ステークホルダーの信頼を得るために。“伝わる”インパクトレポートのつくり方
2025/09/11
2015年12月の設立以来、研究成果を活用したスタートアップに投資・育成を行い、広く社会の発展に貢献することを使命に掲げている慶應イノベーション・イニシアティブ (以下、KII)。
2023年10月に「KII 3号インパクトファンド」を設立し、総額202億円の調達に成功。2025年4月 にはその影響や社会的意義を正しく伝えることを目的とした「インパクトレポート 」を公開しました。
レポートはこちら:Impact Report 2024
同レポートは、ディープテック×インパクトという不確実性の高い分野でありながら「非常に分かりやすい」と、同ファンドのステークホルダーのみならず、インパクト投資業界から好評価を得ました。今回は、KIIの プリンシパルの宜保友理子(ぎぼゆりこ)氏と、インパクトレポートのディレクションを担当した電通のクリエイティブディレクターの鈴木契氏の対談を通して、“伝わる”インパクトレポートのつくり方をひもときます。
インパクトレポートとは?
企業活動が社会や環境に与えたポジティブな影響を定量的に測定・評価し、その結果を示す報告書。環境、社会、ガバナンス(ESG)などを重視する動きが活発化する中、企業の透明性を図る指標や信頼を向上させる手段として、注目を集めている。
世界的にもまだ珍しいディープテック×インパクト投資
──まず、KIIの事業内容を教えていただけますか。
宜保:KIIは、2015年に設立された、慶應義塾大学のオフィシャルベンチャーキャピタル(成長が見込まれるスタートアップの事業将来性を見極めて、出資・ビジネス支援をする会社)です。ミッションに「その研究が、その発明が、そのイノベーションが、社会を変えるまで。」を掲げ、大学の研究成果を活用して事業化に取り組むスタートアップに投資・コンサルティングを行い、社会の発展に貢献することを目指しています。
支援するスタートアップは主に、AI、宇宙などのテクノロジー領域や、医療、創薬などの健康領域を中心とする「ディープテック」と呼ばれる分野です。2016年の「1号ファンド」以来、2020年、2023年と3回にわたってファンドを組成してきました。

直近となる3つ目のファンドは、より社会を変革させる力(インパクト)を加速させるため、「大学ベンチャーキャピタル初のインパクトファンド」というチャレンジに踏み切りました。「KII 3号インパクトファンド」として募集し、総額202億円を調達。現在の運用総額は350億円、投資社数は70社となっています。
──ディープテックに特化したインパクト投資を行っているのも特徴の一つなのですね。
宜保:そうですね。インパクト投資という言葉はあまり聞きなれないかもしれませんが、定義的には、財務的リターンと社会的・環境的インパクトを同時に追求する投資手法です。
一般的にインパクトというと、“衝撃”のような意味合いをイメージしがちなので分かりにくいかもしれませんが、インパクト投資でいう「インパクト」とは、お金を投じた結果として社会に起こる“よい変化”のことです。社会課題の解決につながる前向きな変化を指します。その変化が「投資をしたからこそ生まれたもの」なのかどうかが、特に大切です。
KIIは、先端技術に挑むスタートアップへの投資を通じて、社会に新しい変化をもたらすことを目指しています。
──今回、インパクトレポートを発行した理由を教えてください。
宜保:そもそもディープテックに特化したインパクト投資は世界でもまだ珍しく、事業そのものがチャレンジングな領域です。今後事業をさらに成長させていくためには、投資の特徴や意義を周知させる必要があります。
「KII 3号インパクトファンド」では、総額202億円の資金を大企業様より出資していただいております。当然、大きな責任がありますし、われわれとしても出資者に対して評価・測定・開示の義務はしっかりと果たしていきたいと考えました。
鈴木:近年、サステナビリティ経営という言葉が注目されているように、企業の品格や社会性が問われる時代になってきていると思います。同じように、投資に対しても社会的な意義が求められるようになったことは間違いありません。
そういった潮流にある今、KIIはこれまで行ってきた2回の投資を発展させ、よりインパクト志向を強めた「インパクトファンド」というかたちで設立したのだと僕も解釈していました。
宜保:その通りです。出資者の方々は、資金がどのように投資されてどのようなことに役立っているのかを知りたいわけです。KIIもディープテック×インパクト投資の先駆者として、前例のない領域のインパクトレポートを作成するというチャレンジに挑もうと考えました。
効果計測が難しい領域へ投資をする意義を伝える難しさ
──インパクトレポートを作るにあたって、どういった点が課題になりましたか?
