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【続】ろーかる・ぐるぐるNo.142

サイエンスとクリエーティブの交差点には何があるのか?

2018/10/11

「へぼ」って食べもの、ご存知ですか? 長野や岐阜の山間部などでは「蜂の子」をこう呼んで、冬の貴重なタンパク源としてきた伝統があります。

お土産物屋さんなどで売っている甘辛く濃い味に炊いたものは食べたことがあったのですが、とある居酒屋さんで出会った「へぼの釜飯」は薄口で上品。それまで密かに感じていたゲテモノ的印象は一気に覆り、白子のようなトロッとした風味とクセのない香ばしさが絶妙でした。

まさにオドロキと美味しさの見事な接点。繁殖期を終えるこれからが旬だそうで、今年もどこかで食べたいなぁ。

思い返すと、いまから四半世紀前、広告会社の門をくぐったばかりのぼくは、バリバリの「広告をもっと科学的に」信者でした。例えばコピーライターは正体不明のポエムを書く人、アートディレクターは浮世離れしたビジネスから遠い人だなんて思ってたりして。

もっと論理的に、もっと正しく、もっと明確な目的を、もっと効率よく、もっと「戦略」的に解決すべきだ、そしてそれは可能なことだと信じていました。

その背景には、大学時代、「経営を科学する」という旗印で華々しく活躍していた戦略コンサルタントについて学んだ影響もあったでしょう。経験と勘頼りの経営者が駆逐される(…と当時のぼくは考えていたのでしょう)ように、ブラックボックスのように見える「クリエーティブ・ジャンプ」も、広告の未来のために打ち破るべき壁と思えたのです。

それは強烈な信念というよりは、漠然とした「きっと、そうあるべき」という予感として、ぼくの心を占めていたので、会社では迷いなくマーケティング局を志望しました。

入社時のぼく(山田壮夫)
入社時のぼく

まさかその自分が、後にクリエーティブ局に属し、アイデアについて熱く語るなんて。我ながらずいぶん「変節」したものです。それが「自分の信念を時流などにこびて変えること」を意味するなら反論しますが、少なくとも「従来の主張を変えたこと」には違いありません。

なぜ、そうなったのか?

理由はシンプルで、ロジカルに、科学的に、正しく考えるだけでは「ひとの気持ちを大きくゆり動かすことはできない」と分かったから。と同時に「戦略」の定義が不十分だったことに気がついたからでした。

かつて、ぼくはマーケティングの専門家が分析を通じて設定するものが「戦略」だと信じていました。調査の結果、浮かび上がったターゲットと、購入に至らしめるために獲得すべきパーセプション(認識・気持ち)、市場の中で狙うべきポジションこそが重要だと疑わず、企画書の「戦略パート」を書いていました。

しかし、それは間違いだったのです。そこには「どうやって戦うか?」が示されていません。

クライアントにきちんと説明すべき戦略は、ぼくが眉をしかめて見ていた「クリエーティブ・ジャンプ」の中にありました。その正体を言語化して示すことが戦略家の仕事だったのです。

「ビジョンの実現に向けて課題を解決する新しい視点」として定義される「アイデア」こそが、プレゼンでも語られるべき「戦略」の正体です。

「アイデア」は思いつきではなく、ビジョンと具体策、ターゲットと商品・サービスを結ぶロジックの一部を構成する、きわめて理性的な一面を持つものでした。

正直なところ、ぼく自身の中では「サイエンス」「ロジック」の道から「クリエーティブ」の道へ大きく転身した感覚がありません。両者を結ぶ接点に、「アイデア」を発見したことで、一見相対する二つの世界が結びついたのです。

つまり「サイエンスとクリエーティブの交差点には、アイデアがあった」ということなのですが。この一見、おかしな結論。限られた文字数とぼくの「へぼ」な説明でご納得いただけましたか?

う~む、もっと精進が必要ですね。もしかすると過去の記事「マップの戦略、コンセプトの戦略」がご理解の足しになるかも知れません。

どうぞ、召し上がれ!