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デジタルの旬No.18

ビッグデータで、
21世紀的なハピネスを作り出す 
~日立製作所 研究開発グループ技師長 矢野 和男氏

2015/08/17

デジタルの旬

人間の「幸せ」(ハピネス)とは、哲学や宗教での不変のテーマでもある。だが、そのハピネスが、加速度センサーという最新テクノロジーの機械で測れるとしたらどうだろう? しかも、そうやって計測されたハピネスこそが企業の業績向上に最も貢献できる要因だとしたら? そんなユニークで魅力的な新説を提唱して話題の著書『データの見えざる手』を最近刊行した矢野和男氏は、ビッグデータという言葉が登場する以前からこの領域の研究を長く手掛けてきた業界の第一人者だ。その矢野氏に、ビッグデータが作り出す21世紀的なハピネスの姿を語ってもらった。
(聞き手:電通デジタル・ビジネス局 計画推進部長 小野裕三)



加速度センサーで測れる人間のハピネスが、最も売り上げを伸ばす要因だった


──ご自身の、デジタルやインターネットとの出合いについてお聞かせください。

矢野:1991年に共同研究で米国に1年間いた時に、遠く離れたスタンフォード大のコンピューターに入ってゲームをダウンロードしたり、ヨーロッパのコンピューターに入って資料を閲覧してる研究者を目の当たりにしました。この人たちは、なんでこんな神様みたいなことができるんだ(笑)、と驚いたのがインターネットとの最初の出合いで、なにかすごいことが始まってるんだと感じました。

──インターネットとの出合いもかなり早いのですね。ビッグデータについてもその言葉がまだない時から先駆けて取り組まれていますが、そこに興味を持ったきっかけはなんだったのでしょうか。

矢野:日立でずっと半導体の仕事をやっていたのですが、事業がなくなることになり、住み慣れた土地を離れて新しい土地を仲間と探さざるを得なくなりました。それは12年前のことですが、携帯電話がネットにつながり、iモードが広がり始めていた頃で、これからますますコンピューターが小さくなって身に着けたり、自動車や設備に付いたりするだろうと考え、そこからデータを吸い上げることに着目したのです。

──なるほど、とっかかりはウエアラブルデバイスだったわけですね。今でこそビッグデータが騒がれていますが、その当時はどうだったのでしょうか。

矢野:全くそんな感じはなかったですね。当時どころか、4、5年前くらいまではそういう感じで、もうかりそうもないことをいつまでやってるんだ、という感じでしたね(笑)。

──それが今では世の中的にもビッグデータに注目が集まり、はやり言葉のようにもなっていますが、その状況をどう見ていますか。

矢野:必然的な方向に来たと思っています。ただ、われわれはずいぶん前から取り組んでいて、その分たくさんの失敗もしているので、われわれが以前失敗したことをみんなでやっているなと思うことはあります。

矢野和男氏

──最近刊行された著書の中では、人間の感じる「幸せ」は加速度センサーで測れる、という非常に興味深い説を提唱されています。

矢野:加速度センサーが入ったデバイスを首にかけて身体の動きのデータを取得した実験で、集団の中で、動きの有無やその時間の多様性と、幸せであるとその人が感じることの間に高い相関があることが分かりました。この動きの長さの多様性というのは、動きの量の大小とは異なり、単純に動けば幸せというものではありません。集団の中での動きの多様性を定量化することで、その集団が幸せかが定量化できるのです。逆にいえば、加速度センサーを着けることで集団レベルのハピネスを感じている度合いを測れるということです。

例えばわれわれが行ったコールセンターでの実験では、全く同じ商材を扱っていても、従業員の動きに多様性があってハピネス感が平均より高い日とそうでない日では、大きく受注率が違うことが分かりました。そこで、どのようにすればそのようなハピネス感が高まるのかをさらに詳しく状況に沿って調べたところ、休み時間に体がよく動いている、つまり雑談が弾んでいる職場ではハピネス感が高く、そして職場全体のハピネス感が高いと職場全体の受注率が上がる、ということが非常にはっきりと分かりました。

──著書の中ではそのコールセンター以外に店舗での販売実験も紹介されていますが、そこでビッグデータを使って分かったことは、これまで業界で常識とされてきた施策は実はほとんど効果がなく、意外なところに効果が上がるポイントがあったという話でした。広告やマーケティングの業界にとってはある意味で衝撃的な結果ですが、ご自身はどのように感じましたか。

