SNS史、その20年のターニングポイントはどこか~『SNS変遷史』出版記念連載No.4
SNSがもたらした情報の広がり方をモデル化する
2020/05/25
本連載では、書籍『SNS変遷史「いいね!」でつながる社会のゆくえ』(イースト新書)の出版を記念して、その一部内容をダイジェスト化してお届けします。
第1回:三大SNSの特性と支持を得た理由
第2回:SNSで情報を探す時代へ:「ググる」から「タグる」へのシフト
前回は、SNSにおける最重要概念としての「いいね!」や「模倣」について考察し、情報行動のキーワードとして「シミュラークル」を挙げました。
今回は、SNSがもたらした情報の広がりをモデル化するための試みを、「シミュラークル」に則りながら考えていきます。
なぜシミュラークルが起こるのか:モノからコトへの価値シフト
シミュラークルとは、SNSにおいて、誰が始めたのか分からないが、みんながまねをし始めてしまうようなビジュアルのイメージ(写真や動画、あるいはその他の記号)と、筆者は定義している。
社会学者のロジェ・カイヨワ氏は、遊びの4要素の一つに「模倣」を挙げていている。ままごとやモノマネなど、模倣の楽しさや気持ちよさは、私たちの本能に近い領域に備わっている志向性だと考えられる。
筆者の考える「シミュラークル型の情報拡散」は、まさにそのような模倣の原理と、SNSの情報の広がり方との接合性に注目したコンセプトだ。
InstagramやFacebookで自分の写真をシェアするとき、TikTokでダンスやお題系の動画をシェアするとき、われわれは意識的・無意識的に他人の投稿と似たような写真や動画を発信する傾向があるようだ。
シミュラークルが起こりやすいInstagramを考えてみると、特に初期は、今よりも加工の仕方もシンプルかつパターンが限られており、「誰でも簡単に写真をオシャレにできる」点を特徴に挙げている人が多かった。この特性がゆえに、そこで行われるコミュニケーションにも縛りがかかっていった。みんながオシャレな写真をシェアしたくなり、「インスタ映え」が流行する必然があったのだ。
ただし、その縛りは必ずしもどこかに明示されていたわけではなく、ユーザーたちがコミュニケーションを重ねる中で自然と醸成していった約束事にすぎない。このようにコミュニケーション上のコードを、ユーザーが内面化して発信するようになり、遅れて参入したユーザーもそれに影響を受ける。結果として、どんどんビジュアルがシミュラークル化していった。
そしてコミュニケーションの場が次第に集約されると、ネットワーク効果がもたらす帰結として、シミュラークルはますます循環的に強化されていく。
筆者はシミュラークル現象の登場について、生活者視点から、都市や情報技術の発展史的な視点から、さらには消費社会の発展から捉えた必然性を見ている。
さて、「流行」という概念が生まれたのは、ここ100~200年の話で、メディアや都市文化の誕生によって、人々は「流行しているもの」に価値を見いだすようになってきた。さらにインターネットやSNSが普及して情報の流通が加速すると、模倣がより高速的かつ同時多発的に起こるようになる。
ここで話を広げる意味で消費社会の進展という大きめのスコープで考えるならば、シミュラークルは、スマホの普及といったデジタル化よりも、さらに長いスパンで起こっている文化的な出来事として捉え返すことができる。私たちの消費活動にまつわる価値観はどう変わってきたのか。
20世紀後半以降、大量消費社会が成熟化していくにつれて、「記号的価値」というものが重要性を持ち始めた。記号的価値とは、モノやコトが他者にとってどんな意味を持つのかを示すためのタームであり、それが有するスペックで測られる「機能的価値」とは対比を成す。
経済が成長し社会が豊かになっていくと、モノは飽和し、機能的価値よりも記号的価値の有無がユーザーの消費行動を決めるスイッチとなっていく。いわゆるラグジュアリー産業の勃興は、このような現代的消費ニーズに立脚している。そう、私たちが日常的に使う言葉で言い換えれば、記号的価値とは「ブランド力」と言い換えられるものだ。
例えば、1万円で買えるバッグと、エルメスのバーキンのように100万円で買えるバッグを比較してみるとき、両者はともに「物を運ぶ」という機能的価値に、ほぼ差はないと思える。少なくとも、物を運ぶことに100倍役立つということは考えにくい。
