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コンテンツマーケティングの現場からNo.12

コンテンツクリエーションは、
ロボットの仕事か。人間の仕事か。

2015/07/22

先日、Content Marketing Instituteのブログに「未来のコンテンツクリエーションでは、ロボットではなく人間が必要になってくる」という記事が掲載されていました。

このブログを書いたJay Acunzo氏は、「未来のコンテンツクリエーションにおいては、テクノロジーと人間の技が一体化する。いまはテクノロジーを積極的に受け入れるケースが多いけれど、いずれそういう効率性や近道の手段だけでは足りない、創造力にあふれ、豊かなアイデアを出せる個人が必要になっていくだろう」と語っています。結局のところロボットにライターの代わりはできない。メディアを生み出したり、ストーリーを語ったりするような、人間のコアコンピタンシーを機械化することはできないだろう。と、彼は言います。

これを見てふと思いあたったのが、コンテンツマーケティングの作業をやっているとちらほら見え隠れしてくる「理系」対「文系」という問題。
「データではAと出ている。そのようにやるべき」と主張するアナリストに対し「そうはいっても、人間はそんなことじゃ動かない」と主張するコンテンツプランナー。「システム的にはそこは、あるかないかのどちらかしかない」と主張するシステムの人の話に、コンテンツサイドとして「とはいっても、同じ人だって状況によってはあったほうがいい場合もあれば無いほうがいい場合もある…人間ってそんな簡単に割り切れるものじゃないよなあ」と感じることも少なくありません。
データ×イマジネーション、機械×人間、デジタル×アナログ、理論×感情、数字×デザイン、合理性×非合理性、数学×国語…これらの矛盾をすべて最終的に引き受ける宿命にあるのが、コンテンツクリエーションのチームです。

データ「だけ」を頼りに企画をしていくとどんなことが起きるのか。
とあるSEOマネージャーによれば、「検索ボリュームの多いキーワードをベースにコンテンツの企画を考えていくと、だんだん他社のコンテンツとの違いが無くなっていってしまうのですよね」。あるいは、確度の高いコンバージョンを求めた結果、既に買う気になっている人向けのコンテンツばかりになるといったことも起こります。
私たちが企画するなかでも、施策の結果「だけ」を見てコンテンツをブラッシュアップとしていくと、アクセスを稼ぎやすいタイプの企画にばかり偏っていくという現象が起きていきます。けれど、一人の生活者として見たとき、似たようなコンテンツをぐるぐる見て回っている時間はなかなか無いし、いつも「買う」と決めてから情報を探すわけではないし、how to企画やランキング企画ばかり発信するブランドが魅力的にみえるかというと「?」が残るでしょう。

似たような話が、カスタマージャーニーの世界でも語られています。シドニーのコンテンツマーケティングカンファレンスでは、Andrew Davis氏が「カスタマージャーニーを詳細に分析しても、人はそのとおりになんて動かない」という話をしていました。
「だってたとえば、Flickrを見てミートローフが食べたくなったとするでしょ。で、レストランを探す、近くに駐車場があるかどうかみるために地図を探す…なんてことをしているうちに面倒くさくなって、『えーい自分で作っちゃえ』ってことになって、で、YouTubeで作り方を探してみるんだけど、そういえばミートローフ型が無い!ということに気がついて、Amazonで探す。どれがいいかわからなくてWikipediaに行こうしたら、ミートローフという名のミュージシャンがいる! ついつい寄り道しちゃう…ってな具合に、人のカスタマージャーニーって、実際はひどくぐちゃぐちゃしたものでしょ」
彼はこれを「ミートローフジャーニー」と名付けて、精緻にジャーニーを描いて精緻にコンテンツを届けてもあまり機能しない。それよりも、「the moment of inspiration」つまり、何かに刺激されてブランドが気になったその瞬間を捕まえることが大事なのだ、と言います。

アルゴリズムと肌感覚のずれ。頭で描いていることと人間の実態のずれ。
このようなずれをイマジネーションによって埋めていく作業。それこそがまさにコンテンツクリエーションの仕事なのですが、実現していくにあたって、案外難しいのが、理系と文系の間に横たわる思考習慣の溝、大げさに言えば「文化の溝」を埋めていく作業ではないかと思います。
データを解析し、コンバージョンを突き詰めてきた人間から見るとアイデアを出す人間たちの「ふわっとした根拠」はなんとなく気持ちの悪いものがあるでしょう。一人の人間としては腹落ちしてもそれを支えるファクトのないことはどことなく不安が残ります。
一方、どうやって生活者に届けようか。生活者を楽しませようか。人間を緻密に観察し、インサイトを深く探っているコンテンツチームの人間からすればいちいちデータで追い詰められると、アイデアが窮屈になる。やりにくい。人間はロボットじゃないんだから、という気持ちになりかねません。
けれど、相手のやり方に「気持ち悪さ」を感じたとしても、それぞれが逃げずに議論しながら調整していく。少なくともできるだけ対話を増やしていく。それが実は、企業のビジネスにも貢献し、ターゲットにも喜ばれるコンテンツマーケティングを実現するためのひとつのカギなのではないでしょうか。

コンテンツマーケティングをやろうとするとき、理系と文系の「文化の溝」はコンテンツの周辺だけではなく、たとえばウェブマーケティングの専門家とマスメディアの広告をやってきた人の間、システムエンジニアとデザイナーの間、DMP(データマネジメントプラットフォーム)チームとブランディングチームの間など、あちこちに横たわっていると思われますが、粘り強く実現させていきたいと思います。