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PR資産としての企業ミュージアムのこれからNo.14

自らを語らないゼンリンミュージアムの企業広報

2022/11/10

シリーズタイトル

企業ミュージアムは、「ミュージアム」というアカデミックな領域と「企業」というビジネス領域の両方にまたがるバッファーゾーンにある。そして運営を担う企業の広報、ブランディング、宣伝、人事などと多様に連携する組織である。本連載では、企業が手掛けるさまざまなミュージアムをPRのプロフェッショナルが紹介し、その役割や機能、可能性について紹介していく。


企業ミュージアムはさまざまな分類ができるが、その企業がかかわる産業や地域の発展の記録を自社の歴史や製品とともに展示するものと、その企業が自社の事業に関連して収集したコレクションを通して文化の伝承を行うものがある。本稿では、まさにその文化の伝承を行うゼンリンミュージアムを紹介し、ミュージアムを通し、ゼンリンがどのようにしてソートリーダーシップを構築しているかを考察したい。

取材と文:木村 佳乃子(電通PRコンサルティング)

ゼンリンミュージアム エントランス(画像提供:ゼンリンミュージアム)
ゼンリンミュージアム エントランス(画像提供:ゼンリンミュージアム)

「地図の使い道」とは何だろうか。地名や地形を調べるものだろうか。目的地までの経路を確認するものだろうか。さまざまなサービスのデジタル化で、日常から切り離すことができなくなった地図。身近な存在になったからこそ、本質的な魅力が見えにくくなってしまった。そんな地図の魅力や地図文化を伝えるため、地図好きの社員自らが企画・制作・運営をし、自社サービスの変遷や紹介をあえて排除している企業ミュージアムがある。

本稿でご紹介するのは、地図情報をベースとしたさまざまなサービスを提供する企業として国内最大手のゼンリンが運営している、日本で唯一の“地図”だけに焦点を当てた企業ミュージアム「ゼンリンミュージアム」だ。ミュージアムがあるのは、伊能忠敬(いのうただたか)が九州での測量の第一歩を歩み始めたとされる北九州市小倉。元々、同社が地図に関する貴重な資料や自社の取り組み、商品を一般展示していた「ゼンリン地図の資料館」を、創業70周年をきっかけに一新。2020年6月、資料館の跡地に地図文化の継承と振興を目的とした「ゼンリンミュージアム」は設立された。

そもそも、ゼンリンとは

ゼンリンは前述の通り、国内で業界最大手の企業である。その始まりは観光案内の小冊子であった。戦後間もない1948年に「観光文化宣伝社」として創業。創業者の大迫正冨(以下、敬称略)は、翌年、戦災を免れて観光客でにぎわっていた大分県別府市で観光案内「年刊別府」を発行した。

名所の紹介記事やバラエティに富んだコラムが掲載された読み応えのある冊子であったが、観光客が評価したのは付録として折り込まれていた市街地図であった。そこで大迫は「地図は最も重要な情報源」と考え、屋号まで記入された江戸時代の古地図をヒントに、日本中の住宅地図の製作を目指した。

1950年に善隣出版社と改称し、1952年に初版住宅地図「別府市住宅案内図」を発行。配達や官公署で活用され始め、北九州の地から日本全国の住宅地図データの整備を2017年に完了させた。こうして日本社会を支えるインフラとしての歩みが始まったのだ。

1984年ごろからは、いち早くデジタル化を推進し、1990年には世界初のGPSカーナビゲーションソフトを開発。現在は世の中のさまざまな情報を、空間および時間軸で体系的に管理する「時空間情報システム」の運用を進めている。

企業ミュージアムから企業要素を取り除くという選択

2003年から2019年まで、ゼンリンでは「地図の資料館」という幅広い年代に地図の楽しみを知ってもらい親しんでもらうことを目的とした資料館を運営していた。ここでは、地図コレクションの紹介以外にも、自社商品の展示や取り組みの紹介もされていた。

しかしリニューアル後の「ゼンリンミュージアム」には、同社の変遷や商品の展示、製作過程や最新のサービスの紹介がほとんどない。企業ミュージアムから企業要素を極限まで排除する理由は何か。そこには地図の会社として、地図の魅力を人々に伝え、地図文化を未来につなげるという強い使命感があった。

ゼンリンミュージアム 第1章(画像提供:ゼンリンミュージアム)
ゼンリンミュージアム 第1章(画像提供:ゼンリンミュージアム)

