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男コピーライター、育休をとる。No.13

2021/07/12

<ドラマ化記念>男コピーライター:ファー・フロム・ドラマ

コケコ1

ドラマのあとも育児はつづく!

まさか『男コピーライター、育休をとる。』が、ドラマ化される日が来ようとは!まさか瀬戸康史さんと瀧内公美さんが「魚返夫妻」になろうとは(※1)!
思いもよらなかったよね、と、すぐ横で寝ているコケコの寝顔に向かって語りかける。もう朝なのだが、コケコは寝たまま指をしゃぶりはじめた。眠りが浅くなってきた証拠だ。

わが娘コケコは、もう4歳。よくしゃべり、よく食べる子になりました。つい最近、平仮名も覚えた。保育園(※2)では、周りを意識して指しゃぶりなどしないのだが、家で無防備でいられるときだけは、0歳のときからの習慣が顔を出す。そういう部分がまだ残ってくれていることに、僕はどこかホッとしたりもする。

この6月に国会で改正育児・介護休業法が可決され成立、来年からは通称「男性版産休」が取れるようになる(※3)。そんなタイミングで、WOWOWオリジナルドラマ「男コピーライター、育休をとる。」の放送・配信がスタートした。ぜひ、原作とドラマを見比べて楽しんでいただければと思います。そうそう、ドラマの制作背景は、数日前にアップされた記事に詳しく書かれているので、併せて読んでみてください。

原作の書籍がそうであったように、ドラマ版もまあ「いい感じの読後感(観後感?)」を残す終わり方になってはいる。育休を終えたばかりのあのころ、仕事と育児を自分なりに両立していけそうだ!と前向きな思いを抱いたことを、僕自身、懐かしく思い出す。

けれど、これまた原作でもドラマでも言っていることだが、「育休」は育児の入会キャンペーンにすぎず、育児じたいはそのあともずっと続いていたわけで、育休から4年(え、もう?)がたったいま、実際どうなのか?あの読後感のようないい感じが続いているのか?瀬戸康史さん演じる魚返「洋介」のように、僕の瞳も輝いているのか?というと、いやあ、そんな単純にはいかないんですよ。ぱぱならないこともありますよ、と言いたくてこれを書くわけである。違った。ままならないこともありますよ、と。

書影「男コピーライター、育休をとる。」
男コピーライター、育休をとる。』(発行:大和書房、著:魚返洋平)

ままならないままの3年半

メディアでは、「育休から復職したら職場でキャリアを妨害された」といった体験談を数多く見る。不本意な異動、事実上の左遷、主要なプロジェクトを任せてもらえない、などなどだ。

僕についていえば、その点では恐縮なほど恵まれていて、あたたかく受け入れてくれる上司やチームばかりだった。別にこれが「ウェブ電通報」だから会社を良く言っているわけじゃなくて、マジな話、自分がパタハラ(※4)に遭うことはいっさいなかった。誰もキャリアを邪魔しないどころか、応援すらしてくれる。特に最近の職場環境は、どんどんそっちに向かっている。

にもかかわらず、ここ3年ほど妙な閉塞感を感じている自分がいたこともまた確かなのだった。なんというか、これ以上、飛躍できないような感覚が漠然とあった。言い方を変えれば、仕事で「めざましい活躍」ができてない気がする、ということでもある。

まず勤務時間の問題がある。
育休を終えてからというもの、働く時間がきわめて少ないままの3年半だった。以前のコラムでも書いた残業時間ゼロというスタイルを、いまもほぼ変わらず続けている。完全ツーオペ育児(※5)という船から途中で下りる気には、とてもじゃないがならないからである。スーパーフレックス制(※6)で働いてはいるものの、保育園への送りと迎えをやる都合で、実質、定時勤務になる。「定時でしか働かない魚返」は、いまや周囲に受け入れられていて、それは助かっているけれど。

そんな育児ありきの生活は、コロナ禍の襲来によってさらに極端化した。
2020年の春から、全社的に在宅勤務が基本になり、僕が会社に行くのも月に1~2日だけになった。一方、妻は時短勤務ではあるのだが、出社はしなければならない。働きに出る妻と、家にこもる僕。

