「言葉にできる」は武器になる。No.2
考えているのではない。「内なる言葉」を発しているのだ。
2016/09/16
伝わり方にはレベルがある。
「言葉」と一言で言えども、様々な種類が存在します。
話す言葉、書く言葉、聞く言葉。さらに、パソコンやスマートフォンで入力する言葉。
自分の考えていることや感じていることを相手に伝えるためには、言葉を用いて、感情を表現する必要があります。
最近では、絵文字や写真、スタンプなどで気持ちを伝えることも多くなっているものの、自分の感情を正確に、過不足なく伝えるためには、話す、書く、入力するなどして、言葉で表現せざるを得ないことに変わりはありません。
そこで生じるのが「伝えよう」と思ってどんなに言葉を尽くしても、実は「伝わっていなかった」「伝わりきっていなかった」という問題です。
言葉を、コミュニケーションを取るための道具と考えるならば、言葉を発する側と、受け取る側がいることが前提となります。「伝わった」という状況は、この両者、つまり、話す側と聞く側や、書く側と読む側の共同作業によってもたらされるのです。
「伝わった」「伝わっていない」という伝わり方のレベルを細分化して考えると、次のような段階に整理することができます。
・不理解・誤解
そもそも話が伝わっていない、もしくは、内容が誤って伝わっている状態。伝えた側と伝えられた側に、認識のズレが生じている。実生活においては「言った、聞いてない」「聞いた、言っていない」といった問題として表面化することが多い。
・理解
伝えた内容が、過不足なく伝わっている状態。相手が話したことをヌケモレなく正しく把握している。しかし、理解以上の解釈が行われているわけではなく、「頭では分かっているが、心がついていかない」といった状況にも陥りやすい。
・納得
相手が話したことを、頭で理解しただけでなく、内容が腹に落ちている状態。そのため、理解に比べ、自分ゴトとして捉えることができている。話を聞いている時に「なるほど」「確かに」といった感情を伴うことが多い。
・共感・共鳴
見聞きした内容を理解した上で、心が動かされ、自らの解釈が加わっている状態。相手の意見や感情などに「その通りだ」と感じ、自分なりの考えを加えたり、自分にもできることがないかと協力を申し出るといった行動を起こしたくなる。
このように見てみると、理解まで至れば合格点ではあるものの、納得と共感・共鳴こそが、コミュニケーションの醍醐味であることが分かります。
そこで思い出してみていただきたいことがあります。
それは、意味が分かりにくかったり、相手の言葉に対して何も感じることがなかった場合、つまり、コミュニケーションが不理解・誤解、理解でとどまり、納得や共感・共鳴にまで達していなかった場合、自分が相手をどのように評価していたか、です。
おそらく、その多くは「言葉づかいが下手だな」「もっと上手く言えばいいのに」といった言葉づかいそのものへの評価ではなく、「言いたいことが整理されていないな」「薄っぺらな考えだな」「深く考えていないな」といった相手の人格に対するものではないでしょうか。
つまり人間は、相手の言葉に宿る重さや軽さ、深さや浅さを通じて、その人の人間性そのものを無意識のうちに評価し、そして、評価されているのです。
「内なる言葉」の存在に気付いているか?
言葉に重みや深さを持たせるための、具体的な方法はあるのでしょうか?
そのカギとしてテーマにしたいのが「内なる言葉」の存在です。さらに言えば、自分の頭の中に生まれている「内なる言葉」に幅や奥行きを持たせることによって得られる、言葉の重みです。
そう、相手の胸に響く言葉を生み出すために必要なのは、実際に書いたり、話したり、入力したりする「外に向かう言葉」そのものを磨くことではないのです。
「内なる言葉」とは、日常のコミュニケーションで用いる言葉とは別物であり、無意識のうちに頭に浮かぶ感情や、自分自身と会話をすることで考えを深めるために用いている言葉のことです。頭に浮かぶあらゆる感情や考えは、この「内なる言葉」によってもたらされていると言っても過言ではありません。
例えば、コーヒーが思いのほか熱かった場合には、身体の反応とともに、脳の中で「アツッ!」と言っています。
近所に猫がいて写真を撮りたいと思った時には、「かわいい」や「写真撮ろう」と言っています。
この文章を読んで納得している時すら「確かに」と言っており、疑問を感じたり意見に同意できない時には「そうかな?」と言っています。
このように、言葉を話す、書く、入力するなどの具体的な行動を伴っていないとしても、頭の中で言葉を使っていることに変わりはないのです。
その事実に気が付き、意識を向けることが、あらゆる行動の源泉となる思考を豊かにすることに寄与します。なぜなら、「今自分が何を考えているのか」「頭の中にどんな内なる言葉が生まれているのか」を正確に把握することで、「外に向かう言葉」のタネが生まれ、自然と「外に向かう言葉」が磨かれていくからです。その結果、言葉に重みや深さが生まれ、納得感のある言葉を用いることができるようになっていきます。
「外に向かう言葉」と「内なる言葉」の両者を比べると、後者の「意見を言葉に変換する」ほうがイメージしやすく、効果があるように感じられます。しかし、自分自身に意見がなければ、つまり、言葉にすべき思いがないならば、一体何を言葉にするというのでしょうか? それこそ、とっさに思いついたことを口にしたり、相手の言葉に反応するように返事をすることしかできません。
その結果生まれるのは、不理解や誤解による「この人は、何も考えていないな」という一方的なレッテルだけなのです。このような状況に陥らないために、自分の中に意見と思いを生み出し続ける源泉を持つことが重要です。そして、その先にこそ、意見や思いを言語化する段階があることを意識していただきたいと思います。
次回のコラムでは、「内なる言葉」に意識を向けることで、自分自身の意見を育てる方法についてご説明を進めていきます。