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PR資産としての企業ミュージアムのこれからNo.2

経営資産「企業文化」を可視化する資生堂企業資料館

2022/06/03

企業ミュージアム連載

企業ミュージアムは、「ミュージアム」というアカデミックな領域と「企業」というビジネス領域の両方にまたがるバッファーゾーンにある。そして運営を担う企業の広報、ブランディング、宣伝、人事などと多様に連携する組織である。本連載では、企業が手掛けるさまざまなミュージアムをPRのプロフェッショナルが紹介し、その役割や機能、可能性について紹介していく。


マサチューセッツ工科大学(MIT)の教材にも採用されている資生堂企業資料館の収蔵物。「Visualizing Cultures(文化を可視化する)」と名付けられたMITの公開講義サイトに、資生堂企業資料館の収蔵物は公開されている。資生堂が「第4の経営資産」と位置付ける「企業文化」は企業資料館でアーカイブされ、可視化され、イノベーションを生み続けてきた。本稿では、資生堂のミュージアムの紹介を通して「企業文化」の果たす役割について考察したい。

取材と文:藤井京子(電通PRコンサルティング)

資生堂企業資料館

“遠い過去を見ることができる人ははるかな先を見ることができる” 
── ウィンストン・チャーチル

資生堂企業資料館は1992年4月、創業120周年を記念して資生堂が静岡県掛川市にオープンした企業ミュージアムである。資生堂の掛川工場とも隣接しており、同じ敷地内には近現代の優れた美術品を収蔵・展示する資生堂アートハウスがある。東海道新幹線の車窓からも見えるこの資料館は、大都市から来るには少々不便な場所に立地するが、コロナ禍前の2019年には開館日が週3日と限定されていたにもかかわらず、年間約2万人が訪れた。

地上4階建てのこの資料館では、漢方薬が主流の時代に資生堂が日本初の民間洋風調剤薬局として創業した1872(明治5)年から今日までの長い歴史の中で生み出された商品や宣伝制作物をはじめとするさまざまな資料を一元的に収集・保存し収蔵品の一部を展示公開している。

資生堂企業資料館 大木敏行館長
資生堂企業資料館 大木敏行館長

今回は、資生堂企業資料館の大木敏行館長にご案内いただいた。1階と2階は展示室となっている。1階では資生堂の創業から現在までの歩みを紹介する常設展示に加えて、創業から100年目までの商品を展示するとともに、明治時代の銀座のジオラマや歴代コスチュームのコーナーも設けている。例えば資生堂初の化粧品「オイデルミン」の現物をはじめ、ロゴタイプや花椿マークの変遷なども見ることができる。2階では創業から現在までの広告やポスターに加えて、101年目以降の商品を展示している。

3階から4階にかけては、室温と湿度が管理されたバックヤードが存在し、創業以来の商品、ブランド、機関誌、美容、財務・経営全般、宣伝制作物など各種資料が保存されている。一般には公開されていないが、今回は特別にそのバックヤードにも入れていただき、資生堂の過去の貴重な資料を見せていただいた。

室温と湿度が管理されたバックヤード(写真提供:資生堂企業資料館)
室温と湿度が管理されたバックヤード(写真提供:資生堂企業資料館)

なぜ東京ではなく静岡県の掛川か

資生堂の創業の地は銀座である。また現在本社機能があるのは東京都港区汐留である。その資生堂の企業資料館が静岡県に建てられたのは、掛川工場のある敷地を大きく確保できたことに理由がある。150年の歴史の中で蓄積された資料は膨大で、増え続けていく資料の現物をそのまま保存していくには、都心ではスペース確保が困難である。集客だけを考えると、大都市に設立する方が効率は良いが、資生堂企業資料館は一般には現在金曜日のみしか開館していない。日々発生する各種の社内資料を収集し、その保存や整理作業を行っていること、また、社内の求めに応じた資料の貸し出し作業や、即日の問い合わせ対応、国内外の社員、研究者、メディアの対応といった業務もあり、2020年より一般公開は金曜日に限定されることとなった。ちなみにこの企業資料館には他の大手企業のミュージアム担当者も訪れる。主にアーカイビングについてヒアリングされることが多いという。

