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Dentsu Design TalkNo.89

日本をCMする!シンガタ佐々木宏スペシャル(前編)

2017/03/03

今回の電通デザイントークは、日本を代表するクリエーティブディレクターのシンガタ佐々木宏さんが登場します。佐々木さんは広告クリエーティブの第一線で素晴らしい広告を生み出し続けています。そんな佐々木さんと、特別ゲストである女優の樹木希林さんが、これまでの仕事を振り返りながら広告をテーマに語り合います。

シンガタ、佐々木宏さん

 

人生は「かえって良かった」の連続だった

佐々木:私は2017年で63歳になります。3年前には、仲間の皆さんに還暦のお祝いの会も開いてもらいました。

私は子どものころに父親を亡くして苦労したり、テレビ局に就職したかったのにできなかったり、電通に入社してからもいろいろな逆境を経験してきました。だから自分では「逆境に強い」と思っています。そこで自分の人生をひと言で表現すると「かえって良かった」ということなのかなと思っています。ですから今日は全体のテーマを「かえって良かった」にしてお話ししていきます。

佐々木:自分の原点は、「中2のある日、おやじが急に死んだこと」です。おやじが亡くなったと突然聞いて、学校にも行けなくなるのではないか、路頭に迷うのではないかと、自分の人生に不安を感じて顔面蒼白になってガタガタ震えました。そして、そんな自分の顔を鏡で見て、なぜか笑ってしまったことも覚えています。苦労はしましたが、逆境に強くなりました。これが私の最初の「かえって良かった」という体験だったと思います。

さほど頭も良くなかったのですが、要領だけはよくて慶應義塾大学に入りました。就職はテレビが好きだったので、テレビ局に就職して好きな番組を作りたいということ以外は考えていませんでした。しかし当時は就職難の時代でアナウンサーの応募しかなく、この顔でアナウンサーはないだろうとあきらめました。そこでテレビの仕事もあるだろうし、楽しそうだなと思って電通に入社したわけです。

自分で言うのも何ですが、「自分は広告が好きだな、そして向いているな」と今でも思うことがあります。だから電通に入社できて「かえって良かった」と思っています。

電通に入った後も、さまざまな逆境を経験してきました。サントリーの缶コーヒー「ボス」を担当して間もなく25年がたちます。最初のきっかけは、電通の本命チームとは別に若手チームとしてプレゼンに参加させてもらったことでした。

ベテランのうまい人たちとは違う路線を出そうと、有名俳優さんが総理大臣役を演じボスを飲むという企画を出しました。

ただリハーサルまで実施したところで、ボツになりました。普通ならば、「どうしてこんなことになったんだ!」と怒りたくなるのでしょうが、私はおやじが亡くなったときに逆境では頭を切り替えた方がいいことを学んでいたのです。

そこですぐに新しい企画を考えて生まれたのが、歌手の矢沢永吉さんの「ボスのむ。」というシリーズです。ボスが売れたことで、このCMもとても話題になりました。

人生って、こんなものかもしれません。うまくいかないことはたくさんありますが、意外と好転するのだなと思っています。

私は十数年前から、富士フイルムの「写ルンです」「お正月を写そう」の仕事をワンスカイの福里真一くんと一緒に担当させてもらっています。三十数年前、樹木希林さんと岸本加世子さんが出演して、一世を風靡した伝説のCMを復活させたのです。

その希林さんが、日本アカデミー賞の授賞式で全身が「がん」であることを公表されました。これはショックなんてもんじゃありませんでした。希林さんとは親しくさせていただいていて、とても大切な存在の方ですから、「頼むよ!」という気持ちでいっぱいでした。

でも、そんなつらい時でも「良かった」と思えたこともあったんです。トヨタ自動車の「TOYOTOWN(トヨタウン)」のシリーズCMで、希林さんに失礼ながら一度お亡くなりになっていただき、木として生まれ変わってもらう企画を思いついたんです。希林さんに企画を説明したところ「いいでしょう」と快諾してくださり、実現しました。

さて、そろそろ希林さんに登場していただきたいと思います。本当に来ていただいて、すみません…。

樹木さんがサプライズゲストで登場!会場は驚きの声に包まれました。

 

樹木さんがCMに出演する「きっかけ」

樹木:私ね、佐々木さんという人がドラえもん好きで、あんなにこだわっているということに本当に驚くの。ひとつのことに、どうしてあんなに興味を持てるだろうかと。
それで私は佐々木さんに興味がありまして、佐々木さんの言うことには、何でも「はい、はい、いいですよ」と言うんです。まだ続けてしゃべってもいいの?