ではこの場合、何に対してお金を払うことに了承しているのかといえば、後者にそれだけの記号的価値があり、顧客はその価値を期待して100万円を払っているのだと考えられる。買い手がそこに記号的価値を認め、それを持っていることで他者に褒められる―「いいね!」と言ってもらえる―という期待を抱き、そのバッグに込められたブランド力を効用として受け取っている。
このように記号的価値は、これまでモノの水準で議論されることが多かったが、筆者はコトの水準への拡張に注目している。モノからコトへ。コトの記号的価値―つまり、他の人にうらやましがられ、良いと思われるような体験をすることの価値―が、ビジュアルコミュニケーション時代に入ったことで急激に高まっている。
そして、コトの記号的価値をもっとも手軽かつ日常的にもたらしてくれるものが、「いいね!」なのだ。それが現代人の消費のトリガーになっている。
「映える」体験の履歴がSNS上でシェアされ、シミュラークルとなって広がり、ユーザー間で体験消費をシェアするよう欲望を喚起し合う。これは、情報メディア環境の変化だけでなく、「モノからコトへ」と高度化する消費社会のステージとも密接に関連した、深い射程を持つ現象だ。シミュラークル的な体験を人々がサーチし、相互参照し合う=タグるようになっていく流れは、不可逆的だと考えられる。
現代の情報拡散のかたち:マス、インフルエンサー/コミュニティー、シミュラークル
ここまでの議論を振り返りながら、現代の情報拡散のかたちを図式的に整理してみよう。
一般的な情報ネットワークモデルとして、以下のような「中央集権型」「分権型」「分散型」の三つに分類されることが多い。1960年代、インターネットの仕組みが構想されたころ、アメリカの計算機科学者、ポール・バラン氏によって考案されたモデルだ。
中央集権型は、中央から末端に向かって情報が拡散する。分権型は小さなハブがあちこちにあり、それが小集団を組織化して、全体の構成を保っている。最後の分散型は、中心はなく、ノードはフラットで、それらがつながり合うことで秩序を生み出している。
これらを下敷きにしながら、筆者は、いくつかの研究プロジェクトを踏まえて、現代の情報拡散の構造を「マスメディア型」「インフルエンサー型」「シミュラークル型」という三つの分類で考えることを提唱している。
●マスメディア型
テレビや新聞などのマスメディアを情報の発信/受信の関係に置き換えると、私たち生活者との間に「1:N」の関係が結ばれると表現できるだろう。一つの強力なオリジナルの情報発信源に対して、数えきれないNとしての受け手の私たちが対置される。これを「マスメディア型」と呼ぼう。
●インフルエンサー型
次の「インフルエンサー型」は、いろいろなコミュニティーの中に存在する、情報感度の高いインフルエンサーによってなされるコミュニケーションの形式を指す。発信者と受信者のボリュームは、筆者の考えでは「√N:N」。あるプラットフォームに、1億人のユーザーがいるとすれば、おおよそ1万人くらいが、そのプラットフォーム上に存在するインフルエンサーであるという理論的な概算を得る。
●シミュラークル型
そして「シミュラークル型」は、明確な発信者、つまりオリジナルとしての情報の起点や発端があるのかよく分からないが、網状に情報がコピーされ、トレンドが広がっていくさまを指しており、発信と受信は「N:N」と表記することができる。
この三つの型は、単線的に移行するわけではない。私たちは今でもテレビ広告を見て新商品を知り購買検討を行うというマス型の欲望/ニーズの喚起を体験するし、インフルエンサーが紹介していた商品を買いたくなるということも増えている。そして、シミュラークル型として例示したように、みんながパンケーキの写真を上げていて、それを食べに行くとおしゃれになるからパンケーキを食べに行くといった態度変容や行動喚起も日常茶飯事となった。
つまり現代は「マスメディア型」「インフルエンサー型」「シミュラークル型」の三つの情報拡散が並行して―そして関連し合って―起こるようになっており、欲望/ニーズの着火点が多様化し、高頻度化しているといえるだろう。この視点は、現代の生活者をとらえることが求められるマーケティングや社会調査においても非常に重要である。