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スポーツで社会の課題を解決するNo.1

【対談】為末大×樋口景一 

第1回 身体を通してランダムな発想を得る

2014/01/30

社会の様々な課題に対して、スポーツの力で何かできることがあるのではないか―。電通・CDCコミュニケーションデザイン・ディレクターの樋口景一さんが、元プロ陸上選手であり現在は指導者やコメンテーターなど幅広く活動する為末大さんを迎え、その可能性について語り合いました。

【第1回】 身体を通してランダムな発想を得る

 

<医療の問題を医療だけで解決することの限界>

樋口:発端は、一緒にスポーツにまつわる事業企画を1年前ぐらい前からさせていただいておりまして。何度か打ち合わせする中で、今までと違うスポーツの捉え方を教えてもらいつつ、それが、僕らが生業としている企業の課題解決や社会の課題解決に対して、ものすごく示唆に富む話が多いなと思い、改めて一度じっくりお話したいと思っていました。本日はよろしくお願いします。

為末:よろしくお願いします。

樋口:今まで想像していなかった領域をスポーツの力で課題解決するという話の一例で、鹿島アントラーズの選手が鹿島町の高齢者の方々と日々体操をするようになったら医療費が半減したという話を聞いたときに、僕のスポーツの見方がちょっと変わったんです。これはスポーツによって医療の課題が解決した事例だなと。
たしか、教育の課題に関する話もありましたよね。

為末:かるた取りの話ですね。子どもが自分で自分を制御できない状態、いわゆる“キレる”ときのメカニズムが、かるたを取ろうと瞬間的に体が反応するメカニズムと似ているということで、自分を制御するトレーニングにかるた取りが使われているという。瞬間的に反応してかるたを取ろうとするのを意志で止められるかどうか、つまり、体が先に動いてしまうことを頭が判断して止める、というトレーニングです。

樋口:かるた取りは、身体を使うという点ではある意味スポーツの要素がありますよね。キレやすいという心の問題を心理的アプローチだけで解決しようとせず、1回身体を経由して違う角度で入っていくことが、すごく興味深いなと。医療の問題を医療だけで、教育の問題を教育だけで解決するのは限界があると思うのですが、スポーツの身体性に着目したアプローチはとても新鮮でした。

為末:身体性が心や頭に及ぼす影響については、脳科学や認知心理学で研究されていますが、僕がこのあたりに興味を持ち始めたのは、競技に臨むときに、頭で細部の事を意識しすぎない方がいい、ということがあったからなんです。

例えば僕らアスリートの世界では、こんな寓話がよく語られます。アリとムカデが歩いていて、アリがムカデに「そんなにたくさんの足を、よく上手に動かせるね」と言ったとたんに、ムカデは足を意識しすぎてうまく歩けずに転んでしまうというものです。

これは意識が身体に影響を与えた例ですが、逆もしかりで。例えば、割り箸を口にはさんで口角が上がった状態で漫画を読むと、おもしろさが2割ほど増すといった研究もあるそうです。楽しいから笑う一方で、笑うから楽しい、と効果もあるというわけです。

樋口:身体と心、身体と頭は互いに影響し合っているんですね。

為末:切り離せないものではないでしょうか。そうしたことに関心を持ち始めてから、スポーツにはもっと可能性があるのではないかと思うようになりました。スポーツや身体性による作用や効果を、一見関係なく見えるさまざまな分野に反映させていくというような。

樋口:同感です。スポーツを狭義で捉えると勝ち負けの話になってしまうけれど、気持ちをコントロールする装置として、あるいはそのゲーム性をもって人を集わせる装置としてなど、もっと広く捉えると一気に視界が開けますね。身体を動かすことで得られる知恵の集合体のような形でスポーツを捉えると、ずいぶん発想が変わってくると思います。

<身体性で養われる直感やひらめきが発想を助ける>

樋口: “スポーツインテリジェンス”みたいな言葉があるのか分かりませんが、身体を通して心や頭の部分をつかさどろうとするスポーツの知恵は、本当はもっと体系化されてもいいはずだと感じています。その上で、先ほど挙がった医療問題や教育問題など、いろいろなフィールドに展開されると、これまでにない社会の課題解決方法が生まれると思うんです。

為末:なるほど、そうですね。先ほどのムカデの話のように、身体は頭で考えて動かしているわけではないので、論理的に説明しづらい分、体系化し得るものだと思われていないのかもしれません。確かにスポーツは直感や無意識の領域に支配されているところがありますが、実はその直感が私たちに教えてくれることは大きいです。

直感とかひらめきは、決して思いつきではなく、人生でいろいろな経験をする中で、まだ言葉では説明できないけれど答えが出ているようなものだと思っています。論理的に考えるというよりは、触ったり体感したりという身体で得た生の経験が、その直感を支えている。だから、身体性を意識することは、直感やひらめきを養うことでもあるんじゃないかと。

樋口:そうですね。それを踏まえて企業活動を考えると、今の時代はさまざまな企業が次にどんな商品やサービスをつくればいいのか、アイデアを模索している状態なので、身体という切り口でそれをサポートする方法もあるのかもしれません。

為末:ええ。以前、「心地いいドライビング」をテーマにした研究者やデザイナーの話を聞いたことがあるのですが、心地いいという感覚は身体の領域、感性の領域だから、いくら技術が進歩してもロボットでは解決できないそうなんですね。

スポーツや、あるいは芸術、ほかの文化活動でもいいかもしれませんが、それらが身体や五感を研ぎ澄ましてくれる作用は、機械では生み出すことができない。身体性は、もしかしたらロボットが入っていけない人間の最後の聖域なのかもしれないなと、ふと思ったりするんです。

樋口:確かに。感性工学などの領域も注目されていましたが、本当はその裏側にある、身体性にまで紐づけて体系化すると、新しい領域が開けるのかもしれませんね。

そういう個々の人間の内部の話だけでなく、スポーツの持つ知恵を企業活動にどう生かしていくかということを考えていくと、実は今までのようなマーケティング活動にとどまる話ではないと思うんですよね。例えば本当にいい組織づくりをするにはどうすればいいのとか、いいチームづくりをするにはどうすればいいかというのは、その知恵がものすごく力を発揮するところだと思うし、もっと言うと、スポーツには人のモチベーションを設計するメカニズムがすでに方法論としてあるわけですよね。

為末:なるほど、そうですね。

樋口:今、多くの企業が、社員の働きやすさとか、働きがいだとか、より高いモチベーションで仕事に取り組んでもらうための策に悩んでいます。そこに、スポーツに向かうときのモチベーション設計がメソッドとして役立つのではないかと思っているんです。そういうことをすでにメソッドとして持っていることなどをもとに、企業とスポーツの関係が別のステージに行くということがあり得るんじゃないかなと思うんですよね。

(次回へ続く)

取材場所:BiCE TOKYO