映画監督であり、電通社員でもある長久允(ながひさ・まこと)さん。
2017年、自主制作した短編映画「そうして私たちはプールに金魚を、」が、インディペンデント映画の最高峰ともいわれるサンダンス映画祭短編部門でグランプリを受賞。その後も国内外で高い評価を集める作品を発表してきました。
そんな長久さんがこのたび出版したのが、「あなたにしか作れないけれど、世界に通用してしまう 脚本の教室」(ダイヤモンド社)。
一見すると脚本術の本ですが、読み進めるうちに、物語を仕事にする人、クリエイター、自分らしい表現を探している全ての人に響くヒントが詰まっていることに気づかされます。
世界に届く物語は、どうすれば生まれるのか。その答えは意外にも、「超個人的なこと」にありました。
「あなたは、すでに、良いのである」と伝えたい──まず、とても根本的な質問になりますが、長久さんは、なぜ映画を作るのでしょうか。
長久:僕が一番得意な発露の方法が「映画」なんです。文章でも音楽でも漫画でもなく、映画だからこそ、僕が持っているスキルを全部使って、一番伝えたいことが届けられると感じています。 僕は昔から頭の中もデスクの上もごちゃごちゃしていて(笑)。広告では15秒や1行のコピーにまとめるのが本当に苦手でした。でも映画は、映像も音も人の表情も編集も、すごく情報過多でごちゃごちゃした状態の表現でも、受け止めてもらえる余地が大きいジャンル。だから自分にはすごく合っているんです。
──映画という手法で、そもそも何を「発露」したいのでしょうか?
長久:作品によって違いますが、根底にあるのは「あなたは、すでに、良いのである」 ということです。すべての人間が「個別にとても良く、悪いということなどありえない」ということを伝えたいと思っています。 特に子どもたちは世界が狭く、自分を否定してしまうこともあると思います。だから、その時々にふさわしい物語を通して、そのメッセージを届けたいと考えています。
「それっぽい」をやめたら、世界に届いた「超個人的」な物語──著書では、「それっぽい映画」を作っていたころの失敗についても書かれています。
長久:学生時代は、タランティーノっぽいとか、「マグノリア」っぽいとか、当時はやっていたものの表面的な部分をまねして映画を作っていました。でも、ほとんど評価されなかったし、自分でも手応えを感じていませんでした。 その後、電通に入って15年ほど映画を作らずにいたんですが、これが最後だと思って作ったのが「そうして私たちはプールに金魚を、」 です。 このときは、賞を取りたいとか仕事につなげたいとか、そんな気持ちはまったくなくて、「私の中に伝えたいものがはっきりとあり、自分が良いと思うものを作りたい」 という、すごく純度の高い状態だったんです。 そうやって作ったものが、逆に受け入れられて、サンダンス映画祭でグランプリを受賞した。この経験は、自分にとって大きな確信になりました。 誰かに評価されそうなものを作るより、自分の中にある「伝えたいもの」を1ミリも妥協せずに出し切る。そのほうが、結果的に世界にも届くんだ、と。
──映画祭では印象的な出来事もあったそうですね。
長久:ユタ州に住む高齢のアメリカ人女性が「これは、私の物語だ」 と声をかけてくれたんです。本当に想定外の出来事で、驚いたし、すごくうれしかったですね。 映画は埼玉県狭山市に暮らす15歳の女の子たちの物語で、世界に向けて作ったつもりはまったくありませんでした。でも、その人には確かに届いた。 広告の仕事では、「多くの人に届けるには最大公約数を狙った方がよい」と考えがちでした。でも実際は逆だったんです。細部まで具体的に、その人にしかない物語を描いたほうが、逆に遠くまで届く力になる。 人の心や葛藤って、人種や国、育った環境を超えて共通しているし、つながっているんだと実感しました。
──その経験が、書籍にもある独自の脚本術につながっているのですね。