矢野:それ以外の業界でも、そういうことがわりと多かったので、実は慣れっこになってますね。でも、そういう発見がなければビッグデータに投資する意味がないですよね。

──そのように10年以上ビッグデータの仕事を手掛けてきて、ビッグデータを扱う上で特に留意すべき点とはどのようなことでしょう。

矢野:重要なことは、データはその良し悪しや価値が分からないと意味がない、ということです。具体的にどのようなアクションをすればよいのかといった判断をアシストしてくれるようなデータでないとだめで、そうではないファクトは量ばかりあってもあまり役に立たない。ただ、価値に結び付くバリューのデータは案外少ない。でもハピネスが計測できることで、その壁を突破したと思っています。このハピネスという価値データといろいろなファクトデータを突き合わせることで、例えば、会社に早く出勤した方がいいのかといったような、特定の行為の良し悪しを判断できます。

ファクトデータに価値データが合わさることで、ファクトデータが最高に生きてくるのです。そうでないと人間が検証したいことの裏付けを取るといった活用になってしまい、正当化のためのデータで大したインパクトはありません。そして、このような価値データはとろうと思ってやらないとだめなんです。社や状況によって目指している問題設定が違えば、価値も違ってくる。価値は人間が決めることです。しかし、ハピネスは会社によらず普遍的に成り立つ価値として特別なインパクトがあります。

ハピネス
加速度センサーを胸につけた実験の様子

世紀的な発想から、世紀的な発想に変わる転機が来た

──それにしても「幸せになればもうかる」とは、すごい大発見ですよね。

矢野:幸せは、究極で最上位の価値だと思います。幸せは自己啓発や心理学、哲学、宗教の世界の言葉として捉えられていますから。そして、幸せな人たちは生産性も高いということが分かったのですが、でも誤解してほしくないのは、楽してる人や怠けている人が幸せではないのです。退屈というのは人間にとっていい状態ではない。

つまり、ちょうどいい挑戦的な課題が目の前にないと人は幸せにはなれない。幸せである方が生産性が高いというのはある程度自然なことで、データでは客観的に偏見なくきっちり出てきているのです。幸せになれば売り上げが上がるという実例は他にもいろいろと出ています。

──そのようなことが分かってくると、職場のレイアウトや組織の設計なども含めて、人々の働き方も大きく変わりそうですね。

矢野:そうですね。課長さんが何人部下を持ったらいいのか、課長が夜遅くまでいた方がいいのか、会議は短く終わった方がいいのか、などがクリアにエビデンスベースの答えとして出せるのです。

──今後ビッグデータが活用されていくのに、業種による差のようなものはあるのでしょうか。

矢野:今、ビッグデータの活用が比較的進んでいるのは、アウトプットとプロセスの両方のデータがとれる領域です。マーケティングなどはまさにその領域で、小売りでの日々の売り上げと商品の陳列のデータなどを連携した活用が広がっています。さっきのコールセンターの例はアウトプットとプロセスの大量なデータが日々取得でき、ある意味で理想の実験場とも捉えられます。

より難しいのが、プロセスとアウトプットの時間差がある領域で、法人営業などがそれに当たりますが、その場合には先行指標を何にするかが重要になってきます。農業や医療などもそうですね。そしてさらに難しいのが、アウトプットがそもそも定義できないというようなナレッジワークの世界です。でも、この領域でもわれわれの研究でハピネスという代替指標が見えてきているので、ビッグデータの活用も広がるでしょう。

──そのようなことが進めば、大きな価値観の変化にもつながりそうですね。

矢野: まさに変えたいと思っているんです、世界を。今、20世紀的な発想から21世紀的な発想に変えていく転機が来ています。20世紀には、どこでも通用する決められた一つのルールを求める傾向が強くありました。でも現実には、もっといろいろな状況依存があるのです。一律のノウハウをみんなでn倍化しましょうということで、製造業のラインで1時間当たり何個作れるかについてプロセスもアウトプットも測れるようにして生産性を上げたというのが20世紀です。

でも、ナレッジワークやサービスの領域では、アウトプットもプロセスも見えづらい。それを製造業のマニュアルとノウハウの共有で何とかしようとしたというのが20世紀の後半から今くらいの時期ですが、実際の現場では、一律ではなくてそれぞれの対応を工夫してきたのだと思います。だからこそ、ナレッジワークやサービスの領域においてビッグデータは有効なのです。一方で大量生産においては、あまりビッグデータは必要ありません。われわれが店舗実験で出した結果も、あの店であの状況においてということでしかなく、季節が変わるなどの新しい変数が入ると変わってきます。同じ店の中でも違うし、違う店や違う業界ならもっと違うわけです。

そのように複雑な状況依存がある時に、ビッグデータや人工知能はそのような変動に対して圧倒的に強いので、より個別に状況に合わせてそれぞれの場で最適な解を見いだすことができます。継続的にデータをとって、常時、人工知能で評価していくということです。私は最近、「総AI(人工知能)化」という言葉を使っていますが、あらゆるビジネスは総AI化していくと思います。

──そういうことが進めば、マーケティングや広告コミュニケーションのあり方もやはり変わりそうですね。

矢野:もちろんそうなると思います。広告やマーケティングなどのプロダクティビティーを抜本的に変えることができると思います。

 

ビッグデータは、人間よりも人間的な答えを出す?

