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PR資産としての企業ミュージアムのこれからNo.20

共存共栄の実現とサステナブル経営を伝えるグンゼ博物苑

2023/02/09

#20

女性のエンパワメントやサステナビリティが議論される昨今だが、実に100年以上前に、女性の地位向上、地域の発展のために尽力していた企業がある。肌着やストッキングのメーカーとして知られているグンゼだ。本稿では、蚕糸製造の技術向上と教育によって、貧しかった地域の養蚕農家、とりわけ女性たちを守り、全ての取引先との“共存共栄”、パートナーシップでサステナブル経営を目指したグンゼの軌跡と未来への展望を創業の地で伝える「グンゼ博物苑」について考察したい。

取材と文:櫻井暁美(電通PRコンサルティング)

(左)グンゼ記念館、(右)グンゼ博物苑(写真提供:ともにグンゼ)
(左)グンゼ記念館、(右)グンゼ博物苑(写真提供:ともにグンゼ)

綾部市と密接に連携するグンゼ博物苑

京都の北部に位置し、由良川水系の恩恵を受けた人口3万人余りの田園都市、綾部市。JR綾部駅から徒歩10分ほどにある観光交流拠点「あやべグンゼスクエア」は、2014年に開園され、敷地面積8257平方メートル、「綾部バラ園(綾部バラ会運営会)」「あやべ特産館(綾部商工会議所管理・運営)」とともに「グンゼ博物苑」があり、グンゼと綾部商工会議所によって共同で運営されている。

グンゼの本社機能は大阪にあるが、創業の地に残した歴史的建築物を活用し、地域おこしにも貢献したいとのことからグンゼ博物苑は1996年、創業100周年記念事業として設立された。110周年、120周年に行った2度のリニューアル、「あやべグンゼスクエア」開園、季節ごとのイベント開催により、コロナ禍前は来場者が年間4万2000人までに増加。新入社員、役職者らの研修に活用され、取引先、株主はもとより、年間十数校(2021年実績/12校)の地域の小中高生が訪れる。リクエストに応じ対面でのガイドも行っている。

博物苑は、大正時代の繭蔵(まゆぐら)をそのまま活用したグンゼの今昔を紹介する「今昔蔵」、3棟並んだ展示蔵の「創業蔵」「現代蔵」「未来蔵」の4つの蔵と、集会所などに利用できる「集蔵(つどいぐら)」、そして創業者夫妻、従業員の社宅「道光庵(休憩所)」から成る。また、金曜日のみの開館となっているが、社宅を挟んで隣接する「グンゼ記念館」は1917(大正6)年に本社社屋として建てられた洋風建築で、これらを一巡することで、グンゼの“郡是(郡の方針)”たるゆえんが分かる。

一帯は、経済産業省の近代化産業遺産群に認定されている。グンゼが環境保全に努める中、綾部市が「京都府景観資産」への登録を目指して、周辺の街の電線を地中化し歩道を整備した。明治・大正期が舞台の映画・ドラマの格好のロケ地になっており、映画「海賊とよばれた男」やトヨタ自動車創業者・豊田喜一郎がモデルのドラマ「LEADERSリーダーズ」、鹿児島テレビ開局50周年記念番組「前田正名-龍馬が託した男」などが撮影された。今、グンゼ博物苑と綾部市が描いている夢は、創業者である波多野鶴吉と妻はなの生涯をNHKの朝の連続テレビ小説にすること。2015年に「NHK朝の連続テレビ小説誘致推進協議会」を設立して招致活動に注力している。

キーコンセプトは人間尊重、優良品生産、全ての人との共存共栄

グンゼ博物苑のキーコンセプトは、グンゼの創業の精神「人間尊重と優良品の生産を基礎として、会社をめぐるすべての関係者との共存共栄をはかる」を、展示物や資料を通じて伝えることである。取材に際し、ご案内いただいた高尾規人苑長は、この施設を通じて歴史をたどるということだけではなく、「経済的価値と社会的価値を両立するサステナブル経営やSDGsの目標である2030年の『ありたい姿』の実現に向かって歩んでいるグンゼをぜひ知っていただきたい」と述べている。

