十人十色の思考のお伴No.10
──牧口征弘さん、思考の豊かさってどういうものなのでしょう?
2024/11/01
この連載は、2023年にウェブ電通報が「10周年」を迎えたことにちなみ、「10」人「10」色というテーマのもとで、すてきなコンテンツを提供したい、という編集者の思いつきからスタートしたものだ。「10」つながりの企画ではあるものの、大きく出るのであれば「ダイバーシティ(多様性)」をテーマとした連載、ということになる。
思考に耽(ふけ)りたいとき、アイデアをひねり出そうとするとき、ひとには、そのひとならではの「お伴」(=なくてはならないアイテム)が必要だ。名探偵シャーロック・ホームズの場合でいうなら、愛用の「パイプ」と「バイオリン」ということになるだろう。
この連載は、そうした「私だけの、思考のお伴」をさまざまな方にご紹介いただくものだ。あのひとの“意外な素顔”を楽しみつつ、「思考することへの思考」を巡らせていただけたら、と願っている。
(ウェブ電通報 編集部)
第10回のゲストは、アドミュージアム東京館長 牧口征弘氏
──本連載も、回を重ねること、10回。「十人十色」と銘打つからには、最低限10人の方にご登場いただかないと「企画倒れ」になってしまうぞ、という思いがあっただけに、編集者としてはホッと一安心という気持ちでいます。牧口さん、本日はよろしくお願いいたします。
牧口:よろしくお願いします。
──改めて、牧口さんは今、どこで、なにをされていらっしゃるのですか?
牧口:マーケティング、クリエイティブ、経営企画、広報、PRなどの畑を歩いて、今はアドミュージアム東京の館長をつとめています。
──アドミュージアム東京の館長とは、びっくり。牧口さんのご発案による連載、いや、足掛け2年におよぶ大連載といっていいと思うのですが、「PR資産としての企業ミュージアムのこれから」でも取り上げさせていただきました。
牧口:書籍(「企業ミュージアムへようこそ(上巻/下巻)」時事通信社刊)にもなりましたし……。そう考えると、不思議なご縁ですね。
──牧口さんのキャリアからすると、なるべくして(の着任)という感じがします。
牧口:2017年のリニューアルの際、コンセプトワークの部分で深く関わりました。今後5~10年の間に再リニューアルということになれば、世界でただ一つのアドミュージアムが生まれ変わる瞬間に、2度も立ち会わせてもらうことになる。貴重な体験ですし、その責任は重いです。なにしろ、まだまだ「伸びしろ」のあるミュージアムですからね。
──伸びしろ、ですか。牧口さんらしい、愛情あふれるお言葉ですね。
「遅い思考」にこそ、価値がある。(牧口征弘)
──牧口さんといえば、クリエイティブの局長時代、局会で披露された「(国立)大学に文学部は必要なのか?」というお話を、とても印象深く覚えています。スピーチのテーマの選び方から牧口さんらしい。しかも、そのテーマで場を盛り上げてしまうというあたりがもう、牧口さんらしくて、らしくて。結局、文学部は必要なのか、いらないのか、の結論は覚えていないのですが(笑)。
牧口:もちろん、結論は「必要」です。言葉で思考を巡らす、言葉で考えを尽くすのが、人間というものですからね。言葉で紡がれた教養や文化というものが、大事にされる社会であってほしい、と心から思っています。
──「(私は)大事にしたい」ではなく、「大事にされる社会であってほしい」というあたりが、これまた牧口さんらしいです。思わず、らしい、らしい、を連発してしまいましたが、牧口さんの思考って、とても独特ですよね。だからこそ、今回インタビューをお願いしたのですが。
牧口:これは、「思考のお伴」につながる話だと思うのですが、「遅い思考」というものを、私は求めているんです。
──おそい思考?「はやい」「おそい」の「遅い」ですか?それって、どういう……。
牧口:「速い思考」というのは、ビジネスの現場でわれわれが日々、求められて、強いられて、慣らされている思考です。のんびりと構えていたのでは、成果なんかあげられませんからね。スピードと効率が、とにかく求められる。
──瞬時に判断して、無駄なく、即、行動。みたいなことですね。
牧口:そう。確かにそれは、大事なことです。ただ、「速い思考」ばかりをしていると、もしかしたら浅い思考に陥ってしまうのではないか。「速い思考」とは、時間を断片化していく、ということにもつながるのではと思うんです。こまぎれにされた時間を積み重ねていくこと、あるいは、時間をこまぎれにして処理することが、果たして豊かな暮らし方といえるのかなと。
──「豊かな思考とは、なんですか?」という質問を、今日はぜひ牧口さんにしてみたい、と思っていたのですが、先手を取られてしまいました。
牧口:深い思考には、冗長性が必要だと思いますね。それが、豊饒性につながる。
──じょうちょう性に、ほうじょう性、ですか。えーっと、じょうちょうは、「冗長な話」とか言うときの「冗長」で、ほうじょう性は豊かさ、ということでしょうか?
