それ、勝手な決めつけかもよ?だれかの正解にしばられない「解釈」の練習No.1
事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。
2021/08/27
こんにちは、コピーライターの阿部広太郎です。
電通のコンテンツビジネス・デザイン・センターに所属し、コンテンツの企画・プロデュースの仕事をしております。
先日、ディスカヴァー・トゥエンティワンから書籍『それ、勝手な決めつけかもよ?だれかの正解にしばられない「解釈」の練習』を刊行しました。
先の見えない時代にあふれる不安や心配事を、「解釈」を変えることでやわらかく受け止め、自分の納得いく生き方をたぐり寄せるための本です。
「周りの空気がこうだから自分もこうじゃなきゃいけない」
「親や先輩が言っているんだからその通りにしないといけない」
「みんながこうだからこういうものなんだ」
そんな勝手な決めつけを自分自身に課してしまうことはありませんか?
心の声を聴いて、自分なりの解釈をすることで自分らしく生きていけるのではないかと僕は考えています。この連載では、コピーライターだからこそできる、視点の変え方を具体的な事例とともに紹介していきます。
解釈を猛烈に意識したきっかけ
2020年、コロナ禍において私たちにとっての「当たり前」はどんどん変わっていきました。急速に変化していく価値観に振り回されすぎないためにも、物事の受け取り方、つまりは解釈を考えていく必要があると強く思いました。
なぜ僕がこの本を書くのか?その志を綴った文章をここに紹介させてください。
僕が「解釈」という言葉を猛烈に意識するきっかけになったのは、哲学者のニーチェの言葉がきっかけでした。
事実というものは存在しない。
存在するのは解釈だけである。
ーーーニーチェ
コロナ禍で何度、
この言葉をかみしめただろう。
そして、自問自答した。
目の前に現れた厳しすぎる現実。
これは、事実じゃないのか?
悔しいこと、苦しいこと、切ないこと。
どうしてこうなるんだって下を向いた。
スマホでSNSに目を向けてみれば、
追いきれないほどの情報が迫ってくる。
スクロールしつづけて、ふと虚しくなる。
今は、正解のない時代と言われている。
だけど、だれかが見つけた正解に、
飲み込まれそうな自分がいた。
胸のつかえがおりたのは、
オンライン講義のおかげだった。
ステイホームの日々、
コピーライターとして
自宅からいくつもの講義に登壇し、
全国各地の参加者に語りかけた。
伝えているのは、物事の見方、捉え方。
考え、見つけ、言葉にして分かち合う。
それは広告づくりの取り組み方、そのものだ。
距離を超えて、教室にいるかのように熱を込めて。
そしたら想像以上に、受け取ってもらえた。
「気持ちが楽になりました」
「心がふっと軽くなりました」
「肩の荷が下りて救われました」
ありがたすぎる言葉に胸が熱くなり、
そして遅ればせながら気づいた。
自分のしてきたことはまさに、
ニーチェの言っている「解釈」なんだ。
もうこのままだと厳しいだなんて、
勝手に決めつけていたのは僕じゃないか。
だれかの言葉に振り回されなくていい。
だれかの正解を鵜呑みにしなくていい。
目の前にある現実をどう捉えるか?
それは僕が、あなたが、
決めることができる。
勝手に自分を諦めない。
勝手に自分を決めつけない。
勝手に自分をみくびらない。
心に漠然とした閉塞感を抱くのは、
解釈が足りないだけかもしれない。
積極的に解釈してみる。
目の前に立ちはだかる壁にも、
見晴らしのいい窓があるかもしれない。
今のあなたのままでいい。
無理に変わろうとしなくていい。
代わりに時代が変わってくれるから。
心がざわついた時こそ解釈の出番だ。
解釈を変えれば、可能性が見えてくる。
より良い方へと僕たちを運んでくれる。
取り返したい過去を、向かいたい未来を、
自分の現在を中心にして解釈することで、
納得できる日々をたぐり寄せることができる。
今が一番だと自分を肯定することができる。
そう、すべては解釈次第。
僕は、ニーチェにこうアンサーする。
解釈は自分を肯定する翼。
だれかの正解にしばられず、
不安も心配事もやわらかく受け止め、
少しずつでも、自分らしく生きていく。
過去の後悔も、未来の不安も、
自分の正解に変えられる。
自由への翼を、一人でも多くの人に広げていきたい。
羽ばたく練習を、あなたと一緒にしていきたい。
これが僕の使命だ。
だからこそ、
一通の「招待状」をあなたに渡したい。
「はじめに」も「招待状」として解釈できる
書籍の構成は、下記のような章立てにしています。
■「はじめに」という名の「招待状」
■ 第1章 自分篇・自分の知らない自分と出会う
■ 第2章 現在篇・今こそ積極的な受け身を
■ 第3章 過去篇・「今思えば」は魔法の言葉
■ 第4章 未来篇・解釈する先に人は進める
■「おわりに」という名の「はじまり」
書籍の導入を書くのが「はじめに」です。その文章を「招待状」と自分なりに解釈して、スタートを切ってもいいはずです。これからはじまるこの連載も、解釈とともに生きていく招待状になれたらと願っています。
次回から、具体的な解釈の事例をまじえつつ書いていきますね。
書籍を刊行してから感激した出来事がありました。「ほぼ日刊イトイ新聞」を主宰する糸井重里さんにコメントを頂けたのです。
毎日、同じ部屋で語り合ってるような、
たいていの人の相手になってくれる本。
この連載が、そして僕の書籍『それ、勝手な決めつけかもよ?だれかの正解にしばられない「解釈」の練習』が、今という揺れる時代の中で寄り添えたらとてもうれしく思います。これからどうぞ、よろしくお願いします。