ソーシャルメディア=おつきあいメディア
2013/04/11
廣田:昨年10月に「アドテック東京」に来日されたフェイスブック社のマーク・ダーシー氏が「フェイスブックをやっていく上では、オーセンティシティが大事だ」という趣旨のことを仰っていました。日本でも、ソーシャルメディアで情報を発信する時には、その情報以上に、送り手の誠実な振る舞いが大事だということがよく言われます。受け手(ファン)とちゃんと向き合っているかどうか、という姿勢が見える場所なんですよね。
濱野:わかります。古くさい話に聞こえますが、ソーシャルメディア時代に大事なのは「礼儀」とか、そういうことなんでしょうね。やっぱり人間関係では「この人、気を遣ってくれているな」「気配りしてくれてるな」とか、そういうのがうれしいわけじゃないですか。ソーシャルメディアも全く同じこと。それこそ、まめにツイッターを更新してくれるスポーツ選手だったら、この人、推せるなと思って、わっとフォロワーが増えたりする。
廣田:たくさんの人に瞬間的に情報をリーチさせる役割は今後もマスが担うと思うんですが、マスメディアのコンテンツにおいても、そのコンテンツを一番支えてくれるようなファンは大切にした方がよいのかもしれません。熱心なファンにはきちんと細やかに対応していくことで、彼らがエバンジェリストとしてコンテンツを盛り上げてくれて、さらにそこから話題が広がっていくこともあります。伝えつつ、つなげてくれるような人たちを大事にすることで、作り手も手応えを感じられますし。コンテンツが盛り上がるには、コアな人たちの情熱がやはり重要だと思います。
濱野:いまのメディア環境のエコシステムをざっくり切ると、テレビ−ツイッター−フェイスブックの3つがあって、テレビは一気に大勢の人にネタを提供する装置として、いまだに最強です。オリンピックでもサッカーでも、政治の総選挙でもAKBの総選挙でもいいんですけど、ある瞬間、決定的瞬間をみんなでハラハラ見守れるコンテンツを一斉に大勢の人に向かってお届けするというとき、テレビは最強なわけです。それはもうネットの配信では絶対に実現できない。ツイッターは、そういうテレビなんかで一気にみんながぎゃーっと祭り的に盛り上がる、パブリックビューイングのための広場のような場所としていまのところ最強。
これに対してフェイスブックは、コアファンが、それこそ日々のおつきあいみたいなことを繰り広げる場所ですね。リアルのお店で店員さんや他の常連客と会話するためのスペース。
比喩的にいうと、テレビが街頭のパブリックビューイングで、群衆が大盛り上がりするのがツイッター。それが終わった後、パブとかで酒飲んで語り合う場所がフェイスブック。で、これは全部どれも重要ですよね、「家に帰るまでが遠足です」じゃないけれど(笑)。
サッカー観戦するのって、ビール飲んでわいわいがやがややるのも含めてひとつながりの体験ですよね。どれもが重要で、そのすべての振る舞いをちゃんと把握して、マメに対応できる人じゃないと、うまくソーシャルメディアを使った「顧客対応」とか「ソーシャルリスニング」とかは実現できない。ツイッターだけやればうまくいくとか、そういう話じゃないんだと。
廣田:ソーシャルメディアと一言で言っていますけれども、それぞれの役割がきちんとあり、それぞれに導線をつくり、ファンの気持ちを高めたり、慰めたりする。そうした連携があって、はじめて大きく盛り上がる瞬間が演出されていく。
濱野:「ソーシャルメディア」とか言うからそもそもいけないんだと思うんですよね。なんかちょっと目新しい感じがしちゃうけど、実際には「おつきあいメディア」とか、どっちかというと、ここ最近の日本人が面倒くさいからといって捨ててきたものが復権しているのが、ソーシャルメディアという場なんだと思うんです。というか、僕もどっちかというとそういう「おつきあい」とか面倒くさがってきたタイプなので、あまり偉そうに言えないんですが、年賀状をまめに送るとか、お歳暮を贈るとか、そういうのと何も変わらないんですよね、実は。
むしろソーシャルメディアを見ていけば見ていくほどうまくいっている事例は、昔からの「おつきあい」がよくできているケースばかりです。だから、そういうふうなものとして理解した方がいい。わけの分からない黒船的なメディアが海外からやって来た、みたいな感じで捉えない方がいいんじゃないかなという気はします。
