デジタルの旬No.19
デジタルをデザインする者が世界をデザインする──初音ミクの生みの親が語る「未来」
~クリプトン・フューチャー・メディア 佐々木渉氏
2015/09/03
「初音ミク」とはもともと、人工的な音声で歌を歌ってくれるデスク・トップ・ミュージック(DTM)ソフトウエア製品のひとつである。だが、今や初音ミクはそんな枠をはるかに超えた文化的・社会的な広がりを見せ、海外でも次々とコンサートを成功させるなど、もはや日本のネット文化を象徴する一大ムーブメントとして定着している。今回は、その初音ミクの開発を実際に担当し、「生みの親」と呼ばれるクリプトン・フューチャー・メディアの佐々木渉氏に、初音ミクから見えてくるネットとデジタルの未来について、たっぷりと語ってもらった。
(聞き手: 電通デジタル・ビジネス局計画推進部長 小野裕三)
「未来」ヘの閉塞感など、若年層にとっての等身大の本音を歌う初音ミク
──「初音ミク」の名前の由来は「未来から来た初めての音」ということですが、そこには未来に対する思いのようなものがあるのでしょうか。
佐々木:まず、自分が未来的な音響機器やテクノロジーが好きだったんですね。中学生の頃からシンセサイザーやレコード、テープ編集などを使用した音響テクノロジーに憧れを持っていて、高校生の頃にはクリプトン社の商品を買うユーザーになっていました。もともと音響テクノロジーは、特に20世紀において非常に未来的でした。軍事的な技術と結び付いていたり、テルミンやシンセサイザーはSF映画の音響で使われたり、サウンドミキサーが宇宙船の内装として使われたりしていた経緯があります。未来やSFのイメージとサウンドテクノロジーは密接な関係にあったわけです。
また、1990年代の初頭には既に音をフルデジタルで編集するためのコンシューマー向けハードディスクレコーダーなどがあり、宅録やDTM、ベッドルームテクノなどと呼ばれる個人制作スタイルが台頭し、ダンスミュージックなどを通じて、個人制作の文化が全世界に広がりました。そんな中、最後まで「未来の可能性」として実現せずに残っていたのがVOCALOIDのような「人の歌声を自由に操れるシンセ」だった。これはとても未来的な試みなのだと感じたのです。
VOCALOIDという技術自体はヤマハとスペインのポンペウ・ファブラ大学が開発したもので、初音ミクの前にもいくつかのソフトウエアが存在していましたが、それらの趣旨は音楽制作の過程で歌手に歌を聴かせるための「仮歌」として使われることを想定したものでした。でも初音ミクはそのような単なる仮歌用ではなく、バーチャルシンガーとして、もしくはアンドロイド的なアイドルシンガーとして、それ自体が未来的で存在感があるように企画しました。
──初音ミクという名前以外に、何かネーミングの案はあったのですか。
佐々木:たくさんの案を出して会議で決めたわけではなく、音声を編集しながら進めていきました。フルタイムの担当者はほぼ僕だけで……、いや、自分も別製品のマーケティングもあったから、みんな片手間でしたね。当時のクリプトンでは一番小さい放課後っぽいプロジェクトだったんです。そんなこともあっていろんな作業を並行して考えていました。初音ミクの名前を含むイメージ戦略を決める大きな要素はデザインでした。ヤマハのシンセサイザーの名機「DX7」のモチーフが使われていますが、それがもし使えなかったら服装もセーラー服のようなものになって、根拠のある未来感もなく、名前も違うものになっていた可能性もありました。髪の毛の色も、最初は緑とは考えていませんでしたが、ヤマハの担当者の尽力があって許諾が下りてDX7をデザインモチーフとして使えるようになったので、そのカラーを全面に使ったという経緯があります。
