loading...

電通報ビジネスにもっとアイデアを。

LGBTQ+調査 2020No.3

LGBTQ+調査を読み解く。「知識ある他人事層」は無自覚に差別に加担している?

2021/09/01

ダイバーシティ&インクルージョン領域(各人の多様な個性を尊重し、すべての人の社会参加を目指す考え方)の研究を行っている電通ダイバーシティ・ラボでは、2020年12月にLGBTQ+を含む性的少数者=セクシュアル・マイノリティーに関する大規模調査「LGBTQ+調査2020」を実施しました。

この調査は2012年に始まり、今回で4回目。本連載では、ここまで2回にわたり、「LGBTQ+調査2020」の結果を解説しました。今回と次回は、調査結果をもとに有識者と行ったセッションの内容を、セッションのモデレーターを務めたラボメンバー・阿佐見綾香氏が紹介。

本セッションでは、東京大学の熊谷晋一郎先生と、ニューキャンバス代表取締役の杉山文野氏が登壇し、調査結果をもとに、LGBTQ+の世論の流れ、今後の課題や期待について意見を交わしました。今回は、連載第2回で解説した、初の「LGBTQ+に対するストレート層(※1)のクラスター分析」を読み解きます。

※1 ストレート層:異性愛者であり、生まれた時に割り当てられた性と性自認が一致する人、と定義。

 

LGBTQ+
阿佐見綾香氏:電通ダイバーシティ・ラボでLGBTユニットリーダーを務める。LGBTユニットで2012年から活動し、LGBT調査2015などを主担当。2021年9月21日に「電通現役戦略プランナーの ヒットをつくる調べ方の教科書 あなたの商品がもっと売れるマーケティング・リサーチ術」(PHP研究所)  の出版を予定。同書にはLGBTQ+調査に関しても収録予定。

熊谷晋一郎氏:東京大学医学部卒業後、「脳性まひ」という障害を持ちながら小児科医として活躍。現在は、東京大学先端科学技術研究センターで障害と社会の関係について研究する「当事者研究」に携わる。障害の当事者が他者や世界とつながる困難さを深く考察した「つながりの作法 同じでもなく違うでもなく」(NHK出版)と、当事者研究の観点から、加害被害関係や責任について考察した「<責任>の生成 中動態と当事者研究」(新曜社)を出版。

杉山文野氏:日本最大のLGBTプライドパレードの主催団体であるNPO法人東京レインボープライドの共同代表理事、ニューキャンバスの代表取締役。日本初となる渋谷区の同性パートナーシップ制度制定にも関わる。フェンシング元女子日本代表で、日本オリンピック委員会(JOC)の新理事に選出。現在は2児のパパとして子育てに励み、先日「3人で親になってみた ママとパパ、ときどきゴンちゃん」(毎日新聞出版)を出版。昨年出版された「元女子高生、パパになる」(文藝春秋)も大変話題になっている。
 
LGBTQ+

アクティブサポーター層(29.4%):課題意識が高く、積極的にサポートする姿勢がある。身近な当事者や、海外コンテンツを通して理解を深めた。

天然フレンドリー層(9.2%) :知識のスコアは低いが、課題意識や配慮意識が比較的高く、ナチュラルにオープンマインド。

知識ある他人事(ひとごと)層(34.1%):知識はあるが、当事者が身近にいないなど、課題感を覚えるきっかけがない。現状維持派。

誤解流され層(16.2%):少子化といった社会への悪影響を懸念するなど、誤解が多いため一見批判的だが、もともと人権意識はある。

敬遠回避層(5.4%):積極的に批判はしないが、配慮意識が乏しく関わりを避ける。知識はある程度あっても、課題と感じていない。

批判アンチ層(5.7%) :生理的嫌悪、社会への影響懸念が著しく高い。人種差別や環境問題などの社会課題に対しても興味を持たない。

詳細は、連載第2回参照。

LGBTQ+当事者の生活が変わるためには、当事者以外の約9割の人の意識が変わることが必要

阿佐見:今回、初めての試みで「ストレート層クラスター」を発表しました。このデータの価値はどこにあり、どう生かされるべきだと思いますか。

杉山:このデータは非常に有益だと思っています。僕たちはLGBTQ+の啓発活動をずっとしていますけれども、当事者はこういう属性だよねとか、こういった傾向があるというデータは結構あるのですが、当事者以外の方たちの属性というのは、なかなか明確なデータがなかったと思うのです。