その結果、僕が家族の夕食をつくる生活に、約1年前からなっている。妻や娘が帰宅したとき夕飯がほぼできているというのは、なにかと都合がいいですからね。食事くらいつくらなきゃ、というのは前々から思いながらもできていなかったことだ。それが、在宅勤務に背中を押されて、ついに習慣化したのである。

平日の魚返家

コケコが起きたら、朝食のパンを食べさせ(この間に妻はコケコの髪を結び、出勤する)、保育園の連絡帳にコメントなどを記入し(コピーライターのくせにうまく書けない不思議)、コケコを自転車で保育園に送る。帰宅して、9時半くらいから在宅勤務がスタートする。

午前中はたとえば、リモート会議があり、メールのやりとりがあり、リモート会議がある。
昼休みをつかって、駅前のスーパーに買い物に行き、ぼんやりと夕食の献立を考える。これは在宅勤務だからこそできることだ。昼食は、この昼休みか会議の合間の「中抜け休憩」を使って、15分くらいでさっと食べる。

午後もリモート会議があり、個人作業があり、またまたリモート会議がある。
17時20分に仕事を切り上げ、夕食をつくりはじめる。そうこうするうちに妻が帰宅。18時、コケコを迎えに保育園へ(この間に妻も家事をする)。18時半にコケコと帰宅したら、夕食の仕上げをやり、みんなで夕食を食べる。ホッと一息。食器を洗う。そしてコケコを風呂に入れる。寝かしつける。コケコやっと入眠。時刻はもう23時を過ぎている。

40歳になったいま、体力がめちゃくちゃ落ちていることを認めたい。コケコを寝かしつけることが、自分自身の寝かしつけにもなってしまう、みたいな日もある。ただ、まあ、この23時台でようやくひと段落というか、落ち着くんですよね。

以前も書いたことだが、ここから1時間や2時間だけでも仕事ができればいいのにと思う。だが22時以降の仕事は許されないのが、「働き方改革」!

柔軟な働き方ってなんだ?

22時以降は集中力や判断力が下がる、という科学的な根拠を理由に、だから働くべきではないというロジックもあるようだ。だが、自分にとって「どういうときに仕事がはかどるか」は、一般論とはまた違う。たとえば夜中に書くという執筆スタイルを続ける小説家に、「22時以降は効率が下がるから働くな」と言うだろうか? いやいや芸術家の創作活動と一緒にするな、という意見もあるかもしれない。ビジネスはビジネス。だが、そのビジネスが自ら「クリエイティブ」を名乗っている以上、アイデアやインスピレーションには個々人なりのスタイルがあるということは認めてくれないかな、といつも思う。

あるいはまた、夜中でなく、朝やれとも言われる。たとえば5時に起きて、子どもが起きるまでの時間で作業せよと。実際、それではかどることもけっこうある。でも、どっちにせよ睡眠時間を削るのだ。同じ時間外労働で、早起きするか夜更かしするか、ケース・バイ・ケース(なにしろ子どものコンディションだって日によって違う)で自由に選択できたほうがいい、という僕の思いは変わらない。

ちょっと横道にそれたけれど、そういうわけで、いずれにしても1日7時間しか働けない毎日がずっと続いているのである。

それにしても、このリモート会議の多さはなんなのか。どの案件でも「会社にいないからこそ、連絡と共有を密にしよう」みたいな共通認識のもと、打ち合わせが増える一方だ。いや、いいんだけど、問題は打ち合わせがあまりにも多くて「一人きりで作業する時間」がなくなってしまうことなのです。

家にずっと一人でいながら、実際は、会社に通っていたときほどは一人になれなくなってしまった。すくなくとも自分にとって、これはなかなかでかいダメージである。
仕事においてどういうときにいちばん楽しさを感じるかは人それぞれだろうが、僕にとっては、一人でコピーを考えている時間がそれである。リモートワークでそれが増えるかと思いきや、逆だった。打ち合わせの増加によって、そこが奪われていく形になったな、とちょっとだけ恨めしい(逆に、打ち合わせがいちばん楽しい人にとっては、うれしい傾向かも)。

子育てによって制約されるコンパクトな勤務時間も、2020年以降の全社在宅勤務も、仕事を効率化してくれた面は確かにあって、無駄を減らしたり、優先順位をはっきりさせたりするいい機会になった。その恩恵は僕も感じる。

