが創立の地「小倉」のランドマークとして、どのようにTOTOブランドを世界に発信しているのか考察したい。

取材と文:藤井京子(電通PRコンサルティング)

TOTOミュージアム外観(写真提供:TOTO)
TOTOミュージアム外観(写真提供:TOTO)

TOTOミュージアムはTOTOの創立の地である北九州市の小倉第一工場の一角にある。創立100周年の記念事業の一環として2015年8月にオープンした。TOTOは「東洋陶器株式会社」という名称で1917年に創立。小倉の工場もその時に建設された。

大地を潤す水

ミュージアムは2棟の「陶器」をイメージした白い建物からなる。正面左手の湾曲した建物のデザインは、「水滴」を表している。TOTOは腰掛式水洗便器の開発を原点とし、水まわりに関わる事業を展開してきたので、「水滴」をデザインモチーフにしている。

右手の4階建ての建物は「緑豊かな大地」を表している。TOTOは、これからも地球環境のことを考えていかなくてはならないという想いから、「大地」をもう一つのデザインモチーフにした。全体としては、「大地を潤す水」を表し、TOTOが水まわりの事業を通して地球の豊かな環境づくりに貢献したい、というメッセージを表現している。

「環境アイテム100」を導入

実際、このTOTOミュージアムには、環境に配慮した工夫がされている。水、熱、電力、素材、緑、長もち、空気の七つのカテゴリーで最新の技術と知恵を活用した、100個の環境への配慮「環境アイテム100」が導入されている。100周年にちなんだ「環境アイテム100」では、トイレや照明、壁や植物など、TOTOの環境へのビジョンを、言葉だけでなく建物全体で実践しているのである。ちなみに、この建物は2017年に国内の優れた建築物を表彰する「BCS賞」を受賞した。

徹底して実践されるおもてなし

ミュージアムの1階はショールームで、2階が展示室となっている。エスカレーターで2階に上がったところのスペースでは、開館の1時間前に毎朝スタッフが集まり、朝礼が行われる。

「15度でおはようございます、いち、に、さん」
「30度でよろしくお願いいたします、いち、に、さん、し」
「45度でありがとうございました、いち、に、さん、し、ご」

この朝礼では、お客さま対応をするガイドをはじめスタッフ全員が実際にお辞儀をしながら、場面ごとに使われるお辞儀の角度と屈体にかける秒数を確認する。

毎朝9時に始まる朝礼(筆者撮影)
毎朝9時に始まる朝礼(筆者撮影)

日本において、お辞儀は重要な非言語的コミュニケーションであるが、このミュージアムでは、毎日、そのコミュニケーションがきちんと実行されるよう確認するところから業務が始まる。そして10時の開館までに、来訪者の見学が滞りなく行われるよう、その日のスケジュールなど連絡事項が伝えられる。

TOTOミュージアムは観光ガイドブックにも掲載されるおすすめの観光スポットになっている。オンライン口コミサイト「トリップアドバイザー」でも、北九州の観光施設の中で常に上位にランクインする人気の施設である。観光客に加え、工務店などの取引先の見学、国内外の社員の研修、地元の小学生や修学旅行生の社会科教育など、さまざまな来訪者と目的にあわせて、ガイドの内容は細やかに調整される。

ここでは「おもてなしの心をもって世界中にTOTOファンを創出し拡大する」というミュージアムの接客理念の下、来場者だけでなく、社員の声も反映し、常にサービスの改善に取り組んでいる。こういった徹底したおもてなしの姿勢が評価され、2020年に経済産業省の「おもてなし規格認証2020」の「トラベラー・フレンドリー紺認証」を取得した。

おもてなし企画認証

3Dバーチャルミュージアムもスタート

TOTOミュージアムには、コロナ禍前の2019年は年間約6万5000人が来館し、22年5月時点で累計40万人を突破した。21年はコロナ禍ということもあり、3万1000人にとどまっているが、同年5月から「オンライン見学」を開始。また、22年6月には「バーチャルミュージアム」をオープンした。バーチャルミュージアムは、実際の建物内部が3Dスキャンされているため、より臨場感を得られるようになっている。移動などの操作も簡単なため、ストレスなくいつでもお茶の間から見学できる。

コロナ禍前は外国人の来訪者も多く、2019年4月には、多言語の音声ガイドペンによる展示解説のサービスを開始。日本語、英語、中国語、韓国語の4カ国語に対応し、さらに子供向け(日本語のみ)の音声も用意されている。パンフレットの特定の場所をペンで触れると、音声によるガイドを聞くことができるようになっている。