書籍で紹介されている超自由な脚本術の一つ、「テーマが決まったら、プロットではなく、エンドロールの歌詞から書く」。曲調や声質を想像して書くことで、不思議と頭から物語が立ち上がっていくという。「あなたにしか作れないけれど、世界に通用してしまう 脚本の教室」(ダイヤモンド社)より 「あなたにしか書けない物語」は、もうあなたの中にある──長久さんは脚本のワークショップもされていて、その経験が「脚本の教室」の出版にもつながりました。多くの人に脚本を書いてほしいと発信されているのはなぜでしょうか。その原動力を教えてください。
長久:僕、「妖怪・脚本書かせ」 なんで(笑)。ワークショップで皆さんが書いた脚本が、本当に面白かったんです。僕が仕事で目にする脚本とはまったく違っていて、その人にしか書けない経験や、そのとき感じている感情、暮らしている環境のディテールが、密度高く立ち上がっていた。 その人の経験や感情のディテールは、他者がどんなに取材しても描き切れません。それは、どんな職業、どんな人生を生きてきた人でも同じで、全員が「その人にしか書けない面白いもの」を持っていると確信しました。 一人の映画ファンとしても、多様な「あなたの人生からしか生まれない物語」が、世の中にあふれてほしいと思っています。
──書籍のレビューにも、「これなら書ける」「書きたくなった」という声がたくさん寄せられていますね。
長久:本当にうれしくて、ワクワクしています。実はもう一つ、皆さんに脚本を書いてほしい理由があります。脚本を書くことそのものが、セラピーのように自己肯定感を高める行為 にもなっているからです。たとえ、世に出なくてもいいんです。自分の人生を振り返ることで、その良さを皆さんに体験してほしいですね。
ワークショップに強い手応えを感じた長久さんは、もっと多くの人に「脚本を書いてもらう」ために、今回の書籍を書き下ろしたという。 向き合いたくない過去こそが「武器」になる──本の中で紹介されていた、伝えたいボイスが見つからないときは「一番書きたくない過去を書いてみる」という裏技も印象的でした。
長久:必ずボイスがなきゃいけないとは思いませんが、その裏技を紹介したのは、つらい記憶ほど、言葉で表現しきれないようなディテールまで濃厚に覚えているからです。誤解を恐れずにいうと、他者から見ても、それは苦しくも、面白いものになっている可能性が高い。 自分の経験は、他の誰にもできない「濃厚な取材体験」がある状態に近い。そこを掘っていくうちに、「あの発言が20年たっても絶対に許せない」 とか、「あの瞬間が人生で最も輝いていた」 といったことが見つかる。その怒りや光が、ボイスになり得 るんです。 そして何より、つらかった出来事を自分自身で客観視して「おもしろがる」 という視点が追加される。僕自身も感じていることですが、これは自己セラピー的な側面でみても非常に興味深い効果だと思います。 また、実際に自分の体験を告白するのはハードルが高いけど、映画はフィクションですから。観客はそれが作り手の本当のことだとは思わずに見てくれる。つまり、心理的安全性が守られている状態で、自分の体験を中に抱え込まずに外に出せる行為 なんです。すごく健康的な、循環のいい状態につながるんじゃないかと思います。 映画でも、小説でも、音楽でも、絵でもいい。自分に合った方法で、自分の中にあるものを外へ出してみてほしいですね。 もちろん、外の世界を見ること、つまり「取材」も同じくらい大事です。人に会って話を聞くこと、自分とは違う人生に触れること。書くべきものは、自分の中にも外にもたくさん埋まっています。
「なかったこと」にしないために。映画に込めた使命感──最新作「炎上」は、まさに「取材」から生まれた作品ですね。
長久:きっかけはニュースでした。ただ、ニュースを見て終わりではなく、気になった出来事があると、仕事とは関係なく話を聞きに行くことが多いんです。後から振り返れば、それを「取材」と呼べるのかもしれません。「炎上」も、そうしてたくさんの人の声を聞くなかで、「この気持ちや現状の仕組みは、映画で描くべきだ」と感じて制作に至りました。
