とまどいの社会学もどかしさの経営学 #05
2020/10/08
社会はいま「とまどい」の中にある。そうした「とまどい」の下、経営はかつてない「もどかしさ」を抱えている。先行きは、不透明で、不確実なことだらけ。得体の知れない不安が広がっている。
不安にかられると、人も企業も社会も、ついつい思考を停止してしまう。「考えるほどに、不安はつのる。ならばいっそ、考えるのをやめてしまおう」。そうした意識が、ビジネスを停滞させ、失速させているのではないだろうか。本コラムでは「とまどい」や「もどかしさ」の正体を解き明かすことで、「不確実な時代のビジネスのあり方」について、考察を深めていきたいと思う。
不確実な時代の、ビジネスのありようとは?
5回にわたる私の連載も、いよいよ最終回となりました。
ビジネスとは、もっと言えば人生とは、ギャンブルではない。「確からしさ」の考えに基づいた、極めて理性的な行動なのである。本コラムで私が申し上げたかったことを、端的に表現するならば、そういうことになります。一言で言えば「考えましょう」ということです。
例えば、日本語では「兄弟」という。英語では「Brother」です。そんなことは、中学生でも知っている。でも、考えてみてください。日本人にとって「年上か、年下か」ということが、なにより大事。それはどういうことかと言うと、セニョリティー(ビジネス世界でいうなら年功序列)の世界で生きているということなんです。
対して英語では兄も弟もなく、「Brother」です。大事なことは、「年上か、年下か」ではなく「Brother」か「Sister」か。つまり、ジェンダー(性差)の世界で生きているんです。フランス語などは、もっとわかりやすい。すべての名詞が「男性名詞」か「女性名詞」に分けられているのですから。ジェンダーフリーのこのご時世に、ですよ。
こうした価値観の違いが、長い年月をかけて全く異なった社会をつくる。当たり前ですよね。ところが、いま、世界はものすごいスピードで「セニョリティーフリー」「ジェンダーフリー」へ向けて変わろうとしている。みんなで同じ方向を向いている、ことは事実だけど「なにから、なにへ変わろうとしているのか」は国によっても、世代によっても、性別によっても、職業によってもまるでちがう。
「考えましょう」というのは、そういうことです。「考えるための前提を、メタ(高い次元)の視点でまず考えましょう」ということなのです。
「案」という文字には、企画案のように「企む」という意味と将来のことを「案ずる」という二つの意味があります。その「案」は、「因」と「運」と「縁」で成り立っています。
「因」は、マネジメントのことです。
「運」は、プロパビリティー(確率)のことです。
「縁」は、ディベロップメントのことです。
「案」は、自身の力でコントロールできる。人の力でコントロールできないものは、「恩」に頼る。英語で言うなら「Think」と「Thank」です。
社会はいま、「とまどい」の中にある。経営はいま、「もどかしさ」の中にある。このコラムを通じて、われわれがいま直面している「不確実な世界で働くこと」や「不確実な時代を生きていくこと」にほんの少しの気づきやヒントを提供できたとしたならば、私にとって、こんなにうれしいことはありません。
(編集後記)
杉浦先生のお話を聞かせていただいて、「もどかしい」という感情を、久々に思い出した。ひょっとするとそれは、「初恋」の感情に近いものかもしれない。
相手のことが好きだ、という自分の気持ちは、そこそこ、分かってる。どこが、どれだけ好きなのか、も分かってる。でも、その気持ちを相手にどうやって伝えたらいいのかその方法が、分からない。(なにせ、初めてのことだから)
伝えたところで、その結果がどうなるのかも分からない。仮に相思相愛になったところで、そこから先、なにをしていいのか、も分からない。だから、「とまどう」し、「もどかしさ」に胸が締め付けられる。
杉浦先生は、「不確実な世界には、人がコントロールできるものと、できないものがある。それを見極めることが大事」と説く。平たい言葉で表現するならば、「あきらめるべきものは、すっぱりとあきらめなさい」「しがみつくべきものには、徹底的にしがみつきなさい」ということだ。
本コラムは、ビジネスの指南書であると同時に、人生の指南書でもあるのだということに気づかされた。