牧口:そう。「冗長」というのは、おっしゃるようにしばしば良くないことを指す言葉として使われますよね? ただ、良い冗長性というのもあって、たとえば、ドフトエフスキーの小説とかも冗長性の代表例です。歌舞伎やオペラみたいなものも、10~15分もあれば終わる話を、延々、4時間も5時間もかけてやっている。まさに「冗長性の極み」です。でも、と同時にその時間は「豊かさの極み」とも言える。
──なるほど。「遅い思考」というものが、なんとなく分かってきました。そして、それがいかに大事なものであるのか、ということも。
牧口:私は、遅い思考の究極にあるものを「不思考(ふしこう)」と呼んでいます。思考をしない状態、ということです。人間、なまじ脳みそがあるがゆえに、四六時中、モノを考えてしまう。すると、ノイズや塵芥(ちりあくた)のようなものがたまっていく。それらをいったんクリアにしないと、新しいことを考えられなくなるんです。
──分かるわあ、分かります。
牧口:「大きな景色」というのも、人を「不思考」に導いてくれますね。たとえば、富士山とか、屈斜路湖とか。大きな、というのは人間がそこに居ようが居まいが、太古の昔からそこにあって、未来永劫そこにありつづけるのだろう、という大きさのことなんですが、そこに流れている時間はとてつもなく遅い、ということですよね? そういう時間の中に身を置いていると、すべてのことがどうでもよくなるというか、アタマの中にため込んでいた塵芥が取り除かれて、すっきりするんです。
──「雄大な景色」に圧倒される、というのは分かりますが、それを見て「遅い思考」に思いをはせるという人は、牧口さんくらいでしょうね。でも、おっしゃることはよく分かります。
牧口:あまり教えたくないんだけど、「南阿蘇から眺める阿蘇五岳」というのがあって、これなんかはもう、もう、最高ですよ。
牧口征弘さんの「思考のお伴」とは?
──さて、本題となりますが、そんな牧口さんにとっての具体的な「思考のお伴」について教えてください。
牧口:ずばり、「ロスコ・ルーム」です。
──ろすこるうむ?ぜひ、くわしく教えてください。
牧口:千葉県の佐倉市にあるDIC川村記念美術館内に建てられた絵画の展示室なのですが、マーク・ロスコというアメリカのアーティストが描いた7枚の大きな抽象画のみでその部屋が埋め尽くされているという、ぜいたくの極みともいうべき空間です。DIC川村記念美術館そのものが、私の世界一好きな美術館で、初めて訪れたのはもう10年以上も前だと思いますが、コレクションの素晴らしさに度肝を抜かれたんです。レンブラント、ルノワール、ピカソ、シャガール、フジタ……名だたる名画の数々がまさに目と鼻の先、数センチの距離で鑑賞できるという素晴らしさで、以来、毎年かならず足を運んでいます。
──なかなか、ロスコ・ルームまで(お話が)たどり着きませんねー。
牧口:「ロスコ・ルーム」というのは、いま、画面共有しますね。コレ(編集部注:取材時、リモート画面に映された展示室の様子)です。見えますでしょうか?コレのことなんですが……。
──すごいわあ。たった1枚の写真からでも、その幻想的な空間が想像できる。
牧口:とにかく、行ってみてください。阿蘇五岳と同じく、できれば人には教えたくなかったのですが、この美術館、残念なことに来年の1月下旬をもって休館となってしまう(※)ので、このところ、会う人会う人に、とにかく今のうちに訪ねておくことをおススメしているんです。
※取材(9月24日)時点。その後、休館の期日を2025年3月下旬に延期する旨が9月30日にDICより公表された。「来館状況などを踏まえ、休館前により多くのお客さまにお越しいただくため」としている。DIC川村記念美術館のHPは、こちら。
──それを知ってはもう、居ても立っても居られませんね。
牧口:でしょう?さて、7枚の抽象画だけから成る「ロスコ・ルーム」の素晴らしさなのですが、その薄暗い、七角形の部屋に入ると、ですね……。
──ちょ、ちょっと待ってください、うっかり聞き流すところだった。7枚の絵を飾るために作られた七角形の部屋、ということですか?360度、ロスコだらけ、という。いうなれば、ラスコーならぬ「ロスコ―の壁画」状態だ(笑)。
牧口:おっしゃる通りです。世界的にも貴重な空間だと思います。その空間には、「7枚の絵」と「それを受け止める自分」の関係しかない。もちろん、「立ち止まらずに、前へお進みくださーい!」みたいな無粋なことを言われることもありません。しかもですよ、薄暗い部屋に入っていくことで、一瞬視界が変転する。その暗さに目が慣れていくにつれ、それぞれの絵画が全くちがう表情を見せはじめるんです。
──暗順応、というヤツですね。クルマの免許を取るときに習った……。うわあ、もう、計算し尽くされてるー!
牧口:これぞまさに「不思考の極み」というべき世界が、「ロスコ・ルーム」の入口をくぐった先に広がっている。邪魔だったノイズがなくなって、そこにあるべきものの姿が見えてくる。思考を放棄すること、思考しないという道を選択することで、より質の高い思考ができるようになるんです。
──となると、「不思考がそこまで素晴らしいのであれば、そこに至る最短のルートを教えてほしい!」という人が出てきそうですね。なにもわざわざ、佐倉市まで足を運ばなくても……という。
牧口:そういう方とは、お付き合いしたくないですね。不思考に至るまでの時間を楽しむこともまた、私が追い求める「豊かさ」の一部なのですから。そういったものは効率良くはしょって、結果だけちょうだい、ではねえ……。
──ツマラナイ、ですか?
牧口:ツマラナイ、というより、モッタイナイですよ。いろいろな意味で。
──わははっ、相変わらず手厳しいですね。最後の最後まで牧口さんらしいお話、ありがとうございました。とても楽しかったです。
牧口:こちらこそ、とても愉快な時間でした。