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アド・スタディーズ 対談No.22

これからの日本の観光研究に求められていることとは?

2017/04/01

観光立国を目指し、このところ各種施策に力を入れてきた日本。その成果か、訪日外国人数は右肩上がりで伸びている。 これが一過性のブームで終わるのか、それとも経済の柱となる産業へと育っていくのか。その鍵を握るのは、政策や産業を支える観光研究にある。 日本の観光研究は、これまで政策や産業にどのように貢献してきたのか。そして新しい時代に向けどのような示唆を与えてくれるのか。 観光研究のキーパーソンに話をうかがった。

梅川智也氏(公益財団法人日本交通公社 理事/観光政策研究部長)、矢ケ崎紀子氏(東洋大学 国際地域学部国際観光学科 准教授)
(※所属は「アド・スタディーズ」掲載当時)
 

日本の観光研究は明治から始まった

── 観光は古くて新しいテーマ。日本の観光研究の 歴史から振り返っていただけますか。

梅川:熊野詣でや伊勢参りなど日本人の旅の歴史は古いのですが、観光研究という点では、始まりは明治だと思います。当時、さまざまな使節団が海を渡り、帰国後に日本国内で観光地づくりを始めます。例えば薩摩人だった前田正名は坂本龍馬に紹介されて、明治4年にフランスに留学しました。帰国後、北海道の阿寒の森を見て、「これは林業として整備をする森ではなく、観る森だ」といって観光開発を示唆します。研究というレベルではありませんが、このように海外の事例をもとに観光地づくりをしたのが日本の観光研究の始まりだと思います。

矢ケ崎:インバウンド観光が最初に国策になったのも明治末でした。鉄道院が観光振興のために、明治45年にジャパン・ツーリスト・ビューローを立ち上げました。いま梅川さんがいらっしゃる日本交通公社の前身です。実はそれ以来、平成20年に観光庁ができるまで国策としてインバウンド観光が浮上したことはありません。そのせいか、日本では観光研究があまり発展しませんでした。私は観光庁が設立されたときに民間から移ったのですが、観光政策を考えるときに、先行研究がとても薄いことに驚きました。観光分野をずっとやっていらっしゃる先生は少なくて、産業連関分析や経済波及の論文を書いている先生方の力をお借りせざるを得ませんでした。

矢ケ崎紀子氏
矢ケ崎氏

梅川:日本の観光研究は、観光開発や観光地づくりが長らく中心でしたからね。明治以降でいうと、日比谷公園などを設計され、日本の「公園の父」といわれた本多静六先生が有名でしょうか。本多先生は大正の半ばに「由布院温泉発展策」を打ち出して、由布院は、歓楽型ではなく保養休養型にするべきだと提言されました。

終戦後は観光復興がテーマになり、戦前から蓄積されていた観光開発研究が生かされました。その延長で高度経済成長期の昭和30〜40年代は観光開発論がさらに進み、リゾート法(総合保養地域整備法)ができた昭和62年からバブル期にかけて、リゾート開発論がまた盛り上がったというのが大まかな流れです。

矢ケ崎:バブル前のリゾートブームはすごかったですよね。

梅川:昭和40年代後半にもリゾートブームがありました。例えば千葉県蓮沼などの「レクリエーション都市」は国の主導で行われましたが、なかなかうまくいかなかった。そこから学んでリゾート法では、民間が主体となって開発を進める方式としました。しかしこれもバブルがはじけて調子の悪くなったところが多かった。現在、科研費を活用して、あの時代の検証をしている方もいます。

矢ケ崎:話が飛びますが、科研費の対象として観光が認められるようになったのは、ここ3〜4年です。それまで観光は相手にされていなくて、科研費を使いたければ、交通系とか土木系など違う分野の先生とコラボするしかありませんでした。

梅川:おっしゃるとおりで、そこは問題でした。観光は長く科研費による研究の対象領域にならなかったんです。それもありますし、データが不備で交通や土木工学に流れていった先生も多かったのではないかと思います。結果的に専門に観光をずっとやってきた先生は非常に少ない。こうした構図が最近まで続いていたことは、日本の観光研究を振り返るうえで触れておかなくてはいけないでしょう。