博物苑の展示蔵と記念館の展示物を通じて、創業者夫妻が、女性従業員に教育を施したこと、取引先の養蚕農家の利益を守るために奔走したこと、現在、環境負荷軽減製品や、QOL向上に向けた医療品などサステナブルな製品開発に取り組んでいることなどがよく分かる。

グンゼ博物苑 高尾規人苑長(筆者撮影)
グンゼ博物苑 高尾規人苑長(筆者撮影)

創業者・波多野鶴吉について

1896(明治29)年に創業した郡是製絲は、1967(昭和42)年に社名変更するまで、“郡是”の漢字を使っていた。この郡是は、“郡(当時の何鹿=いかるが=郡)の方針”を意味する。創業者の波多野鶴吉は、大庄屋・羽室家の次男として生まれ、8歳で母方の波多野家の養子となった。元農商務省次官で明治政府の殖産興業政策を立案した前田正名(まえだ・まさな)の「今日の急務は国是、県是、郡是、村是を定むるにあり」という講演を聞き大変感銘を受け、「郡の発展のためには製糸業を地場産業として盛り上げなければならない」という固い信念と身を削るような努力の下に会社を設立。経営者になろうという野心があったわけではない。若い頃の大きな挫折を経て、20代の数年間の教師時代に、多くの生徒たちの家業・養蚕農家の理不尽な扱われ方、貧しい暮らしを目の当たりにし、農家の利益を保護するために奮い立ったと考える方が正しいだろう。

会社設立の10年前、鶴吉は、何鹿郡蚕糸業組合の設立に奔走した。前田正名の講演会を招致し、地域の人たちに新しい考えを聞かせ、理解促進に努めた。しかし、農家の人たちを動かすことは一筋縄ではいかなかったようだ。皆、ノウハウを自家内に封じ込め、全体の利益のために動こうとしない。最終的には「自分でやるしかないのか」と、裕福な実家の協力を得て会社を設立することを思い立った。設立の際、こだわったのは、養蚕農家一軒一軒に少額での“一株株主”になってもらうことだった。拠出額の多寡が重要なのではない。一人一人が会社経営に参画し、自分ごと化することこそが、鶴吉の狙いだった。こうして養蚕農家と企業が互いに切磋琢磨(せっさたくま)する、良い循環構造をつくろうとした。

グンゼ記念館には、一株株主向けの20円(現在の価値で70万円ほど)の最初の仮株券が展示されている。(写真提供:グンゼ)
グンゼ記念館には、一株株主向けの20円(現在の価値で70万円ほど)の最初の仮株券が展示されている。(写真提供:グンゼ)

高品質の糸を作るために

綾部という地名は、綾織を職とする渡来した漢人(あやひと)が居住した漢部(あやべ)に由来し、古くから養蚕や織物の産地として知られていた。しかし、1885(明治18)年の全国共進会(品評会)では「粗の魁(そのさきがけ=劣等品)」という不名誉なレッテルを貼られてしまった。鶴吉の挑戦は、「どこにも負けない高品質な糸を作ること」だった。養蚕農家の作業は、蚕の餌である桑の葉を育てること、また蚕を育て、繭から絹糸を紡ぐことで、通常の農家とは比較にならないほどの手間がかかり、「できることならやりたくない農業」だった。

一方で当時、日本の生糸は外貨の約6割を稼ぐ主要な輸出品だった。需要は十分にあった。その頃の養蚕農家は、仲買人から価格を一方的に決められてしまったり、生糸が投機対象となり価格の乱高下に翻弄(ほんろう)されるなどの悪習にさらされていた。鶴吉はこうした理不尽な状況の是正に動いた。まず乱高下する生糸価格については、毎月5日、10日の相場で取引する「成行先約定」(1901年 )を定着させ、経営を安定させた。次に「正量取引」(1909年)を導入。事前に等級に応じた買い取りを確約する売買契約を農家と締結し、農家が品質向上に向けて健全な努力ができるようパートナーシップを築いた。「買って喜び、売って喜ぶようにせよ」と号令をかけ、従業員、パートナーとの良好な関係構築により持続可能な企業経営および社会の相互発展を目指した。

