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DMCラボ・セレクション ~次を考える一冊~No.73

たった1冊の本が、ナイキの創業物語を追体験させてくれた

2017/11/24

人は一生で、2億7400万歩も歩くのだそうです。
その距離、およそ地球1周分。

この、いわば壮大な旅を、退屈な移動に終わらせるのか。
スポーツとして人生を豊かにするものに変えるのか。

今日ご紹介するのは、スポーツは人生を豊かにすると信じ、靴に人生を捧げた物語。父親から借りた50ドルが、やがて300億ドルの巨大企業へと成長していく…。
ナイキ創業者であるフィル・ナイトの自伝『SHOE DOG』(東洋経済新報社)です。

『SHOE DOG』

個性豊かな仲間との、赤裸々すぎる創業物語

この本、ひと言で表すと「赤裸々すぎる」です。
かつて、ここまで情けない過去の話を本につづった経営者がいたでしょうか…。

物語は、1962年から、ナイキが上場を果たす1980年まで。
イメージとしては、名作シューズの開発秘話とかクールでスマートでキラキラした話がちりばめられているのかと思いきや…まったく違います(もちろんロゴマーク誕生秘話など逸話もちゃんとありますが)。

アメリカの外を知ろうと世界一周に出るも、いきなり最初の地ハワイでサーフィンにハマって世界一周を断念しかけます。飽きるの早いよ。

その後起業しても、オニツカタイガーへひとり乗り込んでの交渉、陸上選手時代の恩師であり共同経営者となるビル・バウワーマンの説得、増える社員、増える問題行動、資金問題には常に悩まされ、自分の給料も満足に払えないから会計士として働きながらの会社経営とドタバタ続き。

大学で講師を始めたところ、そこの生徒に一目ぼれして婚約したかと思えば従業員の裏切りに訴訟、日商岩井の強力すぎるサポートで巻き返したところで詐欺と疑われてのFBIの捜査。なんとか乗り切って上場し期待をかけた新シューズを開発するも失敗、円ドルレートの急変動、人件費の高騰、アメリカ政府との争い…

盛りだくさんです。よく覚えてたな…というレベルで詳細に語られます。

葛藤も苦悩も失敗も、ダサい出来事もすべてがありのままにつづられています。

きっかけは、大学の宿題で書いた1本のレポートだった

フィル・ナイトは大学最終年次、起業の授業を取っていました。
そこで出された、とある宿題。
もともとランナーだった彼は、テーマを「日本のランニングシューズ」にしたのです。
当時は、日本のカメラがドイツの独壇場だった市場で目立ち始めていた時代。
何週間も粘り、図書館にも通いつめ、輸出入や起業についての本をむさぼり読み、どれだけ日本のランニングシューズに可能性があるのかを論じたのです。

この経験がすべての始まりでした。
後に日本のオニツカタイガーを輸入し、アメリカで販売するというビジネスモデルにつながっていくのです。

ほんの50年前まで、ランニングはくっそダサかった

実際のところ、1965年当時、ランニングはスポーツですらなかった。人気があるなし以前に、軽く見られていたのだ。(中略)喜びを求めて走る、運動のために走る、エンドルフィンを増やすために走る、より良くより長く生きるために走るなど、誰も聞いたことがなかった。(P107)

今では信じられない話ですが、昔はランナーなんて皆無。
道を走ろうものなら車のドライバーから「馬にでも乗ってろ」とからかわれ、ビールやソーダの缶を投げつけられる。不遇の時代です。というかひどすぎないか。

こうした時代でも、アスリートのために本当に素晴らしい靴を届ける。
彼は信念をブラすことなく奮闘していたのです。

書評が難しいので、アツくなれる言葉をご紹介します

この本、フィル・ナイトの経営ノウハウを学ぶものではありません。
読後感はむしろ映画に近いです。
彼の人生を、彼になったかのように追体験できる。

物語の中から出来事の顛末を引っこ抜いて紹介するのは野暮です。
映画にしたってネタバレは嫌ですよね。僕もしたくないです。
ここでは彼が紡ぐ、端的だけど人生観がにじむ言葉を選んでみました。
きっと本を読みたくなるはずです。

私は走ることを信じていた。みんなが毎日数マイルを走れば、世の中はもっと良くなると思っていたし、このシューズを履けば走りはもっと良くなると思っていた。この私の信念を理解してくれた人たちが、この思いを共有したいと思ったのだ。
信念だ。信念こそは揺るがない。(P80)

いろんな仕事の中でも、靴を売ることこそ彼の天職でした。
そこには揺るがない信念と、それを伝え広げていく醍醐味があったのです。

常に今を生きたいと思っていた。本当に重要な一つの仕事に集中したかった。仕事ばかりで遊びがない人生なら、仕事を遊びにしたかった。(中略)私が望むのはみんなと同じことだ。つまり、24時間本当の自分でいられることだ。(P169)

副業を辞め、靴に集中しようと決めたのは30歳のとき。
自分に対して正直な生き方しかできない、という彼らしさが伝わってきます。

ビジネスは銃弾のない戦争だと誰かが言っていたが、私も同感だ。(P129)

負けないことではなく、勝つこと。彼は決して妥協しませんでした。

人間という壮大なドラマの中に身を投じることだ。単に生きるだけでなく、他人がより充実した人生を送る手助けをするのだ。(P500)

ビジネスとはお金を稼ぐことではない、と断言する彼の哲学があふれています。

オニツカ氏はバウワーマンに、タイガー独特のソールは寿司を食べている時に思い立ったと話した。木皿に盛られたタコの足の裏側を見て、これと同じような吸盤があれば、ランナー用のフラットシューズに効果的かもしれないと考えたという。(中略)
インスピレーションは日常のものから湧いてくることを彼は知った。食べるものとか、家の周りにあるものとか、ヒントはそこら中に転がっている。(P122)

事実、初期のナイキを支えたワッフルソールは、バウワーマンの夫人が朝食に使っていたワッフルメーカーがヒントとなりました。

お茶会から小さなタンスに至るまで、生活のあらゆる部分に美を添えようとする姿勢が好きだ。毎朝、どの街角のどの桜がどれほど盛りなのかを告げるラジオのアナウンスが好きだ。(P190)

時は1968年。交渉のため日本を訪れた際に、日本の素晴らしさを語った一文。
他にない視点がなんともチャーミングで、ユニークです。

そして、最後に、僕がいちばん心に残ったフレーズを。

みんなに言いたい。自分を信じろ。そして信念を貫けと。他人が決める信念ではない。自分で決める信念だ。(P544)

他人が決める信念ではなく、自分で決める信念。
周りの目が気になってしまう現代への強烈なメッセージ。
1980年までの物語に、これからの時代を生き抜くヒントが詰まっています。

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