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PR資産としての企業ミュージアムのこれからNo.19

シャープミュージアムにみるドラマとガイドの神髄

2023/01/19

シリーズタイトル

企業ミュージアムには“ドラマ”がなくてはならない。かつてシャープミュージアムに来館したアメリカのスミソニアン博物館の教授はそう語った。製品を並べ、企業の歴史をパネルで展示するだけでは、魅力が伝わりづらい。ドラマは成功事例だけではない。幾多の苦難もあるから人を引きつける。今回は、シャープミュージアムで“ドラマ”を伝え続けるガイドの存在とその役割について考察したい。

取材と文:岡内礼奈(電通PRコンサルティング)

シャープミュージアムの外観(写真提供:シャープ株式会社 )
シャープミュージアムの外観(写真提供:シャープ株式会社)

奈良県・天理駅からバスまたはタクシーで15分。約7万坪の広大な「シャープ総合開発センター」の中に、シャープミュージアムは位置している。来館者からは「存在が地味」「こんなところにミュージアムがあるとは知らなかった」といった反応が示される、いわば知る人ぞ知る企業ミュージアム。しかし、館内をひとたび巡れば、「ためになった」「面白かった」「次は家族を連れて来たい」など好意的な感想が相次ぐ。このミュージアムの魅力はどういったところにあるのだろうか。

シャープミュージアムの概要

このミュージアムの成り立ちは1980年にまでさかのぼる。創業者早川徳次(1893〜1980、文中敬称略)の逝去を悼み、功績を後世に伝えるため、1981年10月「シャープ歴史ホール」を開設し、一般公開。翌11月、最先端技術の成果を一部のステークホルダーに向けて紹介する目的で「技術ホール」を開設。後に両ホールを一般公開し、2012年に「シャープミュージアム」と改名し現在に至る。

ミュージアムは、歴史館と技術館の2フロアで構成されている。延べ床面積813平方メートルの歴史館にはシャープの歴史的な製品の数々が約290点展示され、527平方メートルの技術館には、太陽電池の生産過程や液晶の成り立ちなど培ってきた技術が約100点展示されている。これまでの来館者は国内外合わせて64万人超。5人以上の団体の場合はガイドによる館内案内を受けられる他、少人数のグループや個人の来館者には自社の最新技術を活用したセルフガイド端末の無料貸し出しサービスも行っている。

シャープミュージアム内観(左:歴史館、右:技術館 筆者撮影)
シャープミュージアム内観(左:歴史館、右:技術館 筆者撮影)

少数精鋭の運営体制

ミュージアムの運営スタッフはわずか2人。予約受け付けから団体客向けのガイド、館内のメンテナンスをはじめとする業務を少数精鋭で運営している。それゆえ他部署との連携は欠かせない。例えば、取材や撮影などメディア関連の業務は広報セクション、社外出展やソーシャルメディアでの情報発信等は、広報のほか、デザイン、ブランドセクションと連携。展示リニューアルやイベントの場合は、担当本部や関係会社などと幅広く連携する。

また特徴的なのは、シャープを退職した社員有志がミュージアム運営の強力なサポーターとなっている点。有志自らインスタグラムを活用してミュージアムの見どころや展示品のトリビアなどを発信、また遠足や修学旅行の需要が高まる時期には、ガイド役となって学生たちの誘導を行う。このような心強いサポーターにも支えられ、少ないスタッフでも滞りない運営が可能となっている。

先見性・独創性にあふれるシャープのモノづくり

歴史館では年代順に、国産第1号のラジオやテレビ、世界初の液晶表示電卓といった、現代社会になくてはならない製品の日本初、世界初の製品が数多く展示されており、シャープの先見性の歴史に驚かされる。そんな先見性を感じさせられる代表的な製品が「ソロカル」だ。ソロカルは見た目の通りそろばんと電卓が一体となったもの。今では考えられないが、世の中に電卓というものが登場した当初は、計算は本当に合っているのか不信感を抱く人もおり、確かめ算用にそろばんを付けて販売したそうだ。

そろばんと電卓が一体となった、その名もソロカル(写真提供:シャープ株式会社)
そろばんと電卓が一体となった、その名もソロカル(写真提供:シャープ株式会社)