宜保:私たちの投資先はディープテックの中でも、「シード」と呼ばれる初期段階の研究を行うスタートアップです。効果の計測は難しいですし、この先その事業がどうなるか分からない不確実性を大いにはらんでいます。ですから、既存のビジネスのように「この研究を応用して、こういう製品を作りました」といった成果を明確に出すことができません。
どのような表現をすれば、私たちの活動の意義やプロセスを正確に伝えることができるのか……。インパクト投資を行う業界の方々にも伝えにくいどころか、世界各国を見渡しても誰も言語化できていない状況に、絶望的な気持ちになり、頭を抱えていました。
──それほど、伝えることが難しい領域だったのですね。
宜保:そうなんです。でも、私が思い悩んでいたさなかに、鈴木さんから連絡がきたことが転機となりました。以前にもサイトのリニューアルやパンフレットでもお世話になっていたこともあり、鈴木さんなら絶対に間違いない!とすがるような思いで、「すごいタイミングで連絡をいただきました。ご支援ください!」とお願いしたんです。
鈴木:僕も以前から、KIIはとても意義のあるビジネスをしていると感じていました。特に、大学発のスタートアップを支援しているのが興味深いですよね。ディープテック×インパクト投資の説明の難しさも感じつつ、「一つひとつ情報を整理して、インパクトレポートのお手本になるようなものを提示したい」と思いました。
何を伝えれば、いったんはOKなのか?ポイントを決めて段階的に伝える
──専門的であり、説明の難易度も高い。そんな領域のインパクトレポートの制作はとてもハードルの高い、難儀な作業だったかと思われます。鈴木さんはどんなことに注視して制作を行っていったのでしょうか?
鈴木:まず、ざっくりとした全体の構成をいただいてから、KIIが感じている「ジレンマ」を含めて、宜保さんとたくさん対話をしていきました。とはいえ、最初はかなり混とんとしていて、まるで絡まった糸が無限に広がっているような感じがしました。
いろいろなお話を聞きながら、「一番気になるのは、ここですか?それともここですか?」と、絡まった糸を部分的につまんで引っ張ってみる作業から始めました。
でも、なかなか糸はほどけない。「まだ絡まったままだな」と思いつつも丁寧に何度も何度も繰り返していくと、あるところを引っ張るとスルスルと糸がほどける瞬間があるんです。さらに繰り返すと、もっとほどけるところが見つかっていく。「ここが根っこか!ここから話せば伝わるのか!」と、だんだん分かってくるわけです。
こういった対話を経て確信したのは、「一番大事なのは、この投資の何が難しいのかを伝えること」でした。そこで、冒頭の「はじめに」でKIIのインパクトファンドの概要や意義を簡潔に表現し、難しさの大前提となる状況を説明しました。
──1から10まで全部を一気に説明するのではなく、その中でポイントを決めて、段階的に伝えていくことを第一優先にしていくのですね。
鈴木:そうですね。私はよく「何さえ分かっていれば、いったんOKにしましょうか?」という会話をすることがあります。じつは、これがコミュニケーションの仕事の本質だと思っていて、今回のレポート制作においても、「ディープテック+インパクト投資は難しい、大変だ」ということばかり言っていたら、「それなら、やめたらいいじゃないですか?」となってしまいますよね。
「大変だ。でも、こういうチャレンジをしている」という前向きな姿勢を示すことで、「そうか、このチャレンジも悪くなさそうだね」という期待感をもってもらいたいという思いがありました。

上記のページでは、ディープテック×インパクト投資の難しさと可能性を端的に説明しています。
登山に例えると、左のパート「ディープテックならではのチャレンジ」で山の高さや険しさを見せて、右のパート「インパクトマネジメントプロセス/体制」で登り方を見せているイメージです。山の全体像と、その登り方を見せて、「なんとか登れそうだな」と思ってもらえたら、ひとまずOKということを、宜保さんたちとすり合わせをしながら作っていった感じですね。
不確実な未来や、事業に対する熱意と自信をどう見せるか?