──実際にファンの間では、初音ミクに未来を感じるから好きだという意見が結構あるようですが、ご自身としてはどう感じますか。
佐々木:未来的なものは空想や妄想などの想像の中で好き勝手にイメージできるから良いですよね。だから、そう受け止めてもらえたのはうれしかったです。初音ミクをつくった当初は、明確なユーザーイメージや、ましてはリスナーイメージがあったわけではなく、自分に似たようなシンセサイザー好きや、まだよく分からないながら新しい技術に引かれる、未来志向の人に届けるイメージでした。
最初はSFやアンドロイド、ロボットテクノロジー、美少女アニメなど……、例えるなら「マクロス」の歌姫などが好きな人たちに、ストレートな受け止められ方をして盛り上がり、その後、徐々に若年層に広がっていったことを覚えています。未来好きのおっさんのイメージから、未来に生きなきゃいけない若者へとたどった感じ。クリエーターたちは、初音ミク自身を表現する歌、J-POP的な明るいポップスやロック、さらには彼らが抱いている未来や恋愛コミュニケーションへの閉塞感や割り切りのような刹那的な歌までを初音ミクの声で表現しています。
昔は、ポップな曲が強かったイメージで、最近は浮遊感がある声のものが増えて、透明な歌が揺れているようなちょっと不思議なポップロックも多くあります。シリアスなものもあればポップなものもあるこの振れ幅は、さまざまな志向が共存、両立しているようであり、いろんなモノが認められているような風土があると感じています。
──なるほど。未来とはいっても、未来への希望ではなくて未来への閉塞感や割り切りなのですね。
佐々木:未来というと、大げさかもしれませんが、「自分たちの将来過ごす世界への閉塞感」といったところでしょうか。ちなみに僕も結構不安ですけどみんな違うんですかね? 商業的な歌謡曲は、CMやドラマをはじめとしたタイアップの仕組みで頻繁に“流される”ことで恋愛や消費を促したり、生活者に内在する感情を突き動かしたりしますが、「将来への不安」などの「等身大の本音」を開けっ広げに表現するものはVOCALOID曲より少ない印象があります。VOCALOIDの有名曲は放送禁止用語スレスレのものも多いですしね。リアルであれば「将来への不安」などネガティブな感情さえもストレートに表現する、ある種の実直さの連鎖が、原点であり終着点なのかなと思いますね。
圧倒的なものを伝えようとする従来の創作フォーマットを、ネットが変えた
──初音ミクは二次創作の典型例のようによく言われますが、どう感じますか。
佐々木:二次創作されるものは、されやすい要因がある気がします。初音ミクは非常にレアケースと言っていいでしょう。通常のアニメ作品ベースで考えると、何らかのストーリーが30分アニメ12話の制限の中で収められていますが、アニメの中で生きているであろうキャラクターには、本編以外の生活や物語部分もあるわけです。一番理想的な、あるいは自分が見たいと思う場面やアナザーワールドやデフォルメを、この作品が好きな自分たちでつくって楽しんでもいいじゃないかという思考がファンの間に生まれ、空想が生まれ、それが結果として二次創作の創出になっていきます。でも、初音ミクはもともとのキャラクター設定がほとんどない。確かなものは声であり、ツインテールの女の子のイメージだけがある。
