SNS史、その20年のターニングポイントはどこか~『SNS変遷史』出版記念連載No.3
イノベーションとしての「いいね!」と模倣の原理
2020/05/08
本連載では、書籍『SNS変遷史「いいね!」でつながる社会のゆくえ』(イースト新書)の出版を記念して、その一部内容をダイジェスト化してお届けします。
第1回:三大SNSの特性と支持を得た理由
第2回:SNSで情報を探す時代へ:「ググる」から「タグる」へのシフト
今回は、私たちの価値観に大きな影響を及ぼしたSNS発の「いいね!」が持つ意味合いについてたどりながら、SNS上での情報行動を考える上での最重要概念としての「模倣」の効果について考察します。
なお、次回は本稿の後半パートに当たるので、併せて一読いただければ幸いです。
イノベーションとしての「いいね!」
筆者は、2000年代最高のイノベーションの一つは、「いいね!」だと思っている。そう、Facebookの親指を突き立てたマークで、シェアされたものへのリアクションでありリワードである。
イノベーションという言葉の原義は「技術革新」だが、ここでは「社会や人々の生活に不可逆的な変化をもたらす価値創造」のこととしたい。主語はテクノロジーや経済効果ではなく、あくまで私たちにある。不可逆とは、つまりそれがなかったような状況に戻るとは考えにくい変化のこと。また、ポジティブな価値を創造していることを含意する。私たちは、もう「いいね!」なき世界には戻れないのだ。
「いいね!」をめぐっては、承認欲求の問題を指摘する人もいる。「いいね!」欲しさに行動するのは本末転倒ではないか、過激なことをするよう若い人々をけしかけているのではないかと。それらの指摘には一理あるし、考慮すべき懸念がまったくないとは思わない。
しかし、「いいね!」をきっかけに多くのユーザーのシェアが促されるようになったこと、人々の支持が可視化されるようになったこと、それまでであればなかったであろう好意的でポジティブなフィードバックがたくさん生まれたことなどは疑い得ない。
わざわざありがとう、すごいねと言うほどでもない―しかし、何かリアクションしたい。そうしたものが「いいね!」によって評価される。これはコミュニケーションの価値といっていいはずだ。
「いいね!」がここまで普及し、一般化したのは、画面をタップするだけでできる最も手軽なリワード/承認装置であり、行為に価値を付加してくれるものだからだ。その人に届いた実感が生まれるし、もらうとうれしい。
また、やりとりとして手軽で楽しい。コメントで「その写真いいね!」とわざわざ伝えるような言葉の重みも必要ない。SNSではタイムライン上でたくさんの投稿を見るので、コミュニケーションのための「負荷」を減らすことで、たくさんの交流が生まれる。これこそが、ユーザーをよりSNSにハマらせるための最高の仕掛けだ。
可視化を求める社会要請
「いいね!」の登場には、時代的な必然性もあった。現代の情報技術の特徴は、さまざまなことを「可視化していくこと」にあるからだ。
SNSの世界でいえば、これまで見えなかったその人の支持者(フォロワー)の数やその内実、それに基づく影響力、シェアしたものや投稿されたものの支持率・拡散率、その人や商品の評価…など、さまざまなものが見えるようになっていて、人々もそれを当てにするようになっている。
その対象への人気度や評価を測定する「いいね!」が仮に出てこなかったとしても、なんらかの機能的等価物が生まれて普及していたはずであり、「いいね!」を目の敵にしても意味はないと考える。
ちなみに、Facebookの「いいね!」をめぐっては、興味深い逸話がある。初期Facebookを資金面で支えた、投資家のピーター・ティール氏と、彼が学んだルネ・ジラール教授との関係性についてだ。
ティール氏はスタンフォード大で哲学を学んだ後、スタンフォード・ロースクールで法務博士の学位を取得。法律事務所でキャリアをスタートし、金融業界、そしてスタートアップ創業に携わり、世界的なオンライン送金システム「PayPal」の創業メンバーとして活躍。事業売却後はベンチャーキャピタリストとして活躍し、最初期のFacebookにも投資していた。映画「ソーシャル・ネットワーク」(日本公開は2011年)にもしっかり登場している。
ジラール氏はフランス出身の文芸批評家で、スタンフォード大やデューク大で比較文学の教授を務めた。ミメティック理論(Mimetic Theory)を唱え、模倣によって社会的なコミュニケーションや私たちの欲望・暴力といった根源的な感情の働きが形作られるという発想をベースに、人類学的・社会学的な理論を樹立した。
両者はスタンフォード大時代に接点があるとされる。ティール氏は「ジラール氏が、Facebookでの早期かつ実りのある投資をするよう私を勇気づけてくれた」と振り返っている。
ティール氏はソーシャルメディアによって、まさにジラール教授の理論が検証されたと感じた。「Facebookは口コミを生むものであり、それ自体が口コミによってユーザー数を広げていったので、二重にジラール理論を思わせる」と述べている。
ここに、ミメーシス(模倣)と、Facebookの中核機能である「いいね!」との深い関連性が表れているといえるだろう。
ジラール氏によれば、人々は「伝染性の模倣」を通して欲望の対象を選ぶという。何をしたいか、何が欲しいか、何になりたいか…そうした欲望の発生には、模倣の力が強く作用する。そして、SNSの時代に生きる私たちにとって、「いいね!」はそれを導く機能なのだ。
シミュラークルと「いいね!」の深い関係
筆者がここ数年唱えている情報行動のキーワードとして、「シミュラークル」がある。
シミュレーションといった言葉に近い原義を持ち、私たちの日常的な言葉に言い換えるならば、「模倣」「コピー」「模造」などが近い意味を持つ。
出自は、高度消費社会のあり方を分析した思想家・社会学者のジャン・ボードリヤール氏が流布したタームとして知られており、フランス語で「Simulacre」と表記される。
筆者はこの言葉を「誰が始めたのか―どこにオリジナルがあるのか―分からないが、みんなが憧れを抱いてまねをし始めてしまうようなビジュアルのイメージ(写真や動画、あるいはその他の記号)」という定義で扱う。
シミュラークル
誰が始めたのか分からないが、みんながまねをし始めてしまうようなビジュアルのイメージ
例えばInstagram上では、何となく似た写真が多い。特に旅行系の写真に顕著だが、同じハッシュタグの写真には、似通ったものが数多くある。こうしたものがシミュラークルの例だ。
最近だと、自分が着る服を床に置いて、真上から撮影する「#置き画くら部」が流行っている。自分が着ている状態で見せるのは、「自分はモデルでもないし恥ずかしいな」と思うのに対し、「置き画」は自分の顔やスタイルが映らないので、投稿のハードルが下がる。「発信のハードルが低く、まねしやすい」という、広がるシェアの特性を兼ね備えている。
「置き画」のような撮影技法は洋服だけでなく、料理を撮るときなどにも使われていて、やはりシミュラークルとして拡散されている。書籍の第三章でも引用したメディア研究者のレフ・マノヴィッチ氏は、こうした「フラットレイ」な写真を、インスタらしさを象徴する一つの形式だと主張している。
みんなが同じように欲望し、見てもらいやすいもの、「いいね!」されやすいものを求める気持ちが絡み合うことで、このようなシミュラークル的現象は起こっていく。あるシミュラークルが、ユーザーの憧れのイメージを刺激すると、ますますそのシミュラークルが強化され、さらに多くのユーザーが誘引されていく。
もっといえば、「こういう体験がしたい」に加えて、「こういう体験をしている自分でありたい」という点にまで及ぶユーザー側のニーズや承認欲求こそが、シミュラークルのコアをなすものなのだ。
※次回に続く。