男コピーライター、育休をとる。No.2
おっぱい、ウンチ、そして育休
2017/09/05
生後2カ月目に入りました
いま一番欲しいものは?と問われたなら、暇でも評価でもお金でもなく、「おっぱい」と即答するだろう。母乳を飲みたいんじゃない(当然だ)。飲ませるための乳房が自分にも備わっていたらどんなに良いか、と思うのです。さもなくば「わが家の母乳」がクラウド上にあって、「乳首」端末を持つ家族なら誰でもコネクトできるシステムだったらいいのに!などとSFな発想すら浮かんでしまうほどだ。
6カ月間にわたる育休生活が、とうとうはじまった。
わが娘コケコは、生後2カ月目に突入。機嫌の良い時は笑顔(に見える表情)を見せるようになった。意味がありそうでなさそうな、クーイングと呼ばれる声(※1)を発しはじめた。でもそれ以外のほとんどの時間、これでもかというほど泣いている。あらゆる種類の泣き方をカタログ的に繰り出してくる。なんなんだこれは。
わかっていなかった男
き…きつすぎる!世の母親たちはこんな毎日を乗り切っているのか?無理無理。破綻する。
というのが差し当たっての感想です。本当に。
いや、事前に聞いてはいた。母親たちの孤独や焦燥を。芽の出ない植物に水をやり続ける気分だとか、夜泣きが永遠に続くように感じるとか、3時間おきの授乳とオムツ交換で全然寝られないとか。
しかし僕が漠然とイメージしていたのは、恥ずかしながら次のようなタイムテーブルであった。
先に書いておくと、わが家は母乳と粉ミルク(以下、ミルク)を併用する、いわゆる「混合育児」でいく。
おいおい、なに寝言いってんだ、と育児経験者なら思うだろう。すみません。僕もいまではそう思う。なんだか精度の甘い香盤表(※2)みたいだ。でもここはひとつ、「よくわかってない男性」だった一人としてその無知をさらしておきます。
3時間おきに母乳もしくはミルクを与えて、オムツ交換。これを繰り返す。ならば、夫婦でひたすら交互にやればいいんじゃないかと考えていた。あるいは僕が夜間、妻が日中を担当するとか。自分が育休を取ってずっと家にいればそれも可能だろう、と。しかしリアルはどうだ。生後2カ月目のとある1日は、たとえばこんなだった!
呆れるほど単純な真実だが、授乳もそれ以外も、プロット(点)ではなく線だった。ずっしりとした、ひとかたまりの時間だった。
授乳を起点とした平均的なフローはこんな感じだ。
【1】母乳を左右1〜2回ずつ与え、それだけでは不充分なので続けてミルクを70〜80ccほど与える。ここまでで30〜45分。
【2】そのままあっさり寝ればいいが、ゲップさせたりオムツを替えたり鼻の穴を掃除したりするうちに、コケコの目はたいてい冴えてくる。機嫌が良くなるのは1日1〜2回で、だいたいは泣き出す。
【3】なので、ありとあらゆる手段で「あやす」。抱っこ、カドルミー(※3)、スワドリング(※4)、バウンサー(※5)など。なんとか寝かしつけた時点で、さっきの授乳開始から100分ぐらい経過している。
【4】ようやく僕たちはひと休みするが、30分ほどでコケコは目を覚まし、またグズりだす。で、またあやす。
【5】気がつけば、次の授乳タイミングがもうすぐそこに!
