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電通報ビジネスにもっとアイデアを。

Dentsu Design TalkNo.50

誰が、電通人をつくるのか。(前編)

2015/06/05

1977年電通入社。クリエーティブとして多くのキャンペーンを手掛け、役員就任、この3月に電通特命顧問を退任するまで、白土謙二さんは経営・事業戦略からブランドコミュニケーション、企業カルチャーの変革まで、数多くの企業やNGO・NPOの仕事に携わってきた。
強烈な個性の先輩クリエーターや企業のリーダーに出会い、共に仕事に取り組んできた38年間の電通生活を振り返り、若い電通人に向けたメッセージとして、最後の講演が行われた。
自身の成長につながった50人を紹介した講演のダイジェストを2回にわたってお届けする。

企画プロデュース:電通イベント&スペース・デザイン局 金原亜紀

 

 

 

真剣勝負の中で得た「実戦知」

今日は「誰が電通人をつくるのか」というテーマで、僕がどういう人たちと出会うことで成長してきたのかをお話しします。教えていただいたことと、そこから学んだことを紹介することが、教えてくれた方々への最大の恩返しになると思うからです。肩書は当時のまま、話させてもらいます。

僕は大学受験の時に日本初の理工系の芸術大学の九州芸術工科大学の受験に2回失敗して、立教大学法学部に進学しました。
学生時代には、コピーライター養成講座を受講したものの、わずか2日で退学するという経験もしています。受験の失敗とコピーライター養成講座の挫折で、自分にはクリエーティブの才能はないと思っていました。

しかし、2浪もした自分が就職試験を受けることができたのはマスコミだけ。10社受けて合格したのは電通だけでした。1977年に電通に入社して、配属されたのは第2CD局。クリエーティブの才能がない自分にはいじめとしか思えなくて、もしかしたらすぐにクビになるかもしれないと思っていました。

そういう超マイナスのスタートをした自分を育ててくれたものは何だったのか。
それは、これまで出会ってきたプロフェッショナルな人たちです。いいかげんなことは決して許さない。そんな彼らとの真剣勝負で獲得した「実戦知」(仕事の現場から得た知見)が、パワーとなり、僕を育ててくれたのだと思っています。

 

優れた企画書をお手本に

――基礎をつくってくれた師匠たち

新入社員時代、僕はどうすればプレゼンで企画が通るのかまったく分からずに悩んでいました。
そこで2CD局でプレゼンがうまいのは誰かと聞いたら、ほとんど全員がクリエーティブディレクターの増田良夫さんだろうと言うんです。それで、初対面でしたが本人に会いに行き、古いもので構わないので企画書をもらえませんかと頼みました。増田さんは照れたように笑って「見せるほどのものじゃないよ」と言って企画書はくださらなかった。
そこで増田さんと仕事をしたプランナーの方にお願いして、ある化粧品会社の企画書を譲ってもらうことができたんです。

その企画書は、A4で厚さが2センチほどもありました。社会状況、トレンド、マーケット分析、商品コンセプト、メディアプラン、プロモーションプラン…。ありとあらゆることが書かれているのを見て、口紅1本を売るために、人間がここまで考えられるのかとショックを受けました。
それ以降、仕事が来るたびに、増田さんの企画書の型を取り入れるようにしました。そうしたら、プレゼンが分かりやすいとほめられるようになったんです。


もうひとり、僕のプレゼンのベースをつくってくださったのが、ある大手電機メーカーの宣伝部の方です。当時その宣伝部は競合他社と組んで素晴らしい仕事をしていて、どうしても歯が立ちませんでした。中でも宣伝部のその方は「電通嫌い」との評判を持つ方でした。
新人の僕は、どうやったらいいプレゼンができるか教えを請うたんです。すると、ある部屋の鍵を渡されて、そこで1時間考えるように言われました。
その部屋はこれまでスタークリエーターたちが作ったプレゼン資料が大量に格納された書庫でした。

1時間、かたっぱしから資料を見て部屋から出ると、その方がある企画書をくださった。
そして、「いいプレゼンは結論が1行になっていないといけない。それから実際に商品を売る営業の気持ちを考えなければいけない。営業を動かすような表現かどうか、結果を1行で表現できるかどうかをチェックしていれば、素晴らしいプランナーになれる。だから頑張れ」と言ってくださった。

僕はそれ以来、その企画書に載っているコピーの文字数からレイアウトまで、愚直なまでにまねをして、完璧にその「型」をマスターしました。優れたものをそっくりまねることは基本中の基本だと思います。


当時のそのメーカーは強者ぞろいでした。僕は入社から約10年間、ひとりでその企業のラジオCMを担当していました。ある時、その企業の代表商品の開発責任者だった方から招集がかかりました。「これから3年間、うちのAV部門から優れた新技術は出ない。しかしライバル社とのビジネス商戦には圧勝するように」とおっしゃるので、優れた新技術がないのにライバルに圧勝するというのは矛盾でありませんか?と言ったんです。そしたら「矛盾を突破するのがクリエーティブだ。それができないヤツにクリエーターを名乗る資格はない」と言われました。その後様々な仕事をご一緒しましたが、この方には全く歯が立ちませんでした。

 

正直に向き合い信頼を築く

――クライアントとの真剣勝負

クライアントの中でも、一番驚かされたのはある大手流通企業の社長です。
その企業のCMは最後に社長がチェックしてオンエアになります。初めての試写の日、社長が映写機の真後ろに座られたので、「そこは見えにくいので、こちらのお席にどうぞ」と言ったんです。
すると会議室が凍りついた。私は社長に命令した初めての人物になったわけです。
しかも、その試写ではパッと映写した途端、その社長が「誰がこんなひどいものを作ったんだ!」と立ち上がって怒鳴られて。「いいと思ってるのか!」「いえ、思ってません」「そうだろッ。今すぐ作り直せ!」と、ドカンとドアを蹴るように出て行かれた。
これはもう二度とお目にかかることはないだろうと思っていたら、役員の方から「社長がうちの仕事を続けてほしいと言っている」と電話があったんです。驚いて理由を聞いたら、「あの人たちは、ひどいと言われた時に一言も言い訳をせずに認めた。すごく信用できる人たちだ」と言われたそうです。言い方は気をつけなければいけませんが、どんな時も本当のことを言うことが大事なんだと思いました。


また、ある大手小売企業の会長にお会いしたのは12年ぐらい前、ちょうどその企業の売り上げが急落して、マスコミが“危うし”という論調になっていた時でした。
僕は会長に「急落した収益を数年で5000億円まで盛り返すとおっしゃられているが、それは無理だと思う」と切り出して、その理由を話しました。そして大まかな戦略や具体的な計画を話したところ、その会長は僕をコンサルタントとして副社長待遇で招き入れてくださいました。

それから1年3カ月、色々な対策を行っていったのですが、結局僕はひとつも成果を出せませんでした。そこで、成果を上げられなかった原因を分析して、50ページぐらいのレポートを提出しました。
僕の責任も、僕の責任でないものも入れました。それがあったから、会長は僕を信用してくださったのだと思います。その会長は失敗をまったく恐れていませんし、失敗した人を責めることもしません。会長が叱るのは、失敗からの学びがない人です。会長は後に、レポートの中で提言した改革を認めてくださり、実行されてサプライチェーンのクオリティーとスピードを倍くらいに上げられました。

※後編は6/6(土)公開予定です。

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