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復興は終わらない~岩手県大槌町長と大槌湾ほたて養殖組合長に聞く

2015/10/23

東日本大震災から4年半を経ましたが、東北では復興にはまだ遠い現実があります。電通は、震災直後から組織横断チーム「東北復興サポートネットワーク」を立ち上げ、地域の方々や地元メディアと協働しながら、東北復興への寄与を目指して活動してきました。

当連載では同ネットワークメンバーが、つながりの深い地域から地元の声をレポートします。

第1回は岩手県大槌町。震災で甚大な被害を受けた地域の一つで、電通が4年間継続して合同慰霊祭をお手伝いしているつながりの深い町です。9月に新しく町長に就任した平野公三氏に電通MCプランニング局の早乙女祐基が、大槌湾ほたて養殖組合の斉藤文雄組合長に電通 新聞局・早乙女祐基がお話を伺いました。

かつての大槌町の市街地はいまだに造成工事の段階だ


いまだ4人に1人が仮設住まい。声なき声に耳を傾けコミュニティーを再生したい。

大槌町では津波で住民の約1割に当たる1285人が犠牲になりました。加えて震災後、働く場所を求めて若い世代が町を出ていったことで人口は減少し続け、高齢化が課題になっています。

町に入ると、かつての市街地では盛り土工事のダンプカーが土煙を上げて走り、いまだ町の形は見えていません。津波の壮絶さを伝える旧役場庁舎は、「震災遺構」として保存か解体かで住民の意見が分かれています。

平野氏は、町長をはじめ幹部職員の約半数が亡くなる中、2011年6月から約2カ月は一般職(総務課長)として異例の町長職務代理者を務め、同11月から今年の3月まで総務部長兼総務課長として町政に尽力してきました。

今年夏の大槌町長選では、これまでの経緯を踏まえて集中と選択による復興計画の見直しを訴え、町民の支持を得て当選を果たしました。

大槌町の現況を語る平野町長。町長室には激励の大漁旗が掲げられている

 
早乙女:改めて大槌町の現状を教えてください。

平野:大分落ち着きを取り戻したものの、現在も4人に1人が仮設住宅に住んでいるという厳しい現実があります。

震災直後の私たちは、高いところに住みたいという気持ちが強くて、盛り土してその上にインフラを整備するのにどれだけ時間がかかるのかは考えられなかったのです。ハード面の工事の遅れを少しでも短縮したい。待っている時間が延びることで心が折れてしまう方もいます。特に高齢の方の心をしっかりと支えていきたい。

早乙女:心の支えと言われましたが具体的にはどんなことでしょう。

平野:仮設住宅で周りの人がどんどん減っていく、また、災害公営住宅に移ったことで孤独になってしまった方も見受けられます。もともとの地区・地域とは違うところに住むことになる人も多いので、これまで培ってきたコミュニティーが分断されて、寂しいという声をよく聞きます。コミュニティーの形成が大事になってきています。

早乙女:あらためてこのタイミングだからこそ、コミュニティー再生が重要だということですね。

平野:もっともっと地域の人たちがお互いに交流できる場をつくっていかなければなりません。事業の優先順位をつけて、本当に必要なものを精査していますが、進みつつあるハード面の復興を変更するには限界があるので、ソフト面をきちんと整えていくことに力を入れていきます。

また、工事がどうして遅れるのか、言いにくいことも丁寧にしっかりと説明することも大事だと思っています。

早乙女:住民とのコミュニケーションを大切にする、これは、町長になる前から、平野さんがおっしゃっていたことですね。

平野:役場から外に出て顔と顔を突き合わせ、少数意見にも耳を傾けたい。大きな声や皆の意見をまとめることより、声なき声の中にある知恵を皆の知恵にできるよう、風通しの良い町にしていきます。

早乙女:産業振興についてはいかがでしょうか。

平野:漁業就業者数は町内人口の3.8%、域内総生産での比率は数%と高くはないですが、第1次産業、特に水産業は心の支柱になっています。やはり、浜が元気になることは私たちの力になります。沿岸部はどこも産物が一緒で6次産業化(※)は簡単ではありませんが、自分たちが自信の持てる「大槌ブランド」を持ちたいと強く思います。お金より知恵が大事になります。

※6次産業化:農山漁村の活性化のため農林水産省が推進する、地域の第1次産業(農林水産業)とこれに関連する第2次、第3次産業(加工・販売など)の融合などにより、地域ビジネスの展開と新たな業態の創出を行う取り組み。

