動画サービスの未来像No.3
日本の動画年表
2017/03/14
『情報メディア白書2017』の巻頭特集「動画ビジネスの未来像」のエッセンスをお届けする連載の第3回は、1890~2020年のレンジで動画サービスの歴史の全体像を俯瞰した「日本の動画年表」について紹介する。
1)映画の発明
動画の歴史は映画から始まる。
発明王エジソンが19世紀末に映画撮影機であるキネトグラフを発明し、その後撮影された映画を見る装置であるキネトスコープを同じく発明した。1893年に開催されたシカゴ万博に出展され、瞬く間に米国内に広まったという。しかし、この装置は現在の映画とは違って、箱の中をのぞき込む装置であり、個人で楽しむ装置であった。
これに対して、フランスのリュミエール兄弟がシネマトグラフという、現在の映画館で映写されるシステムのルーツともなる映写機を発明した。1894年に世界初の実写映画といわれる「工場の出口 “La Sortie de l'usine Lumière à Lyon”」を公開したことから映画の歴史が始まった。シネマトグラフとキネトスコープの違いは、1 : 1のコミュニケーション型モデルがキネトスコープであり、シネマトグラフは1 : Nのマスメディア型のモデルである。
1910年代に入ると映画は急速に発展し、アメリカの映画監督であるグリフィスによる超大作「イントレランス」が製作され、同時にハリウッドが映画の街としてかたちづくられ始めた。また、政治権力が映画の持つ影響力に目をつけ、プロパガンダ映画が数多く製作され始めた。
1920年代末期ごろには無声映画から音声を伴ったトーキーへと進化し、同時期にはRGB分解した三色法によるテクニカラーという技術を使ったカラー映画も登場した。またロシアの映画監督エイゼンシュテインはモンタージュ理論に基づき「戦艦ポチョムキン」を製作し、映画が技術の面、製作の面から長足の進歩を遂げ、今の映画の基礎がつくり出された。
第2次世界大戦前にはハリウッド全盛時代があったが、テレビの登場とともに、映画に陰りが出てきた。もともとテレビと映画は1.33:1(4 :3)の画面サイズ比を採用していたが、映画はテレビとの差別化のためにビスタビジョンと呼ばれる1.66:1程度の横長の画面サイズを採用、その後2.35:1(12:5)を採用したシネマスコープが登場した。大画面に対するアプローチは70ミリフィルムを利用したIMAXの登場でさらに加速した。1970年の大阪万博で世界初のIMAX作品が上映され、さらには、1985年のつくば博では3D作品が上映されている。
1990年代になると映画にもデジタル化の波が押し寄せてきた。映像、音声のデジタル化により高精細・高音質、さらにはサラウンド機能を持った映画がどんどん製作され、映画配信までもがデジタル化されている。世界初の劇場長編フルCGアニメは1995年の「トイ・ストーリー」であるが、アニメに限らず、実写映画もCG技術を積極的に取り入れる。2000年に入ってからは3 D、4D、次世代IMAX、音声の3D化であるDolby Atmosなど、技術の発展とともに、より五感に訴える映画が登場しており、今も映画が幅広く受け入れられている原動力にもなっている。
2)テレビの登場
テレビの技術のルーツは、19世紀後半から末にかけての機械走査を使った伝送技術、ブラウン管の発明、マルコーニが成功した無線通信技術の確立が大きな要素となっている。映画と同じような時期に出現しているのだが、ブラウン管テレビ方式の開発は1926年まで待たなければならない。1928年にはカラー方式のテレビが実験公開されている。1929年にはBBCが実験放送を開始し、日本でもNHKが1939年から実験放送を開始。米国では1941年にNTSC方式の白黒テレビ放送を開始している。
戦後の朝鮮戦争による景気回復から、日本でもテレビ放送への要望が高まり、1953年に、NHKが白黒放送を開始した。ちょうど十二支一回り米国に遅れたことになる。開始当時はテレビ受像機は高額で、今の価値にすると自動車並みでもあった。庶民に手が出るものではなく、街頭テレビや飲食店などが客寄せとして設置しており、たくさんの人が群がってテレビ放送を楽しんでいた。