よりみんなが暮らしやすい社会にしていくときに、当事者の方たちにアプローチしてもなかなか変わらなくて、当事者以外の約9割の方たちの意識が変わるということが、いわゆるLGBTQ+の当事者たちの生活が変わっていくということです。

ただ、その9割の方たちといっても、いろいろな方がいるので、どういうふうにアプローチをしたら一番分かってもらえるのかと、いつも頭を抱えながらやっていました。ですので、ある程度こういう属性・傾向があるというのが分かると、非常にアプローチしやすくなります。ぜひ、僕はこれを活用させていただきたいと思っています。

阿佐見:ちなみに、このクラスターの分かれ方はどうでしたか。思ったとおりだったのか、意外なところもあったのか。

杉山:僕がトランスジェンダーの当事者として、いろいろな活動に関わっている中では、体感してきたイメージと数字は、わりと合っているかなと思いました。

最近は、あからさまに否定されることというのはほとんどないんですよね。でも、いわゆる「知識ある他人事層」というのがすごく多い。あとは、「天然フレンドリー層」、これはネーミングがすごく面白いと思いました。まさに、「あ、いいじゃん、いいじゃん。俺、関係ないけど」みたいな方たちが多いと感じていたのが現実で、イメージ、体感としてはすごく合っていたかなと感じています。

LGBTQ+

阿佐見:熊谷先生はいかがでしょうか。

熊谷:私は、主に障害の領域で、障害のある人に対する差別や偏見、スティグマ(※2)といったものが、どうやったら減らせるのかということに関心を持ってきました。

※2 スティグマについては、この後、熊谷先生より詳細な解説がありますが、カテゴリー化・ステレオタイプ・偏見や差別といった現象をひっくるめて、スティグマと呼びます。


そういった研究の中で、最近、スティグマを持っている人に目を向けて、「どういうふうなバックグラウンドが影響して、スティグマを持つにいたったか」という研究も行われ始めていることを思い出しました。

一例を挙げると、人々の多様性というものを、「障害者」「健常者」などのカテゴリー方式で捉える人がいる一方で、経験に量的な違いはあるけれど、質的には地続きの共通体験があると、「ディメンジョン(※3)」方式で捉える人もいます。比較すると、カテゴリーで捉える人のほうが差別やスティグマが強い傾向があるといわれています。

※3 ディメンジョン方式とは、相手をカテゴリー化せずに1人1人の個人として捉え、異なる個人の経験の間にも、共感可能な共通の「軸」を見出する認識枠組みのこと。


カテゴリー化しやすい人に対してはどういうアプローチが必要なのか。逆に、ディメンジョンタイプの人にはどういうアプローチが必要なのか。こういう分け方自体もカテゴリーっぽいので、少し気になるのですが、スティグマを持つ人も一枚岩ではなくて、それぞれの認識の癖やその背景に即して、スティグマを減らすためのアプローチをカスタマイズすることが必要だ、という戦略が注目されています。

そういう意味では、今回、多数派というか、スティグマを持つ可能性のある周囲の人々が一枚岩ではないということを明らかにした研究というのは、今後どういうアプローチをそれぞれにカスタマイズしていくのかということを考える上で、非常に参考になるのではないかと思っています。

阿佐見:「スティグマ」というキーワードが出てきたのですが、耳慣れない方もいらっしゃるかもしれないので、スティグマというのはどういうものなのか、教えていただけますでしょうか。

熊谷:スティグマというのは、社会学者のゴフマンが、差別現象を学術的に記述するのに使いはじめた概念です。

私たちは、多様な人々を、例えば「熊谷」とか、「田中さん」とか、そういうふうに個別に見るのではなくて、ついついカテゴリー化して捉えてしまいがちですよね。例えば、障害者であるとか、LGBTであるとか、一緒くたにして考えてしまいます。そういったカテゴリー化をしたり、あるいは、ステレオタイプといいますか、「LGBTの人ってこういう感じだよね」のように、しばしば間違ったイメージを持ちがちだったりします。

それだけではなくて、特定のカテゴリーを持っている人に対してネガティブな感情を持ったり、ひどいときには、そういう人々を排除したり、逆に同調的な圧力を加えたりといった形で、差別をしてしまうことがあります。こういったカテゴリー化や、ステレオタイプ、偏見や差別といったもの、そういう現象をひっくるめて「スティグマ」と呼ぶことがあります。