──具体的な成果を示せない中で、ステークホルダーや出資者に納得してもらうために工夫したことなどあれば教えてください。
鈴木:このインパクトレポートは、派手な成果は何一つ書かれていません。最終的に「こんな成果が出ました」という成果物を見せることができないので、ひたすら「この観点で、こういうプロセスを踏んでいます」「この部分では効果が出ました」という事実を積み上げて、信頼を得るしかないんですよね。誠実に伝えることで、事業の安全性・信頼性を表現することを心がけました。
そのため、コピーに関しては、全体を通して情熱と自信を感じさせる言葉選びを意識しました。極限まで無駄を省いて事実を客観的かつ明確に、堂々とした語り口で伝えるようにしています。
また、企業の報告書にありがちな、理路整然とした無機質な感じは避けたかったため、各ページにはKII担当者の写真とコメントを入れて、人間味のある手触りも表現しています。さらに、リアリティを感じてもらうために、スタートアップの方にインタビューをしてコメントを載せました。KIIとスタートアップ、双方向からの評価を掲載することで、より具体性が増したと感じています。

宜保:レポートの後半では、私たちがどのようなスタートアップに投資しているのかを、投資先一覧とともに紹介しています。KIIでは、投資を通じて社会にどのような変化をもたらしたいのかを示す指標として、(Theory of Change=ToC)に基づき「QOLの向上」「社会経済システムの変革」「環境保護」の3つのインパクト領域を定義しています。
今回のレポートでは、そうしたポートフォリオや専門的な内容について、単なる文章の羅列ではなく、ToCや各社の目指す方向性をアイコン化するなど、視覚的な要素を取り入れて丁寧に整理してくださっています。その工夫が、読みやすさや伝わりやすさにつながっていると感じています。

鈴木:また、投資先各社を紹介するにあたって、ファンド出資者に向けた限定版のレポートでは、2024年のトピックとともに、モニタリング項目と長期的な展望が分かるロジックモデルを掲載しています。ただ、ここで私たちの頭を悩ませたのが各社の事業フェーズです。
KIIでは、シード、アーリーステージのディープテックスタートアップを主な投資対象としているため、まだ技術・事業の開発フェーズである企業も多いのが特徴です。そのためインパクトの測定ができるのが、数年後、数十年後という企業も少なくありません。
そこで私たちは、進捗を伝える楔(くさび)としてインパクト創出フェーズに達している企業は「インパクトKPI」を、開発フェーズの企業は「インパクトマイルストーン」として表現し、将来的なインパクトをイメージしやすくしました。
宜保:「インパクトKPI」「インパクトマイルストーン」、どちらも専門用語として使われている言葉ではないのですが、電通チームで「短くても誰もがイメージしやすい、伝わる言葉」を考えていただけたのもありがたかったです。
出資者の期待を上回るインパクトレポートが完成
──インパクトレポートを公表して、反響はいかがでしたか?