つまり、ユーザーによってつくられたストーリーや世界観は、限りなく一次創作に近い二次創作といえます。一次創作が二次創作によって「多数決で存在意義を与えられたシンガー」として見えたことで、ステレオタイプな二次創作の概念を変え、その強さが再認識できたと思っています。ネットでの創作の自由度が上がったという意味では、一歩前進だったのではと思いますね。ネットでの創作がドライブするには極論すれば、最近の著作権延命策など「大人の権利保護の都合」は冷や水なわけです。個人的な考えですが、企業の権利主張が悪目立ちしないような仕組みが今後望ましいとされていく気がします。
──ところで二次創作ということでいうと、初音ミク発売の5日後にネギを振る「はちゅねミク」がネットに登場して、その時に佐々木さんが「もうなるようになればいいや」と思ったという逸話が面白かったのですが。
佐々木:あの時は、とにかくみんな楽しそうで、みこしの上に初音ミクを載せてその喧噪があちこちに伝播していく感触がありました、ニコニコ動画というデジタル空間をお祭りの場として使っている感じがすさまじかったです。また、もともと音楽が持っている根本的で説得力のある部分が動画に結び付いていると感じました。この話はいくらでもお話しできますね。
ネットでのニコニコ動画での創作が珍しく、思い付いたアイデアをいろいろと試せる空間だったのが素晴らしかったのだと思います。みんなで同じ方向を向きながらも、それぞれが個性的なアイデアを提示する、連鎖する、さらに別解釈のバリエーションが同時多発的に生まれたり、テクノロジー技術で応用されたりという創作や驚きの連鎖が良かったのだと思います。
──芸術的な創作の世界で集合知による傑作ができた実例はほとんどない、とは一般的によく指摘されることなのですが、実はそれはフォーマットが違うだけなんじゃないかという気もして、初音ミクはそもそも映画などとは全く違うフォーマットでできているようにも思います。
佐々木:初音ミクのコンテンツは当初、ユーモラスなものも多く、非常に参加しやすい雰囲気を持っていました。実にポジティブなムードというか空気感が立ち込めていたと思います。それは集合知的なものではなく、みんなでワイワイ作品を持ち寄ったり、例えば花火を眺めているような感覚でそれぞれの作品を楽しむものです。
ネット上でなかなか成立しにくい集合知があるとしたら、企業なり個人なりが、目的を持って、利用価値のある圧倒的なものをつくろうとしている場合じゃないでしょうか。分業と統合を繰り返すような圧倒的なものをつくるには資金も時間もかかるし、ふんわりとした共感が生まれにくい。VOCALOIDのネットの創作は、つくった人と、それを聴く人たちとの距離の近い触れ合いが日常的にあって、それをバイタリティーにまた新しいものが生まれていくような、個人完結された創作が連携したり連鎖するサイクルであったことが特別だったと思います。
──いわば、ネットがない時代の創作のフォーマットは圧倒的なものを伝えるためのものだったけれど、ネットはそのフォーマット自体を変えてしまったということですね。
佐々木:ネットで好まれるフォーマットは参加しやすくワイワイ楽しめるもので、視聴者が干渉し得ない閉じた想定の旧来のフォーマットは不利なのかもしれません。例えば、音楽マニアのための知識や、音楽ジャンルの定義マナーは新規参入するクリエーターもファンも萎縮させてしまう印象があります。音楽ジャンルとしての決まりやある種の絶対的な開拓者・功労者がはっきりしていないアニメソングやVOCALOIDは、フォーマットとして参加しやすいところがあったように思います。
一方で、ネットによってほとんどのコンテンツは、いつでも見られるものであり、常に増え続けるスパイラルにあります。その果てには膨大なコンテンツの一つ当たりの存在意義が薄くなってしまうのではないかという時代の雰囲気は避けられませんよね。「検索」の意味や意義は重くなる一方だと思います。
声優・藤田咲さんが感じていることこそ、最先端の未来?