阿佐見:ちなみに、今回のクラスターでいうと、この層はスティグマっぽい、この層はディメンジョンっぽいと言えたりするのですか?そんなにはっきりと分かれるものではないのでしょうか。

熊谷:そこまで読み込めるかどうかというのは、すごく難しいと思います。後ほど、それぞれのクラスターに関して話題が出てくると思うのですが、多分、どのクラスターにおいても、ディメンジョンタイプの人もいれば、カテゴリータイプの方もいるかもしれませんね。ただ、「批判アンチ層」は、かなりカテゴリー的なスタンスが明確なクラスターかな、というふうには想像します。

“知識ある他人事層”が示す、「インクルージョンなきダイバーシティ」

阿佐見:個別のクラスターについて、いろいろお話を伺っていきたいと思います。今回、「知識ある他人事層」というクラスターが、日本人の中ではとてもマジョリティーだということがデータとして出てきたのですが、この結果を見てどう思われましたか。

熊谷:なるほどなあ、というふうに思いました。スティグマの話にもう一度関連づけると、他人事ではないと感じられるためには、大なり小なり、そのカテゴリーの人々との個人的な接触が必要になると思います。それに関連して、スティグマを減らす上では接触がとても大事なのだという考え方を「接触仮説」といって、古くからスティグマ研究の中にあります。

例えば障害のある人は、施設に隔離されたり、古い時代であれば、家庭の中に隔離されたりといったことで、周囲の人との接触そのものが阻まれるということがありました。そういう状況では、どうしても他人事になってしまいます。

LGBTの方は、物理的な隔離ということは障害者に比べ少ないのかもしれませんが、スティグマがまん延する中で、自分の感情や経験をオープンにすることを阻まれるような状況に置かれていて、実質、心理的な隔離状況といいますか、等身大の自分が周囲と接触する機会が阻まれている状況が続いているのかもしれないな、と感じました。

阿佐見:先ほど、どのクラスターの中にも、ディメンジョンタイプの方もスティグマタイプの方もいらっしゃる、というお話があったと思います。スティグマでイメージしやすいのは、批判とか、アンチ発言をするみたいなことですが、「知識ある他人事層」の中のスティグマというのは、どういうものがありますでしょうか。

熊谷:障害分野では最近よく取り沙汰されることがあるのですが、多様性という方向性については異論はないけれども、至近距離には来ないでね、というふうなタイプのスティグマ、というのでしょうか。

例えば、遠くにいる範囲であれば多様性は認めるけれども、賃貸物件を貸すとなると急に差別を受けるとか、あるいは、結婚をするとなると差別が顕在化してくるとか。就職をしようとすると差別に遭うとか、至近距離で深い利害関係に入り込もうとすると急激に差別が立ちはだかる、といったことは相変わらず続いています。

そういったことを、「インクルージョンなきダイバーシティ」という言葉で呼ぶ方々もいるのですが、多様性は認めるけれどもインクルードしないという状況が、相変わらずあるな、と思ったりすることもあります。

 熊谷晋一郎

阿佐見:「インクルージョン」というキーワードが今出てきたのですが、その言葉の解説をお願いしてもよろしいでしょうか。

熊谷:ダイバーシティというのは、単に一般社会の全人口分布に比例する形で、特定の地域やコミュニティー、あるいは組織の中にそれと比例した属性の方が分布しているという状態を表す概念です。インクルージョンというのは、人と人の関係性を表す概念です。

インクルージョンの条件として最も重要なのは、平等に機会が保障されているということです。例えば、私であれば、障害のない人と同じように、行きたい場所に行けて、いろいろな選択肢が選び取れる、といった状況です。プラス、最近注目されているのは、当事者の主観として、この組織やコミュニティーに所属しているという感覚、「所属感」も、インクルージョンの重要な要素ではないかといわれています。

阿佐見:制度としての選択肢があって、文化としての所属感、所属できている感、その両方がある状態がインクルージョン、というイメージで合っていますでしょうか。

杉山:「みんないていいじゃない」「いろいろな人がいていいじゃない」、というのは最近結構あるじゃないですか。

でも、例えば、「熊谷さんも、阿佐見さんも、一緒に飲みに行こうよ。いいじゃん、別に車椅子関係ないよ。飲みに行こうぜ」といっても、そこに段差があると、熊谷さんだけ行けなくなってしまうわけですよね。そうしたときに、「じゃ、お金かけてこの段差なくそうよ」と言うと、「何で熊谷さんにだけお金を使うんだ」と。それは本当に平等なのか、という議論になってしまう。でも、例えば「全ての国民は皆平等なのだから」と言って全国民に同じサイズの洋服を配ったら、着られない人が出てきますよね。サイズが合わない人は諦めて我慢しなければならないというのは、平等と言えるのでしょうか。