梅川智也氏
梅川氏

観光統計の整備が研究の後押しに

梅川:日本の観光研究を振り返るうえで、矢ケ崎さんは外せない方です。矢ケ崎さんが観光庁で手がけたお仕事の中でも極めて重要だったのが「観光統計の整備」です。実は近年まで観光研究をしようにも、使える統計がほとんどなかったんですよ。各都道府県で観光客数を調査していても、全国で統一した基準で統計を取っていないため比較しても意味がなかった。それまで統一基準を設ける動きは何度かあったのですが、矢ケ崎さんが観光庁にいらして、ようやく整備が進みました。この意義は大きいです。

矢ケ崎:私は民間から行ったので、無邪気に自分のジョブディスクリプションは何かと上司に尋ねたのです。その一つが観光統計で、初代長官からは「役所が滅んでも残るようなものを作ってくれ」という言葉を頂きました。総務省統計局とたくさん喧嘩をしたのですが、上司からこう言っていただいたので思い切ってできました。まあ、民間からだったので、クビになっても何ということはないという思いもありましたが(笑)。

梅川:総務省と喧嘩をしたというのは?

矢ケ崎:国の統計は、事実しか扱ってはいけないというのです。例えば訪日外国人消費動向調査を設計したとき、訪日は何回目だとか、いくら使ったのかという事実の把握はいい。でも、満足度とか、今回行ったことと次回行いたいことというような、調査対象者の意向が入る調査は国の統計として認められないというわけです。でも、統計は10年後、15年後を見据えて作るべき。いまはインバウンドも人数や消費額に目が集まりがちですが、先々はどこに行って何をしたのか、それは良かったのか、再来訪意向はあるのか、来たら何をしたいのか、ということが問題になってくるので、そこはしっかり作らせてもらいました。

現在のインバウンドは第5次ブーム

── いま注目のインバウンドについての研究は、どのような状況でしょうか。

梅川:現在のインバウンドブームは、第5次です。最初のブームは、富国強兵・殖産興業のかけ声の下で外国人技術者を呼んだ明治時代です。次は、国立公園制度ができた大正から昭和にかけて。上高地帝国ホテルや雲仙観光ホテル、奈良ホテルなど、国立公園の一番いい場所にクラシックホテルがありますが、あれは大蔵省の低利融資で建設された外国人観光客のためのホテルでした。その後、終戦後すぐの昭和22〜23年が第3次。それから昭和39年の東京オリンピックのころが第4次。その次が現在のブームですね。

これらのブームは政策と深く結びついていて、政策は経済の状況に影響を受けます。基本的には、経済が厳しくなると外貨獲得のためにインバウンド政策が打ち出されて、そうでないときは国内観光政策にシフトするというパターンです。終戦直後は経済が厳しくてインバウンドで外貨を獲得しようとしましたが、昭和25年に朝鮮戦争が始まって日本の景気が良くなり、インバウンドは進みませんでした。その後も高度成長で日本人が豊かになったため、オリンピックを除けばインバウンドブームは起きなかった。高度成長期に国内観光振興が盛んに行われましたが、外国人向けではなく、日本人の工場労働者のレクリエーションのためでした。

矢ケ崎:日本の旅行会社は、もともとインバウンドが得意じゃなかったんですよね。日本人の海外旅行が収益の柱で、国内旅行はボリュームのある市場。観光庁ができて国策としてインバウンドをやるぞとなったときも、「えっ、本当にやるの?」という感じの反応でした。旅行会社にとっては、海外旅行のほかにもう一つの強みをつくる需要創造ですから、みんなで知恵を集めていく動きが当初からあってもよかったと思います。

梅川:旅行会社は、「インバウンドはもうからない」という認識でした。昔のインバウンドは欧米中心で、そもそも旅行者が多くありませんでした。旅行者の数は少しずつ増えてきましたが、中国、韓国、台湾、香港で半数以上を占めており、欧米の旅行者はツアーに乗らずにFIT、つまり個人旅行で、自分で予約して旅行していく。だから旅行会社はあまりうまみがなかった。インバウンドはもうかるぞと認識が変わり始めたのは、ここ10年くらいでしょうか。

