【続】ろーかる・ぐるぐるNo.141
「ふつうって、そんなにダメなんですか?」
2018/09/27
田園都市線つくし野駅前には、ぼくの幼なじみ氏が経営する洋食自慢のお店「蹊亭」があります。
最近はもっと多くのお客様に来ていただくため、いままであまりつくっていなかった「ビーフシチュー」を試行錯誤、開発中。先日も会社帰りにふらっと立ち寄ったときに相談されたのをきっかけに、あれやこれや好き勝手を言いました。
「なぜお客様は老舗有名店ではなく、手軽なファミリーレストランでもなく、わざわざこの店にビーフシチューを食べに来るのだろう?このメニューの魅力をひとことで言ったら、何だろう?」
「お客様の気持ちを動かすのは『へぇ!』という発見。そのポイントをキチンと準備しておかないと、あまたある外食の海に埋没しちゃうよ」
これに対して、幼なじみ氏は答えます。
「わかるよ、わかるけどね。ふつうって、そんなにダメなのかな?」
お酒の勢いも借りて、ぼくだって負けていません。
「まじめに、ちゃんとした仕事をするのは素晴らしいこと。でもね。残念ながら、その結果がふつうなら、上手く行かない確率が高いんじゃないかな。最近、昭和の古き良き時代から続く、安くて、ボリューミーで、美味しい、いわゆるふつうの中華料理店が『町中華』なんてブームになっているけれど、あれだってレトロを非日常、特別な経験として楽しんでいるだけでしょ?そしてその中でも人気なのは結局、ビーフンとか、モツとか、メンマとか、何か特徴があるお店だよね」
重ねて幼なじみ氏は答えます。
「わかるよ、わかるけどね。牛のばら肉やスジと香味野菜をとろ火でコトコト煮込んで、ゆっくり冷ます。これを繰り返すこと1週間。煮込むことで肉の旨み、野菜の自然な甘みが溶けだして複雑なコクをつくっていく。教科書通りといえば教科書通りだけど、当たり前のことを丁寧に仕事したビーフシチュー。ふつうのビーフシチュー。それって、そんなにダメなのかなぁ」
こう、真っ向から反論されて、ふっと頭に浮かんだのは最近見に行った民藝運動の美術展です。柳宗悦や河井寛次郎、濱田庄司らが名も無き職人の手から生み出された生活道具に美術品に負けない「用の美」を見いだした作品の数々。そこに添えて「(民藝のような)事柄に腰を据えるとい言う事は、事が平凡であるだけに非凡を好む近代人には出来にくい」 という趣旨の言葉がありました。
正直、ぼくは自分の主張に大きな間違いがあるとは思っていません。1週間の手間暇は素晴らしいですが、世の中には煮込み期間が2週間だったり、創業以来半世紀以上ソースを継ぎ足して…なんてお店がたくさんあります。
もし「商品の魅力」だけで多くの新規顧客を獲得したいのなら、やっぱりそこには「明確な特徴」が必要です。
と同時に。改めて自分のコトバを振り返ると、いかにも広告屋さんが言いそうだとも思いました。必ずしも人間の本質とは関係ない、近代以降の流行に踊らされているだけなのかも、と。
彼のビーフシチューを食べれば実感できる、派手ではないけれど本質的な、地に足の着いた、十分に贅沢な味わいに対して、ちょっぴり不誠実だったかもしれません。
ぼくはこれからも「差異化」を求め続けるのでしょうが、一方で「ふつうは、やっぱりダメだよ」と言い切った瞬間、なにか大切なものを失ってしまう気もするのでした。
どうぞ、召し上がれ!