第4の経営資産「企業文化」

この企業資料館の創設は、1980年代から議論されてきた。100年史編さんのために集められた2万点以上の資料と、各部門が所有する歴史資料が散逸の危機にあり、貴重な歴史的活動の記録や資料の散逸を防止するとともに、社内の資料整備環境を整えるために資料館を本部とする資料収集、保管体制を確立するという基本計画が立てられた。この構想を具現化するために1990年に企業文化部が設置された。

当時の社長であった創業家出身の福原義春氏は、著書「ぼくの複線人生」(岩波書店)の中でこの企業文化部について以下のように述べている。「これまでの常識として資本というものは、ヒト、モノ、カネの三要素と考えられてきたが、資生堂の歴史においては文化が資本の一つのように機能している。文化が経営に役立つとともに、経営が発展することによって新たな文化を蓄積する結果となっている。それならば、ヒトを管理する人事部があり、カネを管理する財務部があり、モノを扱う工場管理部門があるように、企業内部の文化の確認、活用、蓄積そして未来の文化発展の方向を管理するような部門があって然るべきではないかと考え、その部門を企業文化部と呼んで新設することとした」

新たに設置された企業文化部は、資生堂ギャラリーや資生堂アートハウスといった、すでに存在していた企業内文化施設の管理運営、企業文化誌「花椿」の発行などを担当することになった。そして1992年にオープンした資生堂企業資料館の運営も企業文化部の重要な事業となった。

社員のエンゲージメントを高める

社員が会社の歴史を知る上でも、資生堂企業資料館は重要な役割を果たしている。資生堂企業資料館は社員研修の場としても使われている。2022年は資生堂創業150周年ということもあり、前年から企業資料館が中心となり社員向けの講演会を行ってきた。講演後の受講者アンケートでは、資生堂のヘリテージに対する理解度や気付きに関する回答はほぼ満点に近い結果が出ている。

一般社員だけではなく経営者の来館もある。2014年4月に社長に就任した魚谷雅彦氏は直前に企業資料館を訪れ、「資生堂は革新の連続があって今日があるということが分かった」と述べている。

同館では、コロナ禍以前には資生堂の株主を招待する見学会も行っていた。参加した株主からはアンケートで、「企業資料館を見学し、資生堂の歴史を知ることでさらに資生堂を応援したくなった」という声も寄せられている。

「ギャラリー」ではなく「ミュージアム」

資生堂企業資料館は英語名がShiseido Corporate Museumとなっており、“ミュージアム”なのである。一方、資生堂は、現存する日本最古の“ギャラリー”といわれる資生堂ギャラリーを銀座で運営している。多くの人が、ミュージアムとギャラリーの違いをあまり意識しないで使うことが多い。紛らわしいのはロンドンのナショナルギャラリーやワシントンD.C.にあるナショナルギャラリー・オブ・アートの存在などである。これらギャラリーは“ミュージアム”として紹介されることが多いからである。

資生堂では企業資料館を「企業博物館」、アートハウスを「企業美術館」、また資生堂ギャラリーを「画廊」と捉えている。ただし、資生堂ギャラリーは商業画廊ではない。設立当初から、新進作家に作品発表の場を提供するなど、展覧会を自主企画し「新しい美の発見と創造」に取り組む活動を通して、資生堂の美意識を発信している。

資生堂は資生堂企業資料館以外に、横浜にS/PARK Museumを2019年にオープンした。こちらは、美について外面・内面の両方からインタラクティブに体験できる体験型のミュージアムとなっている。

写真左上:資生堂アートハウス/写真左下:S/PARK Museum展示スペース/写真右:資生堂ギャラリーの入った東京銀座資生堂ビル
写真左上:資生堂アートハウス/写真左下:S/PARK Museum展示スペース/写真右:資生堂ギャラリーの入った東京銀座資生堂ビル

博物館法と地域貢献

日本にはそもそも「博物館法」という法律がある。1952年に施行されたこの法律では、「博物館」とは、「歴史、芸術、民俗、産業、自然科学等に関する資料を収集し、保管(育成を含む。以下同じ。)し、展示して教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーション等に資するために必要な事業を行い、あわせてこれらの資料に関する調査研究をすることを目的とする機関」とされている。