矢ケ崎:研究の分野でも、インバウンド観光の研究はほとんど進んでいません。そもそも統計がなかったり、あっても平均値なので分析に深みが出ないのです。例えば、訪日観光客は1人あたり15万6000円を使います。観光経済の大きさを測るためなら、このデータでもいい。しかし、地域がインバウンドで観光客を増やしていくぞとなったときに、平均値では役に立ちません。誰が何にいくら使ったのかという属性ごとの情報がわからないと、物事を動かしていくための施策に変換できないのです。国はインバウンドで富裕層を呼び込めと号令をかけています。富裕層というと定義が曖昧ですが、つまりは「上客」、つまり可処分所得があって、旅行に行った先の文化を理解しようとする知的好奇心と理解力を持っている層ですね。しかし、データや統計が属性と結びついていないから、上客の行動分析もできていない。それが現状です。

矢ケ崎紀子氏
矢ケ崎氏

日本の観光研究は原論や理論が薄い

── 日本の観光研究は開発が中心でした。逆にあまり進んでいない分野はどこでしょうか。

梅川:我々の大先輩である鈴木忠義先生(東京工業大学名誉教授)が、観光を学問として体系化しようと10の研究分野に分類しました【図表】。それが「観光の学と術」です。最も弱いのは観光原論や観光理論かな。原論でいうと「人はなぜ旅をするのか」というテーマで研究されている先生もいらっしゃいますが、全体の中では薄い。

【図表】観光の学と術の体系ー中分類表(改訂2003年版)

矢ケ崎:面白いテーマですよね。梅川さんはどう思われますか。

梅川:もともとは生きるため、食べるための狩猟の旅だったんでしょうね。それから熊野詣でや富士講など修行の旅になります。でも、江戸時代のお伊勢参りになると、もう物見遊山の周遊旅行。さらにいまは楽しむということを超えて、自己実現のための旅になっているんじゃないかと。

矢ケ崎:なるほど。時代によって形は変わっても、人は旅をするDNAを持っているんでしょうね。一方、年間に宿泊を伴う観光旅行に行く人の割合は5割を切っています。特に若い世代の男性の実施率が低い。人はなぜ旅をするのかという原点を掘り下げていくと、旅行離れを考えるときのヒントになるかもしれません。そういう意味でも重要なテーマです。

梅川:観光理論のほうはどうでしょうか。

矢ケ崎:理論も弱いですね。観光地づくりの研究はたくさん蓄積されていますが、それが課題解決に資する形で理論化されていなかったり、されていても地域で観光地づくりに携わっている人に伝わっていない印象があります。観光の現場では、理論的には禁じ手の施策が平然と行われていたりします。例えば首長がトップセールスに行っても効果が薄いことがわかっているのに、自己満足的に行ってしまう。地方空港を持っている自治体の首長が航路の誘致で行くというならまだいいのですが、単にトップが観光キャラバンと称してキャンペーンにいっても観光客は増えません。かえって、訪問先の海外の方々は、バラバラにやってくる日本側に不信感を持ちます。そうしたことを理論化してもっとわかりやすい形で示していくことが必要だと思います。

観光政策にもっとマーケティングを

梅川:あと、弱いのは観光経営です。特にマーケティングや企業研究などの研究が弱い。

矢ケ崎:同感です。例えばリピーターに関する研究は遅れています。いまは観光に予算がつくので、自治体は新規顧客獲得のプロモーションを一生懸命やっています。しかし、本当は新規より既存客にプロモーションしたほうがずっと顧客獲得コストは低く抑えられます。他の産業分野ではその差がきちんと研究されているため、企業もそれを踏まえたうえでプロモーション戦略を立てます。しかし、観光分野では実証されていないから、自治体も新規のプロモーションばかりやってしまう。

梅川:私はケースメソッドの研究ももっとあっていいと思います。アメリカでは成功した企業の事例研究が一般的に行われていますが、日本は明らかに少ない。旅行業界、航空業界、鉄道業界、それぞれ成功した企業があるのだから、そういった企業がどうやって収益を挙げ、どのように発展してきたのかという事業構造と歴史をきちんと分析すべきです。

矢ケ崎:そもそも政策立案者がマーケティングを重視していないという問題もありますね。インバウンドは国際競争。海外の観光局はマーケティングの修士を取っている人も多くて、マーケティングの理論を当たり前のように知っています。そういう人たちと戦っていくためには研究の分野からバックアップを受けなくてはいけないのに、観光の場合、政策と研究者の距離が非常に遠い。国交省が何か新しい政策をやろうとすると、土木や交通の研究者たちがブレーンとして支えてくれるのが本当に羨ましかった。観光ではまだそれがないことが残念です。

