【ウェブ電通報10周年】あの人気記事の、その後が知りたいNo.1
「男コピーライター、育休をとる。」
から6年。男性の「家庭進出」はすすんだのか?
2023/11/06
おっぱい、ウンチ、そして育休(2017年9月5日)
ウェブ電通報10周年振り返り企画、第1回は育休を通して見る「男性の家庭進出」です!
ウェブ電通報では、コピーライター魚返洋平氏が自身の育休体験つづったコラム「男コピーライター、育休をとる。」連載が大きな注目を集めました。
わかっていなかった男
き…きつすぎる!世の母親たちはこんな毎日を乗り切っているのか?無理無理。破綻する。
というのが差し当たっての感想です。本当に。
いや、事前に聞いてはいた。母親たちの孤独や焦燥を。芽の出ない植物に水をやり続ける気分だとか、夜泣きが永遠に続くように感じるとか、3時間おきの授乳とオムツ交換で全然寝られないとか。
しかし僕が漠然とイメージしていたのは、恥ずかしながら次のようなタイムテーブルであった。
先に書いておくと、わが家は母乳と粉ミルク(以下、ミルク)を併用する、いわゆる「混合育児」でいく。
おいおい、なに寝言いってんだ、と育児経験者なら思うだろう。すみません。僕もいまではそう思う。なんだか精度の甘い香盤表(※2)みたいだ。でもここはひとつ、「よくわかってない男性」だった一人としてその無知をさらしておきます。
(連載第2回「おっぱい、ウンチ、そして育休」より引用)
魚返氏からの持ち込みで始まった同連載には、半年間の育休を取得した魚返氏のリアルな日常と心情が率直に描かれており、たちまち大人気連載になりました。
・「男コピーライター、育休をとる。」連載はこちら
連載がスタートした2017年から、男性育休に対する社会の意識も大きく変わりました。2022年、改正「育児・介護休業法」の施行により、「産後パパ育休(出生時育児休業)」が創設され、さまざまな企業の姿勢も変わりつつあります。
今回はウェブ電通報10周年企画として、魚返氏に「男性の家庭進出」をテーマに寄稿していただきました。
<目次>
▼僕たちの「つかまり立ち」
▼育休はただの手段だ
▼変わるパパ、変わる組織
▼さようならイクメンたち(仮)
▼この6年も過去になる
僕たちの「つかまり立ち」
あれからもう6年が過ぎた。当時生後2カ月だったわが娘コケコも、来年にはもう小学生。ランドセルだって予約済みだ。最近は、乳歯がたて続けに抜けていく。
ウェブ電通報のこの記事が、思えばすべてのはじまりだった。書籍化の話が持ち上がったのも、WOWOWでドラマの企画が生まれたのも、この記事を多くの人に読んでもらえたからだ。この6年は、育休についていろんなところで話す機会もいただいた。
今回、かつてウェブ電通報に持ち込んだ自分の企画書を引っ張り出してみたら、当初の連載タイトル案としてこう書いていた。「さようならイクメンたち(仮)」。企画主旨として、「男性の育休をひとつのスタンダードとして発信し、イクメンという言葉を死語にするのだ」みたいな宣言がそこそこ強い筆圧で書かれており、いまとなってはちょっと恥ずかしいのだが、実際のところ、この6年間で男性の育児にまつわる風景はどう変わったんだろう?
ここに「男コピーライター、育休をとる。」の本の表紙と、ドラマ版のポスタービジュアルがある。それぞれのキャッチコピー(出版社や放送局が用意してくれたものだ)に注目してほしい。本の帯に書かれた「5%」は、僕が育休を取った2017年の男性の取得率。ポスターにある「7%」は2019年の数字だが、ちょうどドラマの番宣をしている最中に2020年の数字が発表され、それが約「12%」になっていたので驚いた。あっ、ポンと跳ねた!と。キャッチコピーが古く見えちゃうな、と。育児・介護休業法の改正を経た2022年度、男性の取得率は「17.13%」に達している。
女性の取得率に比べればまだまだではある。それでも、ハイハイで(まさにこのグラフのように)地を這(は)っていた赤ちゃんが「つかまり立ち」をはじめた、くらいの飛躍ではあったと思いたい。実際、娘の保育園の保護者メートにも、さらには保育士にも、育休を取った男性を見るようになった。
ただ一方で、ジェンダーギャップという視点で見るなら、現実は相当シビアだ。2023年のいま、日本の「ジェンダーギャップ指数」は世界146カ国中125位。これについてはもう、ハイハイ以前の、寝返りすら打てない赤ちゃんだ。赤ちゃんと違って「ちっともかわいくない」のだが。
女性の眼前や頭上に、社会的に壁がある。そんななかで、女性の「社会進出」を後押しするために有効なのはやはり、男性の「家庭進出」なんだろう。「家庭か仕事か、どっちか選べ」と女性だけが(社会から、そして男性から)選択を迫られる状況は、家庭も仕事も男女双方が負うことで変えていけるからだ。妻が働く姿を見ていても、つくづくそう思う。
育休はただの手段だ
6年前、メディアは「育休をとろう」と唱えはじめていたけれど、いまではもう、組織に対して「育休をとらせよう」と呼びかけるフェーズに移行してきた感がある。男性の取得率100%を目標に掲げる組織も増えてきているし、それぐらいのつもりでやらないと変わらない、というのはそのとおりなのだろう。
でも、取得率100%が目的化しちゃうのは違うんだよな、と感じている。僕は育休を男性に勧めたりしているけれども、「検討したほうがいい、有力な選択肢のひとつ」としてだ。それは自分と家族の幸せのための手段であって、手段にすぎないからこそ「望む人なら」誰もがイージーにアクセスできるものでなくちゃ、と考える。誰も彼もが取りなさいということではなく。
