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男コピーライター、育休をとる。No.1

育休を、開業しよう

2017/08/01

 
育休営業中
イラスト:第2CRプランニング局 三宅優輝

 

会社を半年、休んでみます

いま、妻の実家でこの原稿を書いている。週末の、やや蒸し暑い夜。隣の部屋からは、赤ん坊の寝息が聞こえ…と言いたいところだけど、聞こえるほどの寝息さえまだない。「赤ん坊」と書いたのは、3週間前に生まれたばかりのわが第1子、コケコ(仮名。酉年にちなんで本連載ではこう呼ぶ)のことだ。あ、女の子です。
10日後に、コケコは僕の自宅にやって来る。そしてその日から約半年間、僕は育児のために会社を休むのである。

「子どもが生まれるので、夏から育休を取りたいと考えてまして…」今年はじめにそう切り出したとき、上司は「おっ、いいじゃん。取りなよ」と即座に言ってくれた。のみならず「せっかくだからそれで何か書けば?」とも言ってくれた。ああ、それはアリかも。かくしてこの連載は構想されました。
今回は、まだ育休前ということもあり、プロローグに代えて出産前後のことを中心に書いてみたい。あとでまた触れるけれど、電通には「妻の出産休暇」という制度があって、夫は「出産当日を含む3日間」休むことができるのだった。これをフルに活かさない手はないな、というお話です。

出産は、別れでもあった

妻は妊娠した時点で37歳。出産は38歳。そう、高齢出産である。いろいろな不安を天秤にかけた結果、僕たちは計画無痛分娩という道を選ぶことにした。
6月上旬、妊娠40週にして入院。妻に付き添い、自宅から徒歩20分のところにある病院へ。翌日の分娩に備えて、子宮口をバルーン(!)で膨らませる。異物感がひどくてろくに眠れない、と妻。

この夜、「いったん帰って明日また来れば?」と妻は言ったが、僕も病室に泊まることにした。心配だからというのもあるけど、考えてみりゃ夫婦二人だけで過ごす最後の夜に、これはなるわけだし。週末のたびにレストランを開拓したり、一緒に海外ドラマを一気見したり、地球の反対側へ旅行したり、キムチラーメンを探して夜遅く出かけたり(※1)、最後のはまあ経験ないけれども、とにかくそういう時間が終わることのセンチメンタリズムです。さらば夫婦モラトリアム。

一方で、全く別の寂しさも妻にはあったようだ。出産前夜にして、「赤ちゃんが自分から切り離されるのが寂しい」のだという。これから出会えるというのに!
それを聞いて思い出したのは、春に二人で参加した病院主催の「両親学級」だ。出産っていうのはですね、とベテラン助産師さんが言った。「『子宮さんとのお別れの儀式』だって私は思ってるんです」ごめんなさい、助産師さん。その大仰な表現に僕はウケてしまい、「ネタ」としてメモっていたんです。しかしこの言葉の神髄を、出産前夜に知ることになろうとは。行ってよかった、両親学級。

そうなのだ。10カ月もの間「自分の一部」だったものが、「自分の分身」へと変わる。それはまぎれもなく別離で、しかも出会いなのですね。妻にとっては別れと出会いが同時に起こる、その両義性。「始まりはいつだって そう 何かが終わること」と乃木坂46も歌っていた(※2)じゃないか、と。
これはもう、夫にはたどり着けない境地だろう。何しろ僕たち男性は、そこはとてもシンプル。やって来た分身に「出会う」ことが、「単に」うれしいだけですからね。
「お腹をいためて産んだ可愛いわが子」という常套句の正体が垣間見えた気もするのだった。

太陽と月モチーフ

ベイマックスと、2017年宇宙の旅

そんな感傷もそこそこに、一晩明けていよいよ分娩である。妻は早朝からLDRルーム(陣痛から分娩までワンストップでできる部屋)へ移動。陣痛促進剤を投与して、経過を観察する。スムースな出産のためには痛みを我慢できるギリギリまで我慢し、そこから麻酔を打つそうで、まるでチキンレースだ。あるいは逃げ馬・ジンツウを、差し馬・チンツウが追うイメージ。「無痛」だからって痛みが無いわけじゃないのですね。
LDRルームは、淡いピンクというか、青紫というか、ラッセン(※3)の描く深海をもうちょっとパステルにしたような色味に調光されており、大きな液晶画面には海洋生物たちのこれまたラッセン的な映像が流れ続けていた。

