Experience Driven ShowcaseNo.73
ココロを動かす演出論(後編)
2016/07/13
海の旅を五感で体感できるホールイベント「AQUARIUM BY NAKED - TO THE SEA-」(以下、アクアリウム)が8月末まで開催されます。今回はこの新感覚のイベントを制作したネイキッドの村松亮太郎さんと、電通の米山敬太さんが語り合った後編です。
取材・編集構成:金原亜紀 電通イベント&スペース・デザイン局
「期待に応えるのか」↔「予想を超えるのか」
米山:物語をつくるときは、見ている人の期待を考えながらつくるわけですよね。
村松:そうですね、結果的には考えていますね。お客さんの感覚とズレないように、シンクロしようとしています。
米山:期待を超え過ぎてもだめだし、うまく期待に添うのは難しいのでは。
村松:男女関係も同じだと思ってまして、強引な人が好きっていう人がいますけど、本当に強引ならたぶん迷惑だと思うんです。適切な強引さが必要で、それって受け手は自分の期待を超えてほしいんですね、多分。その加減のバランスが重要なんでしょうね。
意外性のつくり方も難しくて、僕がやりたいのは、素人が見ても玄人が見ても、マニアックに見ても、何も分からないで突然来ても感動できる領域。ポピュラーでありたいし、本質的でもありたいし、新しくもありたいし、クラシックでもありたい。言ってみれば、ビートルズですね。
僕はこの会社をつくったときから、どうやったらビートルズになれるんだろうとか、ビートルズ的なるものとは何ぞやを求めている。「レット・イット・ビー」がすばらしいメロディであるということに理屈はないし、「ヘイ・ジュード」の「ヘイ~」って始まった瞬間に、なぜこんなに完璧なんだろうと思う。
ファンが聴いてもうなるし、詳しくない人が聴いてもいいなと思うし、子どもが聴いてもつい覚えちゃうし。「これってどういうことなんだ?」と考え続けています。大衆的とかマニアックとか、いろんな軸があるじゃないですか。何か理屈を超えた、調和がとれるポイントみたいなコードがあるんじゃないかと。それが感動するポイントだと思うのです。
人の感覚に合わせたインタラクション演出
米山:なるほど。では、次は触覚についてです。最近、テクノロジーの世界ではインタラクティブというものが重要視されますよね。アクアリウムでも、インタラクティブな演出がありますね。
村松:インタラクションについては、ここに立ってください、手をかざしてください、そうすると何が起きます的なものの、何がおもしろいの?と思っていて、僕は全部リアクションモデルにしています。自然と起こす行動を引き出すのに、説明は要らないから。
米山:受け手が自然と能動的に楽しめるということですね。英語でアミューズメントというのは、能動的に自分で楽しむことで、エンターテインメントはオペラとか映画のように受け身で楽しむことだといわれています。ネイキッドの作品は、アミューズメントとエンターテインメントの中間みたいなところがありますね。
村松:それはあります。形だけの参加型は好きじゃない。「フラワーズ」のタンポポに空気を吹きかけてふわーっというのも、自然に人間がタンポポに空気を吹きかけるという行為ですから、無理がないですよね。いい記憶じゃないですか、タンポポをふーっと吹いた思い出というのは。いい記憶と結びついているので、それを吹く行為自体がストレスじゃない。
要するに人に合わせてインタラクションを使うということですかね。テクノロジーに人の行動を合致させるんじゃなくて。人の感覚の方に合わせる。脳とかよりも神経とかに近い感じですね、センサーだから。触覚とか味覚もそうじゃないですか。神経って、まだ謎が多いですけれど。
米山:五感の最後は味覚の話になりますが、ネイキッドはレストラン「9STORIES 」(東京・代々木上原)の空間プロデュースとメニュー開発もされて、「フラワーズ」でもバー演出をされていましたね。
単純に、お酒を飲むということではなくて、「フラワーズ」では「桜彩」というお花見の演出をしていて、その場所はみんなが自然とお酒が飲みたくなる空間にしています。味覚と体験が一緒になってより感動が喚起されるようになる設計です。
例えばネイキッドで演出しているこのレストラン「9STORIES」 は、食、映像、インテリア、植栽、音楽が混ざり合い生まれる空間と、空間演出から食のケータリングまでをパッケージ化したサービス、多国籍なデリのテイクアウトなど、皆さんに、さまざまな「体験」を提供していく場になっています。新しいアートを日常の中で感じられる場としても楽しんでもらえますし、そんな体験と味覚がより一層その場のリアルな感覚を作っていると思うんですよね。
「ココロを動かす」演出を考える
米山:演出を考える際の発想の源は何ですか?