地図には地図上の地名や地形を見る・知るという楽しみ方以外に、その地図が描かれた理由や描かれ方から、当時の生活や世界、さまざまな社会の動きなど、歴史を知るという別の楽しみ方がある。それもそのはず、紀元前700年ごろから地図はコミュニケーションツールとして人々の生活を支えていたという。

この地図の本質的な魅力を伝えるためには、来館者に歴史を映し出す地図とじっくり向き合ってもらう必要があると考えた。そこに地図の歴史のほんの一部に過ぎない同社の取り組みの紹介は必要なかったという。こうして“歴史を映し出す地図の博物館”というコンセプトのもと、「ゼンリンミュージアム」では紀元前から現代に至るまでの国内外の地図のみが紹介されるようになった。

虫眼鏡必須。地図から読み解く歴史

ゼンリンミュージアムは「全3章」にわたる約120点の常設展と、期間によってテーマが変わる企画展から構成されている。常設展の3つの章は“日本”という国が世界とどう関わり、どう捉えられていたのかが軸となっており、第1章と第2章では、想像上の日本が初めて地図に描かれた16世紀初めから、伊能図が登場し徐々に日本が各国で正確に描かれるようになるまでの一連の流れが展示されている。

ブランクス/モレイラ「日本図」(画像提供:ゼンリンミュージアム)
ブランクス/モレイラ「日本図」(画像提供:ゼンリンミュージアム)

第3章では現代に至るまでの地図の表現や活用方法の多様化の様子が紹介されている。約120点、と数だけ聞くと簡単だが、一枚一枚の地図からは、製作時の時代背景のほかに製作者の行動や性格までも読み取ることができるのだから、かなり内容量が多い。また、地名や地形のほか、地図に描かれた絵など、かなり細かなところにも読み取るべき情報が詰まっている。

そのため、ただただ地図を眺めるだけでなく、しっかり見ることができるよう、額装されて間近で見ることができ、“虫眼鏡”も無料貸し出しされている。さらに、ミュージアム内は静かで落ち着いた雰囲気になっており、じっくり地図を見ることができる環境が整っている。あまりの展示物の豊富さと環境の良さのため、一日では見切れない方や数日にわたって来館される方も少なくないという。

ミュージアムを支える“Zキュレーター”の存在

ゼンリンミュージアムの最も大きな特徴は「Z(ズィー)キュレーター」と呼ばれる5人の専属キュレーターが配されていることだ。Zキュレーターは、全員学芸員の資格を持っており、展示企画・制作やガイドツアーから、イベントなどへの登壇、広報まで、ミュージアムの運営全般を担っている。

Zキュレーター(画像提供:ゼンリンミュージアム)
Zキュレーター(画像提供:ゼンリンミュージアム)

Zキュレーターはミュージアムの設立に合わせて社内公募で選ばれた社員。地図が好き、人と関わることが好きなどの理由で、広報やミュージアムとは無縁の部門から集まっている。今回、ゼンリンミュージアムの説明役やインタビューを受けてくださった館長の佐藤渉氏(写真右端)もその一人で、子どものころから地図が好きだったという。学生時代には博物館で働くことを目指し学芸員の資格を取得。そして、地図に関わりたいという強い思いのもとゼンリンに入社した。入社後は営業の仕事をしていたが、Zキュレーターの公募を知り、自ら手を挙げ、現在、ゼンリンミュージアムの館長を務めている。

Zキュレーターはミュージアムの設立にあたって、現在の常設展示の内容の企画から地図のキャプション全89点の作成まで、外注せず自分たちで手掛けている。そのため、Zキュレーターの地図の解説は詳しいだけでなく、それぞれの思いもこもっており、とても聞き応えのあるものである。また、録音された音声ガイドとは違い、来館者と直接コミュニケーションが取れることもあり、来館者の興味・関心や理解度に合わせて解説の方法も工夫しているようで、Zキュレーターの“地図の魅力を知ってもらいたい”という強い意志が感じられる。

より深く、より広く届けるために

コンセプトにこだわりを持って運営されているゼンリンミュージアムには、地図好きが全国から集まるほか、地元からの来館者も多い。また、同社の新入社員、取引先もミュージアムに招待し、同社の最新技術だけでなく、地図自体が持つ魅力にも気付いてもらうようにしているという。他にも、ゼンリンミュージアムが所蔵する約1万4000点の古地図コレクションを活用し、歴史や文化の研究者による調査・研究に協力したり、日本地図学会と連携し、バーチャル見学会や講演会、地方大会なども開催。アカデミックな方面でもミュージアムの目的である地図文化の継承と振興に寄与していることがよく分かる。