要するに全部「つながっちゃってる」のだった。これが24時間、毎日続く。
日中は数十分の小休止をコマ切れで取れるばかり。ごはんを食べるにも、こういう隙間を使うしかないし、ときにはコケコ(約4kg)を抱っこしながら立ち食いもする(座ると泣くから)。両手をふさがれる時間も多い、まだ外出の機会も作りにくい、睡眠はもっぱら仮眠、などなど身体的負荷が予想以上にこたえています。
会社と違って、後輩からのサポートも、「22時までに退館」ルールも、ここには一切ないわけで。ミッション:インポッシブル。パパとママは、CIAに関与を否定されたIMF(※6)のようだ。
「育児休暇」は、間違いです
僕の主な担当は、毎度の「ミルクをやる」と「オムツ交換」と「沐浴させる」(一緒に入浴するのはもうちょっと先)です。あやすことは、だいたい半々でやる。サラッと書いたが、「毎度の」というところが育休ならではだと思う。でも、僕のパートを全部合わせても、妻の大変さには到底及ばない。母乳にまつわる苦労がかなり手強いからだ。あえて男性の言葉で書いておこう。
まず物理的に、それは身体を酷使する行為である。コケコがうまく吸ってくれないと乳首が傷つき、とても痛いらしい。でも痛むのは身体だけじゃない。コケコの求めるぶんだけ母乳が出ないと、妻はいたたまれない気持ちになったり落ち込んだりする。このやり方でいいんだろうか?各回の授乳量はこれで本当に大丈夫なのか?助産師さん数人に助言を仰ぐ機会を得たけれど、人によって言うこともバラバラなのです。
おっぱいを持つ者ゆえの苦悩がここにある。だったら母乳をやめて「完ミ」すなわち「すべてミルク」にすればいい?妻も産む前はそう思っていた。でも腕の中で空腹を訴えるコケコを見ると、本能的に母乳でなんとかしたくなってしまうのだという。なるほど。
ここで冒頭の話に戻るのだが、もし僕にもおっぱいがあり、なおかつ24時間在宅していれば、授乳の身体的・精神的な負担をシェアし、半減できるだろうに、と思わずにいられない。僕の分担であるミルクを、うちではいま「父乳(ふにゅう)」と勝手に呼んでいて、これはまあ自家製の造語、いわば“わが家スラング”ですが、そう名付けたところで同じ痛みは味わえないのだ。
分担については改善を検討すべき点もある。たとえば妻は僕より料理がうまく、母乳のために多品目まで考慮した献立を手際よく作れてしまう。それに甘えてつい彼女に料理を任せてしまうが、そここそ俺がやるべきでは?とか。そもそも育児を半々にするより、よく聞くように家事と育児で分業するほうが賢明?とか。こういうのは、一般論よりも「わが家の正解」を模索していくほかないだろう。育休を半年取ることで、いろいろ試せるのがありがたい。
いずれにしても、二人で協力したところで余暇なんてものはろくにないのだった。普通に会社に通っていたほうがよほど暇はあるんですね。1時間かけてランチ(なんて優雅)とか、仕事帰りに映画(もはや貴族)とか、できるわけですから。
育休は、「長い有給休暇」なんかじゃ全然なかった(※7)。あくまで「育児休業」であって「育児休暇」ではない理由が、よーく分かるこの頃です。
でも、妻の悩みや育児の大変さを思い知れて良かった、という話で原稿を終えたくはない。育休がくれる醍醐味は、決してそこにとどまらないからだ。
黄金の瞬間を待とう
ずっと、本当にずーっと、赤ちゃんと一緒にいなければ立ち会えない「黄金の瞬間」とでもいうべきものが、たまに、前触れなく訪れるのである。
ある午後、Corneliusの「あなたがいるなら」(※8)という曲を流した途端、コケコが泣き止んだ。そして「ただ 見てるだけで なぜ わけもなく 切なく なるのだろう?」という歌い出しに同期するように、ピカピカの黒目でこちらを見ていた。心が通じた!というのは錯覚だろうが、この喜びは本物だ。
コケコが突然、「ふぃ〜〜〜」と聴いたこともないような声を発し、「フィーを要求してんのかな(※9)。何に対して?可愛さ?」とか思った朝もある。
「えあ!」と叫んだと思ったら、次に「あくあ!」と言った夜などは、「とすれば、次はファイヤー?それともウィンド?」などとワクワクしたものだ。
い、いまの沐浴…俺カンペキだったんじゃ?とか(服を着せるまでの全工程を、コケコを眠らせたまま完遂)。
こうして例示すると陳腐に見えるほど儚いあれこれだが、これらは線ではなく点として、まれに発生する。ドラクエのはぐれメタル(※10)のように、出会ったそばから逃げていく。それをとらえるためにできることは、赤ちゃんという自然現象と1日中一緒にいること。糸を垂らす釣り人や波を待つサーファーになることなんだろう。育休が、さりげなくそれを可能にしてくれた。
