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テレビとソーシャルメディアのさらにいい関係No.8

地道なお付き合いとあいさつが大事〜ソーシャルシフトのほんとのところ

2013/04/25

濱野:ツイッターがはやったのは140字だからじゃないですか。つまり、ブログより短くて、字幕よりちょっと長いぐらいだからバカバカ来ても、とりあえずパッと読める。みんな140字びっちりは書かないから、面白いと瞬時に思ったら、みんな脊髄反射でRTで共有しちゃうし、「お気に入り」ボタンも押す。字数が少ないから、つまり情報の粒度=モジュラリティが高まったから、情報が流通しやすくなったというのがポイントですね。

僕はいつも感じるんですが、ソーシャルメディアがこれだけ普及すると、いままでのマスメディアが設けていたコンテンツのフレーム—たとえば「番組は1時間で、CMは15秒で」といったもの—と、間尺が合わなくなってきていると思うんです。番組が1時間でCMが15秒とかというのは、これまでのTV業界の慣習として経路依存的に決められてきたフレームにすぎない。これまでは1時間の番組に、みんなで理解できるようなゆったりした感じでストーリーをつくる。でもいまやスマートフォンでテレビを見ながら分からないことは検索もするし、みんなの反応もリアルタイムでツイッターで分かってしまう。だったら、ちんたらと1時間の映像を流してもしょうがない。

だからそうじゃなくて、1時間の番組枠をすごく細かく切り刻んで、1時間あったら10秒単位で面白い話を何千個も突っんで、そのうち1個だけは面白いからつぶやいて反応してそれがわっと流通するとか、これまでとは全然違った「放送枠の編成」みたいなことも考えないといけなくいんじゃないかと。

廣田:なるほど。ソーシャルメディアを使っている視聴者の欲求により近い形に編成のスタイルを変えるとなると、番組の内容をより容易に引用したり、リツイートしたり、お気に入りに登録したりしやすくするような環境=アーキテクチャーをつくっていくことも重要になりそうですね。

僕は、番組やコーナーにパーマネントリンクがあったら良いのにな、とたまに思ったりします。リンクがあれば、友達に「この番組見てよ」とシェアしやすくなります。また、例えば、テレビ自体を「大きなソーシャルメディア」と捉えてみて、何百万人、何千万人もフォロワーを持つ存在だと見なしてみると、面白いユーザーのコメントに対しては、テレビ側がきちんとリツイートを返していくみたいなことがあっても面白いかもしれませんね。リツイートされた人はうれしいので、さらにそれを広げる。そういうことを容易にやれる環境になると、テレビの編成や仕組みを含めて視聴文化自体が変わるかもしれません。

濱野:そういうのもソーシャルメディア時代の「お付き合い」としてすごく重要ですね。要はおべっかなんだけど、そういうのが一人一人のユーザーにすごく刺さる。

廣田:例えば、テレビ東京の「ワールドビジネスサテライト」という番組の中で、「WBSソーシャル」というコーナーがあって、毎日経済の専門家が出てくるのですが、その人への質問をフェイスブックで募集しているんですね。

採用されると、フェイスブックだけに、ちゃんとその人の実名と共に質問が紹介されるんですよ。「今日は誰々さんからの質問です」ということで、きちんと専門家が答えてくれる。実際、質問を採用された人からすると、めちゃめちゃうれしいわけです。番組放送終了後、「質問を採用してくださってありがとうございました!」と書き込んだりして、それでまた番組の情報が拡散していく。

濱野:そういうところこそ、すごく大事になってきているんだと思いますね。やたらクールでかっこいいコンテンツとか、めちゃくちゃ面白い企画で視聴者を沸かせるとか、そういう感じじゃなく——そういうのも大事なんでしょうけど、意外と地道なおつきあいとかの方が、ソーシャルメディアにおいては重要で。

しかも、それを嫌々やるとかじゃなくて、この制作者は熱意を持ってやっているんだなとか、本気だなとか、ちゃんと紹介してくれてうれしいなとか、そういう「マジ」なところはすぐ伝わるじゃないですか。「この人忙しいのに寝ないで更新してる!」とか(笑)。そういう真剣さとかが感染して、熱い盛り上がりになっていくのがむしろ大きい。AKBなんかは、まさに完全にそうなんですよ。オリンピックの例も絶対そうだろうし、結構そういう泥くさい情熱、スポコン的な世界にソーシャルメディアは合っているんだなと思いますね。