梅川:ネットワークがなくて、役所の方々は大学の先生をよく知らないですね。これは研究者側にも問題があります。いまは観光に関係する学会が多すぎて、11もある。これでは役所の人がどこにどう声をかけていいのかわからない。

矢ケ崎:しかも、学会ごとに特徴や経緯が異なっていて、バラバラな印象があります。あちらを立てればこちらが立たずということがあると、公平公正の原理で動く役所は研究者に声をかけにくい。これはもったいない。研究者も政策の現場で鍛えられる部分があるのに、その機会が少ないわけですから。

梅川:学会の再編は今後の課題の一つ。いったん大同団結して大きな屋根をつくり、その中で開発論の分科会、マーケティングの分科会という形で分かれるべき。そのほうが役所にとっても研究者にとってもメリットが大きい。観光庁長官経験者といった重みのある方にリーダーシップを取ってもらえば可能だと思います。

梅川智也氏
梅川氏

危機管理とグローバル化が新しいテーマ

── 今後、浮上してくるテーマとしてどのようなものが考えられますか。

矢ケ崎:気になっているのは、イベントリスクへの対応策の研究です。日本は地震や台風などの災害が多い国です。観光地が被災した場合、方策的にどのようなものがあるのか。そして、被災地はどのように行動すればいいのか。被災した初期から次の段階くらいまでの動きには、何か定型化できるものがあるんじゃないかと。

梅川:確かに観光と安心・安全は重要な研究課題です。企業では危機管理のためにBCP(BusinessContinuityPlanning)が策定されていますが、その観光地版はぜひ欲しい。例えば箱根で火山が噴火したときは情報の出し方が問題になりました。風評被害を防ぐために正しい情報を発信しなくてはいけませんが、まだ噴火しているときに「大丈夫です」と発信すると大惨事になる恐れもあります。情報をどう整理して、どのようなときにどう発信すべきか。その方法論は体系化したいところです。

矢ケ崎:あとテーマとして注目しているのはICTです。日本の観光業界はICTに弱い。いま海外からエクスペディアやプライスラインといったOTA(OnlineTravelAgent)が続々と参入しています。また、急拡大している民泊でもAirbnbが強いですね。このように海外のICT企業は国境を軽々と飛び越えてサービスを提供しています。海外の状況を把握していればICT企業の攻勢も予測できたはずですが、日本企業は後手に回っていて、迎え撃つ体制ができていません。

梅川:私もICTはとても重要だと思います。さらに言えば、日本の観光業界が海外の企業に太刀打ちできていないことに問題を感じます。観光立国推進基本計画の中に、観光産業のローカライゼーション、つまり地域に根差してやりましょうという話は入っていますが、一方で世界に通用する観光企業を育成しようという発想はまったくありません。それで本当に観光のグローバル化といえるのかと。
日本企業だと星野リゾートさんが海外にも積極的にチャレンジしています。でも、海外のグローバル企業とはスケールが違う。マリオットはスターウッドまで買収して、120カ国ぐらいでビジネスをやっています。こうした企業と伍していける世界的企業を育成するという視点が、政策や研究にもあっていいのではないかと思います。

矢ケ崎:日本の観光産業がガラパゴスになっていたことは否めません。予約しているのにお客さんが来ないことをnoshow問題といいますが、キャンセルポリシーが国際標準と日本で異なるため、よくトラブルの原因になっています。そういうところからグローバル化は必要でしょう。

梅川:企業だけでなく地域も同じ問題を抱えています。いまニセコや白馬村はインバウンドのお客さんが大勢やって来て、日本語のほうが通じないくらいです。外国人観光客の多くはスキー目的で1〜3週間ほど滞在します。生活するようになればゴミも出ますが、彼らは地域のゴミ捨てのルールを知らないから、分別せずに捨ててしまったり、ポイ捨てする人も出てきます。本当は自治体が先行的にルールを作って周知させるべきですが、そこもまだグローバル対応ができていません。海外から押し寄せてくるのは観光客ばかりではありません。外国人が観光地に投資して旅館やホテルを買収したり、土地を買うというケースが増えています。水源地が買われるケースもあるので何らかの歯止めは必要かと思いますが、そうしたルールもできていない。

