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#とある電通人の失敗No.1

電通でつくった新規事業を、結局ベンチャー企業に売ってしまった話。(前編)

2023/06/12

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ビジネス関連のブログで語られるのは、大概「成功体験」だ。

それはもちろんニーズがあるからだろうし、失敗した人の話より、成功した人の話を聞きたい、という気持ちはわかる。

ただビジネスにおいては、成功体験よりも失敗体験の方が多いはずだ。だからこそ成功体験が貴重なのはわかるが、ちまたではその話ばかりが流布されている。

特に日本では「失敗体験」を積極的に共有しよう、と考える人は少ない。失敗=隠すもの、失敗=恥ずかしいこと、と捉えているからだ。

日本のビジネス界隈(かいわい)で失敗体験が語られることは貴重だ。

ただ僕は、失敗体験こそ共有されるべきだと思う。共有されることで、その体験は誰かの糧になる、参考になる。それを隠してしまったら、挑戦した事実すらなかったことにされてしまう。

そんなことを考え、

#とある電通人の失敗

というテーマで会社に寄稿を申し出た(よく許可が出たなと思う)。
それがタイトルにある「電通でつくった新規事業を、結局ベンチャー企業に売ってしまった話。」だ。

ビジネス的には明らかに失敗なのだが、僕の中では大切で意義のある失敗だ。

その理由を、少しだけ書いてみようと思う。

今回はそんな話。

※この記事は日経COMEMOの記事をもとにウェブ電通報が編集したものです。
    日経COMEMO記事はこちら
 

逆EXITというパターン

ビジネスの世界でEXITと言えば、ベンチャー企業などが手がけた事業や会社を、誰かに売却したり、IPO(株式公開)することで利益を得る手法のことだ。

乱暴に表現するなら、若者や小さな会社が新規事業を立ち上げて、大きな会社に売って利益を得ること、と言ってもいい。

EXITは、新規事業を立ち上げる立場にとって、ゴールであり目標だ。

若者や小さな会社が、0から1を創って、10まで育てる。
その事業を「1000まで伸ばせる」と可能性を感じた大企業や投資家が、100で買い取る。

0から1を生み出した立場の人たちは、100の利益を得る。

そんな夢のある話がEXITだ。

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EXITにおいて、売却先は「自分より大きい相手や会社」であることが基本となる。大企業は資金力を使って、事業を一気に大きくすることができるからだ。

しかし僕が電通という企業で経験したEXITは、通常のそれとは逆だった。

電通で立ち上げた事業を、電通よりも小さい会社に売却したのだから。

2022年6月のことだった。

大企業にEXITはない

先ほど、EXITを「若者や小さな会社にとって目標の1つ」と表現したが、電通のような企業が新規事業を立ち上げる場合、その目標は何になるのだろうか。

「電通よりも大きな会社に売る」という選択肢もなくはないが、やはり「自社の事業として育て、新たな収益源の1つにする」ということが目標になる。

これは多くの国内大手で言われていることだ。実際、社内で新規事業コンテストや公募を行っている会社は多い。

僕も応募者の1人だった。

話は12年前にさかのぼる。当時の年齢は27歳。

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営業職をやっていた僕は、社内の新規事業プログラムに応募した。ちょうど大学の同期がベンチャー企業で活躍しはじめ、焦っていた頃だったと思う。

何度かのプレゼンテーションを経て、僕の事業構想は採用された。そして2年後、ローンチしたサービスは1万人のユーザーを獲得した。

※大学サークルのプラットフォームCircleApp(サークルアップ)のユーザーが1000団体、1万人を突破 | ウェブ電通報
https://dentsu-ho.com/articles/685


大きなプロモーションもせず口コミで広がったので、比較的順調なスタートだった。

この時点までは。

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既存事業の完成度に勝てない。

そんな経緯で立ち上がった新規事業だったが、当時の電通には新規事業の専門部署がなかった。(今は新規事業の専門部署があり、起業準備室なる部署もできた)

なので、僕は当時の所属部から異動することなく、新規事業に取り組むことになった。

専業ではないので、当然「いつもの仕事(=既存事業)」にも同時に取り組むことになる。

新規事業と既存事業。
この2つを同時並行で動かして感じたのは「既存事業のすごさ」だった。

大企業の既存事業は完成度が高い。必要なことが全てそろっている。あとはその中で自分が役割を全うすれば、ちゃんと稼げる仕組みができていた。それが今まで当たり前だったことに、恐ろしくなった。

一方、自分がはじめた新規事業は全てが手探りだった。事業計画通りになんていかず、つまずいてばかり。時間もかかるし、効率も悪い。

加えて、当時は社内の協力がなかなか得られなかった。
社内の人にとって、メリットが見えづらかった、とも言えるのだろう。

100万人、1000万人規模にアプローチできる広告メニューをクライアントに販売している営業にとって、僕が「1万人の大学生がいるメディア」を紹介しても相手にされないのは当然だ。

「自社の事業なんだから、みんな協力してくれるはずだ!」

そんな理想論はまったく通用しなかった。

その結果、既存事業に取り組みながら、1人ベンチャー企業のように、自分でサービスの手売りをする日々が続いた。

A:目先の大きな売り上げが見えている既存事業の仕事
B:(自分はやりたいけど)目先の小さな売り上げも見えない新規事業の仕事

どちらを優先するべきか。

既存事業からの収益で給与をもらっている立場もあり、僕は常にジレンマを抱えていた。

完成されたビジネスモデルを持つ企業で、少額の新規事業に時間を割いている肩身の狭さ。気がついたら僕は、新規事業をコソコソとやるようになっていた。

いつしか周囲も、僕が新規事業をやっていることすら忘れはじめていた。

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(後編につづく)

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