2022年2月、この「博物館法」の改正案が閣議決定され、博物館への登録要件が緩和されることとなった。一定の要件を満たした自治体や財団法人などの施設が対象となっている博物館登録制度に民間施設も追加されることとなった。対象を広げることで、文化施設の観光促進や地域貢献へとつなげたい考えだ。博物館の事業に「地域の多様な主体との連携・協力による文化観光、まちづくりその他の活動を図り地域の活力の向上に取り組むこと」が努力義務として追加された。資生堂は企業資料館を登録申請する予定はないとしているが、掛川という地方都市にあって、一企業とはいえ、時代を示す商品やポスターなどを無料で見られる場を提供することにより、すでに地域貢献は行っている状況である。

海外での展示

資生堂は、資料館ができる前から日本国外での資料展示も積極的に行ってきた。これまで、世界各国の展覧会に企業史資料を提供してきている。1986年にはパリのポンピドゥーセンターで開催された日本の前衛芸術展で、戦前の資生堂のポスター、商品などが展示された。また、同時期、パリの広告美術館では「資生堂の広告美術1872-1986」が開催された。このフランスでの二つの展示会は、資生堂というブランドが、文化によってフランスで市民権を得るのに一役買ったと、後に福原氏は著書で語っている(前掲書)。

パリ装飾美術館で開催された「PARIS-TOKYO-PARIS SHISEIDO 1897-1997 LA BEAUTE」(写真提供:資生堂企業資料館)
パリ装飾美術館で開催された「PARIS-TOKYO-PARIS SHISEIDO
1897-1997 LA BEAUTE」(写真提供:資生堂企業資料館)

また、1997年にパリ装飾美術館で開催した「PARIS-TOKYO-PARIS SHISEIDO 1897-1997 LA BEAUTE」では、商品、広告、パッケージの変遷など、およそ一世紀の軌跡が展示された。この展示会のテーマは「美と知のミーム、資生堂」である。美はアート、知はサイエンス、ミームは企業遺伝子である。アートとサイエンスが資生堂の企業文化を構築してきたという軌跡を展示するものとなっている。期間中、約1カ月の来館者は約2万人で、好評のため、会期を4日間延長するほどであった。フランスのメディアでは、パリの装飾美術館で民間企業が文化展を実現させた意義が取り上げられ、これまで以上にフランスでの市民権を得ることができたのである。

マサチューセッツ工科大学の教材に採用

さらに資生堂企業資料館に展示・保存されている化粧品の広告や店頭ツール、機関誌などのマーケティング資料は、米国マサチューセッツ工科大学(MIT)の教材としても使われている。同大学が運営する講義情報公開サイト「オープンコースウエア(OCW)」で2009年5月より、無償で一般公開されているのである。

2022年4月22日付のMITの報道資料によると、2001年の開始から今日までOCWは、これまで3億人以上のユニークユーザーがアクセスし、月間160万人がウェブサイトを閲覧し、500万回のビデオ視聴がある。MITが日本の歴史や文化を学ぶ教材として、日本企業1社のマーケティング史を深く掘り下げてサイトで公開するのは初めてのことであった。このMITのサイトのタイトルは「Visualizing Cultures」である。つまり、「文化を可視化する」である。

最後に

アーカイビングはただ単に過去の知識を得るためのものではない。冒頭に引用したウィンストン・チャーチルの格言は、福原氏も講演で引用されているが、過去を知ることは未来のイノベーションを起こす。これは一企業だけの話ではなく、国家でも同じであろう。資生堂企業資料館は、資生堂が過去に創造した企業文化をアーカイブし、可視化し、社内でのヘリテージ継承を通じてイノベーションの源泉として活用される場となっている。


【編集後記】

資生堂は現在、BEAUTY INNOVATIONS FOR A BETTER WORLDをミッションとしているが、企業にとって大切なのは「ヒト、モノ、カネ」+「文化」なのだ、という理念に触れて、ハッとさせられた。

自分の半生を振り返っても、思い出されるのは、まず「文化」だ。幼い頃に見た海の雄大さ、青春真っ只中で憧れた清楚なアイドル、大人になって初めて食べた回らないすし、その店が静かにたたずむ通りの石畳……。そうした「美しいもの」の一つひとつが、今の人格を形成しているといっても過言ではない。

社会人になって間もない頃、ある先輩が「美しさは、機能に宿るんだよ」と教えてくれた。あまたある正解の中の、ひとつだと思った。

資生堂という企業が、ロゴマークである「花椿」へ込めた思い、あるいは願いのようなものが、この資料館に足を運ぶとよくわかる。美しさとは、一体なんなのでしょう?そんなことを、心の内側に問われているような取材だった。

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