そこにいる人たちが生かされない限りは意味がない、と言い切っていいのか分かりません。ですが、そこにいろいろな人がいるよねと、そのいろいろな人たちがみんな活躍できる、生かされるようになっていかないと、社会は変わっていかないと思います。

阿佐見:本当におっしゃるとおりだと思います。選択肢と所属感、空気感というものの両方が大事になってきますよね。杉山さんは、日本のマジョリティーは「知識ある他人事層」だというデータをどのように捉えられましたか。

杉山:まさに、「いや、いいじゃない。俺は関係ないけど」という感じの方が多いなと、一当事者としては感じることが多くて。でも、それも一概にその方たちを責められないとは思っているのです。というのは、どこにも悪気がなかったりするんですね。LGBTQ+を差別的に扱っている方で、悪意を持って差別している方というのは、ほぼいないのではないかと思います。

ただ、知らないからこそ、そういうふうに言ってしまう、よかれと思って言ってしまうというところもあるかな、と。この「他人事」というのは、言い換えると「無関心」ということだと思うのですが、この無関心の方たちに意識を持ってもらうというのは、本当に難しいなと感じています。逆に、すごく批判的な方は、一つ掛け違えたボタンがピタッとはまると、すごく応援してくださることもあるのです。ですが、意識がない方に意識を持ってもらうという、ここが本当に難しいんですよね。

ただ、僕自身が個人的に感じているのは、多様性の議論で、よくいわれるのが、例えば外国人、高齢者、障害者、 LGBTQ+などの多様な人、というふうに形容されることがあるのですが、誰だっていずれ年をとれば高齢者になります。今日の帰り道にでも事故に遭えば、僕ももしかしたら明日から車椅子生活になるかもしれないし、自分が海外に行けば外国人だし、自分がLGBTQ+の当事者ではなかったとしても、もしかしたら生まれてくるお子さんがそうかもしれない、お子さんが選んだパートナーがそうかもしれない、ということを考えていくと、当事者も非当事者も表裏一体だと思うのです。

自分が車椅子利用者になってからはじめて、「あ、ここに段差があったのか」と。今まで行けたところに行けなくなったと気づいてはじめて、この段差なくそうぜと声を上げるのか、一生ならないかもしれないけれども、もしかしたら明日なるかもしれない課題に対して、みんなが自分ゴト化して、みんなの課題なのだから、みんなで解決していこうよとなるのか。後者のほうが絶対僕は社会としてはいいと思っています。それをどうするのかというのは、ここから考える必要があるのですが、他人事と思っている人たちが、いかに自分ゴト化するかというところにポイントがあるような気がしますね。

阿佐見:まさに、当事者と非当事者の関係は表裏一体ということで、自分が当事者になってみないと意識が向かないことだったとしても、あえて自分と関係ないと思っている当事者の人たちの課題を一緒に解決していこうよという社会のほうがいいのではないか、ということですよね。

杉山:だから、他人事でいられる課題というのは一つもないと思っています。すべての社会的な課題は、すべてつながっているので、当事者・非当事者、マイノリティー・マジョリティー、加害者・被害者みたいなものも。僕も、セクシュアリティという切り口で切り取ればマイノリティーかもしれないですけれども、ほかのことに関してはマジョリティーに属していることもあると思います。

これはLGBTQ+に限らず、あまり俺には関係ないなと思うものこそ、自分は、そのイシューに関する強者である、いわゆる強い立場であると、これは多分共通して言えるのではないかと思います。関係ないと思えるだけの自分の暮らしやすさが実はそこにはあって、逆に言うと、そういった生きづらさの構造に加担している側かもしれない、と。これは常に僕も、自分の戒めとしても、すごく感じているところですね。

杉山文野

阿佐見:なるほど。無自覚な強者であるかもしれない、この差別的な状況をつくることに加担しているかもしれないということを、一人一人が意識することから変わることがあるかもしれないということですね。熊谷先生の研究の観点から、この話について何かありますでしょうか。