──ボカロP(初音ミクなどのVOCALOIDのソフトを使って作曲・演奏をする人)がつくる音楽についてはどう感じていますか。
佐々木:まず、説明がつかないくらいにいろいろな曲があったことを思い出します。最初の頃は、初音ミク自身が歌っているような、もしくは普遍的で物語性が強いような、分かりやすいポップだったりロックだったりといったサウンドが受けていて、自分もVOCALOIDの初音ミクたちのフィールドはそういうものだと思っていました。それが2007~10年くらいまで続いていた記憶があって、これがキャラクターとしての初音ミクたちのパーソナルな印象をつくり上げたと言ってもいいと思います。あの日、あの時、あの場所で、たまたまの偶然と必然が折り重なっていた、みんなが皆に聴いて欲しいと思った歌が多かった、という印象です。最近では世界観でも雰囲気でも、オリジナリティーがあるもの、ひねった表現のものが目立ってきている気がします。
また、初音ミクは人間的な歌唱力を持ち合わせていないわけですが、今の若いクリエーターやリスナーの多くは、必ずしもヒューマンライクな表現ではなく、言葉のリズムの速度感や、言葉の意味の情報密度感であったり、ラップやポエトリーリーディングとは違う形で日本語の魅力を聴かせるための韻の踏み方などが受けていて、ここ数年でそのような作品がたくさん出てきています。なんというか……、歌が人間のシンガーから乖離して、VOCALOIDだからこその「人間の気配のしない言葉そのもの」に注目が行っている部分もあるんじゃないかと思いますし、こういったある種ガラパゴスな環境の中で、特有のテンポ感や、ネットなどのスラングに合った言葉のリズムやスタイルも少しずつできているように思いますね。
──VOCALOIDの影響で、J-POPでもサビが英語という歌詞が減って、日本語で心情や状況を描写する歌詞が主流になってきたと指摘する人もいます。
佐々木:1990年代の半ばは、世界の音楽のトレンドが、ヒップホップやR&Bによって変わってきた時代で、日本の音楽がアメリカのそれを追い掛ける際に、英語の雰囲気を日本語に置き換えるところまで即時に追いついていなかった印象があります。なので、そのままサビを英語にしてしまおうという方法は普通だったと思いますが、英語はその意味が持つ感情が入ってきにくい。今の日本語の歌はラップや英語表現の吸収を経て、メロディーと日本語の歌詞の配置法も発展してきているのかもしれませんね。
──70年代にあった「日本語ロック論争」(ロックミュージックは英語で歌われるべきか、それとも日本語でもロックは可能かという論争)を想起しますね。
佐々木:そうですね。細野晴臣さん(日本語ロック論争の中心となった「はっぴいえんど」のメンバーでもあった)のような開拓者的な先人の自由感覚と、今のVOCALOIDの言葉遊びの感覚はもしかしたらアプローチが近いのかもしれません。
──デジタルの音楽と人間が奏でる音楽との関係は、今後どうなっていくのでしょう。
佐々木:テクノロジーはその宿命上、進化という主張を振りかざして、どんどん変わっていきます。その中で、音楽をつくる手法をテクノロジーが補助しながら、創作が簡便にできるようになるソフトウエアが進歩してくると思います。作曲補助ソフトは、ポップミュージックのメソッド化を進めるでしょう。それがアーカイブされて簡単に利用できるようにテクノロジーが進歩すれば、王道ポップスは構造解析され近いものが簡単に作れるようになり、誰もがいつか聴いたような曲を試せるようになります。ただその分、楽曲の特別感は薄れて、リスナーが自分の気持ちの代弁を音楽の中に探すような行為は減るのかもしれません。それによって音楽が画一化するのか、個性的な表現がもっと編み出されるようになるのか、そのあたりは興味深いですね。
──人間とテクノロジーの関係ということでいうと、初音ミクは声優・藤田咲さんの声を元にしていますが、初音ミクと藤田咲さんの関係ってなんだか付かず離れずの感じで、すごく興味深い関係だと思うのですがどうでしょう。
佐々木:藤田さんと初音ミクとの関係というのはすごく未来的なテーマだと思います。さらに発展した歌声合成テクノロジーによって初音ミクが影響を受ける未来は必ずやってきます。藤田さんイコール初音ミクではないですが、VOCALODが処理している音の接合部分や、デジタルなノイズ成分を間引いていくとどんどんと藤田さんのシンプルな声があらわになっていく。今、その感触を知っているのは声の素材の組み込み作業をしている自分たちと、元の声を出したイメージを持っている藤田さんだけなんですよね。
