歴史をヒントに!「今」をつくった未来コンセプトを考察する
2025/10/09

2025年6月、電通グループ横断組織「未来事業創研」の初の書籍「未来思考コンセプト―ポストSDGsのビジョンを描く」が刊行されました。本連載では、書籍のテーマでもある「未来コンセプト」について解説しながら、「未来」をビジネスに活用するヒントをお伝えしています。
2回目の今回は、時代をつくってきた歴史上の人物に焦点をあて、彼らがどのような未来を描き、社会を動かしてきたのか――。描いた未来を具現化するプロセスを未来事業創研の山田茜が考察していきます。
歴史は見えていること見えていないことがあり、人によってさまざまな捉え方が存在します。今回取り上げる歴史上の人物やエピソードはあくまで「未来思考に繋がるエッセンス」の一つとして紹介しています。
「未来思考コンセプト―ポストSDGsのビジョンを描く」
発行:クロスメディア・パブリッシング/編著者:電通未来事業創研
ポストSDGs時代を目前に、未来への期待よりも課題が語られやすい今だからこそ、「未来は予測するものではなく、つくるもの」という考えを大切にし、「つくりたい未来」を描くことの必要性を、ビジネスと未来の関係性を交えて実用的にまとめた一冊。
偉業を成し遂げた歴史上の人物は未来コンセプトをもっていた!?
第1回でもご紹介した通り、未来事業創研が提唱している「未来コンセプト」とは、「つくりたい未来像」を描き、その未来を実現するために必要な事業や活動をどのように進めていくかという指針を言語化したものです。
「未来コンセプト」と聞くと、新しい発想のように思われるかもしれませんが、じつは時代や領域を問わず、人々を動かし、世の中を変えてきた歴史上の人物は皆、「どんな未来をつくりたいか、そのために何をするか」という考えを明確にしています。つまり、明確なビジョンと、そこに至る道筋=未来コンセプトが、人や社会を動かし、現実を変える原動力だったと考えられます。
例えば、聖徳太子は、争いを防ぐために十七条の憲法を制定しました。第一条にある「和を以て貴しと為す(わをもってとうとしとなす)」という言葉は、何事をするにも人々が仲良く和合することが大切であることを意味しています。まさに当時、聖徳太子が願った未来コンセプトとして捉えられるのではないでしょうか。
平和な世の中をつくりたいという信念で、天下統一という手段を取った徳川家康は、長く続いた戦乱を終わらせ、日本に安定と秩序の時代をもたらしました。
こうして歴史を見渡すと、未来をつくるアプローチは一つではありません。“争いのない未来をつくりたい”と同じ未来を願っていても、力によって統一していく考え方もあれば、理解によって争いをなくしていこうとするアプローチもあります。つくりたい未来は同じでも、そこに至る未来コンセプトは人それぞれ多様であることもまた、未来を考える上での大切なヒントとなります。
今につながる未来を描いた「平和の人」
もう一人、今につながる未来を描いた先人の例を掘り下げてみましょう。それは、「つくりたい未来像」や未来コンセプトが明確だった元南アフリカ共和国大統領のネルソン・マンデラ(1918-2013)です。彼がつくりたい未来を実現していった過程は非常に学びがあり参考にできるポイントがいくつもあるため、未来思考につながるエッセンスの一つとしてご紹介します。
マンデラが描いていた「つくりたい未来像」は、肌の色や出自に関係なく、誰もが尊厳と自由をもって生きられる社会でした。当時の南アフリカでは、少数の白人が政治・経済の実権を握り、黒人を隔離・差別する人種隔離政策(アパルトヘイト)が長く実施されていました。そんな状況の中、反アパルトヘイト闘争を率い、27年間もの投獄生活を余儀なくされていたマンデラ。しかし彼が釈放後に選んだのは「勝者が敗者をねじ伏せる未来」ではなく、「支配者層と差別を受けていた側が同じ国をつくり直す未来」。つまり、報復ではなく「赦(ゆる)し」と「共存」であり、お互いの思想の違いを受け入れ、共に前に進むことを目指したのです。
これを私なりに解釈すると、マンデラが描いた未来コンセプトは、
「赦しと対話で平和と共生をつくる」
そして注目すべきは、このコンセプトをマインドで終わらせず仕組みに落とし込んだことです。
