超絶技巧に、ビジネスチャンスあり!
2020/06/01
京都大徳院総門の正面に店を構える、古美術商「鐘ヶ江」。
取り扱う品々は時代屏風、近代美術工芸品を中心に
現代美術まで多岐の分野にわたるが、
「仕事の良さ、面白さ」を基準とするモノ選びの姿勢は
終始、筋を通しているのだ、と鐘ヶ江英夫氏は言う。
モノの良さとか、モノの価値とかといったものに対して
「脊髄反射」の時代になったのではないか、と
インタビュアーである僕個人としては、感じている。
ある事象が起きた際、
そこにある歴史的経緯とか、自分なりの推察といったものを介さずに、
直感的、あるいは感覚的に、
周りの空気を読んで「賛成」「反対」を表明することが
ひとつのフォームになっているのではないか、と。
周りに解け込むことで、人間関係が構築される。
時代におもねることで、マーケティング戦略がつくられる。
でもそれは、同質化や画一化への道を進むことだ。
無難で、平均的なアウトプットしか期待できない。
対して、「アートの本質とは、違いをつくることなのだ」と。
そのあたりについて、ぜひ、いろいろと伺ってみたい。
この時代、誰しもが抱えている閉塞感を打ち破るヒントが、
そこには必ずあるはずだから。
(文責:電通CDC柴田修志)
古美術商の「古」のイメージから、脱したい
古美術といわれると、ほこりをまとった陶器に高い値をつけて取引しているようなイメージがあると思うのですが、アート作品に対しては「100年、200年先に評価されるかどうか」という視点で向き合うようにしています、と鐘ヶ江氏は言う。「つまり、過去ではなく、未来を見ているのです。流行というものには、興味がないですね」。
私は古美術商ですから、時に流されて行動するのではなく、悠久の時間を常に意識しながら、ブレない価値を見いだす。それが、鐘ヶ江の仕事だというのだ。同時に「古き良きものは、もう二度とつくれない。技術も、道具も、材料すら失われてしまったのだから」などと言う人の見解を、鐘ヶ江は断固として否定する。現代社会の技術をもってすれば、「古美術」に匹敵する、あるいはそれを超える作品が必ずできる。その可能性を信じ、現代作家たちと制作に挑んでいるのだ。
美術とは、常に革新的でモダンな存在であるべき
「美術とは、常に革新的でモダンな存在であるべきだ」と鐘ヶ江氏は言う。それは、1000年前の作品であっても、現代の新進気鋭の作家による作品であっても同じ。「大切なのは時を超えてもなお、人々に“斬新である”と思われること。これはその時代における常識に抗い、チャレンジをしている者にしか作れません。その場しのぎの作品ではなく、私や作家たちがこの世を去った100年200年先に、その本当の価値を示す」。それが鐘ヶ江の理想なのだ。
「モダンである」とは何か?
100年後も評価される「モダンさ」とは何か?古美術商である鐘ヶ江の立場からいえば、それは「その時代の匂い」が感じられることだと言う。「例えば、大正時代につくられた家具や食器には、ある種の『モダンさ』を感じたりしますよね?それは、ただ単に開国による西洋文化の影響だけではありません。『大正』という時代に新しい流れをつくろうとしていた空気を、作品を通して現代に生きる私たちでも感じとれるからなんです」。モダンであることの正体。それは、「その時代において常に革新的な物を作ろうとすること」。それが制作の源であり、また、それをどの時代のお客さまも求めているという。革新がなければ「ビジネス」のチャンスも、広がっていかない。「大げさな言い方をするなら現代の工芸家たちとこの時代の『美術運動』を起こしたいんです。運動には、今までにない発想や、流行に対する『反骨心』のようなものが不可欠です。ピカソのキュビズムとかも、そうですよね?」。今までの常識を疑い、この時代の新しい常識をつくっていきたいのだ。
アートには「ストーリー」が必要
学生時代にサッカーをやっていたせいか、アートとスポーツには共通するものがある、と鐘ヶ江氏は言う。アーティストをアスリートに重ねることもあるし、アートビジネスをスポーツビジネスに重ねている部分もあるという。「スポーツって、どんなに良い選手がいても、それだけではビジネスとして成立しませんよね。スポンサーがいて、なにより熱狂的な観客(ファン)がいてはじめて成立する。そうした『場』をつくるのが、私のような美術商の役目だと思います」。
その「場」の上にいるのがアーティスト。彼らの鍛錬を積んだ技術や、生み出す「ストーリー」は人々を魅了する。「私が『超絶技巧作品』に魅せられる理由も、彼らの並外れた技術と共に、作品のストーリーがあるからです。ただし、それを言葉では表現しません。彼らは口下手な小説家です。作品で物語を語るのです。サッカーでいえば、それはスター選手の目を見張るスルーパスでしょうか。味方に言葉はなくとも、次のプレーを誘発させるメッセージ付きのパスを送る。そのような、語りかけてくる作品に引かれますね」。
「それとアスリートの進化って、すごくないですか?30年前のプロスポーツの試合などを見ていると、今と比べてなんだか違和感を覚えませんか?それだけ、今のスポーツ界の進化や競争が激しいということなんです。そうした進化のスピード感、躍動感を、もっとアートの世界でも実現したい」
現在、スポーツブランドやテック企業とコラボした「アートギア」という、科学的に一歩踏み込んでアーティストをサポートする活動を鐘ヶ江は進めようとしている。その背景には、そうした熱き思いがあるのだ。
古美術商「鐘ヶ江」のホームページは、こちら。
「オリジナリティー」を持つ“元気な会社”のヒミツを、
電通「カンパニーデザイン」チームが探りにゆく連載のシーズン2。初回は、古美術商「鐘ヶ江」をご紹介しました。
「なぜか元気な会社のヒミツ」Season1の連載は、こちら。
「カンパニーデザイン」プロジェクトサイトは、こちら。
(編集後記)
京都を拠点にビジネスを展開する鐘ヶ江氏に、京都の魅力について尋ねたところ、意外な答えが返ってきた。京都という街、京都に住む人は「境界」を共有しているのだ、と。神社仏閣が、そこかしこにある京都。聖なるものと俗なるものが共存する街で生きていくためには、その境界(ゾーン)を常に意識する必要がある。そこに、礼儀や作法が生まれる。他人やアート、先人に対するリスペクトが生まれる。だからこそ、文化を継承していくことができるのだ、と。なるほど、とうならされた。
鐘ヶ江氏の仕事には、作品に対するストイックな目と、アーティストへのリスペクトがある。厳格さと深い愛情、そのどちらが欠けてもビジネスは成立しない。それは、あらゆる職業に当てはまる哲学であり、姿勢なのではないだろうか。
「一見さん、お断り」のイメージが強い京都。その敷居の高さに、よそ者はついひるんでしまいがちだが、それは「境界線」が見えていないから、なのだと思う。一定の距離を保ちながら、冷静に物事を見る。相手を敬う。鐘ヶ江氏の答えに、日本人の美意識の原点を見た。