──今後、いろいろなタイプのウエアラブルデバイスが出てくるとビッグデータの世界も変わるでしょうか。

矢野:もちろん変わります。人間の24時間365日が取れるということは、人間の行動が丸ごととれるということなので、極めて大きなインパクトです。

──IoT(モノのインターネット)やロボットも注目されていますが、ロボットなどもビッグデータに大きなインパクトがありますか。

矢野:ロボットは基本的には人工知能の塊です。モーターやバッテリーなどの機械部分はそれほど進歩しているわけではなく、進歩しているのは中にあるコンピューターと人工知能の技術で、これからもそうでしょう。そのように、人工知能がコンピューターのシステムの中で使われる一方で、リアルワールドにも働き掛けていくというところにロボットの価値があると思います。

──センサーから数値をとるビッグデータがある一方で、インターネットでの書き込みなどもビッグデータとして利用されていますが、今後はテキストだけでなく画像や動画などのデータも活用が進みそうですね。そのようにデータの種類が多様化して量も増えると、ビッグデータでできることも変質していきますか。

矢野:変わっていきます。今までのコンピュータープログラムは、仕様を考えた人が立てた仮説の通りに動いているだけで、状況が変わってもプログラムをアップデートしないと動作は変わらなかったのです。しかし、種々雑多なデータから学習できるようになると、状況の変化に対してコンピューターの方が追随して変わっていきます。80年前にソフトウエアというものが登場したわけですが、今やソフトウエア自体がデータを収集することで自らロジックを変え進歩していくという、新たなジャンプが始まっています。

──ビッグデータは人工知能と深く関わると思いますが、その動向はどのように見ていますか。

矢野:人工知能は歴史的な転換点にあります。1930年代にチューリングマシンが登場し、そこから80年、ソフトウエアが動く世界を成熟させてきました。でも、そこでは人間が書いたロジックに対して演繹(えんえき)的にデータや動作をつくっていくというものでした。それが現実のデータを元に帰納的に学習できるようになったのは、180度の転換です。人工知能は冬の時代もありましたが、いよいよ本格的になってきたと思います。

ただ、人工知能の議論でよくある、近い将来に人工知能が人間を超えてしまうというシンギュラリティーの話は、基本的な仮説が間違っていると私は思います。やがて人間が知っていることを包含してコンピューターが何でも知っているようになり、常に人間に勝ってしまう状況が生まれるだろうというふうにいわれるわけですが、そこには情報の取得コストがゼロになるという前提がどこかにある。われわれはデータ取得の段階からプロジェクトを手掛けているのでよく分かりますが、そのコストがゼロになることはあり得ません。

例えば人間の会話のニュアンスや非言語的な意味合いをすべて取得するのは難しいし、仮に可能だとしてもコストに見合いません。人間は生きていて、五感を使って周りの状況をセンシングしていて、それがタダなんですから、それより低いコストで、人間が得られる身の回りの情報をコンピューターが得られるわけがない。いくら人工知能でも、物理法則を超えることはできないのです。

結局、人間が知っている情報と人工知能が知っている情報は一部重なるものの、人間しか知らない情報はどうやってもかなり残る。だからわれわれは、人間が人工知能という貴重なツールをどうやって使っていくのかということに専念して、人間にしか分からない情報と知見にビッグデータをどうやって掛け合わせるかにもっと議論のエネルギーを使った方がよい。人工知能は人間にとってのある種の相棒であったりシェルパであるわけで、どうやって高いところまで一緒に登るのかということなんだと思います。

ビッグデータが機械的で人間無視の答えを出して、その一方で人間は温かい心を持っているというようなイメージは間違っています。先ほどのコールセンターの例でいえば、もっと売り上げを伸ばしたいという目的から実験をやったわけですが、ビッグデータや人工知能の出した答えは、休み時間から従業員の雑談が弾んで、みんながハッピーになる組織をつくればよいということで、人間よりもずっと人間的な答えを出しているんですよ(笑)。データの方が、偏見にとらわれずにいろいろなものを網羅しているというポジティブな面もあるわけです。