近所でひとり昼食を食べて分娩室に戻っても、まだ大きな変化はない。赤ちゃんにへその緒が巻きついて、なかなか下に降りて来ないらしい。まあリラックスしてDVDでも見ようか、とあらかじめレンタルしておいた「ベイマックス」(※4)を二人で鑑賞するも、実際にはむしろ妻のお腹のほうがベイマックス、といった様相を呈しており、胎内で繰り広げられるアクションのおかげで、映画にはそれほど集中できなかった。

映画が終わっても赤ちゃんは降りて来ず、ためしに陣痛促進剤の投与を止めてみた。するとそこには、自前の陣痛がもう来ていたのだった!「無痛」への幻想はもはや完全に消えつつある。
加速する痛みに妻は苦しみはじめたが、ここで麻酔を追加すると分娩時間が延び、日付をまたぐかもしれないという。そうなるよりは今夜産んでしまおう、ということで自前の陣痛に任せることになったのだ。

20時半過ぎ、とうとうそのときが来た。担当医と助産師のチームが慌ただしく稼働しはじめる。この病院では、夫は妻の頭の側に立つルールになっていて、だから血を見るのが超苦手な僕でもトラウマになる心配は不要なのだった。

理論物理学のとある先生によれば、胎児は胎内で40億年を経験するようなものだという(※5)。受精後32日目には、エラのような器官を伴った魚のような形なのに、2日後には両生類の、そのまた2日後には原始爬虫類のフォルムになり、さらに喉の器官ができて、40日目には人間の姿になる。1日で1億年ぶん、地球の生物の進化プロセスをなぞるのだそうだ。

「はい、頭がもう4分の1、のぞいてますよー」とか「お母さん、赤ちゃんの髪の毛にタッチしてみますか、ほら」とか助産師さんが言うのを聞きつつ、「いきみ」に合わせて妻の後頭部を支える。そして一緒に深呼吸する(ぐらいしかできることがない)。ああ、俺はいま、40億年の旅路の終わりに同行している(ちがう)。こ、これは…2001年、否、2017年宇宙の旅ではないか(ちがう)、とすればこの子は…スターチャイルド(ちがう)?(※6)
大袈裟ながら最後の10分間は、これまで体験したことのない、どこかコズミックともいえる感覚にとらわれました。「聖闘士星矢」に出てくるコスモ(※7)ってのもこんな感じだろうか(ちがう)。

21時26分、娘が誕生した。その可愛さについてはあえてここに書かないけれど、長生きしなくちゃ!と思いましたね。
ついに父親になったその金曜の夜、病室で妻の戻りを待ちながら、「タモリ倶楽部」を見た。見るほかなかった。なんだろう。でかい出来事の後で、いつものただの金曜を再現して気持ちのバランスをとりたかったんでしょうか。妻や僕の同窓生、マキオくん(※8)がたまたま出ていた。程良く、くだらなかった。

宇宙飛行

「妻の出産休暇」の意味

さて、先にも書いたように「妻の出産休暇」というのは、「出産当日を含む3日間」が対象だ。僕の場合、まず入院初日(木曜)は普通の有給を取得。次いで「妻の出産休暇」を、出産当日(金曜)と月曜・火曜に分割して適用。土日を含む6連休になった。快適な病室と、おいしい病院食。せっかくの機会だからと、3度ほど付き添い宿泊をしました。

この入院期間中に、オムツの替えかた、粉ミルクのあげかた、(母親は)母乳のあげかた、沐浴のやりかた(病院自家製のDVD)などを、一式レクチャーされる。助産師さんや看護師さんが、ひっきりなしに部屋に様子を見に来たりもする。
「妻の出産休暇」をフルに使って病院に居続けたおかげで、こういうインストラクションを僕も直接受けることができたのは、本当に助かった。ひとたび退院したら、こんなに頻繁にプロに見てもらうことはないわけで、この数日のうちに最低限のテクニックを身に付けてしまおうということだ。親にとってのいわば新人研修。その「合宿」に参加した感がある。おかげで退院する頃には、オムツ交換、粉ミルクの温度調整は体得。沐浴だけはちょっと…場数をこなさないとダメですね。