 
早乙女:外からの知恵も入ってきているのでは。

平野:災害は不幸なことでしたが、これまでにない多くのつながりができたことも事実です。他の自治体やボランティアの助けが大きな力になりました。今でも、地元の人以上に大槌が好きで残ってくれている若い人もいます。そういう方たちの生の感覚をしっかりと受け止めていくこともやっていきます。

早乙女:最後に、ウェブ電通報読者へのメッセージをお願いします。

平野:これからがいよいよ、地域の本気度が試される時期です。大槌に残り、誇りと自信を持って暮らしていく。そうできるよう、一つ一つ積み重ねていきます。

大槌出身者や、大槌町に親戚や友達がいる方など、何らかの関わりがある外の方は、町の人口以上にたくさんいらっしゃいます。よく震災の風化が言われますが、復興する過程を発信することで、外の人ともつながり続けていきたい。内外のつながりを大切に復興に向けて真っすぐに進んで行きます。

町長室に置かれているボランティアからのメッセージ


「ひょうたん島活ほたて」で浜を元気に。漁師たちが初めての営業活動。

大槌町はもともと、わかめやほたてなどの養殖業が盛んな地域でした。震災で漁場や市場が被災し、元々の漁業協同組合は債務超過に陥り再建を断念。自ら立ち上がった「大槌湾ほたて養殖組合」は、これまで商品取引を任せていた漁協に頼らず自ら、食べる人や飲食店関係者との「目に見える関係」づくりに取り組んでいます。

大槌湾ほたて養殖組合の皆さん。斉藤文雄組合長(右から2番目)に話を伺った

 
森尾:ほたての養殖は震災で壊滅的な被害を受けたと伺っています。

斉藤:震災前には45人ほどが従事していましたが、養殖用のいかだも全て流され、当初は再開不可能とまでいわれました。何とか3カ月後の6月に8人で始動し、現在では10人で活動しています。

森尾:震災前に比べて、生産量はどうですか?

斉藤:全体量は減っていますが、個人の生産量は約2・5倍になりました。実は、場所も広くなったので水通しが良くなったのです。

ただし販売額が低いので、一人約15トン水揚げしても経費を引くと利益はゼロ。種を育てる設備が十分に整えられておらず、足りない分を北海道から買っているのですが今年は単価が上がって、それも経費を押し上げています。

これまで販売は漁協に任せていましたが、30~40歳代の漁師たちが中心となって自分たちで販路を開発することに乗り出したのです。

森尾:営業もされているのですか。

斉藤:私たちは漁師としていいものをつくることには自信を持っています。けれども、営業活動なんてやったこともないので、戸惑うことの連続でした。まずは、大槌湾で取れた「ひょうたん島活ほたて」を知ってもらうために、2013年から関東圏をはじめ日本各地のイベントに出店してきました。

ほたてを引き上げる斉藤さん。養殖をゼロから再開して4年たつが、安定的に供給できるようになるには課題が多い

 
森尾:大槌湾のほたての特長を教えてください。

斉藤:大槌湾は三陸海岸の真ん中にあり、親潮と黒潮がぶつかる海域で良質なプランクトンが豊富です。そして、3つの川が流れ込んで新鮮な海水の循環があり、そこで育まれた「ひょうたん島活ほたて」は、貝柱の厚みがあり独特の甘みの強さと歯応えのある繊維が特長です。

著名フランス料理シェフ、東京のすし店にも高く評価されるなど、品質へのこだわりが認められてきました。

森尾:個人販売も始められているのですね。

斉藤:水揚げから加工、箱詰め、発送、営業活動とやらなければならないことはいくらでもあり、平均3時間の睡眠でも手が回らないくらいです。今は価格を抑えて、皆さんに知ってもらい数を出すことに注力しています。体験ツアーも行っているのですよ。

成長過程でほたてをサイズ別に分け、1枚ずつ貝殻の耳に穴を開けて吊り下げる「耳吊り」という方法で養殖している。
出荷時にはほたてについたムール貝などを鉈(なた)で丁寧に削り取る。全て手作業で行われている


森尾:町長も大槌ブランドの必要性を語っておられました。

斉藤:大槌湾にある蓬莱島(ほうらいじま)がNHKの子ども番組に登場したひょうたん島のモデルであることから「ひょうたん島活ほたて」の名を付けました。

私たちが手を掛けて大事に育てていることを味で実感していただけるようになり、少しずつですが、全国にファンも増えてきています。

復興の象徴でもある「ひょうたん島活ほたて」を早く安定的に供給できるようにして、安心して漁業に従事できる後継者を育てていきたいと思っています。

大槌湾に浮かぶ「ひょうたん島」

「ひょうたん島活ほたて」の詳細は http://ootsuchi-hotate.jimdo.com/