仕事という名の冒険No.3
アジアをまたにかけて活躍するアクターに会いにいく
2015/08/13
前回はBraveryであることを自らの仕事の真ん中に据え、人々が麻薬に手を染めない生き方をするために図書館をつくったコロンビアの書籍王の話でした。
拙著「仕事という名の冒険 世界の異能異才に会いにいく」(発行:中央公論新社)より、今回は、軽々と国境を越え、業界の枠を越えて活躍するアクターの話です。
初めて会ったのは二年ほど前で、彼が東京を訪れているときだった。すでに台湾、香港を中心に俳優としての活動が広がっており、タイやインドネシアにも出向いて仕事をするという日々の中、これから日本での活動を始めるために彼は東京に来ていた。
「一応の住居は台湾にあるが、呼ばれればどこにでも出向いていき、そこで仕事をして終わればまた戻っていく」。そう語る彼は、固定的な背景をもたない、旅人のような雰囲気をもっていた。
僕自身、海外の仕事が多く、自分を必要とする人があればどこへでも行く。近しい仕事観をもつことがわかって一気に意気投合し、いろいろな話をした。
仕事は常に人生と隣り合わせであり、それは文化や社会を背景に人と人が対話をしてものを生み出していく行為だ。国が変われば仕事のとらえ方も進め方も異なる。
しかし、海外での仕事を複数経験すると、バックグラウンドに縛られないフラットな目線をもつ人間が必要であることもわかってくる。そういう仕事には常にある種の客観性とユニバーサリティを求められる。
旅人とは、未来の不確実性を知っている人間のことだ。価値が固定化した社会にいると、現在の延長線上としての安定的未来を想像してしまう。でも、いくつかの国をまたいで活動していると、いかに社会の価値観というものが簡単にそして素早く崩れ去り、新しいものがやってきて支配的になるかを知ることになる。
自分の属する組織の価値観の永続性を信じた仕事の仕方をしていれば、変化に脆いものを生み出すようになる。そういう意味でも、旅人という「常に外側にいる人間」の存在は、さまざまな場でチームに必要になってくる。
彼はアクターであるが、映画監督であり、ミュージシャンでもある。彼を取材するメディアの人間はそのことに驚き、彼は驚かれることに驚く。
表現者にとって、最適な表現として選んだものが、たまたま楽曲だった、映像だったということでしかない。それを限定するのは、目的と手段を混同しているだけではないかと彼は言う。
だから肩書きを嫌う。これも僕が共感するところだ。肩書きを固定し、自分の居場所を限定することは快適だが、自分を制限しているにすぎない。
彼の働き方はたしかに特殊かもしれない。しかし、散歩するかのように国境を軽々と越えていくその雰囲気はとても魅力的だ。
そもそもが、地理的にも価値観的にもそして業界的にも越えていかなければ発展が見えてこないような世の中だ。そこに適切にアプローチするためには、固定化した概念や心地いい居場所から抜け出るしかない。
それは結局のところ「裸一貫」、生身の自分で勝負するということだ。どこまでいっても自己責任の範囲でやっていく。自らミッションを設定し、越えるべきバーを設計し、そして越えて行く。だからこそチャンスは無限に広がっていくとも言える。
彼が映画監督であるのは、誰かが彼にできるはずと思って映画を監督するチャンスを与えたからだし、それは彼自身の才能の拡張性がそこにあったからだ。裸一貫、生身というのが難しいのは間違いない。しかしながら、それは同時に、あらゆるチャンスにアプローチできる自己の拡張性を備えることにつながっている。
目の前には不確実な未来が広がり、リスクのないものなど存在しない。だから生身だろうが誰かに保護された状態だろうが、思ったほど大きな差はそこにはなくなっていく。だとすれば、あらゆるチャンスにアプローチできる彼のようなスタンスは、この時代にとても適したものかもしれないと思う。
次回は、静岡へ発酵の権威に会ってきます。お楽しみに。