橋口幸生の言葉最前線No.1
「コテンラジオ」に、コピーを学ぶ
2021/05/31
電通で、クリエーティブ・ディレクター/コピーライターを務めている橋口幸生氏。彼が招待するのは、広告とはまったく別の世界で活躍している「言葉の猛者」たち。
本連載では、隔月のペースで開催されるウェビナーの内容を、編集部視点で再編集。「新しいものは、必ず新しい言葉と共にやってくる」という橋口氏の視点の下で、言葉の持つ力や、その可能性についての考察を深めていく。
第一回にあたる本稿では、古今東西の歴史をひもとく「コテンラジオ」というコンテンツで注目される深井龍之介氏と橋口氏の対談内容から、時代を動かす言葉のメカニズムとその魅力について紹介していきたい。
文責:ウェブ電通報編集部
「美女500人との宴会より、自己との対話。仏陀」(対比構造)
「コテンラジオ」の中で紹介されたコピーの中で、橋口氏が真っ先に注目したのがこのコピーだ。他に「天才思想家にして、変態紳士 ルソー」というものもある。いずれも、「対比構造」が生み出す言葉のマジック、と橋口氏は指摘する。
「仏陀という人は、王子の身分の出で、人間の持ついわゆる三大欲求の全てにおいて満たされていた人。だからこそ、このコピーに説得力が生まれる。ルソーにしてもそう。『人権の父』とも評される稀代の天才思想家が、露出狂、あるいはマゾだったというようなあたりに、人間というものの深淵さが見てとれる。広告でもこの手法はよく使われていて、『想像力と数百円』(新潮文庫)といったようなコピーワークに、人はゾクゾクさせられるのだと思います」
「ガソリンが充満した部屋でマッチを擦った人 ルター」(例え)
宗教改革の口火を切った人として知られるルターを、深井氏は「コテンラジオ」でこのように表現した。「イノベーションで注目されるのは、ともすればマッチを擦った人になりがちなのですが、実はそのとき、ガソリンが充満していたということがポイントであるような気がします」と指摘する深井氏。
世界が変わるとき、そこに言語がある。あるいは、些細な言語が世界を変えてしまうことがある。「それは、エネルギーを持っている大衆に、理論武装を与えるということだと思いますね」と深井氏は言う。
「人間にとって大義名分というものはとても大事。大義があると、分散していたエネルギーがそこに一気に集約される。現代社会における企業が掲げるスローガンと同じですね。50年前ならいざしらず、この時代、お金をもうけるということだけでは、社員や株主、顧客といった人々の心を一つにするための大義にはなりませんから」。橋口氏の言葉に、ミッション、エンゲージメントといった昨今よく耳にするワードの本質が垣間見える。
「スタートアップから天下を獲った英雄 曹操」(置き換え)
「コテンラジオ」で披露されたこのコピーをきっかけに、ウェビナーは三国志の話題で大いに盛り上がることとなる。浅学なる筆者には、三国志のダイナミズムがいまひとつ理解できないのであるが、ポイントはそこにはない。戦争中、馬上で本を読んでいたというエピソードで知られる曹操。その出自を、スタートアップという現代の言葉に置き換えているところが興味深い、と橋口氏は指摘する。
「諸葛孔明と劉備の関係も、『劉備が人生で初めて受けた戦略コンサルティング』と表現してもらうと、その瞬間、ストンと腹に落ちる気がする。この置き換えというテクニックも、広告コピーではよく用いられる手法なんです」。
深井氏によれば、劉備は元々「傭兵」のようなガラの悪い人間で、その日、いかに飯を食うか、食わせるかということだけを考えていたような人。でも、他人の話に耳を傾ける才能というか、謙虚さを持った人だった。「だからこそ、稀代の軍師であった諸葛孔明からの一言一言を、戦略コンサルティングとして受け止められたとのだと思います」
コテンラジオで披露された「ヒトラー、30歳。ニート、無職、自称芸術家」というタイトルについても、深井氏はこう解説する。「彼には、軍師としての才能も、政治家としての才能もなかった。でも、演説の才能だけは、突出していた。自称芸術家の『自称』というあたりに、そのあたりのニュアンスを感じとっていただけると、歴史というものが途端に面白く見えてくるのではないでしょうか?」
言葉は、歴史を変える
「日出處天子到書日没處天子無恙云云 」。言わずと知れた、聖徳太子が隋の煬帝に送ったとされる書簡だが、橋口氏はこれを日本史上、最古にして稀に見る名コピーだと指摘する。
そこに、深井氏がコメントを挟む。「当時の日本は、大国である隋の東の端っこにある、発展途上の、いわば野蛮な小国。『東に位置する、ちっぽけな国を治めている者』というファクトを『日出ずる処の天子』と表現しているところが、すごいですよね。しかも、大国の皇帝のことを『日没する処の天子』と、自身と対等どころか、没するという言葉を使うことで、なんだか下に見ているかのような印象すらある」。このあたりが、橋口氏の言う「歴史を変えた言葉たち」ということになるのだろう。物言い一つで、国の歴史すら動かしてしまう。言葉には、それだけの力があるということだ。
やや長い引用になるのだが、橋口氏が紹介してくれたヘレン・ケラーの言葉も興味深い。
「悲観論者が、星についての新発見をしたり、海図にない陸地を目指して航海したり、精神世界に新しい扉を開いたことは、いまだかつてない」。橋口氏いわく「会社経営などにも通じることですが、悲観的なことを言う人というのは、つまるところ失敗したときの言い訳をしている場合が多いんです。ところが、楽観的なことを言う人がバカっぽく見えるのに対して、悲観的なことを言う人は賢そうに見えたりする。そのあたりについて、ヘレン・ケラーにズバっと指摘されると、ドキっとさせられる」。
深井氏は、悲観的な物言いには物事をストップする力があるのだと言う。このところよく耳にする「アクセルとブレーキ」の「ブレーキ」にあたる言葉だ。なんだか英断をしたかのように報じられるブレーキだが、見方を変えれば、ただ単に「進むことをあきらめた」とも解釈できる。そのような言葉に操られて、私たちは今を生きているのだ。
歴史は、ネタバレしていてもなお、面白い
歴史の面白さ、歴史を知ることの面白さを、深井氏はこのように表現した。ネタバレしていてもなお、面白いものなど、この世の中にそうそうありませんよね、と。結果が分かっているスポーツの試合を録画再生したところで、面白くもなんともない。でも、歴史はちがう。それどころか「分かっている」と思っていた歴史上の事実が、一夜にしてひっくり返ってしまうことすらある。「イイクニつくろう」と覚えた鎌倉幕府の成立が、実は1192年ではなかったというだけでも、なんだかゾクゾクさせられる。
「深井龍之介のレキシアルゴリズム」に、こんな一節がある。「どんな人も、生きているだけで価値がある。僕は、本当にこう思っています。綺麗ごとや理想として語っているわけではないんです。僕たちの過去の歴史が、はっきりとそう示しているからです」。
なるほどなあ、と思った。「たとえば、ニートと呼ばれる人がいますよね。現代社会の闇のように報道されがちですが、100年後、200年後から振り返ってみれば、ニートの存在が社会に多大な影響を与えていた、といった歴史観が生まれているかもしれない。それがいい影響なのか、悪い影響なのかは、その時になってみなければ分からない。大事なことは、影響を与えているかもしれないという視点を持つことだと思いますね」。
※本連載は、「言葉最前線」と題されたウェビナーの内容を、主催者でありMC役でもある橋口幸生氏(CXCC局)の監修のもと、ウェブ電通報独自の視点で編集したものです。