弘前城の石垣修復工事そのものを、観光化する。
〜公開型工事。工事をいかに魅力的に見せるか。弘前市の挑戦〜
2015/12/17
弘前市で展開されている弘前城本丸石垣修理事業。修理工事の多くは、一般公開されることはない。
しかし、弘前市が選択したのは公開型工事。工事そのものを一般に公開し、観光資源としても有効活用しようというものだ。このユニークな事業を推進する、弘前市公園緑地課の弘前城整備活用推進室兼スマートシティ推進室総括主幹の神雅昭氏に公開型工事のメリット、今後の展開についてたずねた。
【動画】HIROSAKI MOVING PROJECT タイムラプス ~天守着座編~
“魅せる”公開型工事を展開。まず100年前の普請風景を再現
青森県弘前市のシンボルである弘前城。藩政時代から全国に残る12天守の一つであり、東日本では唯一のものである。城内には、天守、櫓(やぐら)3棟、城門5棟が残され、いずれも重要文化財に指定されている。その魅力を弘前城整備活用推進室の神氏は「全国のお城を全て網羅したような形で見ることができる」と語る。
その弘前城のある弘前公園で進行中なのが、弘前城本丸石垣修理事業だ。天守を曳屋と呼ばれる手法で移動させ、石垣を修理する。発端は、石垣の一部にはらみや天守の傾きが確認されたことだった。1983年の日本海中部地震をきっかけに定点観測を行ってきたところ、放置すれば地震などにより天守を巻き込んだ石垣崩壊の可能性があることが判明した。修理事業は2015年度から着手し、石垣の修理工事が完了するのは2023年度という壮大なものである。
しかし、弘前城は弘前市にとって重要な観光資源。特に桜の季節には、桜、お城、石垣などが一体化した絶好の撮影スポットとして知られている。そこからお城を移動させることは、観光資源の消滅を意味する。観光客誘致の面で、大きなマイナスになることは明らかだった。そこで弘前市が打ち出したのが“公開型工事”だった。工事の工程そのものを観光資源化しようということだ。
「単に工事を見ていただくだけでは魅力がありません。写真を撮りたくなるような光景にしたいというのが念頭にありました」 ──神氏
石垣修理に取りかかるには、まず足場を組み上げる必要がある。鉄骨むき出しの形状が一般的だ。これでは魅力がない。100年ほど前に工事をしたことがあり、当時の写真を見ると丸太を組んで足場をつくっていた。そこで、その光景を再現しようと考えたのだ。
単管パイプには丸太を組み合わせ、荒縄で結んだ。太い鉄骨には、麻の布を巻き付ける。すると、遠目には全体が木材で組まれているように見える。さらに、津軽藩の家紋を付けた陣幕を張るという徹底ぶり。100年前にタイムスリップしたかのような光景をつくり出したのだ。
「いつも見に来ていただいている方には、『あそこが変わったね』とか声を掛けていただいて」 ──神氏
公開型工事の手始めとしての足場の組み上げは、弘前市民の関心を集めることにも成功した。
市民に愛される弘前城だからこそ、そのままの姿で移動させたかった。
しかも市民の力で
石垣を修復するためには天守を移動させることが必要であり、そのためにはいくつかの手法がある。天守を一度解体し、別の場所に組み立て直す。あるいは、鉄骨を天守に差し込み、ジャッキで持ち上げ移動させる、などだ。
「お城にとって一番ストレスがかからないのは、そのままの形で移動させることだろうと。弘前城は市民の方々に愛されているシンボルでもありますから、解体されたり、串刺しにされた姿を見せるのは忍びない。天守が傷んでいるわけでもありませんので」 ──神氏
そこで選ばれたのが、天守を石垣と切り離し、下から持ち上げる工法だ。そして天守の下にレールを敷き移動させる、曳屋(ひきや)と呼ばれる方法。石垣と切り離す地切りは8月16日に行われた。
「正直、不安もありました。崩壊の可能性がある石垣の上に乗っている天守を持ち上げるわけですから。下を養生して幅広の鉄板を敷きジャッキを設置する。ジャッキに油圧をかけて持ち上げるのですが、約400トンもの天守の重さに石垣が持ちこたえてくれるか、分かりませんでした」 ──神氏