矢ケ崎:グローバル化に対応したルール作りを、企業や地域にすべて押しつけるのは酷かもしれません。大切なのは、国や研究者が知恵を出すこと。今後は「海外ではこうですよ。こういった事態が予測されますよ」と事例を紹介することも求められるでしょう。

矢ケ崎紀子氏
矢ケ崎氏

地域の価格戦略がカギ

梅川:私は日本の旅館に大きな可能性を感じています。その国にしかない独自性があり、しかも全国で4万軒以上と、それなりのキャパシティがある宿泊施設は、世界でも日本の旅館くらいのものです。

矢ケ崎:全国的な広がりがあるという点でも日本の旅館は特徴的ですね。インバウンド大国のフランスの特徴的な宿泊施設というとシャトー等を思い浮かべますが、本当に限られた所にしかありません。

梅川:強力な武器になりえるからこそ、旅館のレベルアップについての研究が必要です。残念ながら、旅館は従業員にとってブラックな一面があります。生産性を向上させて、従業員の質を高め、きちんとしたサラリーを払えるような産業にしていかないと、旅館そのものが消えていきかねません。

矢ケ崎:旅館に限りませんが、価格に対する研究はもっとあっていいと強く思います。日本の観光業は付加価値を付けて相応のお金を頂くというより、安くすればお客が来るだろうという発想で価格を決める傾向があります。その結果、コモディティ化して低価格競争になっています。ホテルならば1泊100万円する部屋もありますが、旅館は高い部屋でも20万円しません。レベルの高い懐石の夕食とおいしい朝御飯の2食が付いて、部屋に露天風呂があったり、専用の庭があったりして、その価格というのはどうなのかと。

梅川:その指摘はとても重要です。デフレ経済で、観光も含めてさまざまなものの価格が下がりました。でも、それによってお客さんが増えたかというと、そうじゃない。むしろ安くしたことでサービスの品質が落ちて、もう二度と来ないと考えるお客さんが増えてしまった。そこから脱却して、きちんとお金をとって品質のいいサービスを行い、リピーターになってもらうというような価格戦略がこれからは重要になっていくでしょう。北海道の鶴雅ホールディングスの大西雅之社長のように価格戦略の重要性に気がついている経営者もいますが、まだ少ないです。

梅川智也氏
梅川氏

矢ケ崎:まず旅館の経営者の方が気づくことが第一歩ですが、地域全体でも価格戦略を持つことが大切です。そうでないと海外の業者に簡単に切り崩されてしまいます。その点でうまくやっていると思うのは、やはり、由布院温泉。1人1泊2食で6000円から6万円くらいの価格の多様性を持ちつつ、簡単には値下げをしないというように、地域でしっかり価格戦略を持っています。

梅川:由布院には亀の井別荘さんと玉の湯さんという二大旅館がありますが、その2つがプライスリーダーとして頑張っているんですよね。トップが価格を下げるとほかも価格を下げなければいけなくなりますが、この2つの旅館は厳しいときも歯を食いしばって価格を下げなかった。

矢ケ崎:横浜の事例も注目です。いま日本でMICE(Meeting, IncentiveTravel, Convention, Exhibition)の引き合いが最も多いのは、パシフィコ横浜です。国際会議に関しては年間4000件の引き合いがあるそうです。側聞した話なのですが、面白いのは、パシフィコ周辺のホテルです。国際会議の運営を仕切る海外の事業者に買いたたかれないよう、交渉ですごく頑張るんです。それに対して、海外の事業者は最近、横浜駅のほうまでいってホテル料金の切り崩しを狙っていると聞きます。こうした事例の研究は、地域の価格戦略の参考になるはずです。

梅川:今日、いろいろ話に出たように、日本の観光研究は産業系を中心に弱いところがまだたくさんあります。一番進んでいた開発系の研究も、バブルがはじけて以降の30年間はほぼ止まったままです。他の研究分野に比べて遅れていますが、逆に観光は研究の伸びしろが大きい分野といえなくもない。これからに期待ですね。

〔 完 〕


 

※こちらは吉田秀雄記念事業財団のサイトでご覧いただけます。