セカイメガネNo.32
朝飲茶(アサヤムチャ)、行かない?
2015/03/18
若者たちは、今も昔も連れだって遊び騒ぐ口実に事欠かない。食事の約束はどんな時代でも気楽にできる付き合いだ。同僚や親友とのランチ。気がおけない女友達や幼なじみとのディナー。絆で結ばれた男同士や身内との夜食。けれども朝食を共にすることは、普通家族だけに許される特権だ。他人と朝食を取る機会はそうはない。だが、私の暮らす広州では違う。広東式飲茶の薫陶を受けた若者たちの間で、週末の朝飲茶のお誘いがちょっとしたブームになり始めている。
「もうけ話がなければ決して早起きしない」と言われる商売人が、平日の朝飲茶の主な客層だ。若者たちは、週末の新規顧客なのだ。彼らは家族と一緒に、あるいは異性の友人を誘って、くつろいだり、暇をつぶしたくて朝飲茶に出掛ける。慌ただしい日常で創り出す、ひとときのゆとり。ここでは親友とテーブルを囲み、とりとめなくおしゃべりして、せかせかした日々を忘れていい。陽光が茶器と指の間を透けて通る。自分だけの時間がゆっくりと過ぎていく。
現代中国社会では、焦燥感が社会の病だ。誰もが落後することを恐れて前へ前へと突き進む。先を急ぐ心理は思考を軽んじさせ、想像力を奪い去る。思考と想像こそ、人が創造力を保つために一番大切な要素であるにもかかわらず。
昔から「暇が芸術を生み、暮らしが創造を生む」と言う。果てしない競争社会に足を踏み入れ、焦りが蔓延する環境に置かれた若者たちが友達と誘い合い、静かで趣のある茶館にやって来る。
一杯のお茶、海老蒸しギョーザ、チャーシューまん、腸粉(米粉で作られた点心)、カスタードまん。追加注文するなら、菠蘿油(パイナップルパン。日本のメロンパンに形状が似ている)、榴蓮酥(ドリアンパン)。のんびりと飲茶を味わい、朝のひとときを愉快に過ごす姿を目にして私はふと思う。朝飲茶は、生計を立てることと人生を楽しむことの違いを教えてくれている。若者たちの心に肯定的な感覚を育み、未来に向かう創造力を生み出している、と。
当の若者たちは、自分らしく生きようとする姿勢を称賛し迎合しようとする世間には無頓着なのかもしれない。自分らしさはわざわざ探すものでなく、生まれながらに備わっているものだ。彼らは週末の早朝、友人たちに微信(WeChat、中国版LINE)でメッセージを送りたいだけなのだ。「ねぇ、朝飲茶、行かない?」と。
(監修:電通イージス・ネットワーク事業局)