廣田:人間しかいない場所ですからね、ソーシャルメディアって。たまに「bot」もいますが(笑)
濱野:ほんと、そうなんですよ。べつにそこは何の神秘もなくて、ビビる必要は何もないと僕は思いますね。逆に、そういうおつきあい的なことをあまりやってこなかった若い世代も、ソーシャルメディアに触れることで、お作法とかが大事だということを学び始めているなという感じはします。「空気を読む」「KY」とか、ソーシャルメディアが出てくる前によく言われていましたけれども、あれはそういうことですよね。ネットとかケータイが出まくってきたから、おつきあいがすごく大事になってしまい、ああ、世間は狭いな、肩身狭いな、空気つらいな、SNS疲れるなとか言い出しているということなんです。逆に言うと、これは昔ながらの日本のコミュニケーション状況に戻ってきているということでもある。
だからソーシャルシフトに関しては、あまり変に世の中変わってきているというふうに思わずに、昔に戻っているなと半分ぐらい思えばいいと思います。
廣田:たとえばお茶の間が復活しつつあることもそうですね。
濱野:はい。ツイッター上の「お茶の間」というのは、確かにリアルの場じゃないし、顔が見えないから何だかわからないかもしれないけど、実は機能的に見るとそこで起きていることはむしろ昔に戻っていると思った方が、実はいいのではないかと。
廣田:そういう意味では、ユーザが勝手に情報を広げてくれる仕組みを作ってラクができないかと考えるのではなくて、むしろ、そこにいる人たちの顔をきちんと見て、大変かもしれないけれど、丁寧につきあってみようという企画の方がうまくいくってことですよね。
濱野:そうなんです。
廣田:まさに、フェイスブックのマーク・ダーシー氏が、「Facebook is old.」つまりフェイスブックは古いもの、古くからあるものと変わらないんだと言っていたんです。どういうことかというと、フェイスブックは、井戸端会議やホームパーティで使われる「椅子」と一緒で、人と人とが交流する場所やきっかけを提供しているのであり、何も新しいものではないと。椅子のように、もともと人間の営みとして使われていたものと同じである、と。
また、もう一つ、彼は「All business is local business.」ということも言いました。フェイスブックページの仕様を見ると分かるのですが、どんな大企業だろうが、どんなに小さな個人のお店だろうが、フェイスブックのページを持つということは、「一個人」と同じ規模で生活者とコミュニケーションをとることを意味します。大きなブランドも小さなブランドもすべてローカルビジネスになる、つまり、街の近所のおつきあいみたいなものがそこで復活するんですよ、ということを言っているんですね。
濱野:なるほどいい比喩ですね。そうだと思います。
廣田:フェイスブックページを運用して成功しているローカル放送局の事例ですが、ローカル放送局って、いわば地域の顔なんですよね。地元の人が一番親しみを持てるメディアの一つなんです。ローカルの放送局では、局のスタッフと、視聴者の「距離」が圧倒的に近い。例えば、キー局のアナウンサーというと、自分たちからはすごく遠いイメージがありますが、ローカル放送局のアナウンサーは、商店街を歩いていると、「応援してるからね!」と視聴者から気軽に声をかけてもらえる。だから、フェイスブックをやっていても、視聴者からのコメントが親密だし、スタッフも視聴者の顔が見えている関係なので、お互いの気持ちがよく伝わるんです。
あるローカル放送局のママ向けの番組があるんですが、その番組のフェイスブックには、地元のお母さんたちがそこに集まっていて、番組のネタを中心として、日々井戸端会議みたいなことが起こるんですね。コメントを読んでいると、番組が愛されていることがよく分かる。そういう日々のおつき合いをすることで番組も盛り上がる。スタッフも、フェイスブックを通して視聴者からの声を直に聞けるようになったことで、よりモチベーションが上がったという声も聞こえてきます。
〔 次回へ続く 〕