佐々木:どうぞ、どうぞ。

樹木:実は佐々木さんとは長い付き合いですが、同じ広告クリエーターの福里さんという人を見た時にも非常に変わった人だなと思ったんですね。「こだわる」という点では、佐々木さんは群を抜いていますけど、福里さんは自分を主張したり見せたりすることにあまり執着がないというか、いつもくらーい所で、静かにじーっとしていて、人が騒いでいるのを遠くから見ている感じなのですね。目が合っても知らん顔をしているし、なんか変わった人だなと思って、ずいぶんたってから、何の仕事をしている人か分かったわけです。

その福里さんと同期で電通に入った人がいるんです。その人がいくら企画を出しても、福里さんに全然勝てない。福里さんにはかなわないことが分かって、その人は電通を辞めてテレビ局に中途で入った。中途採用なものだから、同期もいなくて、出世コースからずっと外れているんです。これはね、その人にとってすごくいいことだったの。

「電通にいても、僕はダメだった。テレビ局では中途採用だから、誰とも比較をされないので、とてもゆったりしています」と。みんな同じラインに立つと、「ヨーイ、スタート!」で競争ですけど、そういう所からひょいっと外れると案外、人生の面白い道があるんじゃないかしら。

樹木:私も同じように道を外れた役者なんです。「いい役者」の定義は時代によって変わりますが、私が18歳で文学座に入った当時は、「1に舞台役者、2に映画、3はアルバイト感覚でテレビ、4はきちんとした役者はまずやらないCM」。こういう序列がありました。

文学座で杉村春子さんの付き人や楽屋当番をやって、たまに私が舞台に出ると「通行人A」とか「女1」、「声だけの出演」とかですね。役者として舞台が最優先であれば、やらなければいけないのだけれど、やりたいと思えないんですね。当時、ワンステージ200円で税金をとられて180円。それなのに、なぜあんなに長いセリフを一所懸命覚えなければいけないのかなと思っていたんです。

それでテレビの方に先に出ました。森繁久彌さんが主役の「七人の孫」という、ホームドラマの走りでした。そしたら、テレビに出たものだから、CMの依頼が来たんです。おしょうゆのCMでした。「誰もやる人がいないから、あなたやらない?」と言われて、内容は分からないけど、力強く「やらせてください。やります!」って。

おしょうゆを持って「おしょうゆは、○○しょうゆ。しょうゆうこと」と言うんです。本当は「しょうゆうこと」というセリフはなかったんですけど、その時に友人だった詩人の長田弘が、ちょっとなまりながら、「あのさぁ、“しょうゆうこと”なんてどうかなぁ?」っておっしゃるわけで、「何、それ?」と思いましたけど、やったわけです。

そしたらね、東海ローカルのたった15秒のCMが「サンデー毎日」の「今年度のCMワースト10」の3位に入っていたのです。理由は「下手な駄じゃれがダメ」って。

びっくりしましたね。誰も見ていないんじゃないかと思っていましたから。その時に私が思ったことは、「なるほど。ローカルで作った、たった15秒のものでも、これだけ人に影響を与えられるのだなということです。ワースト3位に入るということは、ちょっと世の中を面白く生きられるな」ということでした。

これがCMに出るようになった、きっかけだったんです。最初にその面白さと影響力が分かったので、それ以来、一番大事に思っている仕事はCMです。

※後編につづく
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企画プロデュース:電通ライブ クリエーティブユニット第2クリエーティブルーム 金原亜紀