その意味でウンチは象徴的だ、とオムツ担当は思うわけです。コケコがまる1日ウンチを出さないだけで、僕たちはそれを日照りにおける雨のごとく渇望するようになるが、待ちわびたその瞬間はやはり突然到来する。ブリューゲル!とかブリュッセル!といったSE(※11)とともに。
これをわが家スラングで「ブリット砲」と称しているが、そのカタルシスは四六時中待つ者にしか得られないものだ。ブリット砲のときほど、オムツ交換という手柄は俺のもの!と思ったりもする。数十時間待ったわりに出た量が少なければ、「コケコ先生の次回作に期待!」という気持ちにもなる。ああ、まさかウンチが何かの醍醐味になる日が来ようとは。
ずっと家にいることで、こうしたすべてに二人で同席できるのはうれしいことだ。「いまの見た?」「見た見た!」とか言い合える。むしろこの共有こそが黄金だったりして、といま書きながら思いましたね。赤ちゃんの言動の面白さって、その場にいなかった人にあとから伝えにくいものばかりだから。
育休はそれでも快楽だ
そんな些細なこと、とあなたは言うだろうか。そうかもしれない。でもこれ、僕が電通でやっている業務にたとえるなら、いいコピーが降りてきた!とか、プレゼンがクライアントに刺さった(※12)!とかには匹敵する快楽なのだ。それって、お酒を美味しくするじゃないですか。
そう、いま「快楽」と書いた。ここが肝腎なところだと思ったのです。
育休を取るつもりだと仕事仲間に伝えたとき、何度か「えらいですね!」と言われたが、「えらいとかじゃないんすけど」という居心地の悪さがあった。ミもフタもないけれど、僕が育休を取るのはもうちょっとこう、自分の欲望からはじまったことだからだ。新しい“pleasure”を得たいがためだ。
妻を支えるため?その側面はもちろんある。でも結局のところ、妻のためになること自体、自分の快楽だったりするわけです。この時期の思い出や、その効能(妻の笑顔、懐古など)がのちのちまで残ることは、自分にとっての利益なんだし。
ジョン・レノンが、息子(※13)誕生からの数年間、活動を休んでいたというエピソードが僕は好きで、それをちょっと真似したい、みたいな好奇心もあった。
ま、それでいいんじゃないかな、と思います。楽しさや好奇心に勝るモチベーションはないってことを、広告の仕事をする僕たちは知っている。それを見つけるのが得意でもある。父であれ母であれ、広告人はだから育休に向いていそうな気がしている。
さて来月は、と予告したいところだけど、まだ何も決まっていない。いまはただ、本日のブリット砲を待機するのみです。
※1
クーイングは、生後数ヶ月の赤ちゃんが発する「あーー」「うーー」などの音声。言語以前の、なんと母音だけで構成される世界がそこにある。
※2
香盤表とは、広告・映像・写真・演劇などの業界用語で、タイムテーブルのこと。お香の燃え方で時間経過を計測していた「香盤」なる道具、を語源とする説が有力。
※3
「カドルミー」(Cuddle Me)とは伸縮性の丈夫な布でできた、さや状の道具。赤ちゃんをその中に横たえ、たすき状に肩にかける。装着できるハンモック、みたいなもの。
※4
スワドリングとは、布を使って行う「おくるみ」のこと。モロー反射(説明は省略)によって動きがちな赤ちゃんの両手をがっちり固定する効果も。
※5
バウンサーとは、赤ちゃんを斜めに寝かせ、自発的に振動させることができる道具。ロッキンチェアーの現代版だと思ってもらえればよい。
※6
IMF(Impossible Mission Force)とは、映画「ミッション:インポッシブル」シリーズで主人公が所属する架空の諜報組織。その活動がバレると外交的にまずいため、危機に陥ると国家やCIAからは無関係なものとして見捨てられる宿命。
※7
育児休業中は会社からの給料がストップする(代わりにハローワークから育児休業給付金が支給される)という意味においても「有給休暇じゃない」というのは全くその通りなのだが、文脈上それはまた別の話だ。
※8
Corneliusが長い沈黙を破って2017年4月にリリースしたシングル「あなたがいるなら」。作詞は坂本慎太郎。アルバム「Mellow Waves」に収録。
※9
フィーとは、あるサービスに対する対価・報酬のこと。広告業界においては、クライアントから広告会社に直接支払われる報酬を指すことが多い。
※10
はぐれメタルは、「ドラゴンクエスト」シリーズに登場するモンスター。遭遇率がとても低い上に逃げ足が速いが、倒すと異常に高い経験値が手に入る。だがドラクエをやる暇など筆者には当然ない。
※11
SE は、Sound Effectつまり「効果音」のこと。ラジオCMのスクリプトやCMのコンテには、この略称で表記されることが多い。
※12
相手の心を捉えることを「刺さる」と表現するのは、どれぐらい一般的なのだろう。
※13
ショーン・レノン(1975年〜)。ミュージシャン。