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【続】ろーかる・ぐるぐるNo.143

学生時代に読むべき本

2018/10/25

学食のカレー

東京・国立市は、学生時代を過ごした街。当時、自宅から大学まで往復1000円以上かかる交通費がもったいなくて、その金額分の食材を買って友達の家に持ち込み、料理をつくっては毎晩毎晩泊まり歩く生活をしていました。

ぼくは中学高校で家庭科の授業を受けなかったので、あれがほとんど初めての調理体験。誰に教わるでもなく、勘と食い意地だけでやっていました。

唐辛子の入れ過ぎで部屋中でせき込んだり、豚骨スープをつくろうと友人のガス代を散々使った挙句、ただただ獣臭い液体が出来上がったり。失敗だらけでしたが、楽しかったなぁ。その経験は今日につながっています。

最近、明治学院の講義以外にも現役の学生と話をする機会が多いのですが、その時困るのは「大学時代、どんな本を読んでおいた方がいいですか?」という質問。

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(マックス・ヴェーバー 著、大塚久雄 訳、岩波書店)

自分の頃、どうだったのかを必死になって思い返すと、そういえば何人かの教授が「社会学をやっている学生ならマックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波書店)は読んでおきなさい」とおっしゃっていました。

禁欲的なプロテスタントの倫理観こそが、利潤追求を肯定する近代資本主義に大きく貢献した、という歴史の逆説を説いた、通称『プロ倫』。ぼくは結局、学生時代に通読できませんでした。

「ビジネス書ではなく、まともな経営学の本を、なんでもいいから一冊。これは理解したぞ!というまで読めたら十分ですよ」とおっしゃる先生もいました。

でもこれには大きなトリックがあります。というのも、先行研究がわからないと、その本の主張を理解することなんて、できるわけもないからです。結局、脚注や参考文献に示された膨大な資料を読まなければならないのです。そのことに気がついた瞬間、当時のぼくは挑戦を諦めました。

したがって「学生時代に読むべき本は?」という問いに対して、ロクな答えを持っていません。そんな時はその代わり「10年後、20年後、社会経験を経てから本を読むのがいいよ」と伝えることにしています。

『方法序説』(デカルト 著、谷川多佳子 訳、岩波書店)

例えば『方法序説』(岩波書店)なんて、一生縁がないと思っていました。しかし40歳になって手に取ると「わたしは何よりも数学が好きだった。論拠の確実性と明証性のゆえである」というデカルトが、不確実な基盤しか持たなかった当時の学問に絶望して、すべての思考のベースに数学的な厳密さを導入せざるを得なかった心情に共感しました。

と同時にあまりに厳格で正しすぎる思考方法に、「それって、正しいの?」「証明できるの?」としか言わないひとの顔が浮かんできて、「嗚呼、この世が退屈な原因はキミなのね!」とも思いました。その年齢になって初めて、この本(の、ごくごく一部)を腹の底で実感できたのです。

『見えざる資産の戦略と論理』(伊丹敬之・軽部大 編著、日本経済新聞社)

『見えざる資産の戦略と論理』(日本経済新聞社)の時も同じです。大学の友人、軽部大くん(一橋大学教授)が書いた本(伊丹敬之先生との共著)だから手に取ったのですが、きっと若い頃だったらリアリティーを持ち得なかった内容も、10年のビジネス経験を積んでから目にすると「それホントかな?」とツッコミを入れながら、自分ゴトとして読めました。

「社会経験を積んでから本を読むのがいいよ」という回答に、学生さんはたいてい不満気な表情を見せます。そりゃ、そうです。いま学問したくて質問したら、10年後、20年後。彼らからすると気が遠くなるような将来の話をされるのですから。

とはいえ毎晩楽しく宴会をしていたぼくには、それが限界。

どうぞ、召し上がれ!