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【続】ろーかる・ぐるぐるNo.129

「視点をずらす」ための、第一歩

2018/04/05

食いしん坊の作家といえば、誰を思い浮かべますか?世代にもよるでしょうが、ぼくの場合は開高健さん。世界を股に掛けた食欲で紹介される美味・珍味のエッセーにヨダレが止まりません。その開高さんが「(日本の作家は)文学で、ちょっと食うのをあつかわなさすぎるんじゃないか」。でも「獅子文六が『バナナ』という小説を書いている。全編、これ食う話」とおっしゃっていたので、昭和30年代に連載された新聞小説を改めて読んでみました。

『バナナ』(獅子文六著、ちくま文庫)
『バナナ』(獅子文六著、ちくま文庫)

裕福な台湾華僑の息子龍馬とガールフレンドのサキ子がひょんなきっかけからバナナ貿易でお金もうけをたくらむのだが…から始まる恋愛小説であり、ドタバタ青春小説。龍馬の父、呉天童は食べることに生きがいを感じる偉相の巨漢。その弟、呉天源は精力的なやり手の商売人。シャンソン歌手の永島栄二は嫌味な気取り屋といったように登場人物の造形もわかりやすく、その掛け合いはユーモア小説の名手ならでは。

さすがに料理の描写も丁寧で、たとえば龍馬が神戸の中華料理店で叔父の天源に夕飯を振る舞われるときは「冷菜盛合せ、熊の手のオイスターソース煮込み、フカヒレ、イシモチの酒蒸し、ナマコ煮物、アヒルの焼物、皮つき鳥と中華ハムの煮物」というメニュー。しかもデザートは「三不粘」。モチモチした食感にもかかわらず箸にも皿にも歯にもつかない不思議なレシピで、21世紀の今日もなお「幻のスイーツ」と称される玉子料理を配している辺りは心憎いばかりです。

最近ちくま文庫で復刊したようですが、確かにチャーミングな一冊でした。

明治学院大学

ところで今年も春から半年間、明治学院大学で経営学特講を受け持ちます。ここで学生さんと議論したいのが「常識を覆すための思考法」であり「その手があったか!のつくり方」です。学校のテストとは違って、社会で出会うのは「正解のない問題」。それに対してどう取り組んでいくべきか、というお話です。

このテーマになると、皆さんの関心はたいてい「新しい視点のつくり方」に集中しますが、忘れてはならない大切なポイントがもう一つあります。それは「いまの視点が何であるのか」「どんな常識を覆そうとしているか」、それをしっかりつかまえること。そりゃそうです。「いま(古い)」があって初めて「新しい」があるのですから。

イメージ

でも「いまの視点」なんて当たり前すぎて、どう取り組んだらいいか、わかりません。そこで学生さんにオススメするのが、日頃から自分の、いまの視点を言語化する習慣です。

たとえば獅子文六『バナナ』を読む前、開高さんの「全編、これ食う話」に魅かれたぼくの期待は「グルメ小説」でした。しかしこの当ては、ちょっと外れます。先ほどご紹介した豪華な中華料理のコースも、天源が甥に中国文化の素晴らしさを説く舞台背景としては効果的ですが、小説の主題は「美食」ではなかったからです。むしろ美食とは対照的な「バナナ」を巡るお金に踊る人間模様こそがテーマでした。そしてぼく自身も楽しんだのは、この点。快活で向こう見ずな若者と、欲も懐も深い世の中のギャップを明るく描いた「ユーモア小説」としての側面でした。

この作品を紹介するためには新聞小説、恋愛小説、青春小説などさまざまな視点があって、どれも間違いではありません。しかし「言語化する習慣」によって初めて自分の感覚を「グルメ小説としてはハズレだったけど、ユーモア小説として当たりだった」と理解できました。そして「グルメ小説」という視点を真剣に考えて初めて、単にうまそうな料理が並ぶ作品ではなく、根源的な欲求のひとつである「食欲」を「愛欲」並みに正面から描く小説を読みたいと思いました(まだ見つかっていないので、オススメがあったら教えてください)。「いまの視点」を意識した結果、新たな興味が広がったのです。

視点をずらすアイデアを手に入れるためには、ユニークな発想をする訓練と併せて、こうした「いまの自分の視点」を知る習慣づけも有効です。

さてさて新学期。毎年講義内容を全面改定するので、実はぼくの方が学生さん以上に緊張していたりして。

どうぞ、召し上がれ!