橋口幸生の言葉最前線No.2
「プロレス・格闘技」に、コピーを学ぶ
2021/07/05
電通で、クリエーティブ・ディレクター/コピーライターを務めている橋口幸生氏。彼が招待するのは、広告とはまったく別の世界で活躍している「言葉の猛者」たち。
本連載では、隔月のペースで開催されるウェビナーの内容を、編集部視点で再編集。「新しいものは、必ず新しい言葉と共にやってくる」という橋口氏の視点の下で、言葉の持つ力や、その可能性についての考察を深めていく。
第2回にあたる本稿では、格闘家・青木真也氏と橋口氏の対談内容から、「プロレス・格闘技、声に出して読みたい名言・珍言たち。」と題されたウェビナーの肝の部分について紹介していきたい。
文責:ウェブ電通報編集部
「言葉を持たない格闘家は、動物と同じ」(青木真也)
これは、青木氏の著書「ストロング本能」(KADOKAWA刊)の中で「自分の言葉を携えて、自分の物語を紡ぐ」に続けて述べられている言葉だ。青木氏いわく、「自分で思っていることは、自分で発しないと伝わらない。特に格闘家の声は、マスコミに持ってかれちゃう」との考えに至ったのだという。青木氏の言う「持ってかれちゃう」とは、「言葉の解釈を、勝手に変えられてしまう」ということだ。
noteでの連載「月刊青木真也」も、こうした気付きから始まった。「月刊青木真也」のことを橋口氏は、こう評する。「UFC(※)のように、試合だけをストイックに楽しむのではなく、試合周辺にある言葉を楽しむ、ということを久々に思い出させてくれたもの」だと。
単に勝ち負けを見届けるのではなく、その背景にある「さまざまな思い」といったものを言葉から読み解いてこそ、ゾクゾクするようなドラマ性が生まれる、ということだ。青木氏は言う。「ストイックに戦っているだけじゃ、無機質で味気ないじゃないですか。格闘技のダイナミズムは、野生動物のサバイバルとはまったく違うものなのだから」
※UFC JAPAN:アメリカの格闘技団体による日本での興行
「言葉の差は、教養の差」(青木真也)
「格闘技で生きていくために、格闘技以外のことを学ぶ重要性を感じています。必死に生きてきました。それだけは誇れます。僕は必死に生きてきた言葉を持っています」。そう、青木氏は語る。
2020年4月17日、「Road to ONE:2nd」で披露された「生きるっていうのは、家の中に居ることじゃねえ。目の前にあることと戦うことだ」という言葉からも、同じ信念がうかがえる。
「一言でいうと『生きろ!』みたいなことだと思うんです。ファンに対しても、自分に対しても。コロナ禍で試合の機会が減り、開催できたとしても無観客といった状況が続いている。格闘家の仕事って、人を勇気づける仕事だと思う。それができないもどかしさに、正直、押しつぶされそうになる」と、青木氏は語る。
そうした葛藤の中で、歴史や言葉というものを勉強することの大切さに、改めて気付かされた。「14世紀にイタリアを襲ったペストとの闘いなどは、その後、1世紀もの間、続くことになる。そうした我慢を経験した先で、ルネサンスが起こる。坂口安吾などを読み返しても『生きろ!』というメッセージがひしひしと伝わってくるんです」。人は何のために生きるのか。その深淵に迫るには、教養を身に付ける必要がある。教養は言葉となり、誰かの心に希望の灯をともすのだ。
「言葉は作るものではなく、拾うもの」(青木真也)
「36歳になって、家庭壊して、好きなことやって、どうだお前らうらやましいだろう?」。この言葉は、2019年10月13日の「ONE:CENTURY 世紀」で放たれた青木氏のあおり文句だ。「実はこの言葉、鈴木おさむさん脚本・監督の映画『ラブ×ドック』の中に登場するセリフを、自分に置き換えたものなんです。言葉って、拾うものだと僕は思ってるんですよ。ただ単に横着してるだけ、かもしれないけど(笑)」
そんな青木氏の指摘に、「それは、まさしくクリエイターの視点だ」と橋口氏は舌を巻く。「広告コピーなどはまさにそうで、無理やり作り出すものではなく、見つけてくるものなんです。世の中に普通に転がっている言葉、クライアントの中で当たり前のように使われている言葉を、ひょいとつまみあげてみる感じ。石ころに見えているものが、実はダイヤの原石かもしれない。そんなワクワクと共に、僕はいつも言葉を拾ってる。言葉を見つけるためには、とにかく人と話すことだと思います。リモートでも、いいじゃないですか。話をしているうちに、気になる言葉と必ず巡り合える。それを拾いあげて磨いてみる、というのが実はコピーライターの基本動作なんです」