表から見れば工場、裏から見れば学校

ある時、鶴吉は会社幹部から「良い糸を作る農家は、家庭が円満なのです」という話を聞き、良い糸のためには、良い家庭をつくること、その手前で良い人をつくるということが重要だと思ったそうだ。鶴吉は、私利私欲がなく、質素倹約に努めた敬虔(けいけん)なクリスチャンとしても知られる。社宅にしていた道光庵という建物に、従業員と共に住み、生活を共にしていた。

この道光庵はグンゼスクエア敷地内に移築され、保存されている。昼は工場に勤務し工女と呼ばれていた女性従業員に、夜には教育の機会を与え、人間性も含めた育成を行った。郡是には、教育部があり、キリスト教信者で教育者の川合信水が責任者を務めた。1917(大正6)年には、花嫁学校と呼ばれた「郡是女学校」を設立。工女には、勤続4年で鏡台が、6年でたんすが嫁入り道具代わりに贈呈された。これらの取り組みは、「表から見れば工場、裏から見れば学校」と言われるほどであった。

「記念館」には、当時贈呈された記念品(左)、朝礼時の様子や裁縫の勉強をする姿(右)などの写真が飾られている。(写真提供:ともにグンゼ)
「記念館」には、当時贈呈された記念品(左)、朝礼時の様子や裁縫の勉強をする姿(右)などの写真が飾られている。(写真提供:ともにグンゼ)

幾多の困難を乗り越えた創業者の“信念”

鶴吉の人となり、行動力、信念が企業の危機を幾たびも救うことになる。まず、1度目は、従業員の自発的な人件費削減提案。グンゼ記念館には、会社の業績が悪化した際に、自発的に「自分たちの給料を下げて、会社を守ってほしい」と直訴した従業員たちの上申書が展示されている。2度目は、アメリカの大手織物業者・スキンナー商会が、郡是の糸の一括仕入れを約束したことだ。オーナーのウィリアム・スキンナー自身が来日して鶴吉と会い、信頼を深め取引を拡大させた。「記念館」や「創業蔵」には、スキンナー商会向けの生糸商標が飾られている。

3度目は、メインバンクによる実質的な無担保融資だ。郡是のメインバンク、明瞭銀行、第百三十銀行福知山支店が金融恐慌で破綻、安田銀行創始者である安田善次郎は政府から郡是の救済を依頼された。安田は、第百三十銀行が無担保で郡是に貸し付けしていたことを不審に思い、自ら鶴吉を訪ねた。門前でかすりの着物を着て掃き掃除をする用務員に、鶴吉への取り次ぎを頼んだが、実はこの用務員こそが、当の波多野鶴吉の“いつもの姿”だったのだ。安田は鶴吉の信念を一瞬で見抜き、融資を継続した。その信頼は生涯揺るがず、郡是が糸価の大暴落で苦境に立った際、病床にあった安田が「万一の際は郡是を救え」と言い残したほどだったという。

皇后陛下が初めて民間企業を視察

郡是は、創業から4年で、パリ万国博覧会に出品し、見事金牌(きんぱい)を受賞した。また、その品質追求の経営姿勢や地域への貢献は、皇后陛下が養蚕を行う天皇ご一家も認めるものとなり、創業から21年後の1917(大正6)年には、民間企業としては初めて当時の皇后陛下(貞明皇后)が行啓された。当時も皇后陛下が行啓されるということは大変な名誉で、当然地域の一大イベントとなり、道路も行啓の馬車列のために整備された。グンゼ記念館2階には、御座所やおつきの人たちが控える和室がそのまま保存され、下賜品の蚕の一生が描かれた香炉、記録写真などが展示されている。

御座所(左)、蚕の一生が描かれた香炉(右)(写真提供:ともにグンゼ)
御座所(左)、蚕の一生が描かれた香炉(右)(写真提供:ともにグンゼ)