矢野和男氏

インタラプトのテクノロジーではなく、ハピネスのテクノロジーを

──ビッグデータに対する期待として未来予測があって、選挙結果やインフルエンザ流行を予測した実績も世の中にはありますが、これからもっといろんなことに広がっていきますか。

矢野:それらの例は未来予測ではなくて、未来を考慮した最適な今の判断になります。未来というのはいろんな要因が入ってきますから、そこでのデータや情報を全て取得することはコスト的にできない。例えばこの事件がここで起こるというような未来予測はできないのです。インフルエンザの流行予測などは確かに行われていますが、あれは予測というよりもデータの中から的確な先行指標を取り出してくるだけです。そのようなものは既によくあるものですし、これからどんどん進んでいくでしょう。

──ビッグデータと人工知能によって音楽などの芸術作品を作る試みも実際に行われていますが、今後はどうなのでしょう。

矢野:例えば、合成した音楽などを10人くらいに聴かせて、そのハピネスを測りながらそれが高まるようにフィードバックをかけていけば音楽もできそうですね。これからそのような取り組みも出てくるかもしれません。

──データの収集に関してはプライバシーの問題もよく議論されますが、どのように感じていますか。

矢野:重要な問題ではありますが、個人的には少し時期尚早という気がします。つまり、データをどうやって活用したらいいかという前に、先の懸念だけを議論するというのはバランスが悪い。プラスの面もバランスよく見る必要があります。テクノロジーが進化してくると、当然人間の価値観は変わってきます。例えば20年前に携帯電話を従業員に持たせた時、束縛されることに対する批判があちこちで出ました。

しかし、あっという間に普及したことでプラスの面も出てきて、プラスとマイナスをてんびんにかけたら、プラスの方が多いということになって、社会的コンセンサスがそっちにいったわけです。同じようなことがこれからいろいろ出てくると思います。

──先ほどの店舗やコールセンターでの実験では人間の経験による通念はほとんど間違っていたということでしたが、今後、テクノロジーが進展した時に、人間の持っている経験や勘というのはどうなるのでしょう。

矢野:店舗実験についていえば、集客を増やすよりは客単価を増やすという課題設定をしているのは人間なわけです。そのような課題設定や人工知能に与える情報を決定しているのは人間ですし、結果から次のステップを考えるのも、またその結果に責任を持つのも人間なのです。そのための経験や勘の力を、ツールで増幅していくという考え方になると思います。

──テクノロジーにはこれまで人間が持っていた偏見などを正す力はあるけど、かといってそれがすべてを奪っていくわけではなく、人間のやるべきことは残るということですね。

矢野:今までも新しいテクノロジーで時代が変わった時には、その前と後で、必要とされる仕事のポートフォリオは当然変わってきました。これは人工知能に特有の話ではなくて、イノベーションが必ずもたらす話です。避けがたいことで、どれだけソフトランディングできるかの配慮が必要です。もちろん、ある種の職業では人工知能の方がうまくできるという部分があるので、そこは考えた方がよいでしょう。一方で新しい職業が出てくるということは当然あって、例えば人工知能をいかに活用して事業開発をしていくかというような新しい能力と職業が必ず生まれると思います。

例えば古代ギリシャの哲学者プラトンは「パイドロス」で、「文字」の発明を有害なものとして批判しました。この「文字」の部分をコンピューターやインターネット、人工知能に置き換えれば、今もそのまま成り立つわけです。人間というのはそういうもので、ツールに頼ることである能力が衰え、その上で新しい能力が生まれてくるということを繰り返してきたのです。

──最近では、人間はもっとデジタルやネットから離れた方がいいのではという議論もあります。実際、ネットを流れていく情報量はもはや人間が普通に読める量を超えていますよね。

矢野:それについては、要は読まなければいいんです(笑)。人間の時間をどう効果的に配分するかです。ただ、今のいろいろなツールが、人のアテンションを得るための仕様になっているという問題は確かにあります。そのことが知らず知らずにいろいろな人の能力を奪っている。ある実験で、メールの受信の際に通知が出る設定と、出ない設定のグループで生産性を比べたところ、出る設定にしているグループは生産性が低いという結果が出ました。つまり、アテンションや集中力をインタラプト(中断)しているのが問題なわけで、最近は子どもでもそういう影響が出ている可能性があると思います。

──なるほど。デジタルやインターネットが悪いわけではなく、そのように人をインタラプトするツールの構造がよくないということですね。

矢野:人間の一つの幸せとして、没頭して打ち込む、熱中できるというのがあります。常にインタラプトされて割り込まれるというのはよくない。ハピネスのテクノロジーが普及して、インタラプトのテクノロジーを超える影響力を持つ方が健全です。私はそうしていきたいと思っています。