【続】ろーかる・ぐるぐるNo.59
和牛をエポケーする(前編)
~可愛いは、美味しい。~
2015/06/25
イノベーションの原動力となるコンセプトやアイデアをつくるためには、日頃からできるだけ多くの「知識」を吸収しておく必要があります。単に「正しい情報」だけでなく、できるだけ幅広い「豊かな人生経験」が求められるのです。
本や映画を見ること、旅に出ることはもちろん有効なのですが、グータラなぼくにとって欠かせないのが広告業界から遠い世界で働く友人と一杯飲みながら聞くお話の数々です。そういった情報の一つ一つについて正しいかどうか判断することなく(哲学の世界では、この判断停止を「エポケー」というそうです)、「なるほど、ふむふむ、そういった話もあるのか」とカッコ付きで受け取るのです。この世の中には疑う隙が全くない情報などなかなかないのですから、とりあえずいったん、清濁併せて体の中に取り込んでしまうのです。
きょうはそんな友人のひとり、老舗和牛卸小島商店の副社長で銀座三越に精肉店「片葉三」を営む小島康成さんから伺ったエピソードをご紹介します。皆さんも是非「エポケー」して、明日のコンセプト(アイデア)の材料にしていただければ、と思います。
この前、松阪で森本さんという生産者の方にお会いして、牛を見て、びっくりしたんです。森本さんのところは人が牛舎に入ると、牛が人懐っこく寄ってくるんですよね。いままで何軒の畜産家のところに行ったか分からないけれど、そんなことは初めて。森本さんは「牛さん」「牛さん」って、ホント家族のように暮らしているんです。だからなんでしょうね。
ほら、以前一緒に行った山形県尾花沢市の折原さん、覚えてる? あそこも20代の孫が爺さんから「お前はそこで寝れるのか?」って牛舎をきれいに掃除するよう仕込まれたって、言ってたでしょ? あれの究極の形っていうのかな。ほんとに家族。一頭一頭、文字通り手塩にかけて世話をするんだよねぇ。森本さんのことは本にもなっているんだけどさ、いや、びっくりしました。
牛と一緒に暮らし、育て、売るというサイクル自体が「文化」だと思うんです。いま日本中でこういう本物の文化が消えそうになっている。もちろん大規模に和牛を育てたって畜産は畜産なんだろうけど、やっぱり肉質が断然違う。食べたいでしょ?(笑)、そりゃ、食べたいよね。
ぼくは肉を流通させるだけの「和牛卸」だから、生産者が良い和牛をつくってくれないと、何もできないんです。すぐれた生産者を応援するのは東京のような消費地の責任だと思うんです。で、ぼくたち卸、問屋はその両者をつなぐのが責任。
森本さんのようにふつうの生産者の何倍もの手間をかけて、実際すばらしい肉質の和牛を育てても、消費地が関心を持たなければ経営を続けることができない。逆に消費地が「脂がギトギトで、安い和牛」を求めたら、生産者はそれしか作らなくなっちゃうんです。東京の責任は大きいですよ。ほんと。
松阪牛が素晴らしいのは、その肉質はもちろんなんだけど、松阪の中で消費サイドが森本さんのような生産者を支えているところ。老舗すき焼店の「牛銀」って、知ってるでしょ? 彼らが森本さんの牛づくりを市場で高く評価して、きちんと経済を回そうとしているところ。
一方、東京ではね、「松阪牛」と「特産松阪牛」の違いですら、なかなか分かっていただけないのが現状です。子牛の血統だとか、肥育日数とか基準が違うから市場では別モノとして区別されているんだけどね。銀座のお客様ですら、なかなかご理解いただけていない。これは生産者と消費者を結ぶ流通であるぼくらの責任。なんとかしなくちゃならないのですが、難しいですよね。
山田さん、コミュニケーションのプロでしょ?なんとかしてよ(笑)。
一見、自分と関係ないこんな話がきっと役立つのがコンセプト(アイデア)づくりの面白いところです。さて、小島さんは杯を重ねるごとに舌も滑らかになってきました。次回ももう一回、続きをうかがおうと思います。
どうぞ、召し上がれ!