また、今となっては当たり前に付いている機能、その発祥は実はシャープという発見が幾つもあった。例えば、レンジで調理することを「チンする」というが、これはシャープがいち早くレンジに取り入れた機能である。販売当初、導入したレストランのシェフから、あまりに温まるのが早くレンジの扉を開けた時にはもう冷めていたというクレームが寄せられた。そこで着目したのが自転車のベル。自社のサイクリングイベントで、ベルを鳴らしたところ前の人が気付いてよけてくれたという開発者の実体験をもとに、タイマーにベルを直結させて音が鳴る仕組みを取り入れた。

国内初の量産 電子レンジ(筆者撮影)
国内初の量産 電子レンジ(筆者撮影)

その他ミュージアムには、シェーバーとドライヤーが一体となった「ひげドラ」、ラジオ・テレビ・カセットレコーダー・コンピューターが一体となった「ラテカピュータ」など斬新過ぎて市場にあまり出回らなかった製品も展示。シャープの先見性・独創性に出会うことができる。

なお、地域社会や産業の発展に大きく貢献したとして、世界的に権威あるIEEE(米国電気電子学会)のマイルストーン賞を、電卓、太陽電池、液晶ディスプレーの3分野で受賞。同一企業で3件受賞は国内初という快挙を成し遂げている。

シャープ製宇宙用太陽電池を搭載した人工衛星模型(写真提供:シャープ株式会社)
シャープ製宇宙用太陽電池を搭載した人工衛星模型(写真提供:シャープ株式会社)

このような先見性、独創性あふれるシャープのモノづくりは、早川徳次が常々口にしていた「他社がまねするような商品を作れ」というメッセージが原点にあり、現在も経営理念や経営信条として受け継がれている。創業者早川徳次はどのような人物だったのだろうか。

誠意と創意あふれる早川徳次のDNA

1893年東京都に生まれた早川徳次は、わずか8歳の時に年季奉公に出る。ここで後々のモノづくりにつながる金属加工の技術や、モノを売る情熱や客の心をつかむ商売のコツを学んでいった。その後独立し1915年、社名の由来ともなるシャープペンシル(早川式繰出鉛筆)を開発し特許を取得。売り込みに訪れた文具店からは何度も突き返されたものの、試行錯誤を重ね1週間に1本新しい製品を作った。品質やデザインの高さが話題になり、海外に輸出され大ヒット、その後国内でも普及し始め事業が軌道に乗る。展示されているシャープペンシルの上部に目を凝らすと、ハサミや体温計、方位磁石が付いているものもあり、さまざまな工夫が施されているのが見て取れる。

シャープペンシル(早川式繰出鉛筆)(写真提供:シャープ株式会社)
シャープペンシル(早川式繰出鉛筆)(写真提供:シャープ株式会社)

急成長を遂げたシャープペンシル事業だが、その後関東大震災により工場などを失い、シャープペンシル事業を大阪の会社へ譲渡することになった。自身も一念発起し大阪で事業を起こそうと決心。新事業開拓で見つけた新しい事業がラジオだった。翌年から放送が始まるのを前に、輸入された鉱石ラジオを分解し研究を続け、これまで培ってきた金属加工の技術を用い部品を製造し、1925年に国産第1号となる鉱石ラジオセットの組み立てに成功。その後ラジオメーカーとして成長していった。

ラジオの事業がうまくいき始めた頃、次はテレビの時代が来ると考え、テレビの研究に挑戦。1951年にはテレビの試作に成功し、1953年には国産第1号テレビの量産を開始。低価格化も進め家庭への普及に大きく貢献した。誠意と創意あふれる早川徳次のモノづくり精神が、新たな市場を次々と切り開いていった事実に深く感銘を受ける。

来館者との距離が縮まる成功話だけではない「ドラマを伝える」重要性

今回館内を案内していただいた、研究開発本部オープンイノベーションセンターに所属する藤原百合子氏に、ガイドとして案内する際心がけている点を伺った。それは「ドラマを伝える」ことだという。その重要性に気付くきっかけとなる出来事があったそうだ。2006年ごろアメリカを代表する博物館、スミソニアン博物館の教授がシャープミュージアムを訪れた際、藤原氏は教授に次のような質問を投げかけた。「このミュージアムに足りないものは何でしょうか?」