音声ガイドペン

TOTOのルーツ

TOTOミュージアムには三つの常設展示室がある。第1展示室ではTOTOの歴史と、創立から約50年にわたり、TOTOを支えてきた食器が展示されている。TOTOのルーツは森村組という貿易商社にある。創立者の大倉和親(かずちか)は、大学卒業後に森村組に入社したが、その頃、森村組の経営に参画していた和親の父・孫兵衛(まごべえ)が、白色硬質磁器の国産化を目指しており、和親と共に欧州を視察。和親は「日本にもいずれは衛生陶器(浴槽、流し、便器、洗面器など)の時代がくる」と確信した。

和親は技術者ではなかったが、当時全て輸入に頼っていた衛生陶器の国産化に情熱を持って取り組み、名古屋で森村組が設立した日本陶器合名会社(現ノリタケカンパニーリミテド)内の組織として、1912年(明治45年)に私財を投じて製陶研究所を開設。まだ下水道も十分に整備されておらず、国産の腰掛式水洗便器が日本に存在していなかった時代の話である。1900年代初頭から外国製の衛生陶器が輸入されてはいたが、一般には普及していなかった。

国産初の腰掛式水洗便器(復元)(写真提供:TOTO)
国産初の腰掛式水洗便器(復元)(写真提供:TOTO)

1914年に国産初の腰掛式水洗便器の開発に成功。17年に現在のTOTOである「東洋陶器株式会社」を創立した。創立当時は生産面、販売面ともに順調ではなかった。下水道などのインフラがほとんど整っていないため、衛生陶器の注文は入らず、それまで日本陶器合名会社が培ってきた食器製造で経営を支えながら、衛生陶器の需要が増えるのを待つ状況が続いた。

しかし、関東大震災後や第2次世界大戦後の建て替え特需や急激な近代化に伴い、日本の住環境は大きく変化し、水まわり機器の需要も拡大した。また、水まわりを機器だけでなく空間の視点でも捉えるようになり、現在ではTOTOは国内トップクラス、そして、世界各国でも信頼される住宅設備機器の総合メーカーへと飛躍した。

「TOTOのこころざし」

第2展示室では、日本の水まわりの文化と歴史、TOTOの礎を築いた先人の想い、TOTOがこれまでつくり出した水まわり商品の変遷を紹介している。代表的な衛生陶器などを、時代ごとの進化が分かるように、その当時放映されていたテレビ広告などとともに展示している。入ってすぐの場所にある「TOTOのこころざし」という一角には、初代社長の大倉和親から2代目社長に送られた書簡が展示されている。

初代社長の大倉和親から2代目社長に送られた書簡

「どうしても親切が第一、良品の供給、需要家の満足が掴むべき実体で、この実体を握り得れば、結果として報酬という影が映る」という考えが記されている。「どうしても」という部分に特に強い想いが感じられる。100年たっても色あせない、心に響く言葉である。この初代社長の言葉はTOTOの経営理念の根幹であり、揺らぐものではない。代々の社長が大切にしてきたこの理念は、ミュージアムを含め、全社で大切にされている。

展示物が語りかけるストーリー

第2展示室をさらに進むと、1964年にホテルニューオータニへ納入した日本初(JIS規定による)のユニットバスルームが展示されている。

日本初のユニットバスについて説明するTOTO広報部の宮副琢氏
日本初のユニットバスについて説明するTOTO広報部の宮副琢氏

1964年の東京オリンピック開催に向け、東京ではホテルが次々と建設された。ホテルニューオータニも訪日外国人を受け入れる宿泊先として、国から建築を要請された。建設を請け負った大成建設からTOTOに浴室の開発の打診があったのは63年5月ごろ。工期はオリンピックまでの1年半という異例の短さであった。

17階建て、客室1058室という国内初の超高層ホテルでありながら、本来なら3年かかるといわれる工期も17カ月と半分未満、さらにオリンピックに向けた建設ラッシュで人手不足という厳しい状況下、それまでの在来工法によるバスルームでは間に合わない。その時間不足を解消するために生まれたのが「ユニットバス」。器具や給排水管を組み込んだ腰下フレームと上部壁フレームをあらかじめ工場で組み立ててからクレーンで引き上げ建物に組み込むため、工期が大幅に削減できる。