アパレルへの転換、生糸からナイロン、メリヤス生産へ

1934(昭和9)年、フルファッション靴下の生産を機に、郡是はアパレル企業への転換を図った。原材料費の高騰や輸出不振に加え、ナイロンの台頭もあったことから蚕糸業を次第に縮小し、主力をメリヤス肌着や、ナイロン製ストッキングの生産などに移行した。「現代蔵」には、カラーストッキングをはき足を組んだトルソーが大ぶりの花のように堂々と並んでいる。ストッキングは働く女性を象徴するレッグウエアだ。この企業が、創業以来、一貫して女性を応援してきたことがよく分かる。

「現代蔵」展示室内(写真提供:グンゼ)
「現代蔵」展示室内(写真提供:グンゼ)

プラスチック事業、医療事業への拡大

2021年の実績を見ると、アパレル事業の売り上げ構成比は全体の46%、プラスチックフィルム、メディカル分野等の機能ソリューション事業は同45%となっているが、今後はその比率を逆転させていく計画だ。機能ソリューション事業への大きな転換点は1962年のプラスチック事業の開始だ。当時、急成長中の石油化学工業の中でもプラスチック樹脂に将来性を見出し、まずは靴下の包装フィルムを内製化。併行して様々な用途の機能性フィルムを研究した。高尾苑長は「もともとグンゼには、できるものは全て自分たちで……という文化があります。パッケージ包装も内製化していたことから、プラスチックフィルム製造の基礎技術があったのです」という。大胆な転換によるプラスチック事業は、スモールスタートだったが、すぐにグンゼを支える屋台骨となる。「現代蔵」には自社で作られたプラスチックフィルムのパッケージが製品とともに展示されている。

「未来蔵」には、環境に配慮し運搬時に傷がつきにくい冷凍食品の外装パッケージサンプルや、QOLの向上を目指したメディカル製品などが展示されている。自分の手のひらに切り傷や皮膚損傷の再生手術の映像を投影させるプロジェクションマッピング、再生医療体験のコーナーは、最先端医療を疑似体験できる仕掛けとして人気だ。

再生医療体験のコーナーでのプロジェクションマッピング(撮影:筆者 )
再生医療体験のコーナーでのプロジェクションマッピング(撮影:筆者 )

未来の共創社会実現に向けて

鶴吉は、多くの言葉を残し、それらは博物苑の随所に掲出されている。その中に、「『世の中のため』という荷を加える」というものがある。会社の成長だけを考えて働くと重荷となってしまうため、もう一つ、会社の成長を通じて世の中の役に立つのだという考えを加えるとバランスが取れて働きやすくなる、ということである。もう片側に“世の中のため”という荷を背負っていってほしいという従業員への期待を込めた言葉だ。全国で勤務するグンゼの新入社員の入社式は、毎年、創業の地・綾部で行われているが、創業者の思いは、社長からこれからのグンゼを担う新入社員に贈られ、引き継がれている。

幾多の困難を乗り越えてきた鶴吉の生涯と、鶴吉の遺志“世の中のため”になる企業活動をより多くの人に知ってもらうための場として、グンゼ博物苑は今後も重要な情報発信基地となっていく。

創業者のことば

【編集後記】(ウェブ電通報編集部より)

グンゼというと、ソックスや下着を真っ先に思い浮かべる。でもそこには「糸」というものへの強い信念があったのだ、と改めて思った。糸というものは、いかにもかぼそいが、それが紡がれることによって、強固なものになっていく。ひとの命を守るものになる。グンゼの思いはそこにあるのではないだろうか。

細い、細い糸を、丁寧に編んでいく。気が遠くなるような作業だ。でも、その先には、温かな暮らしが確実に約束されている。そのために、グンゼは歩む。

現代人は、ぽいぽいとモノを捨ててしまう。靴下に穴があいたら、即、ゴミ箱行きだ。母親が繕い物をする姿とかを思い出すと、なんだか涙がこぼれてしまう。モノへの愛情、モノへの尊敬の念といったものが、そこにはあったのだと思う。そういうことをかみしめるためにも、一度は訪れたいミュージアムだ。

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