でも未来の技術では、ノイズやエラーは根本的に減っているかもしれない。元の声にあった微細な揺らぎを読み取って、他の歌の表現と結び付けて体系化されるのかもしれない。人間の声や歌の構造と、奏法テクノロジーの結び付きの未来はいろんな可能性があります。また、世間的に知られている「初音ミク」は「歌を歌っている」わけで、藤田さんは収録時に厳密には歌を歌ったわけではない……というこの差異が、テクノロジーが生んだリアルな状況とも感じます。初音ミクの概念として、絶対に藤田さんはその根源にいる。その意味が評価されるのは、まだ先でしょうけど、こんなにも特別な形でテクノロジーの本質や可能性に接近した女性はなかなかいないと思います。
──藤田咲さんが今「考えている」というか、「感じている」ことは、ある意味ですごく未来的なものなんじゃないかという気がするのですが。
佐々木: 特別な立場と視点で、初音ミクの存在やVOCALOIDのテクノロジーの意味を感じている特別な人だと思います。今後、インテリジェント化されていく合成という仕組みの中で、その中核に居続ける。現時点でも彼女の声や、のどの揺らぎが、そのままでは無機質だった合成技術のディテールに使われているわけですから。いま、彼女を評価する観点や裏付けが曖昧でも、将来彼女の声の価値が正しく認められ、評価されることになると思います。彼女の声こそが、初音ミクの大本の大部分であり、大きな可能性の一つだったと思います。
デジタル化が、音楽の多様性を狭め、情報過多にしている弊害も
──そもそもデジタルやネットと初めて出合った時、ご自身はどう感じましたか。
佐々木:パソコンが普及する中、とても便利であるもののCDより音質が悪くてより軽いデータファイルが重宝され、あらゆる音楽がデジタル化されてどんどんネットの中に吸い込まれていってしまう感覚がありました。mp3で伝わりやすい音楽がある一方で、臨場感の再現が難しい生演奏、オーケストラ演奏やコンテンポラリー音楽芸術など会場の雰囲気ありきのものは、そのムードをネットで伝えるのが難しいと感じました。音楽によってネットとの相性があるなと思います。デジタルの世界では、YouTubeの再生数のような、単純に数値化された評価軸で並べられてしまっている状況があり、他人の評価や再生数などの音楽に付帯する履歴情報が音楽を覆い尽くしているように感じます。
音楽に付帯する情報の増加は必然ですが、それは音楽が伝わりやすくなる手段とも、音楽に集中できなくなる要素ともいえます。音楽と出合うプロセスが、SNSや音楽に付帯する情報にコントロールされ、音楽の評価がデジタル情報寄りになると、個人的な動機のある体験ではなく、小さなキッカケで「ちょっとだけ聴いてみる」音楽が増えてしまう。誰でもアクセスできて、ザッピングできる自由は素晴らしいです。でも、記憶や心象に残る音楽が減って、音楽視聴感覚の多様性がなくなるのではないかと少し不安です。
──その多様性とは、例えばアコースティックな生の音の良さといったことでしょうか。
佐々木:音楽から感じる作り手の気配や、演奏時の雰囲気……、この認識もあくまで旧来の音楽の捉え方にすぎませんが、“生”では当然であるような、微細なムードのような部分から削がれていきそうではありますね。これには、作り手側のテクノロジーの進化、つまり少人数や自分一人だけで音楽を完結させられる環境が急速に広がったことにも起因すると思います。サウンドエンジニアや何人かの演奏家で分担してつくっていたアンサンブルが、全部一人の手元でできるようになる。音楽の最低限の宣伝も本人だったりする。
皮肉っぽい見方ですが、どれだけ作曲や作詞の感性があったとしても、テクノロジーへの勘所が良くてうまく操作ができることの方が重要になります。便利で一人で作れるが故に、担当する部分が増え、管理部分が増え、あってもなくても大丈夫なディテールに集中力を注ぐのが難しくなるのかもしれません。とにかくハードルが下がると同時に、上がっている気がするんですね。
──以前のインタビューで「2005年くらいからネットの進化と相まって、音楽の聴かれ方が大きく変わった」と発言されていますが、そこで大きな転換があったのでしょうか。