泣く、笑う、あきれる。それが「声に出して読みたい言葉」たち
ウェビナーの後半は、橋口氏が紹介する「古今東西のプロレス・格闘技の声に出して読みたい言葉」の数々に青木氏がコメントを挟む、というラリーの応酬となった。中には、誰もが知るプロ野球の国民的スターの言葉などもあった。具体的な事例については割愛するが、青木氏のコメントを総括すると、いずれの言葉も「泣く、笑う、あきれる」のいずれかの要素を強烈に満たしている、ということになると思う。
体こそが資本の、試合に勝つことが全てとも思える、プロレスラーや格闘家。一見すると、言葉を紡ぐという行為から懸け離れた真逆な所にいる人たちのようだが、そうではない。自らの立場や、素の自分というものと徹底的に対峙(たいじ)した末に繰り出される言葉には力があり、時には泣かされ、時には笑わされ、時にはあまりの意外さに感心を通り越してあきれてしまう。同時にそれは、人の心を揺さぶるエンターテインメントの本質そのものとも言える。
橋口氏と青木氏のやりとりを聞いていて、こんなことを思った。「声に出して読みたい」とは、「その言葉を反すうしたい」という気持ちの表れではないだろうか。書き言葉(文字)が、理性で解釈した後に感性に響いてくるものなのに対して、話し言葉(音声)は、ダイレクトに心に届くものだからだ。そして、心に響いた言葉は、いつまでも強く記憶に残る。
ギリギリの言葉は、強い
「真剣勝負」とか「命を懸けている」という言葉、僕、嫌いなんですよね、と青木氏は言う。「だって、そうでしょう。真剣といったって、本物の刀を振り回して殺し合いをするわけじゃない。だから、あなたがやっていることは、真剣勝負ごっこでしょ?命懸けてるふうでしょ?と、いつも僕はちゃかしてる」
「本物の言葉には確かな熱があり、その熱は、うそや見えからは決して生まれないんですよね」、そう、橋口氏は同調する。プロレス・格闘技の「声に出して読みたい名言・珍言たち」には、そうした確かな熱があるのだ、と。
青木氏によれば、プロレスラーや格闘家が残した名言・珍言の多くは、「言葉遊び」と「ルール遊び」に長けているのだという。「ルール遊び」とは、ちょっと分かりづらいが、「巧みなセルフプロデュースにより、自身や自身の団体にとって有利な仕組みを、世の中の空気と一緒に作り上げていく」、ということらしい。あれ?それってまさに「広告制作の教科書の1ページ」に書いてあることではなかったか。今回、橋口氏が青木氏を招待した本当の狙いは、実はそこにあったのかもしれない。
最後に青木氏は、こう締めくくった。「そして、言葉遊びで一番大事なことは、ギリギリを攻めているかどうか、ということだと思います。ここまでは、許される。ここまでなら、心地いい。ここから先は、ダサくなる。そのギリギリを突かれると、人は心をぐっとつかまれるものですから」
※本連載は、「言葉最前線」と題されたウェビナーの内容を、主催者でありMC役でもある橋口幸生氏(CXCC局)の監修のもと、ウェブ電通報独自の視点で編集したものです。
【参加者募集中】
「言葉最前線」Vol.3ウェビナー 7月12日(月)開催決定!
辻愛沙子×橋口幸生 「社会を動かす広告の言葉」
ゲストは報道番組「news zero」のコメンテーターも務める、arcaのクリエイティブディレクター、辻愛沙子(つじ・あさこ)さん。社会派クリエイティブを掲げ、「思想と社会性のある事業作り」と「世界観に拘る作品作り」の二つを軸として、広告制作、商品企画、イベントプロデュース、女性をエンパワメントするプロジェクト「Ladyknows」主宰など、さまざま領域で活躍中。ウェビナーでは、多彩な活動を通じて辻さんが掲げる「社会派クリエイティブ」について、言葉から迫ります。
・日時:7月12日(月)20時~21時30分
・参加費:1,500円(税別)
お申し込みはこちらから
https://peatix.com/event/1948644/view=