熊谷:私たちが小説を読んだり、映画を見たりするときに、例えば登場人物の置かれているシチュエーションは、自分が置かれているシチュエーションと全く違っても、時に深く感動したり、共感したりすることがありますよね。つまり、その人の物語を深く知ると、カテゴリーを超えて、「あ、同じ苦しみなんだ」とか、「同じ悔しさなんだ」とか、そういうことを感じ取ることができる。ただしこの共感は、相手の個人史を深く知るだけでは底の浅いものになりがちです。

例えば、絵画などの芸術表現を深く理解するのに、その作品が生み出された歴史的背景を知る必要があるのと同様、障害のある人々の経験や運動についての歴史や、そのなかで蓄積されてきた独自の価値観や知恵を知る必要があります。そして、障害のない人も、自分の個人史や、自分が身を置いている歴史・価値観、享受している特権・知恵がどのようなものなのかを振り返る必要があります。自他を、個人レベルでも集合レベルでも深く理解し尊重し合うことが、スティグマを減らすうえで重要だと、接触仮説では強調されています。先ほどディメンジョンという話をしましたが、そういう意味です。

つまり、確かに相手と私は違うのだけれども、その人の個別の物語や背景にある集合的な経験を深く聞いたり、知ったりすると、不思議と共通のストーリーの人生の骨格みたいなものが浮かび上がってきて、他人事だとは思えなくなる。それが、コンタクト(接触)することの意味です。そういった形でも、私たちは、他人事ではないつながり方ができる存在なのではないかな、と考えてきました。

LGBTQ+への誤解・批判・敬遠をなくすには、正しい知識を身に付けるための教育が必要

阿佐見:では、次のクラスターの話に入っていきたいと思います。先ほどは、無関心、他人事という人たちでした。今回、「誤解流され層」「敬遠回避層」「批判アンチ層」といった、すごくネガティブな感情のクラスターも出てきたのですが、この層とはどう向き合うべきなのか。まず熊谷先生からお願いします。

熊谷:特に目にとまったのは「批判アンチ層」のデータです。先ほどインクルージョンの条件の一つとして挙げました、コミュニティー、あるいは社会、地域社会への所属感が低い傾向にあるというふうにも、データから読み取れるのかなと感じたのです。

社会的に排除されて、エクスクルードされているという意味では、もしかしたら、全員とは言わないまでも、この層に割り当てられている人の中に、ご本人も何か社会的な排除を感じ取っている方がいらっしゃるのかなと思いました。

そうなってくると、先ほどのスティグマへのアプローチの話に戻りますが、ほかならぬ自分自身が抱えている疎外感だったり、排除されている感覚だったり、そういったものをシェアできるようなアプローチが、この層に対するアプローチとしては必要なのかなと感じました。

阿佐見綾香

阿佐見:先生の研究の中で、「人に良い形で依存することができない人がスティグマになりやすい」というお話もあったような気がするのですが、そこのあたりについてはいかがでしょうか。

熊谷:周囲の人々や、社会全体から排除されていたり、差別を向けられていたり、あるいは、極端な場合では暴力を振るわれていたり。そういう状況で生きていると、当然ですけれども、人間不信になります。あるいは、社会不信になります。

人間不信というのは、いろいろな面で生きるのが大変で、自分が困ったときに、安心して周りの人に頼れない、依存できないという状況になります。そうすると、周りにいる人ではない、それ以外の限られた者に、過度に依存せざるを得なくなる。こういった状態がしんどいということで、どうしたら、周りの人たちに広く依存していけるのかということをずっと考えてきました。

そういう意味では、この層の方が、安心して自分の弱さ、困っていること、つらいこと、傷ついていることを打ち明けられて、頼れるような人間関係やコミュニティーに身を置いているのかどうかというのは、とても関心のあるところではあります。

阿佐見:杉山さんはいかがでしょうか。この3つのクラスターについて、どう向き合うべきか、感じられたことを教えていただけますでしょうか。

杉山:このクラスターについては、まさに名前にも「誤解」というふうに書いてありますが、正しく知るということがすごく大事だと思うのです。

特に、この反対されている方たちは、少し年齢が高い方が多いというデータもありますが、これは個人を責められる話ではないと思うのです。教育とか、自分が大人になる過程において、LGBTQ+に対して正しく知る機会が全然ないままに大人になっている方が多いですよね。知ってしまえば何てことはなかったりするのですが、そういうことを知る機会がない。