宜保:今回は、ファンド出資者に向けた限定版と、たくさんの方に見ていただく公開版の2種類を作成しました。限定版をご覧になる出資者は、「どのような情報を開示するのだろう」という強い期待と、「何も進展がなかったら……」という不安が入り混じった感情を持ちながらインパクトレポートを手にしたと思います。
そんな状況でしたが、「成果が見えない中で何を提示するのかと思ったら、仕組みを表現したのか。このような仕組みなら非常に安心できる」という多くの反響がありました。
また、公開版をご覧になったインパクト投資の専門組織からは、「インパクト投資のインテンショナリティ(何を変えたいかという社会に対する明確な意思)がしっかり伝わってきた」。政府のインパクトコンソーシアムからは、「ディープテック×インパクトという非常に困難な領域に参入したのは素晴らしい。この先の成長も大いに期待できそうだ」。また、若い学生さんからは、「知見のない領域だったけれど、インパクト投資の概念が分かったし、テクノロジーを活用した課題解決の可能性も感じた」という声をいただきました。
──「安心できる」「可能性を感じた」という評価は、素晴らしいですね。
宜保:ひとえに、鈴木さんをはじめ、電通チームが実直にこのプロジェクトに取り組んでくださったおかげです。インパクト投資におけるインパクトレポートで一番怖いのが、本当は効果を生み出していないのに、あたかもインパクトを創出しているようにアピールする「インパクトウォッシュ」です。誠実であることが何よりも大切なので、電通チームにお願いして本当に良かったと思います。
鈴木:私たちも読む人の気持ちをずっと考えながら、制作に携わっていました。そもそも、読み手が「ここが違うな」と感じる表現が一カ所でもあったら、その時点で信頼を失ってしまいます。また、成果がまだ見えないことを言い訳がましく説明するのも、絶対に良くない。
ですから、読み手が違和感を持たずに、ディープテックの社会的意義を理解し、将来的な可能性を感じる――。そんなポテンシャルを感じられるレポートを作ることを模索し続けていました。
伝えることが事業の成長を促す!多様なIR資料の参考にも
──このインパクトレポートは、今後、一つの指針になるのではないでしょうか。
宜保:その通りだと思います。まさに、電通が推進し、コンサルティングを行っている「IR For Growth 」の成果だと感じています。今回、2024年のインパクトレポートを作りましたが、今後、このファンドは10年間続くので、来年、再来年……と、この先もレポートを出し続けることになります。
来年は、進捗の差分が見えないと出資者に不信感を与えてしまうので、私たちもこのインパクトレポートとともに成長しなければと、身の引き締まる思いです。
電通チームにはインパクトレポートの制作だけでなく、KIIのコンサルティングとバリューアップをしていただけたことに感謝しています。
鈴木:インパクトレポートでも、「チャレンジによってディープテックとKIIは鍛えられ、成長します」と宣言していますよね。このレポートが人の目に触れることで、自分自身も鍛えられていくという感覚は、僕も感じました。
加えて、インパクトレポートに限定せず、多くの企業のIRづくりに応用できるフォーマットを提示できたという手応えもあります。
近年は、新NISAなどの影響によって個人株主が増加傾向にある中、IRの視点もBtoCに広がっているような印象があります。電通としても今後、多くの対象に向けて新しいかたちのコミュニケーションを築いていきたいと考えています。
──さまざまなシーンでIR資料の表現の仕方の参考になるのは間違いなさそうですね。
宜保:今後、このレポートはさまざまなサイトで紹介されます。世界にも前例のない表現を見て、参考にする企業は多そうですよね。金融機関だけではなく、成果がかたちになっていないけれど将来的に意義のある取り組みをしている組織にとっては、最適なまとめ方だと思います。
鈴木:自分の作った成果物をリファレンスされるのは、クリエイターの一番の喜びです。完成するまでの思考の積み重ねがあったからこそ、受け入れてもらえたんだなと。派手な結果や成果がなくても、仕組みを誠実に伝えることで事業の安全性・信頼性は表現できるんです。今回、その一つの見本を作れたのはとても光栄です。いろいろな企業でアレンジしてもらえるとうれしいです。