“ワクワク”のスイッチをONにせよ。〜オンライン教育の本質と可能性〜No.4
教育者とは「ワクワク」のナビゲーターである
2020/07/01
ここまでの連載記事で、私がBBT大学の現場経験で得たオンライン教育の知見から、特に大切にしている視点をご紹介させていただきました。教育とは「ワクワクを思い出し、そのスイッチを入れる場」である。そのワクワクは、個人のライフストーリーに隠れている。そして、その背景を理解すると、オンライン教育のコミュニケーションが円滑になる。今回は、オンラインに特有の教育者のあり方についてお話をしてみたいと思います。
これまでの話でも明らかな通り、私にとって、教育者の最大の役割とは、「ワクワクのスイッチ」を入れることです。ワクワクとは、「つい夢中になってしまうこと」や「理屈抜きに好きなこと」。世間体とか、社会のルールとか、世の中の常識とかで考えるのではなく、とにかく自分がやりたいからやるという衝動です。人は、自分のワクワクを思い出して、スイッチが入った瞬間、勝手に動きだします。だから、ある意味、教育者はワクワクのスイッチを入れる役割さえ果たすことができればよいのです。
ただ、当然ながら、教育者が自らワクワクを熟知していなければ、ワクワクのスイッチを入れることすらできません。教育者自身が、一人の人間として、ワクワクする人生を送っているのか?要は、生き様が求められるということです。それは、リアルであろうがオンラインであろうが、自然と相手に伝わります。ワクワクする人と一緒にいるとワクワクするという、単純明快な原理です。
幸いにも、私自身は、ずっと自分なりにワクワクを求めて生きてきたため、自らが実体験に裏付けられたファクトともいえます。そうでなければ、このような記事は書きません(笑)。よくよく考えれば、ワクワクはワクワクするからワクワクして勝手に行動してしまうのであり、熟考して行動するような類のものではありません。
あえて言うならば、何事も面白がるスタンスは有効で、世の中のあらゆることを面白がって実践するため、必然的に経験の引き出しが膨大になります。世の中的には、それを「教養」と表現したりします。つまり、ワクワクは、生きた教養に厚みをもたらし、会話の節々に如実に表れます。そして、対話した相手にも、ワクワクが伝播していくのです。
このメカニズムは、オンライン環境においては特に重要です。リアル環境に比べて、相対的に伝わる情報の量と質が落ちるため、オンラインでは教育者の生き様が「本物」かどうかが問われます。どのような分野でも、ワクワクの情熱を持って現場経験を重ね、専門知見を持つ教育者は、オンラインでも本物感が伝わります。逆に、薄っぺらい教育者は、オンラインでは、ことさら薄っぺらさがバレます。だから、手法論の前に本物の生き様ということを肝に命じておくべきでしょう。
その上で、教育者として、オンライン特有の教育技術があります。一つは、オンラインの授業や対話を楽しませる「演出」です。話が分かりやすくて面白い。画面共有されるスライドがイケている。動画や写真で引き込まれる。テンポ感が心地よい。小ネタが楽しい。など。楽しませるということは、要は、飽きさせない。その意識と技術が必要になります。もちろん、これらはリアルの教育環境でも求められますが、それぞれ視聴環境が異なるオンラインでは、より洗練されている必要があるわけです。
もう一つは、オンライン環境を熟知した上で1対Nを華麗にさばく「オンライン・ファシリテーション」です。そもそも教育者側が、オンラインツールの特性を熟知していなければ、肝心の本編に入る前のテクニカル段階でスタックしてしまいます。例えば、一人の学生がマイクをミュートにせずに音声環境が芳しくない時に、自らツールを操作して即座に対応できるような、オペレーター機能も担える必要があります。その上で、要所で質問を投げ掛けたり、チャットを取り入れたり、自然な流れでオーディエンスを巻き込みながら進行をしていきます。バラエティー番組でいうところのMC兼オペレーターのような役割といえるでしょう。
このように考えると、教育者とは「ワクワク」のナビゲーターであると定義することができます。私がオンライン教育現場に立っているBBT大学では、大前研一学長を筆頭に、ワクワクで人生を切り開いている実務家教員が集結しています。そして、世界110カ国からビジネスを学んでいる在学生もまた、ワクワクに基づいて人生を切り開きたいという熱い思いを持っています。日本の教育者が、インストラクターの役割だけではなく、ワクワクナビゲーターの役割を担うようになった時、社会は大きく変わると確信しています。