ゼンリンの地図に対する思いは、常設展だけにとどまらない。企画展では、時代や地域、交通、観光などあらゆるジャンルに特化した地図の展示がされ、常設展では伝え切れない、より深い地図の魅力を伝えている。この企画展も来館者からの要望を反映しつつ、Zキュレーターが企画・制作。取材時(2022年7月)は鉄道など交通地図の企画展が開かれていたが、そこには多くの鉄道ファンも訪れていた。

ミュージアムの外でも

ゼンリンミュージアムは、地域と連携した特別イベントや企画なども開催している。ゼンリンミュージアムのすぐ隣には小倉城があり、期間によって「ナイトミュージアム×ナイトキャッスル スペシャルツアー」を行っているのだ。このイベントでは、ゼンリンミュージアムのZキュレーターによるガイドツアーと、ミュージアムに併設しているカフェや、小倉城の天守閣のバー、ゼンリンミュージアムと小倉城からの夜景が楽しめる。

また、JR九州ステーションホテル小倉との共同企画としてはコラボ宿泊ルーム「地図さんぽの部屋」を設置(2022年3月1日~2023年2月28日)。さまざまな地図やグッズに囲まれた地図尽くしの部屋になっており、窓から見る景色と部屋の地図を照らし合わせて楽しむことができる。これらは、観光案内から始まったゼンリンならではの地図と地形を生かしたユニークな地域貢献といえる。

JR九州ステーションホテル小倉×ゼンリンコラボルーム『地図さんぽの部屋』イメージ(画像提供:ゼンリン)
JR九州ステーションホテル小倉×ゼンリンコラボルーム『地図さんぽの部屋』イメージ(画像提供:ゼンリン)

自らを語らない企業広報

さまざまな種類のある企業ミュージアムのなかで、その企業がかかわる産業や地域の発展の記録を自社の歴史や製品とともに展示するものと、企業が自社の事業に関連して収集したコレクションを通して文化の伝承を行うものがある。コレクションといっても事業と関係のない美術品ではなく、あくまでもその企業のビジネスに関連するコレクションだ。

後者は必ずしも企業の事業と直接関連するわけではなく、その文化が価値のあるものとして継承されることで間接的に事業の発展に寄与する、という考え方が軸にある。ゼンリンミュージアムはまさに文化の伝承を行う企業ミュージアムであろう。

紀元前よりコミュニケーションツールとして使われていた地図。そして、その地図という存在を現代に引き継ぎ、より時代に合ったものへ変化させるゼンリン。長い地図の歴史と文化を現代の私たちの目の前にひもといて見せる「ゼンリンミュージアム」からは、ゼンリンの地図に懸ける思い、そしてこだわりを感じ取ることができる。自らを語らない人文科学的な企業ミュージアムではあるが、地図業界のソートリーダーであるゼンリンのコミュニケーションツールとして存在し、社会からの信頼につながっている。

コロナ禍に設立され、制限のある中での運営を余儀なくされているゼンリンミュージアムだが、今回お話を伺った館長の佐藤渉氏からは、今後来館者からのさまざまな意見をもとにミュージアムをさらにバージョンアップさせていきたい、という熱意が感じ取れた。また、Zキュレーターには形にしたい企画案がたくさんあるとのこと。これからのゼンリンミュージアムの多角的な展開に注目したい。


【編集後記】(ウェブ電通報編集部より)

地図の魅力は、なんといっても「この世界を、鳥の目で捉えてみたい」ということに尽きると思う。いわゆる「鳥瞰(ちょうかん)図」というものだ。人は、空を飛べない。鳥の目からこの世界を眺められたら、一体どう見えるんだろう?この道とこの道はどうつながっていて、この川はどこからどう流れているのだろう?その先の海はどこへつながっているのだろうという、とてつもないロマンだ。

そうした思いが「羅針盤」を生んだ。月にも行ってしまった。すべては「俯瞰(ふかん)」でこの世を見てみたい、という思いからだ。ゼンリンという会社の仕事の基本は、そこにあるように思う。

最近では、スマホをちょちょいと操れば、はいはい、ここの路地を曲がればいいのね、といった情報が簡単に手に入る。便利といえば便利な時代だが、「宝島への地図」を手にしたようなワクワク感はない。キーワードは「冒険」だと思う。細部にわたって綿密に描かれた地図を手にしたとき、人はなんとも言えない興奮を覚える。伊能忠敬のような、先人へのリスペクトも含めて。

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