まさに一発勝負だったが、この第一の関門を何とかクリアできた。ところが苦難はまだ続く。レールに乗せた天守を、石垣から井桁の上のレールに移動させなければならない。問題は、天守を移動させてその荷重が石垣と井桁の両方にかかったとき。石垣の地盤と井桁の部分では地盤反力が異なる。
「すごく不安定でレールもゆがみます。これまでの作業の中で一番神経を使ったところです」 ──神氏
この作業が行われたのは、9月3日からの3日間。慎重に慎重を重ね、動かせたのは1分間で30センチ。3日間で約20メートルを無事移動させることに成功したのである。
そして迎えたのが、9月20日から27日にかけて弘前城本丸で開催された曳屋体験イベント曳屋ウィーク。天守の台座から延びる4本の綱を約100人で引っ張り、天守を人力で動かす。綱は市内の中学校から運動会の綱引き用の綱を借りた。こうしたところにも、市を挙げての協力がうかがえる。
イベントには市民など一般の方約3900人が参加し、天守の総移動距離は1回15センチ、延べ35回の曳屋で5.3メートルを動かし、約3万人の市民、観光客などがその様子を見守った。このイベントは公開型工事の域を超え、“体験型”として大きな話題となった。
天守の移動前から、公開ステージも仮設されたが、これにもこだわりがある。
「私どもは、工事現場にあるような単管のものを考えていたのですが、業者の方が弘前公園に調和したものを設置したいと。杉材で全部つくってくれたのです」 ──神氏
行政と市民、そして工事に関わる人々、全てが心を一つにしたからこそ、これだけの事業が成功したわけである。
石垣を一度解体し、忠実に再現する。弘前市の挑戦がまだまだ続く
今後、さまざまなイベントが展開されるが、工事の面で大きな作業になるのが石垣の解体、そして石垣の再現である。その間に膨らみの原因の検証も行われる。修理予定範囲は約1100平方メートルに上る。使われている石の数は約3000個。その一つ一つに番号を付け、位置を記録し、また同じ場所に戻さなければならない。。
「3000ピースの完成したパズルをバラバラにして、また忠実に再現するような作業ですね。ただ、中には割れているものもある。新しい石に取り替えるのですが、同じような石を探さなければならない。それが約3割、900個ぐらいある。これを見つけるのにも一苦労しそうです」 ──神氏
たとえ同質の石が見つかっても、場合によっては形状を調えなければならない。そこまで徹底しているのだ。石垣解体作業の着手は、2016年の秋を予定している。元通りに積み直し、天守を元の場所に戻すのは2021年だ。石垣修理工事全体が完了するのは、その2年後の2023年になる。その工程を基本的に公開していく。弘前市民にとって微妙に変化していく弘前城周辺の姿を見ることは、楽しみの一つになっている。また、観光客にとっては、二度と見ることができない光景を目の当たりにすることができる。
「100年ぶりの曳屋、そして石垣の修理に携わることができたのは、喜びであり、責任の重大さも感じています。そして、この事業を後世に残していきたい。その意味からも見せる公開型工事ですので、より多くの方にご覧いただきたいですね。それぞれの方の中にこの事業が印象付けられ、お子さんやお孫さんにも伝えていただければ、まさに後世に残る事業になると思います」 ──神氏
【取材を終えて】
公開型工事というユニークな発想は、地方創生の新たな方向性を示すものです。
電通テック・プロジェクト開発室 田中 正人
工事を統括されている神氏は、曳屋に携わった業者の方から「曳屋は単に建物を移動させることではない。お城であればその時代を生きた人たちの思い、民家であればそこで暮らした人の思い出を一緒に移動させることである」と教わったそうです。その言葉には、私もハッとさせられました。天守が動く。「動く」ということは、活性化するということでもあり、新しい思い出が生まれるきっかけでもあります。
今、まさに弘前市では、そういうムーブメントが行政を中心とし、市民、そして携わる業者の方々などを巻き込んで起きています。私自身、この事業を通じて、いろいろ勉強させていただいております。観光客の方はもちろん、地方創生に携わる方にも、ぜひ公開型工事という新たな事業の進行を体感していただければと思います。