いまになって思うのは、この付き添い入院(という非日常)こそは、夫婦二人でできる最後の旅行であり、なおかつ、子どもと体験する最初の家族旅行でもあったんだなということだ。「妻の出産休暇」のかけがえなさも、きっとそこにある。
退院した妻とコケコはその日のうちに妻の実家へ。週末だけ僕が会いに行く、というのがこの1カ月なのである。

そういえば担当医が、退院前の妻に言ったらしい。「まあ育児はね、実験だからねえ」。いい言葉ですね。やってみなきゃ分からない。どんな子が育つかだけじゃなくて、どんな親が育つのか、の実験でもある。そう解釈してもいいでしょうか?先生。

哺乳瓶

育児コラム、ではない

かつて何度か、新人コピーライターに向けたコピー演習というのを担当させてもらった。奇しくもそこで僕が出題していたのは、「男性が育休を取りたくなるコピー」という課題だった。あるとき新人のみなさんに「お手本を見せてください」と迫られ、嫌な汗をかきながらひねり出した案が、たとえば次のようなものだ。
「一生でいちばん優しくなれる一年が、くる。」
うん、まあ、きれいごとだと思う。それは分かっている。分かっているが、それでもきれいごとにドップリ浸かれるチャンスは大事にしたい。僕たち会社員にはそれが与えられていると思うのだ。

連載開始にあたって、編集部から「定点観測の定点」をハッキリさせましょう、と助言をもらった。たしかにそうだ。単に男性の育児について綴るだけなら、すでに良いものがあるんだし。育児の先輩なんて周りにたくさんいるんだし。うーむ、この俺が何かを書く意義って何だ?と考えたとき、それは「育児について書く」ではなくて「育児『休業』について書く」ってことかな、と思った。
サラリーマンとして、育休を取る。それはつまりその間、業務を全くしないということであり、同時に、育児を全うするということである。広告を休業して、育児を開業するのである。
その“甲斐”みたいなものが、どこらへんにどれくらいあるんだろう、とか。復職したあとに自分を待ち受けているものは何だろう、とか。何を失うのか、とか。これもひとつの実験かもしれない。「子煩悩垂れ流し」にならないように、せいぜい気をつけたいと思う。よろしくお願いします。

ところで、よく使われる「育児休暇」という言葉だけど、公式には「育児休業」なんですね。微差にみえてこの差はでかいので、その辺のこともまた改めて。来月からは、おっぱいだったり、あるいはまたおっぱいのことなんかも出てくると思うのでご安心を。

※1
小沢健二が1997年に発表した楽曲 「恋しくて」の歌詞より。「ブドウを食べたり  “キムチラーメン”を探して夜遅く出かけた」と、恋人との記憶が歌われる。

※2
乃木坂46の16作目のシングル曲「サヨナラの意味」。橋本奈々未の卒業にちなんで当て書きされた歌であり、出産がテーマではまったくない。

※3
クリスチャン・リース・ラッセンは、アメリカの画家。海洋モチーフの作品多数。

※4
「ベイマックス」は、CGアニメーションによる2014年のアメリカ映画。作中キャラクターであるベイマックスの白くてふっくらした容姿からは想像しにくいアクションとバトルが展開される。

※5
理学博士、佐治晴夫氏。宇宙創生にかかわる「ゆらぎ」研究の第一人者。東急電鉄のフリーペーパー「SALUS」(2017年5月号)における連載「宇宙のカケラ」で、この説について書いている。

※6
S.キューブリック監督による1968年の映画「2001年宇宙の旅」。作中の宇宙飛行士は、宇宙の始まりから生命の誕生までを一度に経験する。その果てに到達した精神のみの生命体が「スターチャイルド」。

※7
「聖闘士星矢」は車田正美による漫画作品で、80年代の少年ジャンプにおける人気連載。作中では「小宇宙」(コスモ)と呼ばれる架空のエネルギーが重要な役割を果たす。

※8
お笑いコンビ「かもめんたる」のメンバー、槙尾ユウスケ。筆者とは大学時代にクラスメイトだった。