佐々木:デジタルテクノロジーは、インディペンデント志向の人たちにとって、ある時期まではすごくプラスに作用していた気がします。携帯電話などが普及した初期の頃、日勤をしながらでも合間時間で、外部と個人的な連絡が取れるようになり、個人の嗜好性に基づいた小さな音楽レーベルなどをつくることができるようになったわけです。
ただ、それが簡単になり知れわたり過ぎると、ブームになって、似たようなレーベルが増えてレーベルの意味性が分かりにくくなるきっかけにもなった。その単位を個人レベルにしたのがネットというイメージもあります。テクノロジー自体が、音楽を発信する方の動きにも、聴く方の動きにも作用するわけです。そして音楽を発信する側には、テクノロジーの発展が強く約束されているのが今現在です。
──ネットがあらゆるものをフラット化したことによって、音楽だけではなくいろんなジャンルで、歴史の持っていた遠近感のようなものがある時期から急速に消えていった印象もありますね。
佐々木:例えば、昭和後期に20年前の大衆音楽を聴くとすごく古く感じたと思いますが、今、20年前の90年代の音楽を聴いても、あまり昔のものだとは感じないことが多い。音楽的な試みはライブラリー化されて、楽器や表現も体系化されてきています。音のディテールの部分は変わってもフォーマットは似ている。今後は、進む時間に対してコンテンツ内容の変化量が少なくなっていくのだと思います。
20世紀の延長線上があると思う旧世代と、ないと思う新世代の二極化が進む
──AIは人類の脅威であるとかロボットは人間の仕事を奪っていくといった予測をする人もいますが、どう感じますか。
佐々木:今、テクノロジーを扱っているメーカーは、これからの世界を豊かにしていこうという意識もあるでしょうが、結果としては、マーケットとして生活者に旧テクノロジーを使った商品から新テクノロジーを使った商品に乗り換えさせるかのスパイラルを押し付ける格好になっていると思います。テレビもパソコンもソフトウエアも、継続発展と買い替え促進のバランスは深刻な問題です。
例えば、私も今、ご多分に漏れず、ミクのバージョンアップ版をつくってますが、より良いクリエーティブツールを提供したいという理念と、企業としての数年に一回利益が必要という2つの意図のバランスがあります。ちなみに今回のバージョンアップの言い訳としては、「声が良くなって、他の音に埋もれないので、使用者の表現の可能性が増える」です。
次は「いろいろな人間の歌唱表現が半自動で選択できるようになって、さまざまな表現が試せる」あたりでしょうか? その次くらいからはアピールポイントが苦しくなるかもしれませんが、なにかしらの機能向上、多機能化、利便性向上などが宣伝文句として用いられると思いますね。歌声合成の本質として、人間の声の形状を記憶して、長さや高さを変えつつも生々しく復元するという技術概念がありますが、こういった概念は冷凍食品のような生モノに対する保存技術と同じように品質向上していくと思います。この行く末は楽しみでもありますが、どんな声でも再現できるようになって、声の特別性がなくなるのかもしれません。
テクノロジーの発展は、操作の自由度や編集力を上げますが、そのテクノロジーもやがてSF的で特別ではなくなり、当たり前のものになっていく。人間は便利なものにすぐ慣れますから。良くも悪くもデジタルテクノロジーやシステムもしくはそれにまつわるルールをデザインする者が世界をデザインするという状況になっている。なので、AIが仕事を奪っていくというよりは、どこかの誰かが決めた、効率的で商業的なルールが、われわれから仕事や可能性のイメージを奪うのだと思います。
──ネット化やデジタル化の結果として、これまでの延長線上にものを考えることにもはや限界がきているのでしょうね。
佐々木:未来とは20世紀の経済が推し進めたルールやシステムの延長線上があると思っている旧世代と、バブルの延長線上なんてないと思っている新世代がちょうど親子関係くらいの年齢差で二極化していると思うので、そのずれを踏まえて両面の意識を捉え考えることが必要な気がします。感情的にも難しいことですね。
──初音ミクは、これからどのように進化するのでしょう。