象徴の力を生かし、皆で共有
1948年に法制化されたアパルトヘイト政策は1994年に撤廃。同年、マンデラは南アフリカ初の民主的な普通選挙によって大統領に就任しました。しかし、これまでの人種差別の遺恨は根強く、依然として国内は支配層の抑圧に被支配層が闘争する状態が続いていたのです。
そこで当時のマンデラは、1995年に自国開催となったラグビーW杯をきっかけにして、人種的な分断を終わらせる努力をしたのです。
じつは、当時の南アフリカでは、ラグビーは支配層に人気のスポーツ。ラグビー代表チームも白人選手で構成されており、アパルトヘイト期の支配層を象徴するものでした。そのため、当時マンデラが率いていた与党内でもラグビー代表チームの廃止論が強かったようですが、マンデラはあえて存続を支持し、“One Team, One Country”という言葉を掲げました。
代表合宿を訪ねて選手やスタッフと対話し、代表チームには、被支配層の居住区訪問や学校・病院での交流を促し、支配層ファンには被支配層社会への敬意を、被支配層ファンには“このチームを一緒に応援しよう”というメッセージを発信したのです。
そして迎えたW杯の決勝戦当日。かつてはマンデラの存在に反発していた支配層の観客で埋まったスタジアムが「ネルソン!」の大合唱に変わり、南アフリカ代表チームは優勝。表彰式でマンデラが代表チームのジャージ姿でトロフィーを手渡す光景は、「分断の象徴」を「共有できる誇り」に再設計した瞬間でした。
支配層と差別を受けていた側が同じスタンドで同じチームを応援する体験を国家的にデザインし、人々に共有させたのです。
さらに真実和解委員会(Truth and Reconciliation Commission)(※)を設け、過去の暴力と不正を公に語り、謝罪と赦しのプロセスを制度として構築しました。理念を掲げるだけでなく、仕組みに落とし込む。ここが彼の未来コンセプト「赦しと対話で平和と共生をつくる」の核です。
※真実和解委員会=過去に起きた深刻な人権侵害や社会的対立を調査・記録し、被害者の声を聞くことで、社会の和解と再建を目指すために設置される委員会。

「虹の国」という共通の物語づくり
マンデラの未来コンセプトのもう一つの核は、「共通の物語づくり」です。
マンデラは南アフリカを「虹の国」という言葉で呼ぶことにしました。さまざまな人種や文化が一つの国で共に生きていく多様性を、色とりどりの虹にたとえています。異なる色は混ざれば濁るのではなく、並ぶからこそ美しい。そう語るメッセージを国の旗に、歌に、スポーツに宿らせたのです。未来は我慢の積み上げではなく、皆で共有できる物語が引っ張っていく、これがマンデラの設計思想でした。
マンデラの未来コンセプトは、対立が常態化した世界で実装可能な方法論でした。彼の実績から、平和は願うだけではなく、赦しと対話、象徴の再設計、制度化、物語の共有……これらを設計して運用するものだという学びを得ることができます。
現代へのヒント、そして未来へ
ではマンデラがつくり出した「当時の未来」は、いま世界にどのように引き継がれているのでしょうか。私は3つの方向で、マンデラのつくりたい未来像が実現していると考えます。
1. 権利の明文化
南アフリカはアパルトヘイト終結後の新憲法(1996年採択)で、人種だけでなく性別や性自認および性的指向など広い差別禁止を明記しました。さらに、同性婚の合法化(2006年制定)も実現しました。法に明文化するアプローチでの差別禁止は各国で広がり、ヘイトクライム禁止や婚姻・雇用での差別禁止などが具体的に定着しつつあります。誰がどの場面で不利益を受けないようにするかを法律に落とし込んだことから、ダイバーシティがいっそう前進するようになりました。
2. 真実と和解の見える化
南アフリカの真実和解委員会の手続きは、カナダの先住民寄宿学校制度をめぐる問題や、南米・アフリカ・ヨーロッパ各地の人権侵害の検証にも応用されているといわれます。加害と被害の事実を公にし、記録し、必要な謝罪と補償を設計していく。差別の歴史を闇に葬ることなく「見える化」し、将来の再発防止に結びつける仕組みとしているのです。
3. 象徴と言語の再設計