1959年の皇太子さま(現天皇陛下)ご成婚がテレビ普及のきっかけになったといわれているが、当時電気洗濯機や電気冷蔵庫などとともに「三種の神器」とも呼ばれていた。1960年のカラー本放送開始、民放局の充実、そしてテレビ受像機の低廉化に伴って、1970年代には、カラーテレビの世帯普及率は90%を超えた。その後一家に1台から一人に1台、という時代になっている。
日本では欧米に比べて多チャンネル化は遅れていたが、NHKによるBS放送は試験放送が1984年から開始され、1989年に本放送へと移行した。同時にMUSE方式のアナログ・ハイビジョン放送も実験放送として開始した。
一方1989年から、通信衛星を利用したケーブルテレビ向けの専門チャンネルサービスが開始していたが、1992年に放送として認可、本格的な多チャンネル方式の幕開けとなった。なお、ケーブルテレビは難視聴対策として1955年にサービス開始。その後多チャンネル化へサービスを展開。テレビの映像以外への利用として、ニューメディアの登場とともに、文字放送、データ放送も登場している。
デジタル化の波はテレビにも訪れている。1996年にはいち早くCSデジタル放送が始まったが、BSデジタル放送も2000年から開始した。地上波のデジタル化は2003年から開始、2011年7 月をもってアナログからデジタルへの移行がBS放送も含めて完了している。
デジタル化は同時にハイビジョン化でもある。従来の4 :3 の標準画角のテレビから16:9 へのハイビジョン、2K放送に移行しているが、4Kテレビが2015年から市販され、既に試験放送が始まっている。2020年に向けて8Kテレビも始まる予定であり、高精細化はテレビのひとつの大きな流れでもある。
3)インターネットのインパクト
※詳細は本誌にてご確認ください
4)マスからパーソナルへ
映画、テレビ、そしてインターネットのインパクトは、生活者の情報摂取行動に大きな影響を与えている。テレビ、映 画のようなマスメディア型のサービスは、冒頭でも書いたように1 : N型のサービスである。それに対してインターネットは本質的には通信であり1 : 1型サービスでもある。 つまり、マスからパーソナルへの流れ、というのが存在しており、その動きが動画に対してどのような影響を与えるのだろうか。
かつても8ミリカメラがあり、一部の人たちは自分たちで映画を撮影し、自主的な上映をしていた。ビデオの普及は、個人が映像を撮影し、動画コンテンツを作り出す流れでもある。ビデオカメラは記憶媒体がテープからメモリーへ と移行して、小型化・軽量化・低廉化が進み多くの家庭 に普及するようになっている。
さらには、スマートフォンやタブレットの動画処理機能は進歩しており、スマホで映画をつくり出す学生なども増えてきている。本格的な作品ではなくても、メモ代わりのような動画はSNS上では広く普及し、個人のライブ配信が可能となるようなプラットフォームも登場している。
このようなインターネットの双方向性とデジタル技術の進歩・高度化が、動画コンテンツ をマスメディア型のコンテンツからパーソナル型のコンテンツに変貌させている。若年層を中心に、動画がコミュニケーションの手段へと変貌しているバックグラウンドがこれである。
また、テレビ受像機にスティック型のアダプターを取り付けることでパーソナルのインターネット端末として利用することが可能となり、そこでは自分の好きな動画コンテンツを自由に利用できるようになってきている。
(以下は本誌でご確認ください)
「情報メディア産業の動向」の章「通信ビジネス編」の目次からトッピックスを紹介。
詳細なデータや論考の完全版は書籍『情報メディア白書2017』をご確認ください。
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