佐々木:そうですね。歌声合成ソフトとしての初音ミクの進化については、まずはクオリティーアップの正統進化でしょう。ただ、ノイズにこそ個性があったりするので、多方面に向けて「初音ミクらしさ」を考えながら注意深く考えていく必要を感じます。極端な話、ノイズや発音の悪さを含む、さまざまな初音ミクを再現できるようにしながら、大本の品質は上げていくことの両軸を検討するでしょう。
次のバージョンの「初音ミク」は、VOCALOIDと藤田咲さんの声の間にあった不自然な要素を徹底して取り払っていますが、それは歌詞とメロディーの条件によって「何を言っているのか分からない」という部分を削減する意図があります。クリエーターの言葉をリスナーに届きやすくしたいという理由です。ただ、今までの曖昧な発音が良かったという人もいるかもしれません。クリエーターは、初音ミクの声の何をファンは聴いているのだろうかと、常に悩んでいます。
例えば、まだ妄想的ですが、初音ミクの歌唱表現に思うところがある人たちに向けて、カスタマイズやカスタムメードできる初音ミクをつくるのも一つの可能性かもしれません。今から5年前に、私は初音ミクAppend=追加コンテンツという形で、初音ミクの声を増やす実験をしましたが、今は当時より緻密に声の一部分や声の傾向を変更できるテクノロジーがあります。
例えば特別なモードとして、音程が高くなればなるほど声が大人びて、低くなるほど子どもっぽくなるような、表情作用を持つ初音ミクや、ある一定条件で声の出だしの特定の倍音の立ち上がりがゆるむ不安定な初音ミク、モーフィング技術によって母音をいくつかの方向で曖昧にできる初音ミク……、などの可能性は探りたいですが、需要や効果の大小は分かりません。こういった、テクノロジーの応用はユーザーの好みと趣向に照らしあわせたさまざまな実験、検証、淘汰といったチューニングが必要だと考えます。いきなり多くの人に向けてできる実装と、より範囲を限定して行う実験を使い分け、段階的に一般化する作業や判断を効率化できないかなと。
ですから、今、自分が欲しいのは多くのアイデアとそれを試せるテクノロジー、初音ミクに具体的な何かを求めてくださるユーザーとの直接的、間接的を問わない情報のやりとりや、コミュニケーションです。ユーザーの、これを扱いたい人たちの気持ちが知りたいのです。
今までもこれからも、初音ミクが存在するネットの世界は僕にとって井戸の向こう側みたいなもので、その向こう側にたくさんの人が居るのだと分かっていますが、のぞき込んでもただただ深くて、でも石を投げたらポチャンって音がするという感じで(笑)、その向こう側を毎日のぞき込んでるんです。この状況に、優柔不断になっているだけだとクリエーティブな行為にはならないので、そこから応用的に考えたり、視点を変えるようにしないといけないと思います。自分自身、まだまだ発想力や、視点の多様化、努力が全然足りません。
──初音ミクは10代の人たちでも人気ですが、未来の子どもたちについて思うことは。
佐々木:日常出合う情報って、ネット以前は、ローカルな生活者同士の井戸端情報と、広告や雑誌、テレビでの企業主体の情報みたいな感じで分かれていた訳ですが、今はTwitterにしろ、Naverまとめにしろ、Wikipediaにしろ、プロとアマ、営利と非営利の境目が薄まりつつありますよね。初音ミクの曲も、どこかの誰かの歌が多いけれど、企業的にマーケティングされたものもある。これが混在していることが、新しいなと感じています。
子どもたちには、指標がわかりにくく大変な時代だと思いますが、ネット時代に適した仕組みをつくれるのは、デジタルネイティブの子どもたち以降の感覚なんだと思います。大人たちが判断し切れなかった情報を、ネットをうまく使い、あるいは遮断し、知識や理性を武器にして、新しいデジタル時代の価値観をつくっていってもらいたいなと思います。その中で、初音ミクのような、みんなでこねくり回せるユーモラスなテクノロジーが増えていけばと思います。
*インタビューの際に語られていた「初音ミクのこれからの進化」に関連して、ちょうどクリプト ンの新しい初音ミクのティザーページが更新された。佐々木氏の「新しいテクノロジーの中で、初音ミクらしさや、アイディア、ユーザーとのコミュニケーショ ンを追求していく姿勢」は、今まさに続いている真っ只中のようだ。
http://www.crypton.co.jp/mikuv4x