でも、トータルでみて本当に「個人のパフォーマンスがいい感じに上がったか」というと、ちょっと怪しいかもしれない。もっと言うなら、いわゆる効率とは別次元の、味わいや楽しさはどうだろうかと、在宅勤務が当たり前になったいま思うのである。働き方の柔軟さってなんだろう。時短も高密度化も、効率化のようでいて、かえって硬化だったりする面もないだろうか?と。
妻は時短勤務、僕はスーパーフレックス勤務かつ在宅勤務という、かなり柔軟な共働きではあるので、こんな悩みはぜいたくな話かもしれないけれど。

なんにせよ、これはもう仕方ないことだが、仕事できる量、特に企画作業のできる量が圧倒的に減った。そして僕はあまり器用じゃない。すると、あれこれいろんな領域にコミットしてみることも、いろんなプロジェクトを自分中心にぐいぐいリードすることも、なかなか難しい。
めざましい大活躍ができるなんてこともないし、ファンタスティックな成果を出す、みたいなこともいまひとつできないままだ。

正直言って、それを引け目に感じることはある。たまに育休に関するセミナー(※7)なんかに登壇させてもらうとき、プロフィール紹介で「コピーライターとして第一線で活躍され……」とか言われる(書かれる)たびに、内心「いや、ちゃんと仕事してはいるけど、第一線で活躍っつうのはちょっと……」とか思っていることは確かなのである。

コケコ3

「第一線」という呪縛

だがしかし。ちょっと待て。じゃあ一人の時間や、働く時間全体をもっと長く確保できれば「第一線」にいられるのか?といえば、それもちょっと、いやかなり、疑わしい。時間のせいにしやすいので、ついそうしてしまいがちだが、さっき書いた体力の問題だって大きいし、それ以前に何より、自分の器や力量はどうもそっちじゃないという気もする。

でも「第一線」の呪縛とでもいうべきものがこの仕事には存在し、そこから完全に解き放たれることはけっこう難しい。ほかの会社や業界はどうか分からないが、「第一線」で活躍しているという状態がなにかと可視化されやすいのが、広告業界である。

たとえば、手掛けたキャンペーンが話題になる。「第一線」っぽい。手掛けた仕事についての取材を、メディアから受ける。いかにも「第一線」っぽい。より露骨なところでいえば、国内外の広告賞を受賞する。分かりやすく「第一線」っぽい。なんらかのイノベーションを起こす。もはや「っぽい」とかではなく「第一線」そのものだ。コミュニケーションの仕事をしている以上、社会とのそういう「派手なリンク」があってなんぼ、というのもまあ宿命だと思う。

それは僕たちを刺激する。と同時に縛りもする。「第一線」で戦わなければならない、常にイノベーティブでなければならない、前線でキラキラと輝くことに貪欲であれ、ピンチはチャンスにすべし、などなどは広告業界らしい、あるいは電通らしい呪縛かもしれない。

育休を終えてからこっち、そうなれない自分にコンプレックスや焦燥感を抱いていたわけだが、コロナ禍も2年目を迎えたいま、考えてみると「俺ってそんなに、第一線にいたかったっけ?そもそも育休前はどうだった?そうでもなくね?(笑)」という、内なる問いと笑いが生じたりもする。自分のタイプと現状とが、ニワトリと卵のようだ。
ついでにいうと、昇格(たとえば職階としてのクリエイティブディレクターになったり)したいか?と問われて、イエスと即答しかねる自分もいるのだ。

まったく40歳のどこが「不惑」なんだ!と思いそうになるけれど、「惑わない日が一日もない」というその一点においてのみブレがないので、「不惑」は正しい。

ただ子どもが1歳から4歳へと成長していく姿にずっと立ち会い続けてきて、コロナ禍もその一部として自分の生活に訪れた。いわゆる「9時5時」に近い、かっちりとしたルーティンで自分たちの暮らしを守る、ということをやっているうちに、「ま、いっか」と思えるところにやっと来た感じが最近ある。