廣田:コンテンツが愛されるために必要な要素は2つあって、1つは、情熱を持って作品をつくること。もう1つは、その作品をつくったときに、シェアされやすいような環境を設計しておくこと。

濱野:そうですね。

廣田:今も、情熱が注がれた素晴らしい番組や、素敵なCMはたくさんあると思うんですけど、それが、放映されたその瞬間で終わるのではなくて、それがシェアできたり、引用しやすかったりする仕組みと合わさることで、その良さがソーシャルメディアで伝わって、きちんと愛してくれる人に届きやすくなると思います。もちろん、ソーシャルメディアありきではうまくいかない。

濱野:あとはこれもよく言われる話なのですが、ソーシャルメディア時代に成功するコンテンツの特徴は、初めは未完成だということですよね。AKBだったら、まだタレントとして未完成というか、未熟な少女だし、変な話ですがまだそんなにかわいくもない、と。

でもそういう少女たちが日々レッスンで努力して成長していくのをみんなで見守っていくのが楽しい。それこそ見守るだけじゃなくて、加担というか手助けもできる。握手会で推しメンにアドバイスを言ってあげるなり、褒めてあげるということを通じて、ちょっとだけでもいいからプロデュースに参加できてしまう。長期的で日常的な「おつきあい」を築けるソーシャルメディア時代には、未成熟なものこそがすごく大きな価値を持つんです。

廣田:最近、広告業界でも、よくストーリーテリングが重要だ、ということが言われます。ただ、現代に求められている「ストーリー」は、既存のストーリーとは質や構造が違うのではないかと思います。

例えば、昔はコンテンツ自体がストーリーを語ってくれる存在で、受け手はそこに感情移入をしていたと思うのですが、いまの話のように、未完成な対象に対して自分もその対象にコミットして主体的にストーリーを紡いでいくもののほうが求められているのかもしれません。与えられたストーリーをひたすら消費するのではなく、自らストーリーに参加できるもの。

濱野:はい。完全にそうなっていますね。そういう意味で、完成し過ぎているものがツラいというのはありますよね。送り手にそんなつもりはなくても、「おしつけがましい」と捉えられてしまうみたいな。

もうしばらくたつと、また反転して「完成度の高いものこそが素晴らしい」という時代に戻るかもしれませんが、いまは残念ながらそういうフェーズにあることは間違いなくて、少なくとも二、三十年前までイケイケだった「作りこまれたコンテンツ」というのが、だいぶやりにくくなっているのは間違いないとは思いますね。

廣田:つまり、認知させるだけではなくて、そこでインボルブ(巻き込むこと)だったり、アチーブメント(達成感)の要素を絡めていって、送り手とファンとが一体になって、長編のストーリーをつくっていくことも重要なのかなと。

濱野:インボルブとか言うと、いかにもかっこよくて、いい感じなんですけど、単におつきあいしましょうという話ですからね。ほんと、めちゃくちゃ泥くさい話に戻ってきているんだと、つくづく僕は思うことしきりですね。ソーシャルメディア周りでうまくいっている例というのを無理に客体化してかっこよく語ろうとすると、だいたい大層な話になるんですけど、実はその裏はべったべたの人間関係のおつきあいでしかない。

廣田:挨拶が大事とかって話ですからね(笑)。

濱野:そう。それをいいと思う人もいれば、悪いと思う人もいる。僕なんかはむしろ、もともとそういうのはあまり好きじゃないタイプだったので、違和感はあったんですよ、数年前まで。いまだにガソリンスタンドは無人のところにしか行かない人で、「レギュラー満タンで」と言うのも面倒くさいというタイプで、「おつきあい」なんて勘弁してよって思ってたクチなんですけど(苦笑)。でもアイドルの握手会だとマメに通って、すごく気配りとかするようになってる自分を発見して自分でも驚いています(笑)。ソーシャルシフトというのは、そういう泥くさい人間関係の気配り重視の社会に、先祖返りしているってことなんだと思います。

次回へ続く 〕