南アフリカは11もの公用語を認め、国旗や国歌に多文化性を組み込みました。その後現在に至るまで、各国でも、先住民言語の公的表示や学校教育への導入、スポーツ代表や式典での多言語運用など、日常の場面に多様性を埋め込む工夫が広がっています。マンデラの取り組みは、その端緒です。
「差別を禁止する条文」「過去と向き合う制度」「多文化を可視化する象徴」。マンデラの描いた未来は、今も3つの具体として世界に受け継がれています。平和は願うだけでなく、この3つを積み重ねていくことで、ダイバーシティを「生きた現実」に変えていくのだと私は感じました。これからの未来に向けて、ますます差別が起きにくい社会を、感情ではなく仕組み化し、それを運用する流れが進んでいくと考えます。
マンデラが示した順番も明快です。どんな景色を誰と共有するかを具体化し、赦しと対話を手段に選び、象徴と制度に落として運用する。ダイバーシティは“掲げるもの”から“機能するもの”へ。理念だけでなく、未来コンセプトに基づいた取り組みが日常に浸透していく未来につながっていくのではないでしょうか。
未来コンセプトが次世代をつくる力に!
今回取り上げたマンデラや聖徳太子、徳川家康らの歴史上の人物は、それぞれ「こんな社会にしたい」という明確な未来像と、それを実現するための太い軸となる「未来コンセプト」を持っていました。全員の共通点は、社会や組織を良くしたいという未来への強い思いと、そのためのコンセプトややり方を自分なりに持っていたことです。「つくりたい未来像」が具体的で解像度が高いからこそ、実際の手段や制度策定に生かされ、次世代をつくる力になります。
書籍「未来思考コンセプト―ポストSDGsのビジョンを描く」でも、企業や自治体の成功事例を「つくりたい未来像・未来コンセプト・具体手法」という構造で整理し、紹介しています。今すでに面白い取り組みとしてご紹介できる事例は、過去のある地点で「つくりたい未来像」を描くことに向き合った結果です。
歴史を振り返り、当時の“当たり前”が、どう変化したのか?を考えることで、10年後、私たちは何を大切にしているだろう?今の“当たり前”は、未来にどう変化していくだろう?そして、自分や自社は、その未来にどう関わっていきたいのか?という部分も浮き彫りになると感じます。
過去にとっての現在は、私たちにとっての未来とも言えます。先人たちが描いた未来像や未来コンセプトには、今を生きる私たちが学べる視点が詰まっています。ただ、こうした「つくりたい未来像」を描くためには、これから訪れる未来の変化を知り、向き合うことも欠かせません。
次回からは、未来事業創研のメンバーがテーマごとに未来の兆しを読み解きながら、「どうすれば人と社会にとってより良い未来が実現できるのか」を探っていきます。お楽しみに!
関連情報:
未来を可視化し、未来の事業をつくるプログラム Future Craft Process
参考文献:
・ネルソン・マンデラの生涯、終わりなき人種差別との闘い(ナショナル ジオグラフィック日本版サイト)
・リチャード・ステンゲル「信念に生きる ― ネルソン・マンデラの行動哲学 Kindle版」
・The Constitution of the Republic of South Africa
・South African Government
・南アフリカ:「虹の国」南アフリカ 故マンデラ大統領が目指した多様性は今(アムネスティ日本)
・Truth and Reconciliation Commission of Canada(カナダ政府:TRC)
・National anthems / Ngā ngaringari(ニュージーランド政府)
・ラグビーと南アフリカ(南アフリカ観光局)
・映画「イン・マイ・カントリー」(DVD)
【グラフィックレポートの制作:電通グラレコ研究所 代表 甲斐千晴】
電通グラレコ研究所は、グラフィックレコーディングやファシリテーションを中心としたビジュアライゼーションサービスの提供と研究を目的とする電通グループ横断プロジェクトチームです。本記事の著者が最も伝えたいことを、未来思考コンセプトの世界観の中で描き上げました。https://www.dentsu.co.jp/labo/grareco/index.html