同僚に毎日(物理的に)接することがなくなり、刺激が減ってつまんなくなったなと思っていたけれど、同時にそれによって呪縛の効力も弱まってきたのかもしれない。

「第一線」があるなら、「第二線」「第三線」というものも存在するはずであり、そこにも誰かが立っていなくちゃいけないだろう。それが別に自分でもいい。いや、第一、第二、第三みたいな区切りというかヒエラルキーさえ本当は幻想にすぎなくて、いろんな方角にいろんな線がグラデーションのごとくあり、僕たちそれぞれがそれぞれに合った線を攻めたり守ったりすればいいんじゃないか、と考えるようになってきた。いまさらですかね? 線ついでに脱線するが、瀬戸康史さんは容姿は完全に「二の線」ながら、魚返洋介という「三の線」を見事に演じ切ってくださった。最高だ。

育児をしながら仕事でも大活躍するスーパーマンやワンダーウーマンはすごいけれど(※8)、男女問わず、そんな器をみんなが持っているわけじゃ当然ない。結局のところ、自分の持ち時間とヒットポイントのなかで、自分の生活と仕事(それを自分の「線」とする)に対して最善を尽くすしかない。それでいいじゃないか、と。

いやあ、なんというかこれ、「第一線」を紹介するメディアともいえる「ウェブ電通報」に書くような話かあ?とさすがに思わないでもない。でもドラマのなかの洋介があっさりと弱音を吐くキャラクターで、僕は彼のそういう素直なところが好きなので、自分もちょっとまねしてみようと思ったのだ。
まあ、こういうことを言う人間が一人くらいいてもいいじゃないですか。
と言える程度には、わりと吹っ切れたと思う。「程度には」「わりと」って度合いの表現が入ってる時点で吹っ切れてないじゃないかって?うーん、ま、いっか。
僕のぶんまで洋介がキラキラしてくれるからいいのだ。

コケコ2

光る指(シャブライズド・フィンガーズ)

去年、すごく勇気づけられる本に出会った。イギリスのアーティスト、グレイソン・ペリーによる『男らしさの終焉』だ。せっかくなので、このシビれる一冊から一節だけ引用しておく。

現代的で負担を分かち合い思いやりのある男性ロールモデル。その資格を得るためには、ある程度世間から離れて、家庭に入らなければならないと思う。だから、オルタナティブな男性ロールモデルは有名人ではないかもしれない。

グレイソン・ペリー 著/小磯洋光 訳 『男らしさの終焉』(フィルムアート社 2019年) p.192~194より
 

チュミチュミチュミ、と小鳥がさえずるように指しゃぶりをしていたコケコだが、さきほど口から指がはずれた。よだれで濡れた指。それを“わが家スラング”(※9)では「シャブライズド」と呼んでいるのだが、そのよだれが朝日でキラキラと光っていた。こんな光もきっと、そのうち消えてしまう。指が光るマジカルな季節なんて、一生のなかじゃほとんど一瞬なんだろう。

来年コケコが5歳になったころに世界はどうなっているのか、僕はどんなことを考えながら仕事をしているのか、まだ何も分からないけれど、指しゃぶりはまだ続けてくれていいなと思う。うん、全然いいな。

ドラマ番宣画像
◆WOWOWオリジナルドラマ「男コピーライター、育休をとる。
(7/9(金)にWOWOWオンデマンドにて全話一挙配信・WOWOWプライムにて放送スタート)

※1
原作の筆者は魚返洋平だが、ドラマ化にあたって脚色・創作が加わり、主人公の名前は「魚返洋介」になった。劇中の妻は「愛子」、娘は「おと」で、いずれも実在の人物名とは異なる。
 
※2
3年間通った愛すべき保育園は2歳児クラスまでしかないため、2021年3月に卒園。春から認可保育園の年少組に入園した。
 
※3
父親向けの新ルール。従来の育休に加えて、子どもが生まれてから8週間以内にトータルで4週間の休みを取得できるようになる。申請は、開始日の2週間前まで可能となる。
 
※4
Paternity(父性)Harassmentの略。男性社員の育児休業取得にまつわる職場でのいやがらせや冷遇を指す。
 
※5
ツーオペレーション。現在は、時短勤務だが出社必須な妻と、フルタイムだが在宅勤務の夫、という組み合わせで、分担しながら日々の家事・育児を回している。
 
※6
スーパーフレックス勤務とは、コアタイムのないフレックス勤務。詳細は、第9回を参照。
 
※7
地方自治体主催のトークイベントや、メディアが主催するセミナー、大学主催のセミナーなどさまざま。
 
※8
筆者が好きなヒーローはMARVELの「アントマン」である。
 
※9
“わが家スラング”については第7回を参照。

 
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