──長久さんが作品を撮るときは「これは自分が撮らねばならない」という使命感が原動力になっていると書かれていました。本作も強い使命感があったのでしょうか。
長久:ありました。ニュースやSNSで流れてくるものは、どうしても「狂乱的な断片」しか切り取られません。でも、そうじゃないものがそこに確かにあって、みんながいた。そのことを「なかったこと」にならないようにしたい、残したい という思いがありました。だから「炎上」は、何かを提言するというより、そのまま記録するような気持ちで作っています。 彼ら彼女らが持つ、かっこいいなと思う部分やキラキラした眼差し、ハードな現実を軽やかに背負うことで毎日を生きていけるという価値観。そういう「いいな」と思う部分をたくさん見つけました。 一方で、彼らがそうならざるを得なかった社会の仕組みや、自分たちではコントロールできなかった家庭環境への憤りや悲しみも感じました。そして、僕ら大人側に対して「分かられてたまるかよ」という彼らの気持ちもすごく感じました。その気持ちもリスペクトしながら作りました。
──かなり容赦のない展開で、衝撃を受けました。
長久:それは現実が、皆さんの実体験が、本当に容赦がなかったからです。映画で描いたことは、ほとんどが本当にあったことです。それを聞いてしまったからには、軽やかでハッピーなエンターテインメントにすることは、僕の目的ではありませんでした。 一方で、「炎上」には夢や空想のシーンもたくさん入っています。それは、僕にとって想像力や夢は、現実と同じくらい、生きていく上で大切なもの だと思っているから。現実だけではなく、その人の内側にある景色も映画には残したいと思っています。
「炎上」 宗教二世として育った少女、「じゅじゅ」こと小林樹理恵が、家出をして新宿・歌舞伎町(トー横)にたどり着き、ある事件を起こすまでの150日間を描いた最新作。現在、U-NEXTで配信中。 電通社員のまま、映画を撮り続ける理由 ──長久さんは、会社員をしながら映画を撮ることもポジティブに捉えていらっしゃいますよね?
長久:仕事をしながら映画を作ることには、すごく意味があると思っています。いろいろな人と出会い、違う立場や価値観に触れること自体が、毎日取材をしているようなものです。やはりカフカが「変身」を書けたのは、彼が保険局員だったからだと思うんですよ。 もちろん、「仕事がなければもっと脚本を書けるのに」と思う日もあります(笑)。でも、忙しい中でも「どうしても書きたい」と思えるもの がある。その意味では、一つのフィルターになっている気もします。 それに、暮らしを続けながらだからこそ見える景色があります。誰かと生活をしたり、仕事で悩んだり、お金のことを考えたり。そういう日常があるから書ける物語もある。 だから僕は、「仕事を辞めて創作一本に」という考えではありません。生活を大事にしながら作ることにも、ちゃんと価値があると思っています。
物語は、受け手の人生のためにある──最後に、物語の「受け手」について伺います。私たちは、物語をどう受け取ればいいのでしょうか。
長久:本当に身勝手に、自由に受け取っていいと思います。重要なのは、作者の意図ではなく、見たあなたが何を受け取るかです。 ワンシーンの光のさし方がきれいだったでもいいし、一つのセリフが腑に落ちなかったでもいい。納得できないところがあって、自分の価値観を考えるきっかけになったなら、それも立派な出会いです。漫画も、小説も、映画も、音楽も、全部あなたの人生のためにある。 僕も一人の「受け手」としてそう考えています。だから好きなように受け取って、憤ったり、笑ったり、励まされたり、自分の人生に自由に使ってほしいですね。
長久允 著「あなたにしか作れないけれど、世界に通用してしまう 脚本の教室」(ダイヤモンド社) 定価:1980円(本体1800円+税10%)/発行年月:2026年03月/頁数:240 関連記事:映画監督・長久允が語る「電通社員のまま、映画を撮り続ける理由」 長久允監督「ウィーアーリトルゾンビーズ」公開記念トーク~映画と広告は喧嘩もするし仲良くもする~