LGBTQ+とかセクシュアル・マイノリティーに関する情報というのは、本当に一部のごくごく偏った、例えば夜の水商売の方たちとか、テレビのバラエティーの世界の人たち、もちろん水商売とかバラエティーがいけないというつもりは一切ないですが、非常に偏りのある情報なんですよね。そこしか知らないがゆえに、「あ、そういう人って、ああいう人なんでしょ」と、そこだけが唯一の知識につながっている傾向があると思います。ですので、突き詰めると、これはしっかりと教育現場で伝えていくということが大事だと思います。

よくこういう話をすると、子どもたちにはまだ早いでしょう?と言われてしまうこともあります。どうしてもLGBTQ+の話というと、それって大人のベッドの上の話でしょう?と勘違いされがちなのですが、これは性行為の話ではなくてアイデンティティーの話です。ですので、早いも遅いもなくて、しっかりと、みんながちゃんと知識として身に付けるべきことだと思います。

こういったことをきちんと教育現場で伝えていくということは、当事者の子どもたちが嫌な思いや、被害に遭わないというだけではなくて、周りの子たちを加害者にさせないためにも、すごく大事なことだと思うのです。

例えばアメリカでは、9歳の男の子が、男の子を好きだと言ったら、いじめられて自殺してしまったという、本当に悲しいニュースがありました。でも、多分、いじめた子どもたちも決して悪気はなかったと思うのです。知らないがゆえに、そういった心ない大人たちの言葉の再生産、負の再生産で、そういった悲しいことが繰り返されている。そういうことを考えると、教育、知識として身に付けるということが、まず一つ解決できる方法だと思います。

阿佐見:まずは教育がキーになってくる。それによって、悪気がない差別をするような人が減るのではないか、と?

杉山:批判的に言われる方も、本当に悪気はないと思います。その方も、誰かを苦しめたくて言っているわけではなくて、本当に日本がよくなるためには、絶対こうしたほうがいいという思いで言っているわけですから、そこはあまり対立構造というか、戦うところではなくて、むしろ、知らないところをお互いに知るということがすごく大事だと思います。

阿佐見:知らないから言っているというところで、特に「誤解流され層」の中で多かったのが、LGBTQ+を認めると少子化につながる、と。そういった誤解が多いという傾向も出ていたのですが、もうお子さんが2人もいらっしゃる文野さんから見ると、いかがでしょうか。この層とはどう向き合っていけばよいのか。

杉山:僕も子どもを育て始めてはじめて、もしかしたらそういうことなのかなと思ったのが、子どもを持つ、持たないというのは、本当にそれぞれの選択で、持たなければいけないということでは決してないのですが、僕は持ちたいという意思があった。子育ては本当に楽しいし、すばらしい人生の機会だなと思っているのです。

もしかしたら、少子化に拍車がかかるとか、LGBTQ+のことを反対している人というのは、LGBTQ+の人は子どもを持つことを意識的に放棄している人たち、というふうに勘違いしているのではないかと思ったのです。要は、多くの方は子育ての経験をされて、人生のこんなにすばらしい機会を、あの人たちは自ら放棄をして、いわゆる社会に貢献していない人だという、知識がないがゆえに、そう思われてしまっているのではないか。

だからこそ逆に言いたいのは、LGBTQ+の人たちは、子育てをしたくないとか、子どもを持ちたくないわけではなくて、持ちたいと思ったときにも持てない制度があるのだ、と。持てない社会構造があるのだということを理解していただいて、だからこそ、みんなで次世代を育てられるような環境を整えていくということは、誰にとってもマイナスになるわけではないんですよ、ということ。そこの誤解は本当に解きたいなと、改めて自分も子育てに関わるようになって、思いましたね。

阿佐見:今の杉山さんのお話を伺いながら、本当に一つ一つ知ることから意識というのは変わっていきそうな気がしました。

LGBTQ+

次回に向けて
今回は、初のストレート層クラスター分析の価値と、最も多かった“知識ある他人事層”、そして、ネガティブな“誤解流され層” “敬遠回避層” “批判アンチ層”との向き合い方についてお話ししました。

次回は、クラスター分析の読み解きの続きとして、 “アクティブサポーター層” “天然フレンドリー層”をどう捉えるべきかについてお話ししていきます。さらに、同性パートナーシップ制度が、当事者の人権保護、地域の世論改善にある程度寄与するというデータをどう捉えるのか、そして、セミナー視聴者からの質疑応答をお届けします。