すると教授は「“ドラマ”が足りない」と述べたそうだ。確かにここには完成された歴史的な製品が並べられている。しかし、開発の背景にある人と人との出会いや、エピソードといったドラマの展示がないという指摘を受け藤原氏は、はっと気付かされた。そこからは、当時の資料や退職者へのヒアリングなどを通じ、開発エピソードを案内時の説明に加えるように心がけている。「ドラマというと成功事例だけではないので聞き手も興味が持てますし、案内するこちらの方も正直な話ができます」と藤原氏。ドラマを伝えることで、来館者との距離がぐっと近くなることを日々実感しているという。筆者自身も館内を巡り、藤原氏から発せられる数々のエピソードに魅了され、活気や情熱にあふれる開発現場に立ち会っているかのような感覚を覚えた。

今回案内していただいたシャープ研究開発本部オープンイノベーションセンター 藤原百合子氏(筆者撮影)
今回案内していただいたシャープ研究開発本部オープンイノベーションセンター 藤原百合子氏(筆者撮影)

ミュージアムの存在意義

シャープミュージアムはPR資産としてどのような存在意義を持つのだろうか。藤原氏は次のように語った。「110年の変遷には幾多の苦難があり、決断があり、人と人とのつながりがあり、苦難を乗り越えるたびに、獲得したもの、失ったもの、残してきたものがあって、今があること。そのことを次世代に伝承していくのがこのミュージアムのミッションだと心得ています」

110年の企業の経験には次の時代の社会課題を解決するヒントがさまざまある。それらを多くの人と共有できるのが、このシャープミュージアムなのだ。同じく取材にご同席いただいた別の社員の方からは、「このミュージアム自体がいわば経営理念といえます。2016年に新しい経営体制になり、会社が変わってしまうのではないかとみられたかもしれませんが、創業者の精神は決して変えてはいけないものとして社員全員に継承されています。新入社員だけでなく経験者採用社員にも来てもらい、会社の成り立ちを再認識できる場になっています」という。ここを訪れた社員からは、「自社がさらに好きになった」「自社に誇りを持った」という意見が多く寄せられており、インターナルコミュニケーションにおける要所となっている。

今後の展開と課題

シャープの足跡や培ってきた技術を、より多くの人と共有したいという思いから、現在、コンテンツのアーカイブ化に取り組んでいる。その一環としてシャープ公式Instagramでは展示品を中心とした過去の懐かしい製品を、シャープ公式noteではミュージアムの日常にある小さなドラマを紹介するシリーズを展開しており、今後もコンテンツ拡大が予定されている。課題があるとすれば、次世代のガイド育成。コンテンツも重要だが、その語り部の存在は同じくらい重要だ。音声ガイドでは体感しづらい、インタラクティブなコミュニケーションが来館者のエンゲージメントを生み出すのである。「自身のアバターがいたらいいのに」と、藤原氏は取材中笑みを浮かべた。

ガイドが紡ぐ数々のドラマで来館者を魅了

シャープミュージアムは、思わず誰かに伝えたくなるような驚きや発見に満ちあふれている。来館者は、そこから課題解決へのヒントを発見したり、新しいアイデアを着想したりできるだろう。次はシャープからどんな新しいことが生み出されるのか期待も抱くはずだ。また、ドラマを伝えるガイドの存在も、このミュージアムの魅力の一つとして欠かすことができない。案内開始直後から、ガイドの話にぐいぐいと引き込まれ、まるでシャープの物語を旅しているかのような感覚すら感じた。それはガイドの熱意や試行錯誤しながら育んできた高いコミュニケーション技術からくるものに違いない。ぜひミュージアムを訪れて、ガイドの神髄をじかに感じてもらいたい。


【編集後記】(ウェブ電通報編集部より)

家電には、夢がある。冷蔵庫、洗濯機、掃除機、オーブンレンジ……いずれも生活を支えてくれる、なくてはならないインフラだ。でも、SHARPという企業には、そのインフラの性能を単に高める、ということだけではなく、夢と向き合い、それを具現化してきた、という印象がある。

夢というものは、とてもリリカルでつかみどころのないものだ。科学者や技術者が口にしてはならないもののようにも思われている。それでもSHARPは、夢と向き合う。日々の、これといってなんの変化もない暮らしの中に、SHARPならではの夢を届けるために。

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