そして個人的には、取得率だけじゃなくて従業員の「平均取得日数」を、もっといろんな企業が発表すればいいのに!とも思う。3日だけ取得するのと1カ月取得するのとでは、育休の活用の度合いが違ってくるはずなのだ。
取得率は組織(取らせる側)のものだが、取得日数は従業員(取る側)のものだ、と言ってもいいと思う。
たとえば、「取得率100%で平均日数3日の会社」と、「取得率60%で平均日数50日の会社」なら、どちらのほうが育休が生かされているのか?というのは難しいけれど、そのぶん意味のある比較ではないだろうか。これは就職(転職)活動をしている人たちにとっても、有用なデータになると思う。
変わるパパ、変わる組織
ここ1年ほど、「電通パパラボ」の仲間と一緒に、企業のおもに人事部門に向けた講演を行ってきた。組織として男性の育休取得を推進するために、どう考え、何をすればいいのか?そのヒントをさぐろうという活動で、それを僕たちは「パタニティ・トランスフォーメーション(略して「PX」)」と名乗ったりしている。これの詳細については、ほかを見ていただくとして、ポイントをシンプルに言うと、つまりこうだ。
男性の育休取得が普及することは、組織の戦力をダウンさせるどころか、長い目で見ればむしろ強化してくれる。それは竹のようにしなやかな、いわば「強靭(きょうじん)さ」をもたらすはずだ、ということ。
これには一定の反論もあるでしょう。たとえば、「『長い目で見れば』というが、そんな余裕はない」「育休が組織をより良くするなんてきれいごとすぎる」という意見など。
でも、コミュニケーションの仕事をやっていて思うのだ。組織というのはそもそも「中長期的ビジョン」というものが大好きではないですか?それにいまや「きれいごと」こそ組織運営に必要なものではないか。いろんな組織がパーパス(purpose)を唱える時代。子どものオムツを替えていた身としては、パーパスと耳にするたびに「パンパース」の画が浮かんでしまうが、そんなことはどうでもよくて、ともかくその手の社会的大義の大切さともこれは通じる話だ。少なくとも「きれいごと」がなければすぐに汚くなりがちな世の中なんだし。
小さな会社を経営している人が「10人の組織では、1人抜けるだけで10%欠ける。育休取られちゃ現実的に業務が回らないんですよ」と指摘するのを見たこともある。ただですね、けがや病気といった理由で誰かが突然欠けてしまう可能性は、会社の規模に関係なく、常にある。それに比べたら、育休は「まえもって計画できる期間限定の不在」であり、持続可能な組織やチームをつくるためのレッスンになり得るはず、というのがパパラボの主張だ。
変われそう、意外と変われるかも、と思った会社から先に変わっていけばいいし、すこしずつだけれどそうなってきているとも感じています。
さようならイクメンたち(仮)
たとえば僕は、育休から復職した2018年当時、保育園でコケコが発熱したとの連絡をときどき受けては、仕事を早退していた。予定されていた打ち合わせを欠席したりキャンセルしたり、急な対応でどたばたしながら、でも周りを見渡すとこれをやっているのって女性(お母さん)ばっかりだな、と感じていた。
ところが最近はそうでもない。「保育園から呼び出されちゃったんで、今日の打ち合わせはお任せします」「おお、それはお大事に」みたいなケースが、男性同士でもけっこう、ふつうに、ある。社内にかぎらず、一緒に仕事をしているクライアントの男性から、同じ理由で打ち合わせのリスケをお願いされることもある。そんなとき僕なんかは、「ああ、こちらを信用してくださっているんだな」と感じたりもする。お互いさまだ。在宅勤務が普及した影響も大きいと思う。
この6年間、保育園の送り迎えのために基本9:30~17:30の定時内でだけ仕事をする(たまに例外あり)というワークスタイルを僕は続けているが、つい最近なんかは「そういうスタイルでやっている魚返さんと、前から一緒に仕事をしてみたいと思ってました」みたいなうれしい告白とともに、仕事のオファーをいただいたりもした。そういう働き方のメンバーばかり集めてチームを組んでみるのも面白そうだ、と言ってもらえたり。
こんなのも、6年前にはまず考えられなかったことだ。
子どもが生まれてから僕自身は、自分のロールモデルになるような存在をなかなか見つけられなかったのだが、もうそんなことはどうでもいいと思うようになった。それよりも、自分の働き方や発信に共感してくれる人がいることを喜ぶべきだろう。
そういえば、ふと見渡せば「イクメン」なんて言葉も、本当に死語になりかかっている気がしませんか。そうでもないですか?
この6年も過去になる
こんな変化は、もしかしたら自分の近所というか、周囲5kmくらいの狭い世界の話なのかもしれないと思ったりもする。
いや、でもどうだ。SNSを拠点に、育児中の父親同士が情報交換したり助け合ったりするコミュニティがあり、その規模がどんどん拡がっていることも僕は知っている。点在から、連帯へ。6年で、風景はその程度には変わった。そんな僕たちを見ながら、コケコも大きくなっていく。
僕はいま、コケコの抜けた乳歯をみる。6年前のあの、おっぱいとかウンチとかの日々にはまだ生えてすらいなかったのに、そのあとに登場し、役割を果たし、そしていま不要になった、小石のような歯。じきに永久歯でアップデートされ、すっかり過去のかけらになる。でもそんな通過点のような6年が存在したのだ。
考えてみたら、10周年を迎えたウェブ電通報というのはきっと、こういうかけらだったり通過点だったりの集積なんだろうと思うのだ。