さらに、繊維強化プラスチックを浴槽だけではなく洗面カウンターにも採用して軽量化、運搬を容易にした。さまざまな工夫や新しい技術を導入し、無事オリンピックの直前にホテルニューオータニは完成した。一見すると何の変哲もない展示物に見えるが、このユニットバスには多くのストーリーが詰まっている。オリンピックという国家的事業の裏には、不可能を可能にするため、知恵を絞って何とかして期待に応えようとした先人たちの苦労と熱い想いがあったことを語りかけてくるのである。

その国のTOTOになる

第3展示室は、TOTOが世界各国で販売している製品を展示。海外のそれぞれの地域で、どのような展開がなされているのかが分かる。

「レッドドット ・デザイン賞」、「iFデザイン賞」などを受賞した水栓金具が並ぶ(筆者撮影)「レッドドット・デザイン賞」、「iFデザイン賞」などを受賞した水栓金具が並ぶ(筆者撮影)

TOTOが海外で成功したきっかけは、アメリカ・カリフォルニア州の水不足であった。連邦政府は1992年に「エネルギー政策法」を制定。これにより94年以降に製造される便器は、洗浄する際の水量を1回1.6ガロン(約6リットル)以下に制限された。TOTOは法律制定に先駆けて、88年から6リットル便器をアメリカで販売していたが、それは、便器の上にタンクが載っているタイプであった。

特にアメリカでは、便器とタンクがひとつながりの「ワンピース便器」がデザイン的に好まれ、人気であった。他メーカーは法律に合わせて6リットルのワンピース便器を販売し始めたが、それらはサイホン式便器で、水量が少なくなると「サイホン現象」が起きにくくなり、便器から汚物を流すパワーが弱くなってしまうものだった。うまく流れないものが多く、「6リットル規制は非現実的だ」という声すら上がった。この状況に対応すべく、TOTOは数えきれないほどの試作品を作り、サイホン現象の発生メカニズムを徹底的に研究。6リットルでも詰まりにくい「ワンピース便器」を開発し、97年からアメリカで販売した。

アメリカ向けに開発された6リットルのワンピース便器(写真提供:TOTO)
アメリカ向けに開発された6リットルのワンピース便器(写真提供:TOTO)

6リットル規制には適合したものの、アメリカで当時販売されていた便器に対して、6リットルでは「1回で流しきれない」というクレームが多数出た。そのため米住宅産業協会が各社の便器を集めて、本当に6リットルで全部流せるかどうかを調査したところ、TOTOの商品が流れの良い製品のトップ3を独占するという結果になった。この調査結果は全米でニュース番組で取り上げられ、アメリカ市場に大きなインパクトを与えることになった。このアメリカでの便器の開発が示すように、TOTOは国ごとに求められる最良の製品を開発し、「その国のTOTOになる」ことを常に心がけてきたのである。

「どうしても親切が第一」

このように、TOTOミュージアムに展示されている製品にはそれぞれストーリーがある。日本の近代化のために、社会をよくするために、各国の要求に応えるために生まれたストーリーである。それぞれの展示物からは、その裏にある先人たちの苦労や想いがガイドの言葉を通して来訪者に訴えかけてくる。そのどれもが「どうしても親切が第一」という初代社長の言葉につながっていることが実感できる。ここに足を運んだ者は、ミュージアム内のさまざまな場所で、創立者の想いに触れ、製品の裏にあるストーリーを知るたびに感銘を受けるであろう。

「おもてなしの心をもって世界中にTOTOファンを創出し拡大する」というミュージアムの接客理念は、確実に実現されている。小倉に行くことがあれば、ぜひ実際に訪問し、ガイドの説明とともに製品が物語るストーリーに耳を傾けてもらいたい。


【編集後記】(ウェブ電通報編集部より)

TOTO=東洋陶器のことなのだ、ということを今回の取材記事に触れ、改めて思い出した。「思い出した」と言える人は、今の時代、数少ないと思う。若い世代や海外の方にとってTOTOはTOTO以外のなにものでもないブランドであるはずだからだ。

ブランドを確立するとは、そういうことだと思う。「衛生陶器」というワードすら、一般のひとには浸透していない。それらのものはすべて「TOTO的なもの」として認識されているのではないだろうか?「TOTO的なもの」に競合メーカーが集い、日本のみならず世界の、大げさに言うなら「人類の」生活環境を支え、高めていく。

その根幹には、創立以来、一貫して揺るがない「どうしても親切が第一」という理念がある。深い。人の、そっち方面やあっち方面のもろもろのことを支えてくれる衛生陶器は、日々の暮らし、いや、人生において「どうしても必要」なものだからだ。

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