村松:僕は自然の原理原則みたいなものを大事にしています。例えば「フラワーズ」でいうと、「フラワーズ」の世界のフィールドがあって、そこはエネルギー体なわけですよね。その中でどういう波を起こしたり、どういう粒子を飛ばしたりしていくのか。すごく抽象的な話なんですけど。原理原則のもとに世界ができているのだから。自然にその中で感じ、それをイメージに起こしていく作業というか、音楽だって波ですからね。その波がうねるわけですよ。大きく、ぶわーっと。
米山:音楽は、音符の量が多いと激しくて短く感じるんですよ。楽譜の中で音符の量が少ないと、波が薄いからゆっくり時間を感じる。
村松:すごくシンプルな仕組みだと思う。
米山:科学的なんですよね、音楽の世界って。
村松:僕は、「満ち満ちたゼロ」という言葉が好きで、ゼロというのは何もないというエンプティーではなくて、全てがゼロから始まり、全てがゼロの秘密の中にあるという考え方が好きなんです。科学の量子力学の最先端の話にもつながりますが。
無に何かあるというのは、どんな宗教だろうが、学問だろうが、結局言っていることは同じ。そういうすごく大きなスケールの世界があって、そのゼロにアクセスできる何かを用意するのが僕の演出。僕のクリエーションはどうだ、と押し付けるんじゃなくて、そういう「場」を用意するみたいな感じですかね。
米山:村松さんが今後やりたいことをお聞かせください。
村松:僕はまず、夢がない。ゴール設定もないんですよ、なぜなら波乗りだから(笑)。導かれるところに導かれていきます。ただ、やはり新しいタイプのショーというか、それは映画なのか、演劇なのか、マッピングショーなのか、それこそ「シルク・ドゥ・ソレイユ」がサーカスに対してやったことですよね。そういったものをショーとしてつくりたい。あと、人が好きなので、もっと演技者も入れたショーを演出したいですね。
米山:確かに、今まで役者が絡んだものはあまりないですね。
村松:そうなんですよ。映画監督なので、ずっと俳優を使って演技を指導して映画をつくってきました。さらなる道具が欲しいというか、もっと生き物、人が欲しいなという。あとはスケールですかね。「ビビッド・シドニー」のように、街全体を演出するとなったときに見えてくる大きなフィールドというか、いろんなものがうごめいた世界を構築するようなスケールのものを手がけたい。
村松:アートということでいうと、アンディ・ウォーホル以降は全部ポップアートだと思うんですよ。僕はどこまで行っても、しょせん商業アーティストでしかない。でも、そんなポップアートの時代も終わっていて、今はコミュニケーションアートの時代。要するに、アートの中にコミュニケーションということが含まれていく。参加型ってそういうことだと思うんです。
例えばYouTubeだって、あれは動画サイトですけれど、見られて「いいね」がつくから成立するのだから、コミュニケーションアートなんですね。ただ映像をつくっているアートではなく、見られるという前提、そして見られたリアクションが含まれたアート。全てのアートがコミュニケーションアート化していく中で、僕が本当に面白いというものをどうつくっていくのか。
米山:コミュニケーションアート、面白そうですね。本日は、五感をキーワードに「ココロ動かす演出」についての対談をしてきましたが、これまで演出論というと、「演技」、「映像」「舞台演出」「音響演出」などジャンルごとの演出論で語られることが多いのですが、今回は、感動させるための統合的な演出論を伺えて、とても参考になりました。本日のまとめになるか分かりませんが、今、「感動演出のマトリックス」を書いてみました。
米山:縦軸に「理解しやすい演出」「理解しにくい演出」、横軸に驚きなどを与える「想定外の演出」、いつもと同じパターンの「想定内の演出」で座標軸に整理してみました。前半で村松さんが「説明が必要なアート」はダメだとおっしゃっていました。これは③と④の領域ですが、④の「前衛的な演出」は、鑑賞者が考えないと分からない演出で、このような演出を好む人もいます。②の領域はいつも同じパターンのようなポピュラーな演出ですが、村松さんは「ありふれたテーマを全く新しい視点で見せる」とおっしゃっていたので、①の領域が今日の議論では理想的な演出になります。村松さんには、これからも、この領域で、より進化した「コミュニケーションアート」に期待しております。
本日は、どうもありがとうございました。
※文中の「FLOWERS BY NAKED 魅惑の楽園」は2016年7月30日~8月31日まで東京ミッドタウンで開催されます。
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<了>